(初出:2009/4/22)

 以下は、2009年3月15日に財団法人日本捕鯨協会が運営する「鯨・ポータルサイト」内の『鯨論・闘論』に筆者が投稿し、無視されたものです・・・・
 経緯は拙ブログご参照 ──> クジラ・クリッピング

水産庁森下参事官への公開質問状

 ローマでの中間会合出席、お疲れさまでした。が・・伝統や低環境負荷という観点からもある程度は国際的な理解を得やすいであろう、厳正な管理下における沿岸捕鯨の再開と調査捕鯨からの段階的撤退という、「双方が同等に不満足で,かつ受け入れることのできるパッケージ提案」として現実的な提案がなされたにもかかわらず、「こちらが今までの主張を引き下げれば,こちらの非を認め,反捕鯨側の考え方を受け入れたと理解され」るとばかり、南極海・公海での調査捕鯨の延命に固執し、国際協調が切に求められるいまの時代にあって、あたかも北朝鮮の如き一国行動主義の立場を日本政府がとっていることに対しては、日本人の一人として甚だ遺憾に思います。
 毎年反対決議を無視して調査捕鯨を強行し、南極/公海の野生動物である(オーストラリアなど南半球の国々の2百海里内も移動する移動性野生動物でもある)クジラに対して、一方的に「価値観の押し付けを行っている意識さえなく,捕鯨を続行することは正義である」というふうにしか捉えられない人々が自国内に大勢いることも大変残念に思います。
 こう申し上げると、水産ODAによる金銭援助と手取り足取りの詳細なIWC向けレクチャーを行っているカリコム諸国やアフリカ諸国など、日本に協調する国があるとおっしゃるでしょうが、現実に公海で千頭規模の調査捕鯨を実施している国は日本ただ一国のみです。また、後述しますが、そのような大規模な調査捕鯨を実施できる国、ないしその“恩恵”に浴することのできる国は、将来にわたって日本一国のみでありましょう。
 以下に捕鯨問題に関して、13の項目にまとめて森下殿宛の質問をさせていただきます。森下殿のコメントの引用は>もしくは「」で、ソースは−、リンク先のあるものはURLを掲示いたします。

1.鯨食害論に関して
 最近、TIME誌とScience誌にて関連する記事、論文が掲載されました。既にご承知でありましょうが。
−「Will Killing Whales Save the World's Fisheries?」('09/2/17)
http://www.time.com/time/health/article/0,8599,1880128,00.html
−「Should Whales Be Culled to Increase Fishery Yield?」(''09/2/13)
http://www.sciencemag.org/cgi/content/summary/sci;323/5916/880
 結論からいえば、「商業的漁獲対象魚種に対するクジラの影響は無視できるほど小さいことが判明した」ということであり、複雑な種間関係をあまりに単純化しすぎる食害論に科学的根拠はないとの一語に尽きるでしょう。
 この件に関しては、森下殿ご自身も[ご意見:50]のご回答の中で
>世界の海の中にはクジラと漁業が競合している「可能性がある」ホットスポットが「あるらしい」というのが,もっとも正確ないい方だと「思います」(括弧筆者)
 と二重三重の曖昧さを残す形容を用いてやっと「正確な言い方」だという表現をされているくらいであります。
 その一方で、同じ[ご意見:50]のご回答の中で
>捕鯨をめぐる議論の中では,日本が,「クジラが世界中で漁業資源を食べつくしているから,間引きしてしまうべきだ」と主張しているように言われたり,逆に,「南極海ではクジラはオキアミしか食べていないので,(世界中で)漁業との競合はない」という単純化された反論が行われたりしていますが,両方とも極論です。
 とも述べられております。後者の主張のソースは、筆者は具体的に目にしたことがないのですが、前者は明確に書かれている書籍を知っています。自民党捕鯨議員連盟に所属している衆院議員山際大志郎氏『闘え!くじら人』です。第1章2は見出しでストレートに「増えすぎたクジラは間引くべき」とあり、中身でも「鯨類が一年間に食べる魚の量は約4億トンといい、人間が獲っている量が8千万トンだからその5倍に達する。クジラだけをずっと保護し続けると北極と南極の海に棲む生物と人間の食料資源に重大な影響を与えてしまうことになる。」(p26)とあります。実際には山際氏と同レベルの主張は、インターネット上の個人ブログを検索すれば掃いて捨てるほど転がっています。ここの質問の中にすらありますね。こうした主張は、生態学的視点の欠けた、まさに森下殿のおっしゃる極論だとは思われませんか?
 「日本が──主張しているように言われたり」とあたかも反捕鯨論者が宣伝しているにすぎないようにおっしゃいますが、単純化した主張をして不要な対立を生んでいるのは、あなた方水産官僚と一緒に捕鯨政策立案に携わっているはずの日本の国会議員を始めとする著名人、マスコミ人であり、市民はそうした極論を鵜呑みにしてしまっているのが現状で、誤解を解くためのここでの貴殿の主張は残念ながら一向に伝わっておりません。このような著作を堂々と発表させる前に、きちんとしたレクチャーを施すのもあなた方官僚の役目ではないのですか? 貴殿ら官僚が政治家と深いリレーションを築かれていることは[ご意見:45]のご回答で自ら示されているとおりですが、にもかかわらず、なぜこのような極論が放置されるのでしょうか?

2.RMSについて
 森下殿は[ご意見:2]の回答の中で国際監視員の受け入れを含めた厳格な監視取締措置について触れていますが、山際氏は上記著作(p28,29)の中で国家主権を盾にRMSを「暴論」として頭ごなしに否定しています。
>監視取締に関しては「最大限の提案」を行ってきています(括弧筆者)
 との日本政府の方針とは、真っ向から反する主張を現職の国会議員が行っておるわけです。最近流行の言葉で言えば、「後ろから鉄砲」と申しましょうか、あるいは「後ろからLRAD」とでも申しましょうか・・。問題認識の乖離についてどのように認識されていますか? 一体どちらを信用すればよろしいのですか?
 貴殿はこの欄や内外のマスコミを始めとする各所で、反捕鯨国や反捕鯨団体の主張は信用ならないという主旨の主張をしておいでですね。しかし、捕鯨関係者と非常に縁の深い国会議員などのこうした主張がある一方で、「監視取締に関しては最大限の提案を行ってきています」と訴えても、貴殿と同様に過去の商業捕鯨の乱獲と規制違反の事実を知る内外の市民には、やはり信用することなどできはしないと思いませんか?

3.JARPNの調査計画に関して
 [ご意見:50][ご意見:52]の回答でJARPNの調査計画に関して次のようにあります。
>漁業資源が減っている原因には「過剰漁獲も当然あるが」,日本近海のように以前は長年にわたり捕鯨をおこなっていたのに商業捕鯨モラトリアムにより突然捕鯨を停止してしまった海域などでは,クジラが増加し,その捕食量が無視できないレベルに達している「可能性」があるので,調査で詳しく調べ,生態系モデルなどを使って分析し,その可能性を見極めて漁業管理に役立てる。(括弧筆者)
 「」で強調しましたが、資源状態が厳しい魚種の資源枯渇は主に過剰漁獲によるもので、他の先進漁業国より遅れたオリンピック式の日本の漁業管理制度などにも問題があるということは、貴殿をはじめとする水産関係者の多くが十二分に認識されているはずです。
 「可能性」はどれだけのデータが集まった時点で「見極められた」という判断が下されるのですか? クジラの捕食量が無視できないと見極められた場合、間引きがその対策になるという科学的根拠はあるのですか? あるいは他に実効性のある「役立つ」対策を既にお考えなのですか? 昨年豊漁のサンマを主食にしているミンククジラを多少間引いたところで問題の解決にはまったくならないでしょう。国の予算が投じられたJARPNの上記計画が、健全な漁業管理に貢献するまでのロードマップは一体存在するのですか?
 また、生態系モデルといわれますが、サンマにしてもカタクチイワシにしても、捕食しているのはミンククジラやニタリクジラだけではないはずでは。より繁殖率の高い、あるいは捕食量の多い競合種(多種の海鳥類、鰭脚亜目等鯨類以外の海棲哺乳類、商業漁獲対象魚種、非商業漁獲対象魚種、魚類以外のイカその他の海産生物)がいるはずです。そうした商業漁獲対象種の捕食者は“すべて”特定できているのですか? その捕食者それぞれについて摂餌率(時期や海域、魚齢等の詳細な摂餌生態を含む)は解明できているのですか? 漁獲対象種の捕食者による捕食以外の自然死亡要因についてすべて特定できているのですか? 海洋生態系の構造解明を理由に掲げるのであれば、研究資源を特定の種の致死的研究のみに極端に集中させても、いびつで不完全なモデルしか出てきようがありません。JARPNと比較した場合、研究予算の投入額や研究の進展度合について、それらのすべての研究に対してバランスに配慮した形で合理的に必要な調査が行われているのですか? 結果は既に出ていますか?
 「確実にわかっている原因」に対して対策を講じることもせず、はっきりしない「可能性」についていつ成果につながるとも知れない研究にリソースを割くのは正しいことでしょうか? 可能性に関していえば、地球温暖化の影響と魚種交代のメカニズム解明の研究に重点を置き、そちらに専念したほうがはるかに現実的です。
 科学的根拠に基づかないプライオリティ付けは、研究費にしろ水産関連予算にしろ本来資源保護のために投じられるべきリソースを奪うものであり、漁業資源管理という実社会が必要としている目的からいってもむしろ有害でさえあります。多くの漁業者の皆さんの立場からすれば、行政の怠慢ないし資源保護の名目で特定の事業者による無関係な事業を優遇する偏向と映るのではないですか?

