■深海ダイバーが触れた深海の生物達

by 山田 海人

海人のビューポート
 
2008年6月14日オープン

 "海人のビューポートへようこそ!
 今回は私が潜水班長として参加した飽和潜水の実海域実験でダイバーが見た深海生物を紹介します。ダイバーは自らの身体を深海と同じ高い水圧に慣れさせて深海生物と同じ環境で作業するのでもう深海生物とダイバーの間には壁がなく、直接、冷たい水温を感じ、音を聞いて、流れを共に感じていました。そしてタカアシガニとは触れて握手したこともあります。深海ロボットや潜水調査船と比べると深海生物に最も近寄っていますので、見たと言うより"触れた"と言えるでしょう。
はじめに
 JAMSTECは1971年から1990年まで水深300mまでのダイバーによる深海潜水の実験(シートピア計画、ニューシートピア計画)を相模湾、駿河湾で行ってきました。
 水深200mより深い深海へダイバーが潜って水中作業を行うには、深海の高水圧にかかわる潜水医学の問題、呼吸ガスや温水式加温服と言った潜水装備品の開発、さらに潜水作業ポイントへ正確に定点保持できる潜水作業支援船など多くの研究開発課題がありました。そして水深200m、300mでの幾度ものオープンシートライヤルを無事に成功させて、ダイバーによる深海作業は研究開発の段階を終えました。

ダイバーが深海へ潜って得られる情報
 現在、深海を調査する方法として、深海ロボットと潜水調査船による方法があります。深海ロボットに装備された高感度カメラで海底の様子を観察する方法は、無人であって、長時間の連続観測が可能で、深さもマリアナ海溝のフルデプス10,920mまでの調査が可能です。潜水調査船による有人潜水は、優れた人間の目で直接海中を観察できますが、8〜9時間の調査が限度です。また沈んだ船舶など危険な海底には近づけません。
 そしてこの深海ロボット、潜水調査船の調査は、推進器を使うことから水中で大きな騒音が出るため、大きな音を怖がる生き物からは嫌われて回避されてしまう問題があります。ちょっとオーバーに聞こえるかも知れませんが、陸上に例えると至近距離しか観察できないヘリコプターで野生生物を観察するようなもので、大半の野生生物は逃げてしまい、逃げ足の遅い生き物だけを観察していることになります。
 これに比べ、ダイバーが深海へ潜る観察では、水深に制限がありますが、大きな騒音もなく、強烈な照明もなく、自然に近い状態で観察できる利点があります。南アフリカやインドネシアでのシーラカンス調査でダイバーによる観察が大きな成果を挙げていることからも裏付けられています。
 このように深海にダイバーが潜ると、深海生物と同じ空間にいるので、高い水圧、低い水温、風のような微弱な流れ、海面方向の太陽の明り、月の明り、そして水中の音、そして月面を歩いた宇宙飛行士のように海底を歩くので底質の様子、そして"素手"でモノになど触れるので、潜水調査船より一桁以上の環境の情報が得られます。

浅海から深海への生き物へ
 相模湾などの浅い水深では、チョウチョウウオタカノハダイベラなど見慣れた魚が多く、色鮮やかな魚が目立ちます。
 水深60m、100mと深くなるに従って太陽の光りも弱くなり、昼でも目を凝らさないと薄暗い海底に棲む生き物が目に入らなくなり、赤い魚も黒く目立たなくなってきます。100m、200mの中層はかなり暗いと感じても、そこに海底が近づくと"海底の照り返し"で明るくなります。このように周りがやや明るいと生き物達は"影"として見えてきます。
 水深300mになると海面は真昼の明るさであっても、もう暗黒の世界で、我々地上の世界とは縁のない想像を絶する環境になります。
 この深海の生き物は暗いため目が異常に大きくなっていたり、暗い中で己の影を消すための発光器を持っていたり、餌の生き物も少ないので相手を一飲みできるほどの大きな口をしていたり、餌の生き物からの振動を捕らえるための鋭い感覚器官を発達させていたり、得体の知れない不気味な生き物のイメージが大きくなります。

