■南極圏
雪と氷に閉ざされた南極大陸は、その面積約1360万平方km、平均の標高が2千m以上もあります。地上の大半は分厚い氷床に覆われ、最低で-60度以下になる極低温と、秒速100mを越えることもある内陸部からの強風、乾燥のために、陸上で暮らす生物はコケやダニ、クマムシなどごくわずかです。しかし、周辺の海域はプランクトンの繁茂しやすい条件のために豊かな生物相が見られます。南極大陸の周りには、内側を半時計回り、その外側を時計回りにぐるぐる巡る流れがあります。赤道から南下する海流が地球の自転や風の影響を受けて収束するこの流れにより、水温や塩分の不連続な境界ができあがるため、南極の海産生物には他の海域に棲まない固有の種が多く含まれているのです。その中で、低緯度地方との橋渡しをしているのが海鳥や長距離を回遊するクジラの仲間です。
■植物プランクトン
南極海の生態系を支えているのが珪藻を始めとする単細胞の藻類の仲間、植物プランクトンです。南極では海面近くの水温が低いため、海の底の方の塩類を多く含んだ水が湧き上がってきます。これを"湧昇流"(ゆうしょうりゅう)と呼びます。それによって、食物連鎖のピラミッドの最下辺に位置する藻類が繁茂し、オキアミ類の餌となって、他の大型動物をも養っています。
また、南極の海氷にはアイスアルジーと呼ばれる藻類の藻類の群体が生息しています。ごくわずかな光で光合成を行うアイスアルジーは、日照時間の短い冬季の南極海で動物たちの重要な食物源となっています。
南極の上空では成層圏のオゾン層破壊により、オゾンホールが出現し、その規模は年々拡大の様相を見せていますが、海の表層に棲む藻類は紫外線にも弱く、その影響が南極海の生態系全体に及ばないか心配されます。
■オキアミ
魚、海鳥、ペンギン、そしてクジラをはじめ南極に棲む種々の動物たちが餌として依存しているのがオキアミ類です。まさに南極の生態系の主役といえる生きものです。オキアミはエビに近い甲殻類の仲間の動物プランクトンですが、プランクトンといっても最大のナンキョクオキアミの体長は6cmにもなります。口の周辺に生えた細かい触手で植物プランクトンをかき集め、濾しとって食べています。成熟には2〜4年かかり、寿命は最長で7年以上にも及びます。海氷の周りに密集し、赤く見えるその帯の大きさは400平方km以上に達することもあります。その生物体量は全体で10〜30億トンにも上るといわれています。が、冬の生態についてはよくわかっていません。
南極の野生動物の命綱といえるオキアミですが、新しいタンパク源として期待され、加工品などの形で日本の食卓に上ったりもしています。しかし、一部の海域では既に過剰捕獲による減少もあったといわれます。また、低温で分解の進まない南極の海でタンカー事故等による石油汚染でも起これば、オキアミの死滅により生態系全体に大きな被害が及ぶことも予想されます。最近になって養殖漁業用の餌としての需要が高まり、日本を中心にオキアミの漁獲量は急増しています。
■無脊椎動物
南極の海にはよく知られたクジラやペンギン以外にもたくさんの生物が生息しています。イカ類はオキアミの捕食者であると同時に、マッコウクジラなどの歯クジラ類、ペンギンやアザラシなどの重要な食物となっています。海中を浮遊するクラゲやクシクラゲの仲間、海底を這って暮らすヒトデやウニ、ウミグモ、ゴカイの仲間などは、海中に溶けたり海底に降り積もった有機物(デトリタスと呼ばれます)を主に餌としています。デトリタスはクジラやペンギン、魚など動物たちの糞や、藻類の死骸が沈下したもので、これらの動物は南極の海の"掃除屋"の役を引き受けているわけです。
南極の海の生態系は、陸上の森林などに比べて単純だといわれていますが、それでも数多くの種による複雑な連鎖の網の目で成り立っていることには代わりありません。重要な役割を担っているこれらの色とりどりの生物群集は、低水温のために成長が遅く、いったん汚染などの影響を受ければ元通り回復するまでに多くの時間がかかるでしょう。
■魚類
南極の海にはおよそ120種の魚が生息しており、その多くはノトセニア亜目と呼ばれるグループに属しています。また大半が南極付近にしかいない固有の種です。和名ではコオリウオ、コオリカマスなどとつけられています。海水温が氷点下になることもある南極の海で生きるため、これらの魚たちには血液の中に氷結を防ぐ特殊なタンパク質が含まれるなど、体が凍らないようにする仕組みが備わっています。
