(初出:2008/1/18)

活動家拘束事件について

 15日に環境保護団体シー・シェパードの活動家2名が日本が南極海に派遣している調査捕鯨船に拘束されたというニュースが、世界中のメディアで報道されました。特に同団体の拠点であるオーストラリアでは、いずれのマスコミもトップニュースで取り上げ、活動家はある意味英雄扱いを受けている──と報道する日本のマスコミはどうかといえば、どこの局も「大本営発表」をそのまま流すだけでしたね。最近になってようやく市民の意識が欧州に少しばかり追いついてきた地球温暖化や他の野生動物の問題などでは、エモーショルなエコ論評を繰り広げるニュースキャスターも、「魚がクジラに食べ尽くされる」といったきわめて非科学的な受け売り文句を平然と使うあたり、日本のメディアの未成熟さを痛感させられます。NHKの衛星報道でも、BBCの捕鯨特集が大幅にカットされた状態で流され、戦争責任報道の経緯を彷彿とさせました。
 事件の詳細については、第三者(この場合公正中立な第三者というのが想定しにくいですが……)による法的裁定を待つよりありませんが、日本側もそこまで「ヤッテランナイ」でしょうから、結局お互いに言いたいことを言い合っただけでチャンチャンということになりそうです・・。拉致・監禁疑惑については、ある程度丁重に扱ったという日本側の主張を、筆者としては7割方信用したいと思います。が、捕鯨船のデッキの船室外周にある欄干に縛り付けているシーンは映像ではっきり映し出されており、軍事国家によるジャーナリスト銃殺事件ではありませんが、弁明はできませんね(それとも、ヤラセに協力したのかニャ〜?) もっとも、船員たちがマスコミや周囲にも煽られて膨れ上がった彼らに対する強迫観念を抱いており、「本当に危険だと感じた」から拘束しただけで、他意はなかったというのは、まあそのとおりだろうと思います。それは、はっきり正直に言ったほうがいいでしょう。「縛らなかった」と主張してしまうと、食品偽装やエコ偽装と同列になってしまうので……。
 といって、筆者は活動家側を擁護したいとも思いません。乗り込みに成功して指を立てている図は、日本人の目から見ると正直アホッぽかったし……。体当たりや酪酸ビン攻撃、今回のように直接捕鯨船に乗り込むなど、到底誉められたものではありません。もっとも、ブンカブンカと声高に差異を強調する日本としては、このようなデモンストレーションの文化的背景について勉強しておく必要はあるでしょう。アメリカの大統領予備選ではありませんが、これらは間違いなく欧米のメディアへのインパクトを狙った"劇場型手法"です。メディアに"絵"を提供することがNGO(環境保護・動物保護・人権擁護・平和その他ジャンルを問わず)の使命であり手法であるということは、国内の日本人にはなかなか理解されにくいことかもしれません。具体的な直接行動のあり方は、団体によって暴力/非暴力問わずのところもあれば、非暴力オンリーのところもありますし、そもそも暴力の定義自体まちまちですし。違法行為も辞さない主義の団体もあり、筆者自身は当然肩を持ちませんが、破壊や人命を奪うことそのものを目的とするテロリズムとは一線を画することを弁える必要があります。さもないと、「言葉の定義を理解できない」と世界に恥をかくことになります。まあ、捕鯨が野生動物に対するテロ行為であるというのは、アナロジーとしてはむしろ的を射ているのかもしれませんけど……。ともかく、これらは《メディアの活用→市民の認知による意識改革/世論の突き上げ→企業/司法/行政の対応を促し実質的な成果を上げる》という形で実施されてきた"確立された戦術"に他なりません。何を目的とするかでメディアの範囲もマスコミから口コミまで幅がありますし、社会の変化・改革を必要としないため「黙々と活動するだけ」のところも中にはあるでしょうが、基本的に日本でもどこでもNPOのやることは一緒です。文化の違いは、何が"絵"になるのか、というところですね。後述するように、すべての課題において有効なわけでもありません。
