(初出:2008/4/24)
(更新:2008/8/7)

非科学的な動物"愛誤"団体──その名は「鯨研」
〜仔クジラ殺しを伏せる鯨研発プレスリリースの読み方〜

 4月14日、今期の南極海での調査捕鯨を終えた捕鯨母船日新丸の帰港に合わせ、日本鯨類研究所がプレスリリースを発表しました。
第二期南極海鯨類捕獲調査JARPAU2007/08年(第三次)調査航海の調査結果について
2007/08年第二期南極海鯨類捕獲調査(JARPAII)妨害活動等の概要
 両者を見比べてみると、調査結果の報告がPDFで8ページなのに対し、妨害活動の報告の方は多数の写真画像を添付し14ページとボリュームもこっちが上・・。一体鯨研は、野生動物ではなく環境保護活動家の観察を主目的とする研究機関なのでしょうか?? あるいは、ネット上で噂になった南極に棲息するというUMAなり新人類を捜索するつもりで、GPやSS、豪監視船上のニンゲンとの遭遇を新種発見と勘違いしたのでしょうか??
 さらに、レポートには"悪質"、"執拗"など情感のたっぷり込められた修飾語が散りばめられており、もはや科学の徒の手になる報告書の体をなしていません。ほとんど2chの書き込みのレベル。これが以前にも怪文書を流した捕鯨協会作成のものであれば、それほど違和感は覚えませんが・・。
 このレポートで鯨研は、「グリーンピースとシーシェパード両者の緊密な関係は明らかである」と断じています。しかし、過去のGPによる捕鯨船団の位置情報発信がSSに向けたものであるとする根拠は示されていません。また、「GPによる妨害」の項目を読むと、まるで漁船の救助に向かったことで位置がバレたかのように書かれています。火災が発生しても最寄の船舶による救助を頑なに拒んだ人命軽視の船団らしくありませんが、この自画自賛に続いて、GP側は"仲間"が危険な状態にあっても「笑いながら安全な場所でこの様子を撮影していた」といった記述も・・。GPの船には海外のマスメディアの取材班が搭乗していたということですから、プロのジャーナリストとしては何があってもカメラを向け続けるのは当然でしょう。「GP憎し」という方々には"笑顔"に映ったのかもしれませんが、これも科学的修練を積んだニンゲンらしくない、第一印象をそっくりそのまま書き込んだだけのものです。こうした一連のコメントを見れば、主としてマスコミに向けられた 「GPをSSと関連付けるなどして、同団体に対する内外の評価を貶めたい」という非常に明確な意図をもったメッセージがこめられていることが一目でわかります。
 さて、この妨害経緯報告書の中に一点、鯨研という組織の性格を明確に示す大変興味深い記述がありました。オーストラリア政府が派遣した監視船が撮影し、その後テレビなどでも放映されたビデオ映像に対するコメントです。

注5.「親子」と豪州政府が報道した鯨は、実際には単に捕獲された2個体の体長に差があっただけである。OV号の「監視」下においても調査船団は目視調査やバイオプシーの採集など、多くの非致死的調査を行っているが、豪州政府はこの点にまったく言及していない。(同鯨研報告)

 「クジラを1頭も殺したくない」という方は、以下の筆者のコメントについて不快に感じる方もおられるかもしれませんが、しばしの間我慢しておつきあいください。