4.科学研究の公平性・優先順位について
 森下殿は[ご意見:27][ご意見:51]に対するご回答などで論文リストへのリンクを張り調査捕鯨の成果を強調しておられます。
>調査捕鯨の科学的成果については,改めて十分に説明したいと思いますが,IWC科学委員会も政治的議論が横行し,反捕鯨国の科学者は調査捕鯨の成果は何があっても認めないとの方針で対応するため,科学委員会の報告書は最近は常に両論併記か,断定的評価を許さない内容になってしまっています。([ご意見:27]へのご回答)
 が、著名な生物学者であるリチャード・ドーキンス氏らが「調査捕鯨は信頼に値しない」と2002年にニューヨークタイムズ紙に広告を出し、その後も各方面の科学者がNatureやBioscienceなどで「お粗末だ」「無価値だ」等々とさんざん批判していることもご存知でありましょう。
 第三者の目には、過去の捕鯨会社と研究者とのしがらみ、捕鯨による副産物収益、共同船舶株の所持などから、鯨研を捕鯨産業から独立した研究機関としてみなすことは困難なことでしょう。少なくとも、森下殿のご意見はどちらもどちらと映ります。複数の中立な第三者のレビュアーが必要なのではありませんか? それにしても、両論併記の一体どこがいけないのですか? それに実際には、レビュー報告を拝見する限り、合意に至った事項は決して少なくないようにお見受けしますが。また、先日読売新聞の科学欄に掲載された地球温暖化問題に関する特集でも取り上げられましたが、常に「断定的評価」を期待するのは、まさに科学一般に対して門外漢の市民が抱く誤ったイメージそのままです。
 鯨研の論文リストに筆者もざっと目を通してみましたが、国内の“ローカル”な雑誌が多く(中には鯨研の理事の方が評議員をやられているものもありますし)、「ウシの卵子にクジラの精子を受精させる」「脂質のブタとの比較研究」など、“副産物”解体の片手間に入手できる試料を毎年目先を変えただけの“蛇足”的研究に用いているだけに見えます。
 例えば、'07年のZoological Science(日本動物学会発行)に掲載されたTbx4(後肢の形態形成に関与する遺伝子)に関する論文は、鯨研は九大の研究者の方に試料提供しただけのようですが、本来であれば幅広い鯨種のサンプルを用いた比較研究がなされるべき内容なので、試料の入手手法としてはむしろ1種のみの捕殺調査よりバイオプシーのほうがより適しています。また、後肢付きのイルカが捕獲され現在太地の水族館で飼育されており、通常の個体との間で遺伝子配列や発現状態を調べたほうがはるかに意義の高い成果が得られ、コストもずっと安上がりで済むはずです。
 3.とも関連しますが、森下殿は科学のプライオリティ付けについてどのようにお考えですか? 国民の目から見た場合、4億円のバジェットがあるならば、「ウシの卵子とクジラの精子を試しにかけ合わせてみる」などということよりもっと社会的に有意義な研究に投じられるべきだと思えますが。一体、各方面の専門家からなる審議会のようなものがあって、純粋に科学的見地から優先順位が立てられ、その上で調査捕鯨と関連する研究にこれくらいの資源・予算を投入するということが決められたのですか? それとも、何か「科学以外の理由」があるのですか?
 調査捕鯨に関してはまた、日本国民・マスコミの間に野生動物の保護や生態系の解明に必要な研究を行っているのだろうという“誤解”が広く見られるように思います。しかし例えば、絶滅危惧種のアホウドリの聟島引越しプロジェクトでは、環境省が予算を捻出することができず、代わって米魚類野生生物局に3億円(4年間)を拠出してもらいました。調査捕鯨への助成金4億円(1年分)を下回る金額さえ、環境省は出せないのです。クジラの捕殺調査のみを“別格扱い”している事実を、なぜ国民やマスコミに広く通知しないのですか?
 日本の領土・領海及び公海に生息する野生動物(CMSの対象となる他国の領土・領海を移動する移動性の野生動物を含む)のうちCITESの附属書Tに記載されない野生動物(日本政府の留保品目を含む。そこに該当する種が貴殿のいう持続的利用が“なされるべき”資源ということになるのでしょうから・・)で、国庫から4億円の科学助成費を投じ毎年数百頭ないし1千頭規模の捕殺調査を実施している種はいくつありますか? またそうでない種はいくつありますか? なぜ持続的利用の観点から有効活用できる生物資源の研究に関して、等分に予算を注入せずに“差別”するのでしょうか? なぜクジラのみを「恣意的な例外」とするのですか?
 水産庁の縄張りとされる海産生物の研究に関しても、沿岸の無脊椎動物で命名すらされていない未記載の種が数多く存在します。なぜこうした“差別”が存在するのですか? 公平に予算とリソースを配分しない“科学的根拠”は何ですか? [ご意見:17]へのご回答で「科学的データのブラックホール」などと面白いことをおっしゃっておりますが、日本はとっくにブラックホールに飲み込まれていますな・・。毎年毎年飽きもせず南極くんだりまで行って殺したクジラの耳垢をほじくっている場合ではありませんよ。
 さらに、底引網などでこれまで混獲されていたものの有効利用されずそのまま廃棄され、ごく最近一部でようやく見直されるようになった深海魚など、資源量や生態についても解明が進んでおらず研究が急がれる生物資源も多く存在します。外交上のデメリットや莫大な環境負荷をもたらす南極への遠征に投じられる研究予算を、なぜ近海での資源の有効活用のための研究に振り向けることをしないのでしょうか? 貴殿のおっしゃる資源の有効利用、持続的活用の原則に反するのではないですか? 「矛盾だらけ」だと思いませんか?
−「アホウドリ復活への奇跡」(東邦大)
http://www.mnc.toho-u.ac.jp/v-lab/ahoudori/index.html

5.調査捕鯨の国際条約への抵触について
 昨年2月に参院喜納議員が提出した質問主意書の質問一に関して、答弁書の作成にあたっては森下殿も関わられたものとお見受けしますが、「鯨種の捕殺は──禁止されていない」というご回答は質問の主旨からずれており、また質問にある“理由”についても明確に示されていないようです。ピーター・サンド教授の指摘は、CITESの附属書Tに該当する北西太平洋のイワシクジラ(北太平洋の個体群並びに東経0度から東経70度及び赤道から南極大陸に囲まれる範囲の個体群)について、日本が留保対象外としていながら、条約で定義付けられる商業目的のために公海からの持込をしていることをもって条約違反に当たるというものです。
 JARPA/JARPNにかかる一連の活動(外国船籍の中積船による輸送などを含む)において、運用と罰則規定について定めた国内法ではなく、CITESに抵触する部分があるのかないのか、YES or NOでお答えください。NOの場合、国際法学者のピーター・サンド教授の指摘のどこが具体的に間違っているのかご教示ください。留保品目についてもCITES事務局への通知などの手続をきちんと行っているのですか? 日本が批准しているCITESと国内法との間に齟齬はない、条約をカバーできていない部分は一切ないという理解でよろしいのですか?
 この件に関しては、以前市民団体が行った情報公開請求に対して、水産庁は情報の大半を不開示(既に開示済みで意味のない一部を除く)にして隠そうとなさっていますね。後ろめたいことがないのなら関連情報をすべて開示すべきでは?
−「捕鯨問題に関する質問主意書/答弁書」
http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/syuisyo/169/syuh/s169038.htm
http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/syuisyo/169/touh/t169038.htm
−「平成13年度分の鯨類捕獲調査の調査要綱、結果報告書等の一部開示決定に関する件」
http://www8.cao.go.jp/jyouhou/tousin/h16-05/202.pdf

6.「移動性野生動物の種の保全に関する条約」(CMS)の未加盟問題について
 同じく喜納議員の質問主意書に対する答弁に関して、六及び七の回答に「我が国が締結済みの他の条約により我が国が負っている義務」とありますが、具体的にその条約名と「義務」の詳細をお教えください。CMS加盟に向けた整理・検討のその後の進捗状況についてお知らせください。
 日本政府首脳は「地球環境問題で世界のリーダーシップをとる」と様々な場面で表明しております。にもかかわらず、既に110カ国が批准している重要な環境関連の国際条約であるCMSへの日本の加盟が遅々として遅れていることについては、内外の市民の目から見ると言行不一致の謗りは免れないかと思いますが、いかがでしょうか?

