■切手でみる潜水調査船など

by 山田 海人

海人のビューポート
 
2009年4月27日オープン

 ようこそ!海人のビューポートへ  深海調査のシンボルにもなっている潜水調査船は世界中の子供たちに人気の乗り物となっています。これまで多くの国々で潜水調査船が描かれた貴重な切手として発売されてきました。
 今回は切手となった世界の潜水調査船や無人探査機などをご紹介しながら深海調査の歴史に触れてみましょう。
Alexsander the Great
アレクサンダー大王の潜水器(BC330年)
   Holland No.1
ホランドの潜水艇(1878年)
出典・画像提供:Maritime Topics On Stanps


(1)ロシアの「ミール」 1995年
Miel  ロシアは1987年に潜水調査船「ミール1」「ミール2」を建造しました。潜航深度は6,000mで潜航時間は17〜20時間です。
 この「ミール」は希望する人にタイタニックへの有料潜航を行っています。パイロット1名に2名のビジターを乗せて水深3,800mに沈んだ「タイタニック」を8時間の潜航で観察するのです。この費用は一人35,500米ドルですから、2名で71,000米ドルになります。日本円では71,000米ドルを1ドル120円で計算すると852万円となります。
 1995年にはアメリカのジェームズ・キャメロン監督は映画「タイタニック」の制作にロシアの「ミール」を使いました。実は最初、仏潜水調査船「ノチール」を使おうとしたのですが、アメリカの別の会社がタイタニックの搭載品を回収するために1993年から「ノチール」を傭船していました。そこでキャメロン監督は「ミール」を使うことになりました。

(2)潜水調査船に代わって活躍するROV 1986年
CRUV III Jason  潜水調査船は危険な場所へは潜航できません。このような場所では有索無人機ROVが使われています。ROV自身はスラスター、テレビカメラ、照明装置を備えていて、深海の様子を調査船上で人間が遠隔操縦しながら観察することができます。
 米ウッズホール海洋研究所で長年活躍してきたロバート・バラード博士はROV「ジェーソン」を使って子供向けのテレビ番組84本を制作しました。そして約20万人の子供が深海の様子を観察したのです。
 また、「カーブIII」もROVで主に米海軍によって深海への落下物の捜索・回収に多くの成果をあげました。このようにROVは水深6,000mまでの深海で捜索したり、海底の落下物を観察することができます。

(3)AUVとROVの開発 1986年
Alvin and Jason Jr.  深海の調査を効率良く行うために、AUV(自律型)およびROVのさらなる開発が行われ、「アルヴィン」から「ジェースン2世」を発進させて操縦することができるようになりました。
 切手には「アルヴィン」からケーブルによってコントロールされた「ジェーソン2世」が「タイタニック」上を遊泳する様子が描かれています。1986年のこの時、ロバート・バラードは「アルヴィン」に乗っていました。「タイタニック」は水深3,740mに沈んでいましたが、「アルヴィン」から泳ぎ出たROV「ジェーソン2世」は船長室までも潜入しました。

(4)戦艦「ビスマルク」の発見 1984年
Argo  第二次世界大戦ではドイツの戦艦「ビスマルク」が英国艦隊によって撃沈されました(死者2,106人)。海域はビスカヤ沖水深4,800mで、1984年にロバート・バラードは曳航体「アーゴ」で「ビスマルク」を見つけました。海底にそのままの姿勢で沈んでいた「ビスマルク」を調べた結果、ドイツ軍によって意図的に海水弁が開放されて沈められたと考えられました。

(5)新しいシステムの採用 1980年
 1980年代には潜航調査を効率良く行うための新しいシステムが採用されました。第一は海洋調査船から海底地形図を作る技術です。第二は深海曳航体による海底の捜索技術です。第三は潜水調査船から小型ROVを操作する技術です。「アルヴィン」「シアナ」「ノチール」という潜水調査船からこれらの実績ができました。
 この切手にはJAMSTECの海洋調査船「かいよう」から降ろされたデイープトウが紹介されています。

(6)シアナ、しんかい2,000など 1970年
Shinkai2000 Cyana  1970年初期にはフランスの「シアナCyana」が建造されました。この「シアナ」はこれまで1,300回を超える潜航を行ってきました。また、これまで「シアナ」は「アルヴィン」や「アルシメード」とともに潜航も行ってきました。
 「シアナ」は全長5.6m、高さ2.4m、幅 3m、深さ3,000m、乗組員3人、速度2ノット、運転時間6-10時間の性能があります。
 日本でも同様に潜水調査船「しんかい2000」の後、「しんかい6500」を建造していました。この数字はmで潜航深度を示しています。この2隻の潜水調査船は3人乗りですが日本では2人のパイロットおよび1人の科学者が標準となっています。

(7)ジャック・ピカールの「ベン・フランクリン」 1969年
Ben Franklin  ジャック・ピカールは深海の中層を浮かず、沈まずに浮遊できる潜水調査船を開発しました。それは「Mesocaph」(ギリシア語で中層の船の意味)として有名になりました。名前はメキシコ湾流を発見した科学者に因んで「ベン・フランクリン」と名づけられ、1969年に4週間メキシコ湾流とともに漂流して調査潜航を行いました。この調査は有人で狭い船内で長期滞在することからNASAでも注目していました。

