「人類の足跡10万年全史」(原著2003-2004、スティーヴン・オッペンハイマー、草思社、2007)

 この本、とっても面白い本なんですが、原著が悪いのか翻訳のせいか、きっちり理解しようとするには分かりにくい文章で、何度も行きつ戻りつ、本が付箋と蛍光ペンだらけに・・・。さらに地図帳で場所を確認したり、ネット検索したり、別の海水準変動のグラフとつき合わせたり・・・で、なかなかケリが付きません。

 いわゆる「ミトコンドリア・イヴ説」の集大成本。現生人類(ホモ・サピエンス・サピエンス)が氷期の気候変動を乗り越えて世界の果てまで進出していく物語です。
 それに加えて、類人猿から現生人類までの進化、特に、250万年前に氷期・間氷期サイクルが始まってからホモ属らの脳容積が急激に増大していった原因を論じています。
 もうひとつ、考古学分野にも頑迷な権威主義があって、著者はそれにかなり頭にきているのか、かなりしつこく糾弾しているところも読みどころです。

●ミトコンドリア・イヴ説
 さて、「ミトコンドリア・イヴ説」の方から。
 母親からのみ伝わるミトコンドリアDNAについて、最初のうちは環状のミトコンドリアDNAの一部を解読して系統樹が作られていたが、その後全解読されるようになって、より疑いのないものになってきている。加えて、父親からのみ伝わるY染色体の全解読も行われつつあり、多少の違いがあるものの、基本的なところは変わらないとのこと。Y染色体はミトコンドリアDNAよりもはるかにサイズが大きいので解読は大変だが、突然変異の頻度が高いので、より詳細に分岐が分かるという。

 ミトコンドリアDNAは1000世代に1回の割合で変異するとして系統が分岐する年代を導いており、当然のことながらこの分子時間の精度は悪いので、海水準の変動や陸上の状態の変化、7万4千年前のトバ火山の大噴火などを手がかりに現生人類の移動時期を特定していきます。
 その際、コンピュータによる頭蓋と歯列の形の比較分析、旧人類〜現生人類の行動様式の進化を示す発掘物(各技術レベルの石器、顔料、貝採取、長距離の交易、漁労、採鉱、装身具、彫物、具象絵画)、使用言語の比較分析なども駆使しています。

 最初、このミトコンドリアDNA系統樹はあくまでも”現在生きている”人類のご先祖様の足取りを示しているだけで、過去に途絶えた家系の先祖までは考えていないと思っていたのですが、どうやら、このミトコンドリア・イヴの物語はそのままホモ・サピエンス・サピエンス全体の物語とおおむねイコールらしい。というのは、途絶えた先住民族の頭蓋や歯列の比較分析や骨のミトコンドリアDNAの分析も行われるようになってきているからです。

 絶滅したネアンデルタール人の発掘された骨から得られたミトコンドリアDNAとY染色体からの比較も行われるようになってきた。  現生人類が出現したのは、本書では17万年前、寒冷化によって旧人類(ネアンデルタール人やホモ・ヘルメイなど)の人口が激減した頃のアフリカ。それから5万年後の12.5万年前、前の間氷期に一度、北ルート、すなわち紅海の北端経由で脱アフリカが試みられたが、その時はレバント地方(今のレバノン、イスラエル、ヨルダンあたり)で滅びたという。
 その後出アフリカに成功したのは、8.5万年前、現在よりも海面が80m下がって浅くなった紅海の入口の海峡、すなわち南ルートをイカダか舟で渡り、アラビア半島南岸からインドに。その後に一部の種族がヨーロッパに向かう。

 以上は従来の説を覆すもの。これまでのヨーロッパ中心主義的な定説では、アフリカから北ルートでヨーロッパへの進出に成功し、そこで文化的進化を遂げてからインドその他の世界に広がったと考えられていました。
 同様に覆された説としては、世界各地でそれぞれネアンデルタール人など旧人類と混血したとする多地域進化説は、ミトコンドリアDNAやY染色体をみるかぎり、そのような痕跡は見られないという。もっとも、膨大なサイズの全ゲノムの中にそのような痕跡がある可能性は残っている。

 ところで、アフリカから出るのがそんなに大変だったとは・・・。単にサハラ砂漠や紅海の存在だけではなさそう。その頃、アフリカの外の土地には、すでに先に出アフリカした旧人類が住んでいます。先住民のいる土地に進出するのは大変なようで、やむにやまれず移住したが滅ぼされてしまったケースも少なくなかったのかも。
 同時に、旧人類の痕跡が現生人類に残っていないということは、掃討していったということに。