7.国際捕鯨取締条約(ICRW)第8条について
 [ご意見:52]の中で、貴殿はICRW改正を求めるオーストラリアの主張を非難しております。
 また、[ご意見:48]へのご回答を読む限り、なぜ日本の調査捕鯨が世界から“抜け穴”だと言われているのか、貴殿は認識されていないようです。
 実際には、同条約を起草したノルウェーの鯨類学者ベルガーセン氏は当時、該当する調査捕鯨について「新種の発見等の目的」で捕獲枠も「10頭程度」のものを想定していたと発言しております。その後旧ソ連などが漁期外の違法捕鯨の隠れ蓑として調査捕鯨の名目を掲げるなど、想定しなかった情勢の変化があったことから、科学委が勧告を行ったり、レビュー権限を持たせる付表修正がなされるなどの経緯があったわけです。日本の調査捕鯨に関しても、'76年に共同船舶の救済策として打ち出されたニタリクジラの調査捕獲をモデルに、モラトリアム後の商業捕鯨延命措置として講じられたことが、計画立案に携わった研究者などから指摘されているところです。
 ちなみに、サンクチュアリの制度はICRWの前身となった'37年の国際捕鯨協定第9条において既に規定されていた歴史があり、決して突飛なものではありません。
 法律や国際条約というものは、絶対不変ではありません。制定当初と環境が変わり、想定されていなかった運用が行われ、実態にそぐわなくなった条文は、改正されて然るべきでしょう。
 森下殿は、すべて国際条約は発効した時点で固定されるべきもので、時代の変化に見合わない部分が生じようとも何一つ変更することは罷りならん、あるいは日本がそうした要求をすることは一切ないし、批准している条約はいずれも改訂されたものは一つもないとおっしゃっているのですか?
 ところで、調査捕鯨船団に同行している鯨肉中積船オリエンタル・ブルーバード号の船籍をパナマからCITES未加盟国に移し変えるといった行為については、さすがの森下殿も国際条約の“抜け穴”であることをお認めになられますでしょうな。ちなみに、OB号の船籍はどこに移ったかご存知ですか?
−「科学的調査捕鯨の系譜:国際捕鯨取締条約8条の起源と運用を巡って」(環境情報科学論文集 '08/22)

8.市民団体職員逮捕事件について
 ロサンゼルスタイムズ紙にて環境保護団体グリーンピースジャパンの職員の逮捕に関する記事が掲載され、貴殿のコメントが紹介されています。
>If they don't trust our police," he said, "there is no basis for further discussion.
 とありますが、「日本の警察はすべて信用できない」という主張が被告側からなされたのですか? それとも、「日本においては、被疑者は裁判の結果が確定する前からすべてクロである」とおっしゃっているのですか? 「警察が間違いを犯すことはありえない」とおっしゃっているのですか?
 死刑廃止議連の亀井会長はご自身の経歴を踏まえ、「人間が間違いを犯す可能性がある以上、冤罪がまったくないということはありえない」とよくおっしゃっていますが、森下氏に言わせれば「話にならない」ということなのですか? この事件に関しては、国際人権団体をはじめ世界の市民、マスコミも注目しているところであります。日本を代表する責任ある官僚の立場の貴殿のコメントが、こうした新聞を通じて英語圏の人々にそのような主旨で伝わり、日本の司法制度、人権に対する姿勢についてもそのように受け止められることについて、どのようにお考えですか?
 また、貴殿は記事中のコメントで例の如く“殺す方に合わせないのはおかしい論”を展開しておられます。「GPJ職員が有罪か無罪か」「調査捕鯨に絡んで共同船舶内での鯨肉横領や横流し、ランダムサンプリングデータの捏造などの不正があったか否か」「カンガルーやシカを殺すこととクジラを殺すこととは必ずリンクさせる必要があるかどうか」という命題は、いずれも直接には何の関係もありません。「クジラを殺さないのはおかしいから、GPJ職員は絶対有罪である」「クジラを殺さないのはおかしいから、調査捕鯨には一切不正はない」ということをおっしゃっているのですか?
 不正に関しては貴殿は当然否定するでありましょうが、水産官僚と共同船舶の「土産」に関する言動が二転三転したことに対しては、筆者は強い疑念を抱いておりますし、裁判の過程で事実が明らかになることを望んでおります。論文の捏造などは現実にある科学の闇の部分ではありますが、調査捕鯨におけるデータ捏造の疑惑を払拭するだけの透明性を、世界に対して担保するチェック体制は考えておられるのですか?
−「A bitter face-off in Japan over whaling」('09/2/14)
http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-japan-whales14-2009feb14,0,5110794.story

9.文化の認識について
>アラスカ先住民が捕獲したホッキョククジラのヒゲや骨などの工芸品が一点数十万円という値段で販売されていた
 と貴殿はことあるごとにおっしゃるが、これは文化というものを金額でしか見ることのできないきわめて近視眼的思考なのではありませんか?
「先住民の捕鯨と商業捕鯨の区別も付かないようでは先住民が泣きます」と[ご意見:38]で牛尾さんがまさにおっしゃっているように、両者は根本的に異なります。乱獲を戒める自己規制能力を持たなかった資本企業による近代商業捕鯨とは大違いで、持続的利用の最低必要条件である自制能力をその長い歴史によって証明してきたことで、自然を損ねない持続的利用のモデルとしての位置付けを与えられ、先住民の文化が世界で一目置かれるようになったことを、まったく理解しておられない。ちなみに、日本の先史時代に貝塚で発見されたクジラの骨と、およそ400年前に三河湾で始められ商業的色彩が濃く一部では乱獲もあった古式捕鯨と、明治期以降に始まり瞬く間に近海のクジラを資源枯渇に追いやった資本家によるノルウェー式近代商業捕鯨との間には、文化的つながりはまったく存在しません。日本の捕鯨史についてはよくご存知のことと思いますが。
 昨年はアイヌを先住民と認める国会決議が採択されました。21世紀に入ってというのはあまりに遅すぎるという意見もありますし、国連総会で採択された、先住民族の自治権や資源、環境に対する権利などの固有の権利を求める「国連先住民族権利宣言」をベースにした先進国の世界標準(例えば反捕鯨国であるアメリカのイヌイット、オーストラリアのアボリジニ、ニュージーランドのマオリなどの先住民政策)に比べると、未だに大きく隔たっているということも指摘されております。
 日本人や白人による迫害と搾取の歴史を持つ先住民の文化がなぜ国際的に尊重されるに至ったのか、貴殿の発言は国連の宣言の趣旨を理解していないとしか思われず、またわが国を代表する官僚の見解として、世界に「無知・無理解」と受け取られることに対し、大変な危惧を覚えます
[ご意見:7]へのご回答で「文化論はあまり使わない」とおっしゃっておりますが、であれば「一点数十万円」などと誤解を招くことは口にしないほうがよろしいでしょう。
 その一方で、貴殿個人が振りかざさなくとも、日本はこれまで政府業界こぞって世界に向かって「食文化」を声高に叫んできました。ノルウェー式の近代捕鯨技術による、1967年以降に開発が始められた、公海であり南半球にある南極海に生息し、オーストラリアなどの経済水域を行き来する移動性野生動物であるクロミンククジラの捕鯨及び肉食を、内外の反対意見に抗して守り抜くべき崇高な文化として位置付け、これまでトータルで国庫から100億円以上をつぎこみ、国際会議での宣伝やマスコミへのレクチャーをはじめ莫大な投資をしてきました。あなたの言う「不毛な議論」を好んで世界に吹っかけてきたわけです。そうやって30年間アングロサクソンの国々と「戦ってきた」わけです。
 文化と名づけられるものがすべて、国によって最上位の優先順位を与えられ、断固として死守されるべきものだとは、森下殿ならまさかおっしゃらないでありましょう。
 国内における例として、広島県鞆の浦の景観について、UNESCOの下部機関が貴重な歴史・文化遺産であり世界遺産として登録するよう再三にわたって求めたにも関わらずこれを無視し、たった数分の渋滞解消を理由に地元で埋め立て・架橋計画が進められようとしています。世界的に見ても価値の高い文化遺産を日本という国がどのように取扱うのか、文化のプライオリティについて日本がどのように認識しているのか、海外も注目しております。先日、金子国交相が「事業を進めるには国民の同意が必要」と慎重姿勢を示したようではありますが、これは言い換えれば同意があれば進めてもよいということですね。
 さらに、日本のODAはこれまで、現地の人々の生活実態や文化、ニーズを考慮しない形で、専ら日本のコンサル企業の利益のために投じられてきた側面があることも、これまでマスメディアなどを通じて度々報じられてきました。とくに水産ODAは、相手国の周辺水域における日本の遠洋漁業会社の操業権交渉の道具として使われ、引き換えに支払われた援助で買った船外機のみが浜辺にゴロゴロ転がっているといった、きわめて杜撰な内容だったことも過去に指摘されております。IWCで日本に賛同する姿勢を示してきたセントクリストファーネイビスのバセテール港湾整備事業には、水産ODAとして複数年をかけ10億円以上が支払われてきましたが、この件に携わった大手コンサルであるPCI汚職で幹部が逮捕されたこともご存知かと思います。現地の人々の生活や文化を破壊するだけの日本の水産ODAに対し愛想が尽き、ドミニカのように離反する国も出てきたようですが。文化の重要性を自分本位でしか捉えられないことが、こうした事態を生み出していると思いませんか?
 文化論から冷静に距離を置かれる貴殿は、日本政府による文化の取り扱いの格差についてどう思われますか? 日本は文化の価値というものを公平・公正に扱う国であると、国民及び世界に示すことができていると思われますか?
−鞆の浦埋め立てをPR 福山市、巻き返しへ担当課長新設
http://www.asahi.com/politics/update/0218/OSK200902180091.html

