■海中物体探索物語

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2004年3月27日更新
■低レベル放射性廃棄物モニタリング
 かつて、低レベル放射性廃棄物についてはコンクリート詰めドラムカンにして太平洋の6000m海域に投棄する方法が考えられ、それが健全な状態であることをモニタリングする技術開発が行われていた。すなわち、1977年、深海曳航体(ディープ・トウ)サイドスキャンソーナーで水深6000mの海底のドラムカンを発見し、深海曳航TVカメラなどでその状態を確認するもの。
 放射性物質を全く含まない、ただのコンクリート詰めドラムカンを使って相模湾で実証実験を行おうとして、反対運動により危うく実験中止に追い込まれそうになったエピソードがある。
 この海洋投棄は、その後太平洋諸国の反対に会って実施されないこととなったが、この技術開発によって整備された深海調査機器は、「しんかい2000」や「しんかい6500」の事前調査で大活躍することとなった。

■「しんかい2000」や「しんかい6500」の事前調査
 「しんかい2000」による深海調査研究の開始に先立って、海底に沈む漁具や海底ケーブルなどに引っかかる恐れを避けるための事前掃海の重要性が認識されていた。実際、「しんかい2000」の試験潜航時に漁具を引っかけて、危うく浮上できなくなる経験をしたり、深海曳航調査を実施中に、海図では海底電線から十分離れていると思われる海域で、海底電線を引っかけた経験をしている。
 その後、この事前調査は、火山岩などの露岩、地層の露出している崩落崖海底断層など、科学的に重要な場所を絞り込んでピンポイントで潜航するために、ますます重要なものとなった。

■海中からの回収技術
 海中での測器の係留などが多くなるにつれて、音響切り離し装置が洋上からの音響コマンドに応答しないことによる回収不能事故の経験も増えた。音響トランスポンダからの応答がないと、正確な位置を掴むことは難しい。そんな係留系を捜索し回収する試みがたびたび行われた。
 また、「しんかい6500」では自力浮上できなくなった場合、「しんかい2000」の場合のように洋上まで到達する救難ブイは実用上製作不能であったため、海底から100m程度立ち上がった救難ブイを、洋上から八爪(やつめ)錨(別名タコスマル)付きケーブルで絡み取る手法が開発された。
タコスマル
外部救難装置

 東京タワーのてっぺんから釣り竿で物を吊り上げるような芸当ですね。支援母船「よこすか」の操縦性と船長の技術が揃って初めて可能となるとか。

■日航ジャンボ機の尾翼
 1985年8月に御巣鷹に墜落した日航ジャンボ機が、飛行中、相模湾に落としたと思われる垂直尾翼を、「かいよう」のディープ・トウで捜索した。海上保安庁もサイドスキャンソーナーで捜索に参加した。
 伊豆半島上空を尾翼なしで飛行中のジャンボ機の写真が衝撃的でしたね。事故原因究明のため航空機事故調査委員会の要請により実施したが、発見されず。この時は、ソーナーによる異常反射を何点も捉えたが曳航TVカメラではいずれも露岩であった。
 この調査は、私が科学技術庁でJAMSTECの海中探索技術の開発に繋がる海洋モニタリング技術の予算要求に関わっていた頃、大蔵省からさかんに要求されていた収入を少しでも上げられないかとJAMSTECの探索技術を航空機事故調査委員会に紹介したことから実現したもの。

 この海底捜索について、「沈まぬ太陽(三)御巣鷹山編」(1999、山崎豊子、新潮社)のp.231-p.234の3ページ半にわたって書かれている。「かいよう」捜索の突然の打ち切りに疑問を抱く記述があるが、最初からアルミの破断面の疲労亀裂進展が海水で解けるまでタイムリミットがいつまで、ということで捜索期間が決まっていたような記憶がある。

■自衛隊ヘリコプターの捜索
 1995年6月、ドルフィン3Kが、城ヶ島沖の水深736mで墜落した海上自衛隊の掃海ヘリコプターの機体を確認している。

■極超音速実験機「ハイフレックス」の捜索
 1996年2月、日本版スペースシャトル実験機<HYFLEX>の飛行実験後、海面に着水したが、その後、フローティングシュートとライザが切断し、海中に水没。これを「かいれい」及び「かいこう」ランチャーにより捜索したが、発見されず。