 陸での狩猟採取だけではやっていけなくなった現生人類が、寒冷化した時に出アフリカに成功したのは、寒冷化によって新しく陸化した土地だと先住民との競合が少なかったからというのもあったかも。

●ビーチバギー族
 さて、南ルートで脱出したこの一族が面白い。海岸採取という新しい生活様式を獲得して「ビーチバギー・モデル」と呼ばれるように次から次へと新しい海岸に進出していきます。このビーチバギーは水陸両用車、しかも海岸へのこだわりが強かったようで、紅海を渡ったのちも、インダス川など大河にぶつかるごとに右折して内陸に向う仲間と別れて対岸に渡り、オーストラリアにも海路をわたり、ベーリング海峡もどうやら陸橋化する最終最大氷期(LGM:Last Glacial Maximum)より前に島伝いで渡って、南北アメリカ大陸の西海岸を通って3万年前には最南端にまで到達したようなのです。

 この水陸両用ビーチバギー族は、初期のアフリカ人に見られた頑強な特徴を残しつつ、移動途中でスンダ型(日本では縄文人あるいはアイヌ人)という特徴を獲得しますが、その生活、足跡のほとんどが今では海中に沈んでいます。

 しかもその後、急速に拡大したモンゴロイド(日本では弥生人)がアジアと南北アメリカ大陸を席巻してしまいます。

●スンダランドとモンゴロイド  そこで気になるのが、今の大陸棚がLGMの海面下降で陸化していたインドシナあたりの「スンダランド大陸」とベーリング海の「ベリンギア大陸」。スンダランドの方は前から注目していたのですが、ベリンギアも当時としては多民族の避難地になっていたらしい。

 このうち・・・・・・・スンダランドに関しては、やはり謎の多いモンゴロイドの出現と関係あるのかないのか、なにやら思わせぶりな書きぶり。モンゴロイドはLGM前には陸化したベリンギア大陸を渡って米大陸に到達している。ところが極東におけるモンゴロイドの骨はもっぱら1.1万年以降にしか確かなものが見つかっていない。LGM前の2.1万年前と推定される骨もないことはないが、どうもはっきりしない。  なにやらモンゴロイドの起源は沈んだスンダランドではと思わせるところがあるが、遺伝子的には南モンゴロイド。東南アジアは、石器の技術で見ると欧州やアフリカよりもずいぶん遅れているそうで、それは代わりに竹製品などが発達していたのか・・・? 典型的モンゴロイド=北方モンゴロイド=新モンゴロイド=弥生人=アメリカインディアン

凹凸の少ない顔立ち、一重瞼、蒙古襞(目頭の襞)、体毛が少ないこと(特に男性のひげの少なさ)、耳垢が湿ったあめ状ではなく乾燥した粉状となり、耳垢の特徴と同じ遺伝子によるわきがの原因となるアポクリン汗腺が少なく、頭髪が直毛であること、短頭等がある。
スンダ型=南方モンゴロイド=原モンゴロイド=古モンゴロイド=縄文人、港川人。アイヌ人
低めの身長、薄めの肌の色、発達した頬骨、鼻梁が低く、両眼視できる視野が広い等の特徴を持つと考えられた。
彫の深い顔、二重瞼、体毛が多いこと、湿った耳垢、長めの腕脚、波状の頭髪、長頭、等の特徴は新モンゴロイド以外の多くの「人種」と共通する。
項目新モンゴロイド古モンゴロイド他の多くの人種共通
別名・例弥生人縄文人欧州人、アフリカ人、インド人
顔の特徴幅広く頬骨が張り出し、凹凸の少ない顔立ち発達した頬骨、鼻梁が低く、
両眼視できる視野が広い、彫の深い顔
彫の深い顔
小さい  
まぶた一重瞼、蒙古襞(目頭の襞)
目が細い、はれぼったい
二重瞼二重瞼
薄い厚いいろいろ
体系胴長、ずんぐり手足が長い、華奢な感じ手足が長い
体毛少ない(特に男性のひげの少なさ)多い多い
耳垢乾燥した粉状。アポクリン汗腺が少ない
(耳垢の特徴と同じ遺伝子)
湿ったあめ状湿ったあめ状
頭髪硬くて直毛やわらかくて波状やわらかくて波状
頭の形短頭長頭長頭
歯列中国型スンダ型 
 下戸がいる 下戸が少ない
 性成熟が遅く、ネオテニー(幼形成熟)が進んでいる?  
 幼児に蒙古斑あり幼児に蒙古斑あり 