10.捕鯨の環境負荷について
 [ご意見:11]のご回答に関して、試算の根拠となるソースをご教示ください。森下殿はどういうわけか北西太平洋のみの数字を掲げておりますが、何故調査捕鯨ないし遠洋母船式捕鯨全体の数字をお示しいただけなかったのでしょうか? 南半球での数字のみ欠如しているのでしょうか? きわめて不可解です。あるいは、持っているにもかかわらず北西太平洋の数字のみを示されたのでしょうか? それもまた不可解です。これはひょっとしてJARPNではなく沿岸捕鯨の話をしていますか? 南極海での操業にかかる母船式捕鯨の環境負荷のデータをきちんと提示してください。
 ちなみに、筆者は遠洋捕鯨のCO2排出量について独自に試算し、現行の調査捕鯨ですら少なくとも年間4万トンを超えるCO2を排出しているとの結果を得ました。HFCの漏出、SOx、NOxその他温室効果ガス及び大気汚染物質の排出、母船建造のLCA等考慮できなかった分を含めれば、おそらく単位生産重量当りで牛肉生産を上回るであろうきわめて莫大な環境コストがかかるものと見ております。
−「遠洋調査捕鯨は地球にやさしくない・日新丸船団、CO2を4万tは排出か?」
http://www.news.janjan.jp/living/0807/0807090629/1.php

11.地球温暖化の影響について
 南極に生息するアデリーペンギンの個体数は、つがいの数で261万以上、幼鳥の数で一千万羽ともいわれています。1産2仔ですがヒナは2ヶ月で巣立ち翌年には繁殖しますから、ゴキブリと揶揄されることもあるクロミンククジラを始めとする大型鯨類に比べ当然繁殖率は格段に高くなります。しかし、地球温暖化の影響で一部の営巣地では個体数が80%も減少したところもあります。このままでは10年で絶滅しかねないとの指摘さえあります。
 余談ですが、南極地域の野生動物は、日本が加入している南極条約の環境保護に関する議定書によって哺乳類及び鳥類の捕殺が禁止されております。これまた、生物資源の持続的利用の支持者の皆さんにとっては「差別」ということになるのでしょう。もっとも、調査捕鯨に公正な科学性があるなら、同水準の調査捕ペンギンには100%許可が得られるはずですね。一部の捕鯨擁護論者や鯨研の方が示唆しているように、またクロミンククジラばかり調査していてもバランスに欠けるとSCのレビューで指摘されていることもありますから、科学的一貫性と持続的利用の原理原則の立場からしても、すぐにでも取り掛かるおつもりなのでしょうね?
 話を戻しますが、野生動物は繁殖率を無視した形で増加することは科学的にあり得ませんが、逆はあり得ます。つまり、急激な環境の変化によって突然大幅に個体数が減ることは現実に起こり得るということです。
 昨年のIWCサンチアゴ総会でオブザーバーを代表してWWFIがスピーチを行いました。それによれば、氷縁で摂餌する習性のあるクロミンククジラは、温暖化によって棚氷の崩壊などの大きな海況の変化が予測される中、極地方の野生動物の中でもとりわけその影響を甚大に被る種であるとのこと。特定の種のポピュレーションのみに着目する水産資源学の観点からは説明のつかないことでありましょうが、アデリーペンギンの激減は、まさにそれが現実であることを示しています。
 野生動物の絶滅や生態系の撹乱は種々の人為的要因が絡み合って起こるものですが、生息地の破壊や汚染と商業的な直接的捕獲などの影響が重なった場合、思わぬ相乗効果が現れることがあります。資源学の教科書で説明されるところの“復元力”が繁殖率の低下によって奪われてしまうからです。多くの野生動物の絶滅はまさにそのようにして引き起こされたものです。例えば、日本のトキやコウノトリは、農薬汚染と営巣木の破壊と乱獲がセットになって絶滅に至ったわけです。
 商業的捕獲の是非を論じる際に、地球温暖化やオゾン層破壊、海洋汚染、オキアミ漁を始めとする様々な人為的要因の影響も考慮することは不可欠のはずです。IWC−SCも今後早急にこの分野の専門家を交えて検討するべきでしょう。
 クロミンククジラその他の大型鯨類が、気候変動の影響によりアデリーペンギンと同様のステータスに陥る可能性は厳然としてあります。モラトリアムを厳守できなかったことや、自国の捕鯨産業を含む近代捕鯨の乱獲の史実を知りもせず反省の色のまったく見えない政治家やネット上の捕鯨シンパを見ている限り、影響がさらに明確になった場合に、現行の調査捕鯨や再開された商業捕鯨を速やかに停止する措置が講じられるとは、筆者にはにわかには信じかねます。
 クロミンククジラに関しては、JARPAにより増減の傾向が見られないことが明らかになった途端、今度はザトウクジラやナガスクジラを間引くべき(本来の個体数にはほど遠いにもかかわらず)というまたしても単純化した議論が起こっています。ただでさえ複雑な種間関係に、さらに地球温暖化という要素が加わった場合、果たして日本の鯨類学者に南極海生態系の動態管理が可能なのですか? かつて果たせなかった結果に対する責任を負えるのですか?
 JARPAUの目的として掲げられる一連の仮説に、地球温暖化の影響が鯨類の個体数動態に及ぼす可能性を考慮したモデルはありますか? この要素を考慮しないモデルには意味がないのではありませんか? 計画自体を早急に見直すべきだと思いませんか? ちなみに、温暖化の影響に関する研究は、特定の野生動物に限定して脂皮厚の変化を測るなどという段階をとうに過ぎています。現在の致死的研究ではそもそも原因が特定できないので片手落ちですし(リンク参照)。顕著な変化が見られたので捕鯨から撤退するなど、影響を軽減するためのあらゆる努力を払うというのであれば、まだしも正当化の余地はあるでしょうが・・。
 日本は自国で開催された地球温暖化防止京都会議での温室効果ガス排出量削減の約束を守れないどころか、プラスとマイナスの数字がひっくり返ってしまうというなんとも惨めな失態を演じました。WWFやGPなどの環境保護団体は、地球温暖化問題に関しても政府や国際機関に積極的に働きかけを行っております。一方、水産庁は10.で示したとおり、重油を大量に消費してCO2を排出する遠洋漁業の筆頭株というべき大型捕鯨を推進し、環境負荷を下げるために沿岸捕鯨に切り替えるなどのオルタナティブの対策をとることさえしません。水産庁は、地球温暖化対策に先進国の中でも後ろ向きな日本政府に、捕鯨の悪影響を相殺するだけの世界に抜きん出る突出した温暖化対策(例えばCO2ゼロ排出を目指すアイスランドのように)を強力に働きかけるか、さもなくば、少なくとも南半球にまでCO2をばらまきにいく調査捕鯨からは足を洗うべきではありませんか?
−Antarctica's Adelie Penguins Extinct in a Decade? (National Geographic News 2007 Dec.28)
−「調査捕鯨の理由を“後から”探し続ける鯨研」
http://kkneko.sblo.jp/article/18846676.html
http://kkneko.sblo.jp/article/19065035.html