 「かいこう」ランチャーに装備されているサイド・スキャン・ソーナーは、ビーム幅約2度の扇形ビーム(左舷38kHz、右舷42kHz)を発射。海底から100〜200mの高さで約0.5ノットで曳航する。探査幅は、片側1000〜1500m。探知可能な物体の大きさは1m以上。

=>HYFLEX(NASDA)

■ナホトカ号の捜索
 1997年1月、ロシアの老朽重油タンカー「ナホトカ号」が日本海でナホトカに向けて航行中に沈没。前部船体は日本の沿岸に漂着。残りの後部船体は隠岐島の東北東沖合に沈没。「なつしま」及びディープ・トウにより水深2502mの海底で発見。「ドルフィン3K」で重油漏洩状況と船体破壊状況を調査した。この時の「ドルフィン3K」の新スーパーハーブTVカメラによる鮮明な海中映像と、H・R・ギーガーが描く異世界のようなナホトカ号の状況には驚かされた。

 事故発生時、「なつしま」はドック中で、突貫工事で工期を切り上げての出動だった。1月23日に神戸出向、同25日に現場海域に到着後、翌26日には曳航体のサイドスキャンソーナーで異常反射を発見。翌27日には曳航体のTVカメラで船体を確認。油が洋上に漏出していたことが迅速な発見に繋がった。
 やはり3月中旬まで定期点検でオーバーホール中だった「ドルフィン3K」の工期を1ヶ月半も短縮し、2月7日に「なつしま」に搭載して舞鶴港を出港、9日に<ナホトカ号>であることを確認するとともに、漏出状況の詳細な調査を開始した。2月15日にドルフィン3Kのテザーケーブルにキンク発生。翌16日にケーブル交換終了して調査を再開。

 この調査では、見えない部分で大変なドラマがあった。まずは「なつしま」と「ドルフィン3K」の工期短縮のための徹夜続きの作業があった。支援物資を陸送するにも雪道で苦労している。調査中に「なつしま」のサーバーが故障し、当時建造中だった「みらい」のサーバーを陸送して換装したというエピソードもある。
 さらに、冬の日本海の厳しい海象条件下(1/28-29、2/1、2/10-13、2/16、2/19-21の5度にわたって避港・荒天待機)で、ドルフィン3Kのテザーケーブルのキンクが3度発生し(2/15光ケーブル断線、2/16ケーブルウィンチ積替え。) 、新たに製作したばかりのケーブルと旧ケーブルを換装しながら調査が続けられた。一度キンクしたテザーケーブルはその箇所で切断して末端処理して再使用するので、修理のたびに短くなっていく。その結果、水深2500mに対して、ほとんど長さに余裕のないテザーケーブルで調査が行われた。つまり、「なつしま」がいつも「ナホトカ号」の真上にいるように高度な操船が行われたことになる。

=>ナホトカ号調査(JAMSTEC)

■対馬丸の発見
 1944年に学童疎開船「対馬丸」が米潜水艦による夜間の攻撃で沈没。1997年12月4日、水深約870mに眠る「対馬丸」を発見。「かいれい」+「かいこう」、さらには、「なつしま」+「ドルフィン3K」も捜索に参加。この調査では以下のようなステップで「対馬丸」を発見し、そのデータはリアルタイムでインターネットのホームページ上に公開された。

・12月3日:「かいれい」が現場海域に到着。SeaBeam 2112による海底地形調査を開始。

・翌4日:船上で広域反射強度図の処理を行い、「対馬丸」らしき特異点を捉える

・同SeaBeam 2112のチャープ式サブボトム・プロファイラ及び「かいこう」のパラメトリック式サブボトム・プロファイラにより、特異点が地質構造的な岩石などではないことを確認

・同日のうちに「かいこう」のサイドスキャンソーナー調査を開始し、対馬丸らしき船体を確認。その後の船上での画像処理によって、大正時代の三島型船型の特徴である直立型船首と切れ上がった船尾を持つことが判明し、対馬丸であることが確定的になる。
 この画像処理された音響による対馬丸の陰のリアルさには驚かされた。

