■国際宇宙ステーション

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2007年4月10日更新

チャレンジャー事故を乗り越えて
 私が旧NASDAに出向し、宇宙ステーション計画に関わっていたのが1988〜1990年。1986年のチャレンジャー事故から2年経ち、ようやく飛行を再開し、日本人宇宙飛行士の打ち上げも目前という時期でした。

 当時の仕事というのは、日本実験モジュール(JEM、のちに「きぼう」と命名)での宇宙実験テーマの選定準備、利用者支援システムの計画、暴露部ミッション取りまとめなどでした。

 ところがそこで水素漏れ事故が発生し、再び打ち上げ延期。私もスペースシャトルでの宇宙実験の支援チームの一員としてマーシャル宇宙飛行センターに行けるところだったんですが・・・。浜松町の焼き鳥屋で向井千秋さんと飲んだ時に、宇宙飛行士をやめるにも一回は宇宙に行ってからにしたいと言ってたのを思い出します。

宇宙ステーション計画の変遷
 その頃の宇宙ステーション(当時はまだ「フリーダム」と名付けられていた)は1期、2期、3期の計画があり、1期は今のに近い。2期は上下にトラスを延長してサッカーグラウンドぐらいのサイズ。第3期は大気制動板を背負った惑星間往還機の組み立て場になっていて、まさにSFでした。

 その後、計画が大幅に縮小されて、ロシアの宇宙ステーション「ミール」と同型モジュールとの合体型という現在のものとなり、名前も「国際宇宙ステーション・アルファ」に変わりました。財政的な問題もあったんでしょうけど、システムが大規模だとメンテのための船外活動も増えて実験する暇がなくなってしまうという検討結果が出たことも影響したと思います。

 私がNASDAにいた頃は、いよいよ日本実験モジュールJEMでの実験テーマを正式募集する時期に近付いて、本番の準備に追われていたんですが、よもや15年も待つことになるとは・・・。これに比べれば、「ちきゅう」の国際運用時期はまだ1年しか遅れていないので立派なものです。

 とはいえ、いつのまにか日本人宇宙飛行士もジャーナリストの秋山さん1990、毛利さん1992、1998、向井さん1994、1998、土井さん1997、若田さん1996、2000の、のべ8回になります。うち宇宙ステーションについては、秋山さん(ミール)、若田さん2000年(国際宇宙ステーションの組み立て)で、今度の野口さんは3度目になります。

 NHKの朝の連続TVドラマ「まんてん」で女性気象予報士が宇宙ステーションのミッションスペシャリストになりました。NASDA出向当時、JEM暴露部ミッション取りまとめ担当として大口径マイクロ波放射計や降雨レーダーを乗せようと画策していたものですが、「まんてん」でも降雨観測レーダーが登場してうれしかったです。

=>Space Station Freedom(Answers.com)
=>No More Dreams, Mr. President(Claude Lafleur)
=>Photo Gallery- Space Station Freedom
=>Joe Bergeron Spacecraft Art
=>'Space station' Images Search(LaunchBase.net)

微小重力環境の利用
 微小重力環境の利用で一番金になりそうだったのが、蛋白質の結晶成長。地上では大きな結晶が作れないためX線回折法で構造決定ができない。そこで微小重力環境で結晶成長を行うというもの。ミールでも行われていたし、スペースシャトルの商業ペイロードで行うところまで行ったけど、SPring-8のような放射光施設ができたため、小さな結晶でも構造決定ができるようになってしまった。

 次に儲かりそうなのはバイオリアクター。微生物が微小重力環境で何かの機能を発現させて変わった物質を作り出さないかというもの。ただこちらは博打的要素がさらに高くなる。

 このほか冷却中に対流が起こらないことを利用して均一な複合材料を作るなんてのもあった。浮力材に使うマイクロ・バルーンを微小重力環境で作るというのは実際に行われたことがある。

 材料実験やバイオ実験に使ういろんな道具は重力があることを利用していることが多く、微小重力環境で同じことを行うにはそれらをすべて新しく工夫したものを開発しないといけない。このために実験原理の確認と各種装置の開発のため、塔や深井戸を使った落下実験施設、航空機による放物線飛行、小型ロケット等の実験が盛んに行われた。JEMの打ち上げがこんなに遅れて、研究開発はとっくにやり尽くしてしまっているのではないだろうか。