12.クロミンククジラの個体数について
 4.にも関連しますが、調査捕鯨と目視調査の結果に関してご質問します。
 まず最初に、同定されたのが近年とはいえ、ミンククジラとクロミンククジラ(ミナミミンククジラ)とは系統分類学上別種ですので、混同を招かないために表記を別にするようくれぐれもご注意願います。非科学的なことに、個体数を“どんぶり勘定”で計算しようとする方も多々見受けられますので。そもそも野生動物の保護管理にあたって真に重要なのは個体群(系群)毎の個体数のはずですが。
 [ご意見:32]の平賀さんのご質問に対する森下殿のお答えがありますが、いくつか正確さを欠く記述がみられます。'06/12に鯨研で開催されたIWC/JARPAレビュー会合の結果について、藤瀬氏が日本語の報告を鯨研通信438号('08/6)にまとめておられるので確認してください。15年間にわたるJARPA期間中のクロミンククジラの資源の増減傾向については「有意な増加も減少も認められない」と明記されていますよ。生物学的特性値については、データの精度が低かったり、異なる元データを用いていたことが判明したりという具合で、いずれも明確な結論が出ていません。性成熟年齢は「反転」していません。「ほぼ一定か僅かに上昇傾向」というだけです。貴殿が主張している成果の多くは、指摘された過去のバイアスの検証が済んでいない、生態系のクロミンククジラ以外の構成種のデータを用意しなければ意味がないなど、SCの合意を得ていないものばかりなのではないですか?
>しかし,その増加も,「(クロ)ミンククジラが限界まで増えた」こと,ナガスクジラやザトウクジラの資源が回復したことで,停滞状態にあり,それが性成熟年齢の反転にあらわれていると推定されています。(括弧筆者)
 「限界」とは何ですか? レビュー会合で合意された用語ですか? その定義は何ですか? 何が「限界」を規定しているのですか? ナンセンスです。そもそも生物の環境収容力は現実の自然界では可変です。どこが「限界」で、いつのタイミングでその「限界」に達すると、日本の鯨類学者に予見できていましたか? JARPAによって収集されたデータからひとつ言えることは、クロミンククジラ、ナガスクジラ、ザトウクジラ、シロナガスクジラ、他のオキアミ捕食者に関して、ポピュレーション動態を将来にわたって予測する能力など、調査捕鯨に携わっている鯨研の科学者は端から持ち合わせていなかった、言い換えれば南氷洋生態系を管理する能力などないということです。違うのですか? これは12.で述べる予防原則にも大きく関わってくることですが。
 平賀さんが例示しておられる、JARPAUの目的として掲げられた検証仮説の一つは、環境収容力について鯨類4種とオキアミのみしか考慮せず、しかも一定不変とするきわめて不自然な前提に基づいています。「一定不変かどうか」など検証するまでもなくわかりきったことです。平賀さんも指摘されていますが、そんな机上の空論でリアルな自然を正確に反映するモデルが立てられるとは到底信じがたいことです。本当に把握する必要があるのは、いまでは推測に頼るしかない過去の商業捕鯨によってもたらされたキャパシティの変動であり、これから生態系のごく一部の種に限ってアンバランスな致死的モニタリングをしたところでほとんど意味はありません。また、前述したように、地球温暖化の影響なども環境収容力の変動に大きく関わってきます。間接的証拠しか得られないクロミンククジラの致死的調査のみでは原因特定ができないうえに、いま求められているのは原因と影響を中途半端にグズグズ調べ続けることではありません。
 さらに、調査捕鯨の最大の口実でもある資源管理のために真っ先に必要とされているのは、RMPではそもそも不必要なオマケでしかない捕殺調査ではなく、過去のバイアスの検証とともに、未だに合意が得られていないIDCR/SOWERの3周目の数字を確定する作業のはずです。その後の進捗は一体どうなっているのですか? 拙ブログにお越しになられた捕鯨賛成派の方も大隈氏経由で投稿されているかと思いますが。ちなみに、前2周と同じデータ解析手法を用いた時系列的に比較可能な数字としては、クロミンククジラの個体数は76万頭から36万頭に(少なくとも統計的には)減少したことになっているはずです。アデリーペンギンのケースを考えても、決して不自然な数字ではありませんが。分布が変化したという定性的な理由でごね続けているようですが、そうなると76万頭は(こちらも補正し直さない限り)科学的には死んだも同然の数字、最新のデータとの比較ができない数字ということになりますな。未だに方々で四捨五入した上に尾ひれが付いて100万頭以上などという非科学的な使われ方をしておりますが。
 鯨研の藤瀬氏は鯨研通信中の同報告の中で、「標本として選択された個体の採集に時間を要」(p3)することで目視調査の精度が落ち、余計な補正作業の手間がかかっていることを述べられています。商業捕鯨再開の前提となる資源管理のため、RMPに必要とされる情報を取得するために、最優先されるべき目視調査が、採集(調査捕鯨)という優先度の低い余計な作業が加わったが故に妨げられているということです。常識で考えればわかることではありますが。結局それが、いつまでたっても3周目の数字が確定しないことにもつながっていると言ってよいでしょう。
 商業捕鯨再開こそが目的であるならば、少なくとも数字が出るまでは足を引っ張るだけの採集作業を中止して、最優先のパラメータを取得すべく目視調査に専念するべきではないですか?
 それとも、一体真の目的は商業捕鯨ではなく調査捕鯨そのものなのですか? RMPで本来不必要とされる科学的調査捕鯨とは、商業捕鯨再開のために必要だからこそ行っているのではなかったのですか?
http://www.iwcoffice.org/_documents/sci_com/SCRepFiles2005/AnnexGsq.pdf