ROVによる事前調査
 身近な相模湾、駿河湾であっても深海は未知の世界です。どのような生き物がいるのか調べる事前調査は深海ダイバーの気持ちからも大切です。ROVを降ろしてみると、平坦な海底にはアカザエビゴカイの棲むような巣穴があり、ハダカイワシユメカサゴヌタウナギオオグソクムシなどが多数く生息しています。
 試しに海底にサバを沈めてみるとたちまち小さなエビの仲間が泥の中から現れ、その後、オオグソクムシが集まってきます。小さなエビが餌を食べる音に引かれてきたようです。その後からヌタウナギが数匹集まると狂ったように餌の取り合いが始まります。これだけ音や振動が伝わるとユメカサゴ、小さなサメも近くを徘徊するように様子を伺ってきます。
 また、時折、大きなタカアシガニサメも現れ、緊張感が増します。しかし、本当のところ、奇妙な生き物がいないことが一番ホットします。
 深海には、マリンスノーと呼ばれるプランクトンの死骸や脱け殻、フンなどが集まった浮遊物が水中を漂っていて、潮の早いところではまるで吹雪のように舞っています。海底では、潜水装置の照明を目当てにオキアミなどのプランクトンが集まります。時には何千〜何万匹ものオキアミの大群で前方が見えなくなることもあります。

深海生物からの歓迎
 深海ダイバーが柔らかい海底を歩くとヘドロ状に泥が舞い上がります。この舞い上がった泥はダイバーの視界をさえぎるので、0.5ノット以下の流れがあったほうが作業しやすくなります。
 この柔らかい海底には一面ゴカイの巣穴が見え、所々にはイソギンチャクが流れに背を向け、触手を流れに逆らって拡げ、プランクトンを捕らえようと一生懸命です。
 海底から立っているウミエラの側にはサギフエが逆立ちして寄り添っています。ナマコは起きているのか、寝ているのか?、栄養豊富な表層の泥を吸い込み続けています。時々ダイバーの前をスー、スーと横切るのはハダカイワシです。
 海底に置いた作業台の影にはホウネンエソが平べったい身体を隠しています。ユメカサゴフサアンコウは照明で赤みが目立ち鮮やかです(赤色は深度が増すと自然光では黒と識別しずらい)。大きな目も明るい照明で目が眩んでいるのか、近づいても逃げる様子はありません。魚の目には我々が宇宙からの侵略者のように映るのでしょうか?
 大きなサメも深海ダイバーがいると恐れて近づかず、ライトの前を横切るのは小型のサメです。大きいものは照明の向こうの暗闇から様子を伺っているようで、なにか大きなものがいる気配は絶えず感じられます。
 流れに乗って移動するクラゲは、傘にイボイボのあるミズクラゲのようなものから、ロープ状の身体から枝垂れ桜を思わせるような長い触手を伸ばし、ゼラチンでできた芋虫状の頭を動かす奇妙なヨウラククラゲまでいます。
 そのうえサルバ(原索動物の一種)の樽に身を隠して前に後ろに自由に操りながら移動するタルコロガシ(エビの仲間)など観るもの全て深海生物です。
 ダイバーも深海生物の生息する深度まで潜水できるようになったと実感できるのはこのような時です。

巨大生物に取り囲まれる
 深海ダイバーの出合った深海生物で一番の大物は、タカアシガニです、好奇心からか海底に降り立ったダイバーが十匹あまりのタカアシガニに取り囲まれたこともありました。大きなサイズのオスでは両腕を広げると6mにもなる世界一おおきなタカアシガニですが、今回出合ったのは身体がやや小さいメスの方が多かったように思います。冬場は水温が低いので浅いところでもダイバーに目撃されることもありますが、夏場は冷たい深海に生息しています。
 相模湾、駿河湾での潜水実験の度に現れるタカアシガニは我々ダイバーを歓迎しているようでした。そして、あるときはエゾイバラガニを長い脚の間に従えて、こちらの様子を伺っている姿は正に深海の王様のようで貫禄がありました。
 なぜ、タカアシガニがダイバーの周りに寄ってくるのでしょうか? 好奇心もあるのでしょう、SDC(水中与圧チャンバー)からの明るい照明に集まることもあるのでしょう、さらにはダイバーが海底を歩くことで餌となる生き物が露出することもあるのでしょう。
 いずれにしても相模湾、駿河湾の水深200m、300mの海底には巨大な深海生物であるタカアシガニが我々を迎えていて、そしてこのタカアシガニの姿は、我々のまだ知らない竜宮城の入口の仁王像、守護神のように思えました。


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