(初出:2008/8/28)
(更新:2009/6/25)

捕鯨は牛肉生産のオルタナティブになり得ない
──選択肢を決して示そうとしない卑怯な捕鯨擁護論者──

「ウシ(牛肉生産)の方が環境を破壊しているじゃないか」
 捕鯨擁護論者は言います。
 よろしい。
 牛肉生産がどのように環境を破壊しているかといえば、捕鯨擁護論者に代わって具体的に説明するなら、牧場を切り開くために森林を破壊している、迂回生産のため大量の飼料を必要とする、同じく大量の水を消費する(いわゆるバーチャルウォーター)、反芻動物であるため大量のメタンを排出する、等々。これらはまだ定性的な議論であって、本来であれば定量的なデータが揃わないことには説得力に欠けます。トータルの数字、あるいは単位生産重量当りの数字、単位エネルギー投入量当りの数字が必要です。そして、それらを他の食糧生産と"同等の条件"で比較して初めて、それなりの重みを持つ主張となるのです(参考試算については頁末に掲げたリンク先参照)。
 が・・それもまあ、とりあえず抜きでよしとしましょう。
 そうした議論には大前提があります。「環境破壊はよくない」そして、「環境破壊を減らす(なくす)必要がある」ということ。でなければ、「だから?」と言い返されておしまいですね。これでは一歩も先に進みません。
 最初の命題は、「牛肉生産が環境を破壊しているとすれば、その環境破壊を減らす(なくす)ためにはどうすればいいか」というオルタナティブ=代案を提示することによって、ようやく単なる揚足取りから正当な問題提起へと昇格することになります。問題を解決するための道筋を順序立てて考えるなら、次に来るのは「牛肉生産は何のために必要なのか?」という問いになるでしょう。その答えは、問われるまでもなくヒトの食糧のためです。皮革やペットフード(主にクズ肉)もありますが、これらは副次的な産物で生産量/需要量を規定するものではありませんから、差し当たっては「ヒトの食べ物」としての需要だけ考えればよいでしょう。
 そして、「A.生産量/消費量は妥当なのか?」「B.生産の手法は妥当なのか?」「C.代替は可能なのか?」という議論がそれに続くことになります。
 A.は、言い換えれば、「生産量が食糧としての需要に見合うだけの量なのか?」ということです。過剰な生産は、そのまま環境負荷の増大につながるのですから。現実には、ここで経済的要素が大きく入り込んでくるわけです。また、B.C.とも絡みますが、「需要自体も果たして(社会的に、あるいは栄養学的に)適正なのか?」が問われるべきでしょう。これは、決して避けては通れない南北間の構造格差の問題にも結び付くものですが、重要とはいえ問題が複雑になってくるためここではあえて割愛します。
 B.は、「より環境負荷の低い方法はないのか?」「あるとすれば、転換のための社会的・経済的コストはどの程度か?」という問いに続いていきます。「環境負荷を抑える技術は存在するか?」「現在なくても見通しはあるか?」「技術はあっても導入に際して経済的その他の障壁があるか?」といったことも考慮しなくてはなりません。
 B.が牛肉生産の環境負荷を下げることを念頭に置いているのに対し、C.は環境負荷の高い牛肉生産そのものに代わる選択肢を探ることを検討するものです。つまり、C.の問いに対する答えとなるものは、まず牛肉と置き換えることが可能であり、なおかつその生産における環境負荷が牛肉生産より相当程度低くてはなりません。また、別の新たな環境問題や社会問題を生み出すこともあってはなりません。でなければ、代案の意味がなくなってしまいます。一例を挙げると、ウシの飼料に肉骨粉を混ぜるのは、動機はコスト低減のみだったとはいえ、確かに一種のリサイクルには違いありません。そんな不自然な"共食い"をさせて問題が起こらない方がおかしいのですが・・。同じ手法は日本でも踏襲されていましたから、結局日米欧問わず命より金を優先する業界のモラルの低さこそが最大の問題だったといえるでしょう。それに、この手の"勘違いエコロジー"はむしろ昨今の日本でしばしば見受けられるものですし・・。代案には、そういった問題を起こさないかどうか、厳しく検証することが求められます(こちらも参照)。