13.原理原則について
 筆者は[ご意見:27]の平賀さんのご意見に深く感銘を覚える者ですが、森下殿のお答えに関して意見を述べさせていただきます。
>原理原則を守ることは非常に大事なことと思います。
 森下殿は“原理主義者”の主張をとかく引合いにして議論を単純化し、白か黒、All or Nothingの命題にすり替えている印象を受けるのですが、要するに森下殿自身の立場は“原理主義”という理解でよろしいのですね。
>むしろ日本は,捕鯨問題以外の問題において,今まで原理原則を十分守ってきていないと感じています。また,原理原則は例外を受け入れてしまうと,連鎖的に立場が崩れてしまうことが多々あることから,問題の大きさや直接の利害にかかわらずこだわる場合があります。
 まさに羊飼いの少年の「狼が来るぞ!」という論理ですな。日本が捕鯨問題以外で守れていない問題とは具体的にどの問題を指しているのですか? また、連鎖的に立場が崩れてしまった具体例についてもご教示ください。日本の非核三原則とか、核不拡散条約とかの話ですか? CITESの留保品目を認めたら、絶滅に瀕した野生生物がすべて守れず絶滅してしまうとかおっしゃっているのですか? 調査捕鯨という例外を受け入れるとなし崩し的に商業捕鯨が乱獲時代に戻ってしまうとかいう話ですか?
>南氷洋はクジラに限らず,海洋生物資源が非常に豊かな海域です。したがって,その南氷洋で原理原則を守ることは大きな意味があります。日本が短期的な利害にかかわらず,南氷洋を舞台に原理原則の議論をすることは価値があると思います。
 日本で人気のペンギンや、ミナミオットセイ、カニクイアザラシなども、資源が健全である限り「持続的捕殺消費をしなければならない」との主旨がこめられているのでありましょうが・・。「したがって」とおっしゃるが、なぜ「豊か」だと「意味が大きい」のですか? 誰にとっての意味ですか? それは国際的に通用する「意味」なのですか? 日本の沿岸でやった方がよっぽど意味が大きいじゃないですか。しかも「議論」だけで済ませず一国行動主義的に強行してしまっているのでは?
 南氷洋は近代商業捕鯨による悲劇的な生態系撹乱実験の場と化してしまった象徴的な場であるとともに、棲息する海産生物の固有性が非常に高く、最も保護を必要としている自然でもあります。生態系のトータルな保護のために南極条約/同環境保護議定書による厳格な保全措置を敷衍することが望まれる海域でもあります。日本の遠洋捕鯨や日本が最大の輸入先であるオキアミ漁などを除けば、産業活動を自制してUNESCOやIUCNの提唱するサンクチュアリ/原生自然保護区として保全するための国際的理解が最も得られやすい場所でもあります。豊かだからといって飽食の経済大国がグルメにしてしまっていいという話にはなりません。また一方で、地球温暖化による気温上昇とそれに伴う氷床の崩壊などの影響が最も急激に進行しており、野生動物が深刻な危機に立たされている地域でもあります。いつまでも豊かである保証などまったくありません。そんな能天気なことを言っているのは日本の捕鯨関係者だけなのではありませんか?
>「クジラを殺傷することは倫理的に許せない」ということを,原理原則と考える国民が存在することも事実です。その人たちが,持続的利用という原理原則を受け入れないのならば仕方のないことで,「同意できないことをお互いに同意する」しかないと言えます。その場合は,彼らも彼らの原理原則を我々に押し付けないという相互性が基本で,そうであれば,私は「同意できないことをお互いに同意する」ことに全く問題を感じません。
 税金の補助を出して行っている国策的調査捕鯨に対して国内で議論があることをお認めになるのは結構ですが、貴殿らはまさに反対を押し切って南極での調査捕鯨を強行することで、現に持続的利用の原理原則を一方的に押し付けているではありませんか。なぜ理解が得られるまで自粛するなり、あるいは沿岸にとどめることをしないのですか? 後述するように、貴殿らの持続的利用の定義は、そもそも環境問題の文脈で提唱されるに至ったサステイナブル・ユースの概念と根本的に異なるものですが。
 [ご意見:2]の山口さんの指摘する国内の野生動物駆除の問題に関しても、実に華麗にスルーされており、筆者は「さすが森下さんはエリートキャリア官僚だなあ」と感嘆するばかりであります。国立公園の保護管理で日本より数段先を行く米国やオーストラリア、あるいは駆除一辺倒の日本と異なり共存のための模索を続けるケニアやカナダなどの野生動物保護管理先進国と、「有意義な情報交換」はできたのですか? 南極で原則を確立するよりはるかに喫緊の課題に思えますが。
 なお、過去の乱獲・違法操業に対する指摘へのご回答は、まったく自覚のない捕鯨擁護論者を多数見かけますので、日本国民に対してすら説明責任が十分果たせておらず、“真摯な反省”として国際的に受け取られるとは到底思えませんし、「評価されている」というお答えには疑問を覚えます。「次はマグロにシフト」([ご意見:53]へのご回答)といった素朴な反論も、実際の国際的なマグロ規制の文脈とおよそかけ離れたカビの生えた主張に聞こえます。GPJなどは日本の姿勢を評価していたはずですが。
>個人的には YouTube のメッセージは非常に残念です。豪州も悪いことをやっているんだから,日本も悪いことをやってもいい,あるいは日本を非難する資格はないと主張しているように受け取られるからです。([ご意見:2へのご回答)
>矛盾は明らかです。シカやカンガルーは捕獲して食べてもいいが,クジラはだめ。魚は科学的に漁獲枠を決めて管理されれば漁獲していいが,クジラは科学的に持続利用が可能でも捕獲はだめ。ウシとクジラの知能は同程度ですが,ウシは食べていいが,クジラはだめ。陸上動物の狩猟の“残酷さ”は問題にしないのに,捕鯨は残酷だと非難。先住民捕鯨で捕獲されたクジラの工芸品は何千ドルで売っても商業性はないが,日本の沿岸小型捕鯨の鯨肉を売ることは商業性があるのでだめ。数え上げればきりがありません。([ご意見:52へのご回答)
 上掲の森下殿の二つのご意見を見て、矛盾は明らかだと思いませんか? ついでにいえば、日本が施行している動物愛護法などは貴殿らに言わせれば「矛盾だらけ」ということになるんでしょうな。「例外を受け入れてしまうと,連鎖的に立場が崩れてしまう」のではないのですか?
>ただひとつの真実しか受け付けず,その真実をほかの人間にも受け入れさせることが使命であると感じる一神教的考え方と,異なる考え方が併存することを気にかけない多神教的考え方の違いでしょう。一神教的考え方では,捕鯨に反対することが善であり,捕鯨は悪,その捕鯨を支持する勢力は敵であるということからすべてが始まります。世の中をすべて善と悪,白と黒に分けるという考え方は,実際はそうではないわけですから,必ず破たんが出てくると思います。捕鯨問題にかかわらず,いろいろな問題がこの二元論によって本当の解決方法を見失っているような気がします。([ご意見:46]へのご回答)
 一神教−多神教の区分と価値観の多様性はまったく無関係です。多神教のほうが一神教に対して優れているという、信教に基づく差別を認める議論にもつながりかねない発言ですな。いつから森下殿は宗教学者になられたのでしょうか? 南極の調査捕鯨にあくまで固執し世界にALLを求める日本の姿勢こそ、貴殿の言うところの“一神教”じみているように思えますが(ちなみに筆者は無神論者です)。
 筆者は生粋の日本人として、「日本が何をやっているか」にこそ関心があります。内外の自然保護関係者の懸念にも関わらず、天然記念物に指定されたり、絶滅が危惧されるほど個体数の少ない一部の野生動物の個体群に対してさえ、駆除という安易な手法に頼っているのが日本の野生動物管理の現状であります。そうでなければ、「少しはあなた方も見習いなさい」とオーストラリアに対して胸を張ることもできたでありましょう。
 日本に訪れ大勢の人々の目を楽しませてくれるツルや、ハクチョウなどの水鳥、あるいは希少な個体群を含む猛禽類などの渡り鳥が、日本の200海里上空の外に出た途端、地球の裏側からやってきたオーストラリアに「科学だ」といって一方的に何百羽も撃ち殺されたりしたら、多くの日本国民はどのように感じるでありましょうか? 南半球に生息するクロミンククジラはオーストラリアの周辺海域を移動し、グレートバリアリーフでも観察されております。間違いなくオーストラリアなど他国の自然の一部を構成する移動性野生動物です。そうした想像力は日本人からはもう失われてしまったのでしょうか? そんなことはないはずです。筆者としては、そのようにして地球の裏側まで出向いて他国の自然を脅かし、人々を悲しませることをよしとしない日本人が今後さらに増えてくれることを祈るばかりであります。
 逆に言うならば、わざわざ地球の裏側まで多大な環境負荷をかけて押しかけ、関連する国際条約の批准をズルズルと先延ばしにし、反対の声を無視して異国の自然の一部を脅かすことに、高い正当性を認める根拠は一体何なのかと、深い疑念を抱かざるを得ません。資源の持続利用の原則を守るのに、外交上の障害がなく心を痛める人々もおらず環境負荷も低く有効利用の観点からも合理的である国内の未利用水産資源に関する調査を後回しにして南極のクジラに徹底的に執着する理由は何なのかと。「捕鯨はとにかく特別だから,理屈抜き捕鯨賛成」なのですか?
 日本は現在、農水省・環境省の試算で推計約2千万トン弱というあまりにも膨大な食料を廃棄しています。これは家庭と小売・外食産業などからの廃棄量の推計であり、実際には生産段階の、前述した底引網などにかかって捨てられる魚や、生産調整のためにブルドーザーで潰されたり、JAの規格外という理由で野積みにされる野菜など、さらに多くの量の“命”が利用されることなく無駄にされています。食の問題が取りざたされた昨年はマスコミが幾度か取り上げ、食の問題に深い関心のある方であればとっくにご存知でありましょうが。これは日本の食糧全体のおよそ4分の1にあたり、世界の食糧援助の総量を上回るもので、人口一人当りでは世界一というあまりに恥ずかしい数字です。日本は世界中のどの国よりもモッタイナイことをしている国です。
 「日本はクジラを余すことなく大切に利用してきた」と捕鯨擁護論者は口々に唱えますが、実態を知っている日本人としては何とも白々しい台詞に聞こえます。あるいは、日本人は別に命を大切にしているわけではなく、“鯨肉”という食品、“捕鯨”という行為のみを特殊視・神聖視しているということでしょうか? 日本人としてはそうではないと信じたい。本来日本人には、クジラであろうと他の動物であろうと命を決して粗末にしない文化を確かに持っていたのだと。