これらの魚類は人間の食用にも供されるため、オキアミとともに漁獲対象となり、一時期旧ソ連や日本、東欧諸国などからトロール漁船が押し寄せて乱獲が懸念されました。しかし、南極に棲む海鳥やアザラシなど多くの動物がこれらの魚に依存していることも忘れてはならないでしょう。
■海鳥
南極の海には、豊富なオキアミや魚やイカ類を目当てに多くの海鳥たちが訪れます。ペンギン以外の海鳥は夏の時季にだけ南極周辺にやってくる渡り鳥です。その1種であるキョクアジサシは、季節に応じて南北両極の約1万2千kmをはるばる往復します。ナンキョクオオトウゾクカモメはペンギンの卵や雛を餌にしています。全身真っ白な羽毛で覆われたミズナギドリの仲間のユキドリも、夏に南極にやってきて繁殖します。周辺の島々や沖合いでは、アホウドリやミズナギドリ、ウの仲間も見られます。これらの鳥たちも、南極の海の幸の恩恵にあずかっています。
■ペンギン
飛べない鳥であるペンギンの仲間には18種が知られており、全て南半球に棲息しています。体長1mになる最大のコウテイペンギンは、極寒に冬に大陸上で卵を産み育てる唯一の種です。アデリーペンギンなど3種は夏に大陸で集団営巣地(ルッカリー)を作って繁殖します。アデリーペンギンは一番分布が広く南極周辺でも多く見られるペンギンです。その他のペンギンは南極周辺の島々に棲息しています(唯一ガラパゴスペンギンが熱帯地方のガラパゴス諸島に分布します)。ペンギンの仲間はクジラが海に進出したのと同じ4、5千万年前に他の鳥類から分かれ、海で魚を捕食するのに適した体に進化した一方で飛翔する力を失ったと考えられています。陸上ではヨチヨチ歩きですが、水中では時速20kmものスピードで自在に泳ぎ回ります。
■鰭脚類
完全な水中生活を営むクジラ類に対し、繁殖などを陸上(氷上)で行う半水棲の哺乳類であるアシカ・オットセイとアザラシの仲間をまとめたのが鰭脚類です。南極に棲む鰭脚類の仲間には、個体数が多くオキアミの捕食者として占める比率の最も高いカニクイアザラシや、ペンギンや他のアザラシの幼獣も捕食する獰猛なヒョウアザラシ、アフリカゾウよりも大きなミナミゾウアザラシなど5種類のアザラシと、毛皮目的の捕獲で激減し奇跡的に回復したナンキョクオットセイがいます。現在では南半球での鰭脚類を対象にした毛皮猟は行われていませんが、海棲哺乳類全般に対して漁業の競合者として非難の矛先が向けられようとしています。
■ハクジラ
クジラの仲間は口の中にひげを持ついわゆるクジラであるヒゲクジラの仲間と、イルカやマッコウクジラに代表される歯を持つ歯クジラの仲間に大別されます。南極付近では、イカを食べることで有名な大型のマッコウクジラのほか、近年個体数が比較的多いことが確認されたミナミツチクジラやミナミトックリクジラなどアカボウクジラの仲間数種が棲息します。またイルカの仲間でも、体表の模様の美しいダンダラカマイルカなど数種が分布しています。アザラシやペンギンなどを捕食するシャチも、南極の海でよく見られる歯クジラの仲間です。クジラを襲うこともあるシャチは、南極の自然への闖入者でありわずか1世紀の間にクジラ類の数を激減させた人間と異なり、クジラを食べる正当な資格の持ち主といえるでしょう。
■ヒゲクジラ
南極付近に棲むヒゲクジラの仲間は、哺乳類最大のシロナガスクジラを筆頭に、ナガスクジラ、イワシクジラ、ザトウクジラ、ミナミセミクジラ、そしてクロミンククジラ(ミナミミンククジラ)の6種類です。このうち前の5種類は20世紀中の捕鯨産業による乱獲が主因で大幅に生息数を減らしました。南半球のクジラ類は、バイオマス(生物体量)換算で商業捕鯨進出以前に比べ1/5にまで減少してしまったといわれます。その中で、その体の大きさのために最後まで捕獲対象から外されていた、ヒゲクジラ類中コセミクジラに次ぐ小型種であるクロミンククジラは、商業捕鯨によるダメージを比較的受けていない唯一の種となっています。
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