ネアンデルタール人など旧人類との混血はなかったらしい。顎の大小は食生活で変わってしまうので、顔の上半分で判断する必要あり。肌の色は居住する緯度によって5000年程度で適応してしまう。

=>wiki:モンゴロイド古人類学
=>モンゴロイドの拡散(アフリカ→北ルートで欧州(コーカソイド)→インド・・・としている点は間違い)
=>現代日本人のルーツ歯の豆辞典―歯科人類学のススメ―大顔展


 ここでオッペンハイマー先生、まず槍玉にあげるのは、現生人類はヨーロッパで始めて文化的進化を遂げて、そこから世界に文化を広げたというヨーロッパ中心主義に由来する学説。3.2万年前に南フランスのショーベの洞窟に具象絵画が描かれたが、ちょうど同じ3.2万年前に、南オーストラリアのカルロッタでも岩の彫刻芸術が

 もちろんこの系統樹解析は、単に、今生き残っている人類の祖先の足跡を明らかにするにすぎない。子孫がすでに絶えてしまった家系や種族についての情報は出てこない。そこで

 これによる覆えされた3つの定説とりあげて、徹底的に論破している。よっぽど恨みがあるらしい。

 ネアンデルタール人と現生人類(ホモ・サピエンス)
アフリカをいつ、どのルートで出たかについて、これまでヨーロッパの研究者はアフリカから紅海北端の シナイ半島、レバント地方(現在のレバノン、イスラエル、ヨルダン)を経由してヨーロッパで芸術性豊かな知性を獲得し(クロマニヨン人)、それからアジアやオーストラリアにわたっていったという説に固執した。 。紅海の入口は水深が現在137mあり氷期も陸続きになることはなかった。

 8万5千年前。アフリカから紅海の入口の海峡〈悲しみの門〉をイカダか舟でわたり、アラビア半島南部を経由し、陸だったペルシャ湾入口を歩いてインドにまで進出することに成功した。この南ルートの出アフリカ集団が今の世界の全人類のご先祖様。先住民(おそらくホモ・ヘルメイの子孫)を掃討したらしい。

彼らはスマトラ島のトバ火山が大噴火する7万4千年前までには東南アジアまで到達していた。

混合・混血するよりはむしろ棲み分け(または相手を掃討)する方が多かったことが浮かび上がってくる。少なくとも現存人類のミトコンドリアDNAにはネアンデルタール人の痕跡は見つかっていない。

による変異と淘汰:獲得形質は遺伝しない。ところがそのように見える場合があり。共進化/遺伝的同化説:、文化的進化、行動の柔軟性や学習が自然選択を増幅したり偏らせたりする。文化が伝えられ進化すると、新しい行動にとって都合のいい遺伝子が選択され、新しい行動をよりよく利用できる新しい種を作る:遺伝子の進化と文化の進化は共進化する。文化の進化は血縁関係を超えて共有化される。新しい行動様式が(血縁関係を超えて)まず生まれ、その後にそれに好都合な遺伝的進化が選択される。

Temperature of Planet Earth

仮説
・トバ火山で文化の退行
・水陸両用のビーチバギー族
・スンダランドでモンゴロイド?

文化的進化と遺伝子的進化の共進性やネオテニー(幼形成熟)??????。

(人類の歴史)
800万〜700万年前:類人猿の数が急速に減少。
400万年前:歩く類人猿アウストラロピテクス・アナメンシス
400万〜300万年前:アウストラロピテクス・アファレンシス(ルーシー)直立歩行。脳容積375〜500cc
360万年前:ケニアントロプス・プラティオプス、平たい顔
300万〜200万年前:アウストラロピテクス・アフリカヌス、脳容積420〜500cc
250万年前:寒冷になりはじめる。
190万年前:ホモ・ハビリス、初めて道具を製作する。脳容積500cc、平均650cc
(研究の歴史)
1900年代初期:マーク・ボールドウィンが新しい文化が進化を押し進めるメカニズムを提唱(文化と遺伝子の共進化/遺伝的同化)
1920年代初期:ヴォルフガング・ケーラーがテネリフェ島のチンパンジーのコロニーで道具を発明し作ることを発見。
1926年:ジェシー・ヒギンズが北米大陸でフォルサム尖頭器をバイソンの骨とともに発見。
1932〜37年:ジェシー・ヒギンズが北米大陸でクロヴィス尖頭器をマンモスの骨とともに発見。
1953年:ジム・ワトソンとフランシス・クリックがDNA二重鎖を発見
1964年:ヴァンス・ヘインズがクロヴィス尖頭器の年代を測定し、1万1000年〜1万1500年前という結果を得る
1977年:トム・ディルヘイがモンテベルデ遺跡で1万2500年前の遺跡を発見
1997年: 1970年代後半:ウェズリー・ブラウン、ダグラス・ウォレスによるミトコンドリアDNAの研究
1974年:ドナルド・ジョハンソンがエチオピアのハダールでルーシー(アウストラロピテクス・アファレンシス)を発見
1987年:レベッカ・キャン、ストーンキング、アラン・ウィルソン(故人)による画期的な出アフリカ説を発表
1988年:ニューズウィーク誌の表紙を黒人のアダムとイブが飾る。
1990年代後半:分子時計
1996年:系統樹の年代推定法が確立