 調査捕鯨はクジラを捕殺・解体し、その鯨肉を市場で流通・販売させている点で、商業捕鯨と何ら変わるところはありません。が、調査の名を冠している以上、"サンプル"の"採集"方法については、最低限統計的に有意なデータが得られるものでなくてはなりません。過去の商業捕鯨時代の捕鯨船は、獲物のクジラが多そうな海域を集中的に航行し、鯨肉の歩留の高い大型の個体を選択的に捕獲してきました。調査捕鯨では、ビリヤード方式といって調査海域をランダムに航行するようあらかじめコースを設定し、その決められたコースに従って船を走らせ、群れを発見した場合は発見位置のコースからのズレを記録し、採集後にまた戻ることを繰り返します。群れの中から、これもバイアス(偏向)を回避するためランダムに1頭標本を採取します。そして、この中には多数の未成熟のクジラが含まれます。致死的調査の主要な目的が年齢構成(ポピュレーション)の年次推移を継続的にモニターすることである以上(他の理由はいずれも代替できる非致死的調査手法が存在するか、毎年数百〜千頭捕殺し続ける科学的合理的な理由が1つもないものばかりです。また南極海生態系におけるクロミンククジラ1種のこの一点だけにリソースを異常に集中させることの是非も別問題です・・)、おとなになる前の仔クジラを殺すことは科学的には必須となります。性成熟年齢や成長曲線の変化など、業界側にとって捕鯨を正当化するのに都合のいい仮説の検証に必要なデータをとるうえでも、未成熟個体の捕殺は不可欠です。そして実際、87年以降に始まった調査捕鯨において、日本が毎年多数の未成熟鯨を捕殺してきたことはまぎれもない事実なのです。今期の調査でいえば、雄の約30%、雌の約35%、合計で551頭中の174頭が未成熟、すなわちこどものクジラです。さすがに当歳児については、発見率その他の単に技術的な理由によって、本来の年級群の個体数比率に見合うだけの捕獲数は確保できないでしょうが。ついでにいえば、業者の立場としては歩留の悪い成熟前のクジラなど捕りたくないのが本音でしょうけど……。
※ 補足すると、野生動物の個体数に捕獲が与える影響を考えるなら、年級群個体数と自然死亡率が高い幼若個体と、繁殖可能な成熟個体のうち、どちらか1頭を捕殺するのであれば、後者を残して前者を殺すのが合理的な"正解"となります。特に、授乳や捕食行動・社会性の習熟の必要から母親が子どもを保護する期間が長い種においては、繁殖メス1頭の捕殺が数頭分のダメージに匹敵することになります。ただし、これは相対的にみた場合なので、性成熟期間が長く繁殖率の低い動物ほど、どちらを殺してもインパクトは大きくなります。
 本題からは逸れますが、クロミンククジラについては1年サイクルで繁殖が可能ではあるものの、社会行動に関するデータは白紙の状態で何も解っていません。その解明に一切何一つ寄与しない日本の行っている致死的調査が、当歳児の孤立を多数引き起こして自然死亡率を引き上げている可能性は捨てきれません。
 ここで鯨研レポートのコメントを改めて読み返してみましょう。
 まず先に、バイオプシー云々の記述から。「非致死的調査"も"ちゃんとやってるのに、豪州政府はなんでわかってくれないんだ(T_T)」と嘆くことに一体何の意味があるんでしょうか? 豪州政府は致死的調査のほうを問題にしているのです。「非致死的調査"も"できる」なら、「それだけやれば?」で終わりでしょ(--;; ここまで言及したのであれば、致死的調査と非致死的調査の予算を開示し、両者の科学的意義の明確な比較考証をきっちりとやってもらいたいものです。ところで、バイオプシーについてはなぜかクロミンクだけやっていません。バイオプシーによる脂肪酸分析はバイアスがかかっていない点で、致死的な胃内容物調査よりも餌生物の調査方法として優れていることがIWCでも指摘されています。シロナガス、ナガス、ザトウ、クロミンクそれぞれについて統一された手法で非致死的研究をしたほうが余計な補正の手間や不確実性を除去することができ、南極海生態系の解明という点ではるかに合理的です。「劣っていることがバレたらマズイ」と思ってやらなかったのでしょうか? ロンドンのIWC中間会合で豪州政府はまさに、非致死的調査の共同研究の実施を提言したはずですが。なぜ鯨研は「この点にまったく言及していない」のでしょうか?