・12月11日、「なつしま」が現場海域に到着。「ドルフィン3K」の新スーパーハーブTVカメラにより、対馬丸の船名を確認。

 この調査で活躍したのは、この年の3月末に完成したばかりの「かいれい」搭載のSeaBeam 2112 である。浅・中深海モードでは151本の送波ビームを左右あわせて120度の方向に発射。深海モードでは91本の送波ビームを90度の方向に発射。その反射波を幅2度の狭い受波ビームで受信することによって、2度×2度のシャープな測深ビームを作る。
 これによって、水深の2〜4倍の幅で海底地形を作成することができるだけでなく、サイドスキャンソーナー機能も兼ねていて、音響反射強度図も作成できる。
 その分解能は水深1000mで約30mであり、このお陰で迅速な発見に繋がった。

 とにかく完成したばかりの「かいれい」の完成度が高く、SeaBeamのスイッチを入れた途端になんの調整も要せずに画像が出てきたという担当者の感想が印象に残っている。
 私は冬至、沈没船のソーナー画像からどの時代に建造された船か推定できないかアドバイスを求められ、船舶の歴史研究家でも有名な寶田直之助(横浜国立大学元教授)氏を紹介。先生は大正時代に建造された船の特徴として、直立した船首と切れ込みの大きい船尾の三島船型から、対馬丸の可能性が高いと鑑定された。

=>対馬丸の調査(JAMSTEC)

■H-IIロケットの発見
 1999年11月15日、種子島宇宙センターから打ち上げられたH-IIロケット8号機は、発射後3分59秒後に第1段エンジン(LE-7型)が停止。小笠原父島の北西約380km、水深約3000mの海域に落下した。NASDAで詳細な落下シミュレーションが行われ、落下予想範囲が幅3.3km、長さ26kmに絞り込まれた。この海域は小笠原火山列の西側にある舟状海盆の北端に当たる。

・11/19〜12/3:「かいれい」航海
 シービーム調査によって海底地形図を作成。「かいこう」ランチャーのサイドスキャンソーナーにより音響反射異常を何点か発見。11/27にエンジンセクションを発見。

・12/19〜12/26:「よこすか」航海
 4000m級ディープトウ(ソーナー曳航体及びカメラ曳航体の24時間運用)によって、クリスマスイブの12/24にエンジン本体発見(水深:2914m)。

・1/5〜1/13:「なつしま」航海
 「ドルフィン3K」でエンジン本体の詳細なTV撮影及び部品14個を回収。

・1/17〜1/27:新日本海事(株)「新日丸」航海
 米フェニックス・マリン社「Remora 6000」でエンジン本体、液体酸素ターボポンプ及びノズル・スカートを回収。

=>H-IIロケットの調査(JAMSTEC)

渡辺正之、門馬大和、2000、"H-IIロケット8号機の捜索とエンジンの回収"、TECHNO MARINE(日本造船学会誌)、No.854、pp.497-504

■その他の失敗例
・1977年:北西太平洋で沈没したタンカー「第十雄洋丸」未発見。
・1992年:高知県室戸岬沖「滋賀丸」未発見。
・2002年:NASDA H-IIAロケット1号機、未発見。
・2003年:JAXA H-IIAロケット6号機の固体ブースターSBR、未発見。

■海中探索技術の将来
 音響トランスポンダの付いた係留系については、これまで回収するために音響切り離し装置を用いていた。この方式だと海底にシンカーが残る。底引き漁業の行われる浅海では観測期間後にシンカーを残さないように、無人探査機のマニピュレータで丸ごと回収する方法が、すでに「かいよう」及び<ハイパードルフィン>によって実施されている。

 音響トランスポンダのない、または、音響トランスポンダの不具合で応答がない場合、1m程度の物体を海中で識別するには、現在のところ、海底から100〜200の高さからのサイドスキャンソーナーによる調査を行うしかない。曳航体ではケーブルの抵抗のために0.5〜1ノットという人の歩く速度でしか曳航できない。また、曳航作業は海象条件に大きく左右される。
 これを大幅に効率アップするには、ケーブルのない自律型無人機(AUV)によるソーナー調査が有効であり、「うらしま」の完成によって、実現に向かって大きく前進した。

 さらに将来の夢であるが、洋上からのマルチナロービーム調査に合成開口技術を適用することによって、広い探査幅のままで高解像度化する方法がある。衛星ではずでに合成開口レーダー衛星が活躍しているが、動揺のある船又は潜水船からの合成開口ソーナーはまだまだ夢の技術だという。


西村屋トップメニュー>深海に挑む技術(検索エンジン)