 上記を考慮のうえ、A.B.C.3つの観点から牛肉生産による環境負荷を下げるためのオルタナティブの具体的検討に入りましょう。その前に、一点留意していただきたいのですが、「環境負荷を減らす」ことと「環境負荷をなくす」こととの間にはかなり大きな隔たりがあります。現時点では、牛肉生産は経済活動の非常に大きな部分を占め、また牛肉需要も途上国を含む人類全体の食糧需要のかなりの部分を占めていることは否定できず、環境負荷を「速やかになくす」こと、すなわち牛肉生産の全廃は現実問題として不可能でしょう。ですから、A.B.C.いずれの解決策を用いるにしても、牛肉生産と比べた相対的な環境負荷が著しく低く、部分的な転換であっても高い効果が見込めるか、もしくは社会的導入コストが低く牛肉生産のかなりの部分に対して適用可能とみなせることが、代案たり得る条件となってきます。
 以下に、対象を日本に絞って(国・地域によって当然代案は異なってくるでしょう)10の代案を掲げてみました。  A1.は、生産と消費のミスマッチをなくし、需給バランスの適正化を図ることで、生産量/環境負荷を抑えるもの。日本の年間食糧廃棄量は環境省の推計で約2千万トン。カロリー、蛋白ベースでは数字は変わってきますが、それでも「牛肉生産による環境破壊」の観点からは真っ先に取り組むべき課題であることに、議論の余地はないでしょう。環境問題の総論の文脈でエネルギーや資源を節約することが第一に奨励されるのと同様に、食べ物(命)を粗末にしないのは当たり前のことなのですから(詳細こちら)。
 A2.は、A1とは微妙にニュアンスが異なり、「牛肉消費は果たして適正なのか?」という観点からの解決案。もともと食肉消費の多かった欧米では今や消費量は頭打ちで、むしろ狂牛病や口蹄疫の発生による健康不安、それと対になった健康指向、そしてまさに「環境負荷の高さ」故に、牛肉離れが進んでいます。現在牛肉需要が伸びているのは中国と人口が増加している途上国ですが、日本は他の先進国ほど食肉需要が落ちておらず、その結果国民の多数がメタボリック症候群に陥り、大腸癌や食道癌、高血圧、心臓疾患が増加する事態を招いています。深刻なのはこどもたちで、十代のうちから重度の肥満や小児成人病にかかるこどもたちが急増しています。つまり、カロリー過多・肉食過多を改めることで、単純に牛肉消費・生産を減らすことは可能なハズなのです。鍵を握るのは啓蒙ですが、捕鯨擁護プロパガンダの見事な成功例もあることですし、日本政府が環境負荷を下げるために真剣に取り組もうと思えば、決してできない相談ではないでしょう。業界の反発も当然予想されますが・・。
 B3.は、飼料生産(輸入依存)と蓄肉生産を完全に切り離す工場型畜産ではなく、生産効率は低くても持続性があり環境負荷も比較的少ない手法へ転換することを求めるもの。同じ牛肉生産でも、ヨーロッパの伝統的な混合農業のような「環境にやさしい畜産」への転換を図れば、トータルの環境負荷は下げることができます。実際、有機農業型畜産への転換だけでも、温室効果ガス排出量を4割も減らせるという試算もあります。捕鯨擁護派はその内容をまったく問うことなく、全部ひっくるめて捕鯨=善牧畜=悪という単純素朴な図式を当てはめたがりますが、それはまったく事実に反します。あらゆる産業がそうであるように、"環境に悪い牧畜"と対極にある"環境にいい牧畜"もあります。森林破壊を伴わず、農業生産の向上にも寄与し、殺虫剤や化学肥料の使用を低減し、野生動物が共存できるバッファーゾーンにさえなりうる混合農業は、その典型といえるでしょう。そしてそれは、昔ながらの伝統が示す持続的産業の模範でもあります。完璧な自給型の混合農業になると、ウシの飼育は乳・乳製品の利用を目的としたものになり、さすがに市場に供給できるほどの牛肉生産は難しくなりますが。
 B4.は、結果としてはB3.と近くなりますが、フードマイレージの視点から環境負荷を抑えようという考え方です。牛肉及び飼料の輸入対象を、より近場の生産国に切り換えることで、輸送にかかる環境負荷の低減を図ろうというわけです。もちろん、牛肉も飼料も日本国内で生産するのがもっとも理想的ではあるでしょう。ウシより飼料生産を国内にシフトするほうが難しそうですが、石油も大豆自体も世界的に高騰している中では、むしろ今が国産化を推進するチャンスといえましょう。アメリカやオーストラリアに遠慮する必要などありません。アメリカも補助金を出しているのですから、日本もせっせと飼料自給型畜産を奨励すればよろしい。休耕田や余剰米の活用にも役立ちますし。多少値段は高くなっても、「環境にやさしい国産牛肉」と銘打ってブランド化すれば、賢い消費者ならついていくでしょう。最大の課題はむしろ旧態依然とした後ろ向きの農業・食糧政策です。