(本書の書評)
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(地名)
ジュクタイ:北東シベリア
ネグリト/セマン族:中央マレーシアのジャングル
マクラニ族:ネグリト・グループ。インダス川河口とパキスタンのパルチスタン海沿岸に暮らしている。
ケダ:マレー半島
セノイ族:マレー半島の先住民集団
オラン・アスリ:マレー半島内陸のジャングルの先住民
サバ:北東ボルネオ
ティンカユ湖畔:ボルネオ、東サバ
ニア洞窟:ボルネオ「深い頭蓋」アイヌ人に類似。ソアン文化
タボン洞窟:ボルネオ
カフゼとスフールの頭蓋化石
ワジャク:中央ジャワ
ソンケプレク洞窟;ジャワ島のグナンセウ
リアンブア洞窟:フローレス島(Wiki)
ヌサ・テンガラ:小スンダ列島
アンダマン諸島:ジャラワー族、オンゲ族。アフリカ的外見。大アンダマン島人
グヌン・ルンツ洞窟/コタ・タンパン谷:マレーシアのペナン島に近いペラ州のレンゴン・バレー。「ペラ・マン」、コタ・タンパン文化
ニコバル諸島
マクラニ・ネグロイド族:パキスタン沿岸インダス川河口周辺
タミル人:南インド
縄文人アイヌ人
弥生人モンゴロイド
港川1号頭蓋:沖縄、旧石器時代
山頂洞人101号:北京の周口店つまり竜骨山
柳江頭蓋:南中国、広西チワン族自治区にある小さな洞窟
スンダランド
(オーストラリア)
オーストラロイド・チェンチュ族:アンドラプラディシュ州の狩猟採取民
ハドラマウト人/オーストラロイド
コヤ:非オーストラロイド
原オーストラロイド民族:コラヴァ、ヤナディ、イルラ、ガドゥバ
ヴェッダー:スリランカ。原オーストラロイド民族
カロルタ:南オーストラリア、岩の彫刻
ムンゴ湖(Lake Mungo):オーストラリア南東のウィランドラ湖群地域
モー・キエウ遺跡
ラン・ロンリエン遺跡
(米大陸)
クロヴィス遺跡
デイジー洞窟:南カルフォルニアのサンタバーバラ海峡のサンミゲル島/サンタローザ島
モンデベルデ遺跡:チリ南部
メドウクロフト岩窟
カクタスヒル:ヴァージニア州リッチモンド近くの大西洋岸
トッパー
ケブラダ・ハクアイ遺跡/ケブラダ・タカウアイ遺跡:南ペルー沿岸
セルクナム/テウェルチェ
ティエラ・デル・フエゴ族:「火の土地」の意味。南米の南端。カヌーインディアン、フット・インディアン、セルクナム族
テウェルチェ族:パタゴニア
オルメック人:中央アメリカ
セハ・ダ・カピバラ:北東ブラジル
ルツィア:ブラジルのミナス・ジェライス遺跡
ペリカン・ラピッズ/ミネソタ・ウーマン/ブラウンズバレー・マン:ミネソタ
ブール・ウーマン:アイダホ
ウィザーズビーチ・マン:モンゴロイド
ネグロイド
ケネウィック・マン:ワシントン州ケネウィックのコロンビア川:スンダ型?
REVIEW AND ATLAS OF PALAEOVEGETATION -Preliminary land ecosystem maps of the world since the Last Glacial Maximum(Jonathan M. Adams and H. Faure)>LGMの植生マップ