 さて、それ以上に問題なのがターン・アラウンド・タイムの問題。地上では材料を作る、分析する、材料の組み合わせやプロセスを変えて作る、分析する・・・ということを短い時間でどんどん繰り返す。宇宙飛行士に材料生成実験を委託し、結果を地上に回収して次にフィードバックするまでのターン・アラウンド・タイムが致命的に長い。回収専用の小型カプセルを使っても限界がある。

 ということで、微小重力環境の商業利用への道は遠い。

=>微小重力を利用した実験高品質タンパク質結晶成長プロジェクト微小重力環境下での蛋白質結晶化と創薬への応用
=>蛋白質の結晶成長と微小重力の影響

宇宙ステーションでの観測
 人のサポートが得やすい宇宙ステーションを天体観測・地球観測に利用するという点では、液体窒素冷却でセンサーの感度を上げる赤外線望遠鏡や多周波赤外線放射計などが考えられていた。それらを搭載する場所は、宇宙ステーション本体の巨大な放熱器に挟まれた場所だった。今ではJEMは宇宙ステーションの正面の特等席に取り付け位置が変更されている。

 地球観測では極軌道ではないので高緯度地域が観測できない。そういう意味で大口径マイクロ波放射計や降雨レーダーによるエルニーニョ観測/熱帯降雨観測を考えたわけで、当時としては、いつ打ち上げられるか分からない単独衛星ミッションよりも、宇宙ステーションのペイロードにした方が実現時期が早いと思えたものです。

 ちなみに、有人宇宙ステーションは無理な極軌道衛星観測も、無人でメンテ可能な地球観測プラットホーム構想が考えられたが、機能を失った部分を後で打ち上げてドッキングするアドオン方式に変わり、やがて単発衛星、それも1つの衛星に機能を盛り込むことをやめた小型衛星に変わっていきました。

宇宙空間での脅威
 宇宙ステーションは高度を上げすぎるとバンアレン帯の高エネルギー粒子が増え、高度を下げると空気抵抗が増える。そのぎりぎりの兼ね合いで400〜500kmを飛びます。目をつむっても網膜をちかちかと光点が光るそうです。さらにデブリの衝突をある程度防ぐダンパーで与圧室を覆っています。

 「深海は宇宙よりも敵意に満ちている」とは海中居住実験にも参加したカーペンター宇宙飛行士の言葉ですが、やはり宇宙の方が敵意に満ちているようです。

人は何のために宇宙に行くのか
 静止衛星による通信は、いまやタイムラグのない海底光ファイバーケーブルに取って代わられつつある、というような例外はあっても、気象観測、地球観測、GPS測位、イリジウム衛星電話、放送衛星など、衛星が欠くことのできない存在であることは異論ないものと思います。なかでもGoogleは衛星画像をより身近なものとしました。

 宇宙開発の一番大きな成果はと聞かれれば、私は「人間の視野を広げ、意識を改革した」ことにあると言いたい。地球の裏側で起きた事件が即座にTVで中継されるようになって久しい。惑星探査機から送られてきた火星やエウロパの荒涼とした姿を見て、自分たちの住む地球がいかに瑞々しく生命に溢れた星であり、しかしごく薄い大気で守られた貴重な存在であることを世界の人々が印象付けられ、それによって世界の人々の意識の奥底で何かが変ったのは間違いないと思います。

 なぜ人は宇宙に行かなければないのかを語る前に、少なくとも宇宙で故障した衛星を回収する技術は必要と言いたい。JAMSTECで回収不能となった係留系や海底地震計を無人機等で回収できるようになって技術の改良に大変貢献しました。宇宙でもそれができるようになることが重要です。しかし有人である必要はないかもしれませんが。

 人は何のために宇宙に行かなければならないのか。生命が誕生し人間という知的存在にまで進化した理由、それが奇跡の中の奇跡なのか、それとも宇宙にあっては珍しいことではないのか、そのことを知るためだけで最低4箇所は行く必要があります。それは月(両極と裏面)、火星、小惑星帯、そしてガニメデかエウロパ(たぶん氷の薄さからいってエウロパ)です。もちろん有人でなければいけないのかという議論は残ります。


=>宇宙ステーション・きぼう広報・情報センター(JAXA)

=>次期スペースシャトルCEV(Crew Exploration Vehicle)
=>Space Review
=>ミニ地球〜閉鎖生態系研究から宇宙での植物栽培まで
=>International Space Station(NASA Human Space Flight)/International Space Station(NASA)/Shuttle Press Kit

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