(初出:2005/9/17)

未確認生物ミンククジラ!?
学名:B●la●●●p●er● ●on●●re●●i●
 生物の種は、長い地史的な時間の流れの中において、絶えず変遷を遂げ、新しい種が生まれては消えていくことを繰り返してきました。分類学上の新たな種の発見は、実際にはずっと以前から存在していた種が、たまたまニンゲンの目に触れたというだけにすぎません。新種といっても本当の意味で新たに生まれた種ではないわけです(ニンゲンによって絶滅させられた種のほうは、まさに本当の意味で死に絶えた種になってしまいますが・・)。
 1998年、山口県角島付近で船舶との衝突により死亡したクジラが、骨盤骨の特殊な形態などから、いままでの分類にない新種のヒゲクジラであることがわかり、ツノシマクジラと命名されました。日本で哺乳類の新種が発見されること自体珍しいのですが、思ったほど大きな話題にならなかった印象を受けます(ヤマネコのような陸棲哺乳類だったら話は違ったかもしれませんが)。
 実はこのツノシマクジラ、このときが新発見ではありませんでした。1970年代に日本がインド洋と南太平洋で行った調査捕鯨によって既に捕獲されていたのです。化石や遺骸の一部、生活痕、腐乱死体であるならともかく、捕殺したての新鮮な完全標本を得ながら、種の同定という分類学上の基本命題さえこなせなかったわけです。これが当時の日本の鯨類学・調査捕鯨の水準を示すものといえましょう。「どうせナガスの子かニタリの変り種だろう」と科学者らしくない先入観で決め付けてうっちゃらかしたわけですね。科学への貢献を主目的としなかったからこそ(このときの調査は両海域の漁場としての見極めを目的としたものでしたし)、こうしたいい加減な同定ですませていたのでしょう。
 クジラに関する最近の分類学上のトピックとしては、従来1種にまとめられていたミンククジラを2種に分け、南半球産ミンククジラをクロミンククジラという別種として扱う方向に進んでいます。また、ニタリクジラは2種(従来のニタリクジラとイーデンクジラ(仮称))に分けることになったとのこと。このうちミンクとクロミンクについては、ザトウやシロナガスと同様に両半球に岐れた個体群の間で、形態的・遺伝的により大きな隔たりが見られるようになったと考えられます。ミンクの亜種であるドワーフミンククジラについては、南極海付近に回遊しながら、クロミンクより北半球産のミンクに近縁であるなどの知見も得られています。
 この辺りはさも日本の調査捕鯨の成果であるように取り上げられていますが、生物の種の同定に年間数百頭分の標本が必要などということはありません。当のツノシマクジラも角島の1個体と、捕殺されて埃をかぶったままだった8個体の骨か耳垢など一部組織をもとに同定されたのですし。タイヘイヨウアカボウモドキなど深海性で生態の不明な部分の多いアカボウクジラ科には数個の頭骨標本しかないものもありますが、分類学の使命のためにそうした野生動物を数百頭も捕殺するという突拍子もない話が出てくるのは、肉を市場に流している日本によるミンククジラ捕獲調査のみなのです。まあ、ツノシマクジラの前例を見ても、日本の鯨類学はそれだけ大量の標本がないと見当もつかない精度の悪さが特徴なのかもしれませんが。。その場合でも、他の分野の動物学者なら、生きた個体の生態観察に時間を費やして、死体を回収する機会(鯨類でいえばストランディング)に恵まれればそこから新たな情報を得るのが、当たり前の科学者の姿勢だと思いますけれど。。
 さて、ミンククジラといえば、肉が日本人の食卓にのぼることはあっても、その生態がなお多くの謎に満ちた動物なのです。日本が毎年行っている調査捕鯨は、南半球夏季の1シーズン、たった3ヶ月のみ。南極海は(クロ)ミンククジラにとっての索餌海域にあたり、おそらくそれ以外の季節は低緯度海域に回遊し繁殖活動を行っていると考えられますが、その実態は神秘のベールに包まれたままです。GPSなど最新技術も合わせた非致死的調査が盛んに進められている他の多くの鯨種においては、四季を通じた移動や生態が克明にされ、細かい社会行動まで議論が及んでいる中で、捕殺標本だけは山ほどあるミンククジラに関しては、なぜかいまだに多くの資料で、冬季の生息海域、社会性、繁殖行動その他生態に関する基礎的な知識真っ白けの状態なのです。