 同じBでもB5.はB3.B4.とは対照的に、近代技術を積極的に活用するものです。対象がウシである限り、メタン排出の問題は回避できないため、その部分を補う発想で、技術自体は既に存在します。まず、畜産からは大量の廃棄物(家畜の排泄物)が出されますが、そこから出るメタンを回収し、燃料として発電などに用いれば、環境負荷を大きく減らす一石二鳥の解決策となります。自由放牧型ではウシの排出するメタンを直接回収するのは困難ですが、排出量を計算して同量のゴミ由来メタンの回収利用等に支出すれば清算できます。一種の排出量取引ですね。テクノロジーも伝統と組み合わせ賢く使えば、弊害を生むことなく環境問題の解決に役立てられるわけです。さらに、日本の畜産研究者により、飼料の改善によってメタン排出自体を大幅に抑制できることも明らかになりました。システイン含有飼料に切り替えるだけで導入コストもかからず、唯一の障壁は農水省・厚労省による飼料添加物としての認可のみです。
 C6.は、具体的には牛肉から豚肉・鶏肉への転換を奨励するもの。牛肉に比べれば環境負荷は大きく下がります。飼料自給化を進めればもっと下がりますが。どちらかというと、一般市民の牛肉に対する高級イメージを払拭するのに時間がかかりそうですね。もっとも、吉○家が豚丼にしていた時期も、消費者は割とすんなり受け入れていたように思いますが・・。
 C7.は、具体的には牛肉からイノシシやシカの肉利用を推進し、牛肉の代替に充てるもの。有害鳥獣駆除分は利用しないとバチが当たるというのは確かに日本人の感覚としても理解はできます。しかし、加工場や流通システム、ブランド/市場が確立され食肉生産が目的化してしまうと、歯止めが効かなくなるため、野生動物保護の観点からは大きな危険をはらんでいます。また、生産量は食肉消費の一角を占めるほどには大きくなり得ず、代替の効用はごく限定されるでしょう。「狩猟は農耕や畜産と違い環境負荷がかからない」と信じているヒトがいますが、捕鯨擁護論と同じく単純化した狩猟=善信仰は、生態系への影響と持続可能性を無視した大きな誤りです。日本を含む世界の歴史を振り返れば一目瞭然、「悪い狩猟」は乱獲によって種を絶滅に追いやる環境破壊の元凶の一つに他なりません。誤射による人命損失や未だに十分に規制されていない鉛散弾による汚染問題など、他にもいくつか負の側面があることも決して見過ごすことはできません。
 C8.については説明は要りませんね。欧米でも日本に倣い魚食ブームが起こっています。肝心なのは、上記と同じく魚=善、肉=悪という単純化をやめ、水産業の抱える問題点を直視することです。欧州ではMSCという認証制度を導入して、厳格な資源管理のもとで漁獲された魚であることを消費者に対して保証しており、こうした制度が環境意識の高い市民に支えられています。もともと水産国であるはずの日本はどうかといえば、水産庁はきわめて後ろ向きの姿勢で、まだ検討中の日の丸印の認証制度は数々の悪質な食品偽装を許したJAS法と同程度に効力の期待できないものとなりそうです。最も重要なのは、沿岸の海自身の持つ生産力と釣り合うように、漁獲と消費をコントロールすることです。過剰消費を抑制し、危険信号が灯ったらすぐモラトリアムに入れる監視体制を整えなくてはなりません。実際には行政は無思慮に消費を煽り立てるばかりで、日本近海の魚種の多くは資源状態が悪化し既に危険信号が灯っているわけですが・・。深海魚やこれまで捨てられてきた未利用混獲魚種がいまにわかに注目を浴びており、とくに混獲魚種の利用は悪くありませんが、新開発の漁業資源については資源量や生態に不明な部分が多いので慎重さが必要です。また、原油高騰で話題になりましたが、大量の石油燃料を消費する遠洋漁業はそれだけ環境負荷が非常に高い産業となっています。栽培漁業はとくに資源保護の観点で優れていますが、一部の魚種に限られます。養殖漁業は輸入飼料に依存する迂回生産に他ならず、畜産と同じく高い環境負荷や富栄養化と化学物質による海洋汚染、さらに抗生物質添加など様々な問題をはらんでいます。全体としてみれば肉よりマシな部分も少なくありませんが、あくまでこれらの諸問題を踏まえた上でのことです。手放しで魚食を礼賛することはやめるべきでしょう。