 そしてここからが本題。豪政府の監視船がビデオで撮影した映像は、2頭のクロミンクがキャッチャーボートから日新丸に引き渡されスリップウェーを通じて引き揚げられるところです。前述のとおり、発見群から1頭ずつ間引く形で捕獲し、各船の繋留数がいっぱいになると母船に引き渡しにいきますから、この2頭が群れのうちの親子連れをその場でいっぺんに殺したものだとはいえないでしょう。第三者が完全な現場検証を行えないため、鯨研が嘘をついて科学そっちのけで本当に親子ともども殺している可能性も皆無ではありませんが……。科学的な言い方をするならば、「実際に親子である可能性は低い」ということになります。採集した標本について現場で行われるのは雌雄の判定と身体・重量測定のみで、正確な年齢査定と個体の血縁関係を照合するDNA鑑定(といっても、親子判定より系群解析と鯨肉市場でのトレーサビリティ用のはずですが・・)は日本にサンプルを持ち帰った後のことになります。現時点では確定できず、2頭が血縁の個体だった可能性もやはりゼロではありません
 それより、むしろこのコメントで驚くべきことは、小さい個体がこどものクジラであるかどうか──実際には間違いなく未成熟個体ですが──については慎重(?)に言及を避け、"体長に差がある"とだけ記している点です。「未成熟個体だが、同時に捕獲していないので血縁関係にある可能性は小さい」と単に科学的事実のみを淡々と述べればいいはずなのに。手っ取り早く言い換えれば、「あれは親子じゃないです。"赤の他鯨"の子ですよ」となるわけですが・・。あるいはむしろ、「親子であろうとなかろうと、未成熟個体を捕殺することは科学的に正当な合理性がある」と堂々と主張してこそ、彼らとしても科学者の面目を保てるはずではないのでしょうか? 何しろ彼らは、豪州政府に対して「科学的根拠の欠落した感情的な激しい批判を日本に対して行った」などと"激しい批判"をしているのですから。こどものクジラであるとも、ないとも言わず、きわめて非合理で曖昧なコメントをなぜわざわざ載せたのでしょうか? 一言も触れないほうがまだマシだったものを。
 実は、これにははっきりした動機があるのです。それは他でもない、件のビデオを見て激怒したC・W・ニコル氏。氏はしばしばきわめて情緒的な発言をされますが、むしろそれが日本人のフィーリングにぴったりフィットすることで人気を博しているのでしょう。そのニコル氏は、問題の映像を引き合いにして「こどものクジラまで殺しているなんて知らなかった」とはっきり苦言を呈しました。沿岸捕鯨の規制違反の事実をきっかけに「南極からはもう撤退したほうがいい」と宗旨替えしたニコル氏が、さらにその立場を鮮明にしたわけです。これまで、捕鯨ニッポンを応援する外国人として彼ほど顕著な貢献を果たしたニンゲンはいませんでした。水産庁/鯨研は、彼のそうした発言に神経を尖らせているのでしょう。さらに、相手がオーストラリアの政府や市民であれば、"感情論"だと一蹴してしまえたものの、大恩のあるニコル氏を同様に攻撃することもはばかられ、また氏の影響を受けるメディアや一般人が出てくることをも恐れたのでしょう。その警戒感が、この"歯にものが挟まった状態で口から泡を飛ばす"実にヘンテコなコメントの形をとって表れたのです。

 もう一つ、科学の話をしましょう。
 前述したように、純粋に生態学的な見地からすれば、野生動物の個体は未成熟個体より成熟個体のほうが"価値"があります。にもかかわらず、なぜ私たちニンゲンは、こどもの個体の命が奪われることにより敏感になり、胸の張り裂けるような気持ちになるのでしょう? この感情は、人種や民族、それぞれの文化の違いによらない、より大きな人類全体の感情の源流であり、底辺をなしているものです。いえ、人類にとどまらず、野生とペットとを問わず動物たちの間でも普遍的に見られる感情表現なのです。それは母性(父性)本能。科学的用語ではネオテニーと称される、未成熟個体の特徴的な形態的資質があり、成熟個体は種によらずそうした特徴を持つ個体、すなわち"こどもたち"に我知らず惹きつけられてしまうのです。それは、自然の理に適ったことです。