 2002/2003年度の調査捕鯨においては、「繁殖海域における分布及び系統群判別に必要な情報を得るために南半球中低緯度鯨類目視調査」が調査項目に含められました。ところが・・蓋を開けてみると、南極への行きと帰りに通った"ついで"の目視だけ。。。
 素人でもわかることですが、ミンククジラたちが回遊時期とコースを捕鯨船団の来遊とぴったり合わせてくれるわけがないでしょう・・。手ぶらで帰ってきて、「当初予想したほど単純ではなく、生態系やそれを包含する海洋環境が複雑に関係していることがわかってきました」なんていうお茶を濁すような結論でごまかすしかないのは当然のことです。いつもどおりの鯨肉回収事業を続けながら、冬季の生息海域・回遊・繁殖行動を始めとする、ミンククジラの未解明な基本的生態を明らかにすることなど、できるわけがありません。科学を至上命題とするならば、数年間夏季の南極海への捕獲調査などきっぱりやめて、冬季を中心とした広範な低緯度海域における徹底した目視調査に切り替え、研究費用をそちらにすべて振り向けるべきでしょう。コストパフォーマンスという点では、投資に対して得られる科学的知見は、調査捕鯨などの比ではないはずです。
 実際のところ、調査捕鯨を今後何年続けようと、生物学上の目新しい知見は出てきようがありません。既にある結果の細部をいじる以上のことは何もないのです。過去の集積と、ストランディングから得られる以上の科学的成果などないのです。汚染の調査はほんの数個体の一部臓器について行われるだけですし、各海域の海水や南極圏の他の生物からの情報を入手し汚染のメカニズムを調べずに、延々とミンククジラの分析だけ続ける意味はありません。胃の内容物による生態系構造の解明も然り。組織のDNA鑑定による系統群判別もバイオプシーで十分。いずれも調査捕鯨を継続するためのまやかしの名目にすぎません。下顎骨のモーメントがわかったって(それも捕殺と無関係だけど)、科博に模型作ってこどもに遊ばせてどうすんの。ゲーセンのクレーンゲームじゃないんだからさ。。殺した死体の研究から世間に発信できる成果なんて、その程度のもんでしかないのです。多くの研究者が非致死的な代替手法の開発により致死的研究の意義がますます薄れていることを認める中で、鯨研の主張する致死的研究の有用性は、もはや「効果的でない」といったきわめて歯切れの悪い表現しかできなくなっています。致死的研究の突出による、ミンククジラの生態に関する知識の極端なアンバランスは、およそ全分野の動物学者の認めるところでしょう。いまの日本の鯨類学は、科学と無縁な国策によりかかり、死体から利益を得る産業の道具としての歴史的呪縛から逃れられず、毎年耳垢栓の切片作ってレポートするだけの新味のない研究に成り果てたかのようです..
 ミンククジラには未だに多くの謎が残されています。その非致死的研究からは、他の科学分野のように、他の野生動物を対象にした生物学者のように、非致死的研究オンリーで数々の興味深い成果を挙げている海外の鯨類学者のように、生物学フリークをうならせるような、ナショジオやBBCやNHK発の科学ドキュメンタリー番組で一般の人たちをも啓発できるような、おもしろいネタが多数掘り出されるに違いありません。やる気があればできるはず。あるいは、致死的研究に投下されるエネルギー・資金を非致死的研究に振り向けさえすればできるはず。

 死体の味だけで、南極の海に暮らす生きた野生動物であるクジラたちのことを何一つ知らない日本人。7分後に出てこなければ(次に狙うのは)15分後──という殺しのテクニックに特化した知識しか持たない日本の捕鯨業者。9割以上を水面下で暮らすクジラたちの生態・行動についての知識を彼らは持ち得なかった。メル・ヴィルの描く大航海時代の白人の鯨捕りと同レベルだった。クジラが歌うことさえ知らなかった。ミンククジラの生態のうち一年の3/4はわかっていない、いまも。捕鯨業者と一蓮托生の鯨類学者も。死体にあまりに近く、生きたクジラにあまりに遠い日本人。でも、たぶん……そんな時代もまもなく終わりを告げそうな予感がするニャ〜..
参考:海棲哺乳類情報データベース鯨研