 しかし、悲しいことに現代の日本は、かつて持っていた大切な食文化を自ら捨て去ってしまったようです。その何よりの証拠が上記の気の遠くなるような食糧廃棄量の数字であり、また、かつての大手捕鯨会社であるマルハニチロホールディングスの子会社神港魚類のウナギ産地偽装や、地方農政事務所の接待業者への目こぼしが招いた汚染米事件を始めとする、昨年マスコミを賑わせ一向に後を断たない食品偽装に他なりません。
>最近の食の安全をめぐるいろいろな問題のために,役所や企業に対する信用が失われていることは,率直に反省し,是正しなければならないと思っていますが,その時流を使って反捕鯨の主張とすることは,一部関係者だけの問題ではなく,本当に大切な原則を,見失っている,あるいは無視していると考えます。([ご意見:45]への回答)
 筆者の結論は森下殿のご意見とはまったく逆です。膨大な食品廃棄量、顔の見えなくなった生産者と消費者、結果として横行するようになった消費者への裏切りたる食品偽装、どの国よりも高いフードマイレージなどは、「一部関係者だけの問題」などではなく、日本国民全体にとってきわめて由々しき事態です。食にまつわる様々な問題は、南極産のクロミンククジラのカルパッチョなどよりはるかに重要な「本当に大切な原則」である食文化の根幹が捻じ曲がってしまったことに起因するのではないですか? そして、命を可能な限り粗末にしないこと、環境と伝統に調和した最も大切な食文化である地産地消の原則など、食文化の本質を国自ら破壊するきっかけを作ったのは、「大手資本のノルウェー式近代捕鯨によって'67年以降開発されたところの南極のクロミンククジラで作った国籍不明料理こそは死守すべき“食文化”なのだ」といった誤ったイメージを国民に植え付けてきた政府・捕鯨関連業界・PRコンサルタント・マスコミのプロパガンダであり、その責任はきわめて重大であると認識しております。筆者自身は、玄米と畑の肉を主食にする地産地消型ベジタリアンとして、兎にも角にも日本人の平均食糧廃棄量や環境負荷を少しでも下げねばと鋭意努めているところでありますが・・・
 一方では現在でも、世界中で飢餓により亡くなる子供たちの数はおよそ年間5百万人、さらにそれを上回る数の子供たちが重度の栄養失調となり、障害や感染症に罹る高いリスクを抱えています。もし、鯨肉が第三世界の深刻な飢餓を解消するというのなら、いままさにそうしたこどもたちを救うために本当に必要だというのなら、筆者は捕鯨に反対しません。今すぐにでもこの子たちを救ってぜひとも証明してもらいたいものです。ただし、それは当然のことながら経済的にも合理的・現実的な方法で供給される必要があります。誰がこどもたちのもとへ実際に届けるのでしょうか? 誰が流通システムを整備し、そのコストを負担するのでしょうか? たとえば、アフガニスタンやバングラディッシュや西サハラや東アフリカに南極産の鯨肉を提供するなどというのは、誰が考えても非現実的です。同じコストをかけて一般的な食糧援助を行えば、はるかに多数のこどもたちの人命を救えることは疑いの余地がないのですから。
 それとも、いざというときに日本人だけは公海のクジラを屠って凌げばいいのだというお考えなのでしょうか? 水産ODAを通じて日本がIWCへの参加を呼びかけているアフリカ諸国は、おそらく分担金の拠出さえままならない経済状況で庶民の生活水準は日本人とは比べ物にならないほど低いはずです。南極のクジラを資源として利用できるのは世界で唯一日本のみであるという現実を、貴殿はそれらの諸国に対して一体どのように説明しているのでしょうか?
>商業捕鯨が将来経済的に成り立つか否かについては,いろいろと議論がありますが,現在の制約の多い調査捕鯨でさえ(例えば,調査では無作為抽出が求められることから,経済性の高い大型の個体ばかりを捕獲することはできません。ほかにも様々な制約があります。),その経費の約 90パーセントを鯨肉販売で賄えていることから,制約の少ない商業捕鯨は経済的に成り立つと考えます。また,将来の捕鯨は,産業規模を維持する観点から捕獲頭数を決めていくのではなく,改定管理方式(RMP)などの資源状態に応じた科学的な計算方式に基づき決まる捕獲頭数に,産業規模が対応していくことになります。([ご意見:27]へのご回答)
 冒頭で触れた点ですが、RMP下でのクロミンククジラの捕獲数を試算した場合、旧いIDCRの数字に基づけば6海区全部で平均3千頭程度とのこと。これはすなわち、現在2海区で行われているJARPAUが、まさしく再開された場合の商業捕鯨に匹敵する規模であることを示しています。現在調査捕鯨に対して日本は海外漁業協力財団からの21億円の無利子融資に加え、年間4億円の科学助成金、増額された9億円の補助金、さらに3億円の補正予算による追加拠出など多額の税金を投入し、そのうえで副産物を市場流通に委ねているわけですが、昨年の鯨研は約8億円の経常損益を出し、共同船舶とともに経営合理化を余儀なくされていることは森下殿もご承知のとおり。既に「コストの約 90パーセントをカバー」などできていないではありませんか。厳格なRMSのために必要なコスト負担も(日本一国の商業的利益のために他国に財政負担まで押し付けようとする山際氏などの主張が通るはずはありません)、増産時に発足した販促会社が丸抱えしている大赤字も計算に含まれていないようですし。
 要するに、世界屈指の経済大国である日本が国費で全面的にバックアップをしながら、なお採算が取れていないのです。かつての商業捕鯨大手3社は、仮に再開された場合でも商業捕鯨に再参入しないことを明言しています。日本でさえこの体たらくだというのに、文化(?)的な需要も市場もなく、都心の高級料亭で大枚をはたける国民所得もない他の国であれば、南極海での商業捕鯨をあえて行う企業が出てくることなどまったく考えられません。それは言い換えれば、南極圏の野生動物を将来にわたって独り飽食廃食大国日本のみが国策調査の形で致死的消費資源として“独占する”ということに他なりません。その点について、貴殿は世界に対してどのように説明されているのですか?
 持続的利用はそこまで神聖崇高にして冒さざるべき概念なのですか? 赤字を国民の税金で手厚くカバーし、他国の経済水域内を移動する地球の裏側の南極の野生動物に対して、一方的に押し付けなければならない、世界の方が呑まなければならない価値観なのですか? 利用の中味のほうはどうでもいいと? 自国のあまりに荒みきった食の現状、消費の実態を一切顧みることなく、自然の持つ多様な価値に配慮することもせずに、「野生動物は絶滅しない限り何が何でも利用しなくてはならない」というメッセージを、それが可能な世界でただ一つの飽食国家として世界中の人たちに発信することについて、森下殿は素晴らしいことだと思われるのですか?
 筆者は穴があったら入りたいです。
 [ご意見:38]の牛尾さんの意見は大変ごもっともに思います。なぜ国際的合意の得られない対象を日本が独り勝手に強引に「テストケース」にしてしまうのでしょうか? 既に上述したように、より合理的な、また持続的利用が必要とされる対象があるにもかかわらず。日本の担ぎ出した持続的利用の「象徴」に、なぜ世界のほうが合わせなくてはならないのですか? なぜ利用を始める“前”に合意を得る努力をしないのですか? 上述のとおり、日本以外にもはや国策商業捕鯨を実施できる国はありません。「テストケース」の選択の仕方として、あまりにも不公平不公正なのではありませんか? なぜ沿岸でなくよりによって南極で「テスト」しなければならないのですか?
>資源があればそれを必ず利用しなければならないわけではありませんが
 という説明とも明らかに矛盾しています。「利用しなければならないわけではない」のなら、その程度の「一貫性」や「論理性」、「必要性」しかないのであれば、世界の反対を押し切って飽食・廃食国家がCO2を撒き散らしながらはるか地球の裏側にまで押しかけ、はちきれんばかりに膨れ上がった胃袋に野生動物の肉を無理やり詰め込むのをとっととやめることに、一体何の問題があるのですか?
 現に資源の健全性とは無関係に殺す動物と殺さない動物があってもノープロブレムだが、「殺すな」と言われることだけはどうあっても否定しなければならないのですか? 「殺すな」と言われるからあえて「殺す」のですか? 反捕鯨国が反対しなくなったら捕鯨をやめるのですか? 他の動物を「殺すな」と誰かが言えばそちらの捕殺に乗り換えるのですか? 「殺すな」と言われることに対する反発は、「殺せ」と言われることに対する反発より合理的で科学的であると言っているのですか? 殺す動物に合わせることは正義だが、殺さない動物に合わせることは悪であると言っているのですか? 一方にのみ不可欠で他方はどうでもよい「一貫性」とは一体なんですか? 殺すのをやめること、減らすことはそんなにおおごとなのですか? 他国に対して誇れるだけのオルタナティブさえ提示できないのですか?
 ラッコのくーちゃんは殺してしまわないと気がすまないんでしょうな。日本の犬や猫たちの先行きはとてつもなく暗いものになりそうですな。安易な有害鳥獣駆除同様、犬猫の殺処分数に関しても日本は先進国の中で大恥をかいている状況ですが、盲導犬や使役犬、セラピー犬なども「殺すな」と言った途端ガス室送りになるんでしょうか。一般家庭の犬猫たちも、飼い主が「殺すな」と言うや否や戦時中のようにお国のために供出させられるのでしょうか。実にたいした、凄まじい原則です。それが万物の霊長に相応しい知性の証なのでしょうか? ヒトも科学的には哺乳類の1種にすぎないはずですが。
>ほかの哺乳類を食べるのが当たり前なら,人間も食べろというのは,いささか飛躍です。現にウシやブタ,野生動物であるシカやカンガルーが食用にされているのに,どうしてクジラはいけないかという説得力のある理由が無いというのが,我々の主張です。
 と[ご意見:7]へのご回答でおっしゃっているが、両者の間に論理構造の点で違いはありませんよ。「同じ便宜的カテゴリーにあるものは殺せ(ただし、生かすほうに合わせる必要はない)」というのが貴殿らの主張ではないのですか? 一方に「説得力のある理由がない」のは何故なのか、他方が「飛躍」なのは何故なのか、詳細に突き詰めて御覧なさい。差別とは、人種・民族・性・所得・学歴・思想・信条その他の理由をもって「ニンゲン」が「ニンゲン」の取り扱いを峻別することです。平等とは「差別そのもの」をなくすことにより達成されるものです。9.とも関連しますが、日本という国は差別を根絶できていると果たして世界に向かって声高に言えるのでしょうか? ヒトの間の差別問題をヒトによるヒト以外の動物の取扱の問題と混同することも、クジラをウシやカンガルーやイヌやネコやヒトと比べすべてを「殺す方に合わせる」ことも、論理的にはナンセンスであり、詭弁にすぎません。