 私たちニンゲンは、親子の情、そしてこどもたちの命により重きを置くことを、「情緒的で不合理な差別だ」などと貶め、排することをしませんでした。明らかにより動物的、本能的な感情であるにも関わらず。それは単純素朴に、アプリオリに、素晴らしいものはやはり素晴らしく、愛しいものはやはり愛しいからです。誰もがそう感じるからです。哺乳類としての社会性形成に不全のある不幸な生い立ちを負ったヒトでない限り。
 あなたはニコル氏の意見が間違っていると思いますか? 筆者は氏の過去の持論の多くを認める気になれないのですが、この件に関する彼の台詞は、非常にまっとうな、ニンゲンとして当たり前に感じる気持ちの素直な表出だと思います。オーストラリア人だろうと、ウェールズ人だろうと、日本人だろうと関係なく感じる心の。
 それに対し鯨研は、実際に仔クジラを殺し続けているにもかかわらず、その事実に触れずにごまかすあまりにも卑劣なコメントを報道機関に向けて発表しました。常に感情と科学とを対置させ「自らは科学的立場にある」というポーズをとりながら、ここへ来て市民からの反発を恐れ、科学を前面に出すことを放棄して感情論にすり寄ろうとし、結局中途半端でみじめな姿勢に終わったのです。
「親子クジラを殺してるって? 滅相もない! そんなむごたらしいことはしませんよ。あれは別の親の子なんです──」
 日本鯨類研究所の報道発表資料に対する筆者の"直訳"が正しいとすれば、もはや彼らは科学研究の機関などではありません。感情的な反発を恐れて自ら筋違いの非合理なコメントを発表する非合理な団体、捕鯨擁護論者の好む言葉を用いるなら、鯨研はまさしく"動物愛誤団体"に堕してしまったということになるでしょう。
 鯨研がとるべき道は2つに1つです。
1.ニコル氏、豪環境相、ハリウッド女優を始め、日本人を含む世界中の人々の反発を買うことを覚悟の上で、「日本の調査捕鯨はこれまでずっと年間百頭を越える仔クジラを殺してきたし、これからも科学の大義名分のもとに仔クジラを殺し続ける」と、事実を正々堂々と包み隠さず公表すること。そうすれば、科学優先の論理が破綻することはとりあえず避けられるでしょう。
2.事実を認めたうえで、調査捕鯨の対象から未成熟個体を外すこと。皮肉なことですが、そうすればただでさえ低い致死的調査の科学的意義はさらに半減するでしょう。水産庁の担当者が「IWCで認められた科学性は5、60%」と言っていますが、その延長でいくと25%もなくなりますね・・。
 鯨研所属の研究者の論文はいま、世界の権威ある科学誌への掲載を拒否されています。科学者には厳格な倫理感が要求されるという、当たり前の事実を彼らが受け入れることができないからです。わかりやすい例を挙げれば人体実験がそうですが、動物実験も同様に、動物の命を奪うだけの重要な科学的成果・社会への貢献が見込めてこそ初めて認められる──というのが世界の科学界の流れです。それはまた国際社会の求めるところでもあります。
鯨研による致死的研究は、クジラを殺すだけの価値があるほどレベルの高い内容ではない
 科学界の世界的権威はそうした判断を明確に下したのです。鯨研は豪州政府を非科学的・感情的と非難しましたが、当の彼らはこのように科学的正当性をきっぱりと否定されているのです。
 以前、鯨研のHPには、致死的研究に比べた非致死的研究の有用性を認める記述も片隅に掲載されていたことがあります(現在は削除されてしまいましたが・・)。おそらく、内部の研究者の間にも、心の中で日本の鯨類学の悲惨な現状を憂える空気があったのでしょう。
 政府・業界との歪んだ関係にがんじがらめに縛られ、科学性と無縁な"愛誤コメント"やSSへの"恨み節"に、調査結果報告以上のプライオリティを割いて報道機関に流さざるをえない悲しい象牙の塔──もとい鯨髭の塔
 鯨研が目指すべき正しい第三の選択肢、それは鯨肉販売益に依存する悪しき体質ときれいさっぱり手を切ることです。そうして初めて、正真正銘の科学研究機関として甦り、世界の鯨類学にも立派な貢献を果たせるようになるでしょう──。

参考文献:
「なぜ調査捕鯨論争は繰り返されるのか」(『世界』'08/3)
「捕鯨ナショナリズム煽る農水省の罪」(『AERA』'8/4/7)