(8)水爆、スレッシャーの捜索 1966年
 米潜水調査船「アルヴィン」は1966年にスペイン沖の地中海に沈んだ水爆を発見しました。1968年には、ソ連の潜水艦が、暗号本および核弾頭を装備したまま太平洋で沈み、米国CIAは秘密の多いソビエトの潜水艦を捜索・回収しました。1963年に、米国潜水艦「スレッシャー号」と1968年には、米国潜水艦「スコーピオン」が沈みましたが「トリエステ」「トリエステU」と「アルゴ」と「ジェーソン2世」がこれら沈んだ潜水艦を探索・発見して原因を調査しました。

(9)ロバート・バラードの活躍 1964年
 ロバート・バラード博士は海洋研究所の大学教授そしてマネージャーとして長年活躍しました。博士は中央海嶺でのプラックスモーカーの発見をはじめ、「タイタニック号」、「戦艦ビスマルク」、大英帝国客船「ルシタニア号」を次々と発見しました。
 これらに活躍した「アルヴィン」は1964年に建造され、1968年には一旦沈み、1969年には回収されて今日まで現役です。昨年は1年間に150回の潜航を行いました。「アルヴィン」は全長7.3m、高さ3.6m、幅2.4m、水深4,000まで潜航できます。三人乗りで潜航時間6〜10時間可能です。2本のマニピュレータで110kgまで持ち上げることができます。水中速度は2ノットでカメラや各種測定装置でキャビンは一杯です。

(10)原子力潜水艦「スレッシャー号」の捜索 1963年
Trieste  1963年に原子力潜水艦「スレッシャー号」はニューイングランド沖で沈みましたが、この捜索には地球最深部への潜航を果たしたバチスカーフ「トリエステ」が参加し、「スレッシャー号」を発見したのです。これによって新たに「トリエステII」が建造されることになりました。

(11)フランスのバチスカーフ「アルシメード」 1961年
Archimede  フランスの深海研究を発展させたのは「アルシメードArchimede」です。その潜航調査はほとんどが学術研究で大西洋中央海嶺などを積極的に調査しました。同じバチスカーフ「トリエステ」の地球最深部への潜航ほどの壮観はありませんが、学術的な調査では多くの成果を挙げていて潜航深度は9,500mにまで達成しました。

(12)「トリエステ」地球最深部への潜航 1960年
Trieste  飛行船で大気圏を飛んだオーギュスト・ピカール教授と息子ジャック・ピカールは1953年にバチスカーフ「トリエステ」を建造しました。長さ15m、直径2.1m、厚み 9cmの耐圧殻、覗き窓は15〜36cmの厚みがあります。浮力はガソリンの満たされた1つの大きなタンクと複数のショットバラストのタンクで構成されています。
 1957年には3,148mの潜航記録を作り、1958年には米海軍の所属となり1959年にはクルップ製鋼所製の耐圧殻を装備しました。そして1951年にイギリスのチャレンジャーU世号が発見した太平洋、マリアナ海溝のチャレンジャー海淵の地球最深部へ1960年に潜航しました。この潜航ではジャック・ピカールおよびドン・ウォルシュが乗船して10,911mを超える潜航を成功させました。

(13)クストーの世界 1957年
 ジャック・イブ・クストーは、小型の潜水調査船の開発を始めました。潜水調査船開発のコンセプトは長い航海の間に船内で修理が行えること、輸送する学術調査船のデッキの上に小型潜水調査船が搭載できること。
 1957年には、「Soucoupe」の最初のテストを行ないました。ケーブルによる無人探査機で600mの深さに達しましたが。ケーブルが切断されるトラブルを経験しました。次の「Soucoupe」は1959年から、クストーの海洋調査船「カリプソ号」に搭載されマニピュレーター、カメラ、照明および水中ジェットを装備し二人乗りで潜航時間は最大24時間でした。

(14)オーギュスト・ピカールの「バチスカーフ」 1948年
F.N.R.S.2  潜水調査船の開発は第二次世界大戦後に始まりました。1948年にオーギュスト・ピカールは「バチスカーフ」のプロトタイプを考案しました。「バチスカーフ」はギリシャ語で深い船と言われています。このプロトタイプは「F.N.R.S.2」と名づけられました。(F.N.R.S.1は大気圏へ飛行した気球です。)
「F.N.R.S.2」は最初の無人試験で1,590mの深さに達しました。

(15)ビービとバートンのバチスフェア 1930年
Bathysphere  最初に深海へ潜ったのはウィリアム・ビービおよびオーティス・バートンでした。バチスフェアと呼ばれる潜水球は重量2,250kg、直径1.4mで二人乗りです。母船とは吊り索のケーブルと電源・通信ケーブルがつながっています。
 このバチスフェアで1930年には432m、1932年には660m、1934年に908mまでの潜降が行われました。

(16)「アルゴノートI」 1897年
Algonaut I  1897年アメリカの造船業者であるサイモン・レークは水面の下を走る潜水船「アルゴノート Argonaut T」を建造しました。船体に車輪があってガソリン駆動のエンジンで動かし、乗員は水面に出したシュノーケルから新鮮な空気を取り込んでいました。全長は11mで、1898年にはノーフォークからサンディーフックへの潜航を成功させました。



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