 C9.は、本来であれば日本人に対しては説明が要らないはずなのですが、説明しないわけにもいかないでしょうね。牛肉の代わりに"畑の肉"を充てるというだけの話なんですが・・。
 まず、動物蛋白というのは、正確な科学的用語ではありません。あるのは20種類のアミノ酸だけです。種によって構成するアミノ酸の比率は異なり、その差は分類群が離れるほど大きくなる傾向があります。同じ哺乳動物なのでヒトとウシその他の動物はアミノ酸の構成が近く、これをもって優れた蛋白源とする見方がありますが、これも間違い。栄養バランスを考えることに汲々としている動物はヒトだけでしょう。餌生物を規定しているのは生態です。だから、近縁種同士でも餌がまったく異なるというケースは吐いて捨てるほどあるわけです。それでも気になる方に対しては、穀物と豆類の組み合わせだけで必須アミノ酸の摂取には十分であるというだけで十分でしょう。「1日30品目」といった謳い文句は、ニンゲンの食生活があまりに自然なそれとかけ離れ、メニューを広げすぎた反動に他なりません。ヒト以外の動物はみな、身体の欲するものだけを食べて何の過不足もないのですから。
 農業にももちろん、環境にやさしい農業・やさしくない農業があります。農薬や化学肥料の多使用、周年ハウス栽培によるエネルギーの浪費、労働コストの低い途上国で生産した野菜をジェット機で輸入する形態などは、環境に悪い農業の典型といえます。それに対し、有機農法や自然農法による地産地消型の農業こそは、生産者と消費者の結び付いた持続可能で環境負荷の最も低い理想的な食糧需給のあり方といえます。そうした「環境にいい農業」を選択するだけでも十分なのですが、これまでの議論と異なる点が一つあります。畜産と養殖漁業は迂回生産です。家畜(養殖魚)を育てるためにはその何倍もの飼料が必要となります。ですから、環境負荷の見地からすると、飼料用作物の"一部"をヒト用に転換すれば済んでしまう農業のオルタナティブにはどう足掻いても太刀打ちできないのです。一方、漁業と狩猟は自然収奪型なので、持続可能であるためには生産量を厳しく制限する自己チェック機能が強く要求されます。数千年単位の歳月をかけてモラルを構築してきた先住民(文明化によって今では大きく揺らいでいますが・・)、あるいは欧州のMSC認証のような自然科学/社会科学的な安全装置がなければ、コントロールを失って結局環境破壊に陥ります。自然の生産力には限りがあり、バランスを崩さずに人口増に対処することもやはり不可能です。
 少なくともヒトは、多くのネコ科動物のような純肉食動物ではありません。アザラシの肉を生で食し平均寿命の非常に短かったかつてのイヌイットを除けば、食糧の大半を肉が占める民族は世界中のどこにも存在しません。ですから、皮肉なことに、肉食よりも菜食を選択するほうが、飼料を含む農作物の消費量とそれに伴う環境負荷は下がってしまうのです。これが食糧配分の見直しを通じて世界の飢餓問題の解決を謳うベジタリアニズムの最も重要な論拠ともなっているわけですが。ついでにいえば、「米がかわいそうだ」というセンチメンタルな捕鯨シンパの主張は、すべてのものをより多く殺していながら、犠牲を減らすために何をする気もないニンゲンの非合理にして卑劣極まりない屁理屈以外の何物でもありません。
 してみると、"畑の肉"への転換こそは日本/日本人に最も適したオルタナティブといえるでしょう。そこには、近代捕鯨などよりはるかに歴史的に、文化的に馴染んでいるという背景もあります。かつて日本人の人口の9割を占めていたのは貧しい農民でした。主食は雑穀、仏教の教えに従い家畜を大切にし、銃刀所持も禁じられ、肉を口にする機会は実質ゼロに近かったのです。魚食も沿岸漁民の地場消費に限られ、全国に普及したのは明治以降です。それが日本の最もオーソドックスな食生活であり食文化であったのです(詳細こちら)。