 一つ付け加えると、これらの団体の"資金集めのカラクリ"という日本の論陣の非難は当たりません。少なくとも、一部の人間の私益のために国民の税金を湯水のように投じている日本の天下り外郭団体や談合企業以上に後ろ指を指される筋合いはないですよ。大体そりゃ、寄付する人間の自己責任で終わりでしょ。日本の捕鯨擁護系NPOも様々な寄付金集めに奔走していますが、そのことだけをもって直接捕鯨を非難できないのと同じことです。まあ"非営利団体"といっても、特定の業界の営利を護るための官製団体、御用団体が日本には特に数多く存在してますが……。あなた方がどこぞに寄付をするときには、"浄財"がどのような使われ方をしているか収支報告書に目を通して厳格にチェックをすればよろしい。好きなだけ。「日本の捕鯨に口出すな!」というヒトに"口出し"する資格はありません。
 さて、では本当の問題は何か? それは、こうした行動が捕鯨問題の解決、日本に調査捕鯨をやめさせることに結び付かないということです。日本国内のマスコミの論調をさらに捕鯨よりに偏向させ、ナショナリストを増長させることで、関係者がほくそ笑むだけですから。日本の調査捕鯨強硬策に対しては、一部の新聞で外交上のデメリットを謳うまともな論説も載りました(政治家による圧力もあったようですが……掲載されるだけでも、言論の自由が保障されている民主主義国として面目を保てたことになるでしょう)。しかし、今回のようなやり方をしていると、日本国内で捕鯨に対し異論を唱えることが非国民であるかのように受け取られる風潮を強める懸念もあります。
 今回の事件に絡み、豪連邦裁判所で調査捕鯨に対する違法判決が下され、操船停止命令が出たことも報じられました。これに対しても、日本政府は「オーストラリアに南極に対する領有権などない」と一蹴する姿勢を見せています。「確かにおかしい」と、日本人は誰もが思うでしょう。ですが、ここで一歩下がって第三者の視点で問題を俯瞰してみましょう。さて、日本もいくつかの領土問題を抱えており、同一国でもスタンダードがバラバラでどっちの言い分が正しいのか計りかねるわけですが、中には海外の目から見ると突拍子もないものもあります。自然な侵食により(地球温暖化でさらに加速される分もあるでしょうが)、"ただの岩礁"と化しまもなく水没するであろう"かつての島"を、コンクリートで無理やり固めて維持しようというんですから……。そんなやり方を認めてしまえば、(当面実際にやってのけるトンデモナイ国が日本しかなさそうだとしても)"人工の偽島"が山ほどできて大変な混乱と不公平を招きかねませんから、国際常識では通用するはずがありません。オーストラリアとどっちもどっちでしょ。「君の言い分はおかしいよ」と言える立場にないのです。さらにいえば、日本の措置は他の領土問題同様に資源を囲い込むというエゴに基づくものでしかありません。一方、オーストラリアは別に領有を主張する地域や大陸棚上にて自国のための資源掘削などの活動をしているわけではなく、今回の判決に関しては南極の自然と何の関係もない飽食国家のグルメのために身近な自然を荒らされようとしていることに対する環境保全上の対抗措置なのですから、日本に比べればまだオーストラリアの側に軍配をあげたくもなるってもんです。両国以外の立場からすれば。
 残念ながら、捕鯨問題は環境問題としての本質から逸れ外交問題と化しています。しかし、外圧のみで解決できるのはモラトリアムまででした。これに対し、日本は商業捕鯨から調査捕鯨に"化ける"という、いわば条約の裏を掻く姑息な手口で延命を図ったわけです。IWCにおいて水産ODAを使って一定の票を確保している中で、日本政府が自ら取りやめる選択をしない限り、現状を変えることは不可能です。
 海外のNGOの今のやり方には、民主主義の伝道師を気取った米国現政権の体質と似通ったところがあるのは否めません。繰り返しますが、それは効果的なアプローチではなく、なおかつ正しいアプローチでもありません。アメリカの中東地域に対する強引・拙速な武力を用いた民主化押し付け政策、北朝鮮に対する日本の強硬一点張り政策と同様に、最終的な解決に結び付かない間違ったやり方です。効果的でないという点ではそれ以上といえましょう。