 飽食の国がわざわざ南極の野生動物まで貪らなくてもよい。命の無駄、犠牲が少ないのは結構なことです。
 貴殿らはサステイナブル・ユースの意味を完全に履き違えているのではありませんか? 肝腎なのは、『持続的でない利用をしないこと』です。ニンゲンの業の側を如何に管理するかという問題です。消費の抑制、業の節度が最大のカギです。持続的利用/ワイズユースとは、先住民の限定的な狩猟採集や、あるいは日本古来の里山の利用のように、体感的・経験的知識を十分に踏まえている身近な自然で初めて可能になるものです。生態系全体に対する知識があまりに乏しく、世代を越えて伝えられた経験的な指標も存在しない南極海のようなところでできるものではありません。まさに近代商業捕鯨こそは、持続的利用の原則とは最も隔たった産業の「象徴」に他なりませんでした。貴殿もご承知のとおり、歴史がそれを証明しています。
 世界一食べ物を捨てていようが食品偽装天国になっていようが伝統がとことん疎かにされていようがガンガン環境負荷をかけようがメタボが流行っていようが、「何でもかんでもともかく利用する」ことが持続的利用の原則なのではありません。それは馬鹿げています。捕鯨を推進する理由が「その程度のくだらないこと」であれば、[ご意見:7]の森上さん、[ご意見:16]のひろこさん、[ご意見:36]の一般人さん、[ご意見:39]の鯨にやさしい人さん、[ご意見:41]の大西さんを始めとする皆さんの主張のほうがよほど説得力があると思いませんか?
 森下殿は、今年WEDGE2月号に掲載された谷口慶大特別招聘教授のオピニオン『メディアが伝えぬ日本捕鯨の内幕』を読まれたでしょう。筆者と谷口氏とは立場・主張を大きく異にしますが、外交の専門家らしく大変バランスのとれた現実的な主張であると感じます。国内の大手マスコミにも同調する論説が現れているようです。記事中で谷口氏は貴殿らの持続的利用論にも理解を示されています。貴殿に倣って宗教的比喩を使うならば、谷口氏は同じイスラム教でも異なる宗教とも融和的で共存可能な穏健派のイスラム教徒、貴殿らは持続的利用教の教典(原典とは異なりますが・・)を絶対至上と崇め自身のコミュニティのみならずはるか南極までも拡張せずにはいられないハマスの如き過激な持続的利用教原理主義者と映ります。
 煎じ詰めれば、貴殿らの主張は、自然をとにかくどんどん利用したい、野生動物をもっとたくさん殺したいという“方向性”を目指す社会にとって、少しでも反捕鯨に譲歩することは“瀬戸際のピンチ”であるという感覚のようですね。日本人の伝統的な生命観・動物観とは相容れないそうした考え方が、他ならぬ日本で一定の支持を得ていることに対し、筆者は日本人として大変な危惧を覚えます。もっとも、本当に持続的利用の原則の堅持が理由であるなら、沿岸捕鯨のみで十分であり、南極の調査捕鯨にこだわる理由はありません。何か別にがあるのではないかと勘繰らざるを得ませんね。
>自分で食べるものや利用するものは,持続的利用の原則を守る限りは自分で決める権利があるという原則でもあります。
 貴殿はこうおっしゃる。南極海で行われている大規模な捕鯨操業は個人の自由などとはまったく無関係です。個人の行為ではありません。経済大国の補助を得た国策企業体(産官学運命共同体)の活動です。消費者の権利保護のために、メーカーや小売店、外食店はメニューを変えたり製品製造を中止したりしてはいけないのですか? 何かというと原則原則と口を酸っぱくしておっしゃるが、ただの言葉遊びではありませんか。
 今期の操業では、船員の方がライフジャケットを装着せずに夜間船外に出て転落するという痛ましい事故も発生しました。沿岸であれば同様の事故が発生しても数時間以上漂流して助かるケースもあります。地産地消の伝統を守る形で持続的利用の原則を示していれば、生身のニンゲンが一分と生存していられない身近な自然とはおよそかけ離れた地球の裏側の氷の海まで、鋼鉄の船で大量の重油を焚いてはるばる押しかける真似をしなければ、貴重な人命を失うリスクを減らせたはずです。この事故に関しては、何故起こったのか、どのような再発防止策を講じているのか、水産庁/共同船舶からは国民に対する詳細な報告が一切ありませんね。これまでにも、母船式捕鯨の延長である調査捕鯨において、同様の行方不明事故、火災や重機事故により(出港間際の謎の船内自殺もありましたが)何名もの方の人命が失われています。
 個人の勝手で済ませてしまってよいのですか? 誰が生産(採集)したのか、生産物はどのような自然(あるいは人の手)に育まれたか、どのようにして誰の手を渡り運ばれたのか、どのくらいの環境負荷がかかっているか、さらにはヒトの命がかかっているか否か、そうしたリアルな生産の現場から消費を切り離すことによって、国民の食に対する責任感が失われてしまったことこそ、今日の我が国の食文化崩壊の惨憺たる現状を生み出したのではありませんか?
 また、日本の社会においてさえ、法律上の規定もない「持続的利用の原則」の上位に立つルールは、絶滅危惧種保護法や動物愛護法や各種民法・商法の規定などたくさんあるはずですよ。そして、公海に棲息する海棲哺乳類に関しては、日本も批准している国連海洋法条約の求める国際管理下での国際的合意が必要です。それがルールです。もっとも、IWCを脱退し、日本のみしか恩恵を受けない南極の捕鯨のためにODAをばら撒いている途上国を率いて新組織を作り、国民に莫大な負担を押し付けようとする動きも一部ではあるようですが、そんなものは「国際管理下での国際的合意」とは到底呼べません。よもや日本政府が国際外交上の破局を招くそこまで非現実的で愚かな選択をするとは思いませんが・・。
 近代商業捕鯨は乱獲を繰り返して海域や鯨種を次々に潰していき、国際的な管理の枠組みによっても規制違反や違法操業を食い止めることができず、最小の商業捕獲対象鯨種となるクロミンククジラ/ミンククジラにたどり着くまで、後がなくなるまで、自己管理能力があることを示すことはついにできませんでした。例えば、秋田のハタハタ漁のようにモラトリアムを厳粛に守ることができていたなら、まだしも世界の信用を完全に失いはしなかったでしょう。しかし、調査捕鯨に名目替えして実態としては何一つ変わらない商業捕鯨を続け、業態の存続を“至上命題”とした時点で、信用を失うのは当たり前の話に思えます。
 WWFやGPなどの環境保護団体は、捕鯨問題に限らずIUCNによって提起された予防原則の重要性を唱えてきました。そうしたNGOも、科学者も、内外の野生動物の現状を憂える市民も、その一人である筆者も、予防原則は持続的利用の“上位”にある大原則だと考えています。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)においても予防原則は重要な要素として位置付けられているとおりです。予防原則は100%の厳密性を求めて手遅れになることを認めるものではありません。WWFが主張するように、南極海での捕鯨を停止する理由としては11.の懸念だけで必要十分条件を満たしているでしょう。
 貴殿や捕鯨関係者が頼みにしている元CITES事務局長など、日本の捕鯨政策に与し、予防原則より持続的利用に重きを置く持続的利用教信者の方々は、環境問題・野生動物問題の分野に携わる人々の中においては異端であろうと、筆者には思えますが。そうでなければ空恐ろしいことだと感じます。
 予防原則と持続的利用は、どちらも科学により助言・補完されますが、どちらを上位に置くか、最終的に利用するかしないかは“科学が決める”ことではありません。それは国際社会が判断すべきことです。それは、原爆を落とすかどうかを核物理学者が決め、農薬を使うかどうかを化学者が決め、臓器移植や生殖医療などをすべて医学者のみが仕切るのと同じくらい誤ったことです。あってはならないことです。科学のみが決めるなどというおかしなことになるから、現に飢餓に苦しんでいる第三世界をよそに、平気で山のように食べ物を捨て命を粗末にしている飽食国家のみが南極の野生動物を勝手に貪れる状況をもって「正しい」などというとんでもない結論が弾き出されるのです。
 白か黒かではありませんが、二つの原則のどちらを優先するかは、最も基本的な対立軸、まさしく“原理原則”の命題であると考えます。後は内外の市民にどちらがより幅広く支持を得られるかということなのでしょう。
 日本が、飽食廃食の実態をものともせず持続的利用の錦の御旗を振り回す横暴な独善的経済大国、野生動物保護の分野における「ならず者国家」としての烙印を押されることを、筆者は一日本人として望みません。科学を盲信せず、その限界と社会的責任とをしっかりと認識し、命の犠牲のより少ない社会を指向し、次の世代に健全でより豊かな自然環境を残すことを何よりも優先することを、日本と世界とを問わず多くの人々が尊重し、賛同してくれることを願ってやみません。
 筆者はあらゆる捕鯨の即時全廃が現実的な選択だとは思いません。JARPNの削減分と沿岸捕鯨枠とで差し引きゼロなどという北朝鮮顔負けのふざけた提案と同じく。オバマ政権の米国やオーストラリアなどの反捕鯨国とその多くの市民、NGOは納得しないでしょう。実際、議長案に対して「あまりに日本に譲歩しすぎる」と強い反発もあります。しかし、一定の条件下で沿岸捕鯨を認める代わりに公海母船式調査捕鯨をフェードアウトさせるというホガース議長案こそが最もバランスの取れた、誰にとっても痛みの少ない着地点だと筆者は考えます。たとえ日本の沿岸捕鯨が多くの問題を抱えていたとしても。5年の間南極の野生動物が引き続き犠牲にされるとしても。
 貴殿がいつまでもステータスにこだわる関係者を説得し、国際協調の時代に相応しい現実的で賢明な選択をされることを切に望みます。
−「水産庁・水産総合研究センター資料('08)」
http://kokushi.job.affrc.go.jp/H19/H19/H19_49.pdf
http://www.shouhiseikatu.metro.tokyo.jp/kyouiku/shouhisha/114/2.htm
http://www.icrwhale.org/01-F.htm