 もし、本気で外交的な解決を図るのであれば、すべての外交問題と同様に有効なアメとムチが必要です。が、捕鯨問題が双方にとって内実から離れたシンボルと化してしまった以上、材料を探すのは容易ではないでしょう。たとえオーストラリアの労働党政権であっても。米国(次期民主党政権?)と欧州が組んでさえ。調査捕鯨の中止と引き換えに沿岸捕鯨を認めることは、一つの選択肢としては考えられます。これについては、日本の捕鯨擁護派の興隆に果たす所のきわめて大きかった某在住外人ナチュラリストも(今頃になって)提唱しているのを始め、国内のマスコミや知識人にもある程度の理解が得られる条件です。米国が以前内内に打診したように、反捕鯨国が結束すれば実現性はかなりあるでしょうが、問題は水産庁にその気が全然ないと見受けられる点ですね。やっぱり超保守主義が元凶だからでしょうか・・。日本製品のボイコットはもう有効な戦術ではありませんし、基地や農産物を絡めるのももう無理な話ですし・・。個人的にはクジラもウシも基地も要らないんですけど。。
 もう一つは、たとえ時間はかかっても、日本の内発的な変化を促すことです。国自体の後ろ盾があるうえに、問題の大きさに比べて翼賛勢力が極端に肥大しているので、こちらもしんどいことこの上ないでしょうが……。
 過激な活動家の派手なアクションぶりが欧・米・豪州で一定の支持を得ているのと同様に、ブンカ・カガクなどの単語を散りばめ(壊れてしまった)自国の文化に対する自尊心をくすぐる日本の捕鯨推進プロパガンダも間違いなく成功を収めました。もとをたどれば、捕鯨協会に委託されたPRコンサルタントの発案による「食文化キャッチ・コピー戦略」がたまたま当たり、右系文化人・マスコミ関係者が率先してマルチ商法的に広めていき今日に至ったわけです。戦術的には、国内で対抗馬となるPR人材(数・声の大きさとも)を育て、コミットしてもらう以外になさそうですが……。オーストラリアを始め、各国で日本によるクジラの殺戮を憂えている人たちには、本当にクジラたちの利益になることが何か、真剣に考えてもらいたいと思います。ビジネスや近所づきあいやその他で機会がある人は、普通の日本人とコミュニケーションをとるのもいいでしょう。必ずすべての環境問題、動物の問題の中で位置付けるように。一つ一つ丹念に比べていけば、捕鯨に関する日本の例外的主張が「ドコカオカシイ」ことに気づくはずです。多くの分野で日本人の方が恥じ入る部分はあるかもしれませんが。
 何度も述べるようですが、シー・シェパードその他のNGOを応援するだけでは、決して解決にはつながりません。むしろ日本をますます捕鯨に固執させて逆効果になるだけです。彼らの活動が暴力的で非合法だから、ではなく。
 もちろん、日本人としては海外のバックアップに頼りきるわけにもいかないでしょう。国際的なNGOの日本支部は財政面で海外からの寄付金に依存する比重が高いものですが、自立した日本流の発想による活動の妨げになることもあり、またそれは捕鯨擁護派に突かれる弱点でもあります。どのみち日本の社会構造を考えても欧米型の運動は不向きです。しかし、日本人に問題意識がないというわけでは決してありません。ないはずです。

 この世から銃をなくすにはどうすればいいか?
 死刑をなくすにはどうすればいいか?
 他人と自分の命をともながら粗末にする自爆テロをなくすにはどうすればいいか?
 薬害の被害者をなくすにはどうすればいいか?
 先進国の飽食の影で飢餓に苦しむ子供たちをなくすにはどうすればいいか?
 犬猫の殺処分をなくすにはどうすればいいか?
 海面上昇で沈む島々をなくすにはどうすればいいか?
 森林伐採で住処を失う野生動物をなくすにはどうすればいいか?
 海洋汚染による海鳥やアザラシ、イルカの犠牲をなくすにはどうすればいいか?
 捕鯨をなくすにはどうすればいいか?
 ・・・・・e.t.c.

 それぞれヒトによって賛否はあるでしょうが、筆者はいずれも"同根"の問題として認識しています。若い世代の人々が、世の中で生起している諸問題を横断的に捉える力を養うことができるならば、自分たちが税金を払っている国が外の自然や命に対して働く行為とその結果についても、客観的な視点で判断することができるようになるでしょう。今の日本の教育は、むしろその芽を摘み取る方向に向かっているようで空恐ろしいのですが……。それでも、いずれは個々の立場で、自国であろうと他国であろうと、NOと言うべきところではNOと言える人材がもっと出てきて欲しいと思います──。