 議論の前提は牛肉消費を"減らす"ことで"なくす"ことではありませんから、「日本古来の菜食文化に戻れ」というある意味極端な(存在しなかった「鯨食文化に戻れ」という主張よりはるかにマシですが・・)要求をするわけではありません。環境上は好ましいことばかりといえ、唯一の大きな障害はやはり、命や食からあまりにも切り離され、浪費文化に順応させられ強固な肉食信奉が染み付いてしまった日本人の心理的な壁ですね。肉や魚を口にすることなどまったくできずに栄養失調で亡くなっていく年間5百万人もの第三世界のこどもたちのことを考えれば、あまりに贅沢な悩みといえますが・・。
 C10.はきわめて重大な問題を数多くはらんでいます。Cの代替食の中では環境負荷がとりわけ高い(母船のLCAを含めれば牛肉生産と同等かそれを上回ることは否定できない)最悪の超高フードマイレージ食品であり、過去には国際的な原生自然保護区として厳格に保全されるべきところの南極海生態系を徹底的に痛めつけた凶悪な前科を持ち、その後も持続可能性を証明することはついぞできませんでした。相対的にみれば「環境によい捕鯨」といえる沿岸捕鯨も、実際には過去の乱獲や規制違反を繰り返していた前歴があり、生産量もごく限られます(もし限らなければ、ミンククジラの日本海側系群をはじめ個体数の少ない沿岸の鯨種に多大な影響を及ぼす)。また、現在生産しているツチクジラやゴンドウの肉は地域指向が強く、そもそも牛肉の代替になりません。IWCで認められる新しい管理型商業捕鯨は、超高環境負荷体質を変えることはできず、牛肉需要を代替できるほど生産量を大幅に上げることも不可能です。IWCを脱退してでも無理に生産量を増やそうとすれば、過去の悲劇が繰り返されて、日本が次の世代のこどもたちをを含む世界から環境破壊の権化として名指しされ袋叩きに遭うことは確実でしょう。

 さて、筆者は公平に捕鯨を含めてとりあえず10のオルタナティブを提示してみましたが、他にもあるかもしれません。結論からいえば、環境負荷が牛肉生産と同等かそれ以上になり、代替効果もきわめて低いと考えられるC10.を除いた残り9個を効果的に組み合わせることが、最善の解決案だと、筆者は考えます。「牛肉生産による環境破壊」に関心があり、特定の産業に"異常な愛情"を抱くことのない一般の方々であれば、きっと同意していただけるでしょう。とくにAは、あまりに膨大な日本の食糧廃棄量を考えれば最優先で取り組まねばならないことです。日本が「牛肉生産の環境破壊」を口にしながら、現実から目を背けて素知らぬふりを決め込むならば、「モッタイナイを広めよう」などと口先だけの奇麗事を臆面もなく世界に向かって叫ぶ「白を黒と言い含めるのが世界で最も得意な国」として、世界中の人々から白い目で見られるのがオチです。また、Bの畜産業の構造転換のための経済的・社会的負担は少なくありませんが、少なくとも「牛肉生産の問題」を掲げる以上は既に着手できていていいことです。それをしないなら、「やるべきこともやらずにどうしたらそんな台詞が吐けるのか」と、これまた非難を浴びることでしょう。
 補足するなら、二度と乱獲をしない安全な捕鯨を唱えつつ高価な鯨肉価格に不満を述べるという真っ向から相反する主張と同じ、捕鯨産業の抱える二律背反がここにも存在します。鯨肉食文化論は牛肉その他の食品に鯨肉が置き換えられないことを強硬に主張し、一方で鯨肉は牛肉の代替になるとまったく矛盾する見解を唱えているのですから。「食べない文化を取り戻そう」というのであればまだしも説得力はあるでしょうが、「殺す文化」に対する一方的な過保護ぶりを見れば、「捕鯨をする代わりに牛肉依存を減らして環境保護に貢献する」気がこの国にあるなどとは、到底信じられません。Aを引き合いにするまでもなく、減らす余地はいくらでもあるのですから。最低でも1〜9までを実践し、環境保護を貫く偽りのない姿勢を世界に示した上で、捕鯨の是非を問うべきではないでしょうか? 日本の食糧廃棄量が年間1万トンを切るところまで削減に努めない限り、世界は耳を傾けないでしょうが……。
 捕鯨擁護派は、捕鯨を除いた代替案を一つも提示したことはありませんでした。どのようなマイナス要素があるか、他の代案と比較して相対的な利点・欠点を検証することも一切しませんでした。「牛肉生産に伴う環境負荷を下げるために、ではどうすればよいか」という、具体的な道筋を描くこともまったくしませんでした。彼らの言い分は、「どうせ畜産だって環境に悪いんだから、環境に悪い捕鯨だって文句はねえだろ」という身も蓋もない開き直りに他なりません。いっそ牛肉のことなど一言も言及せずに「クジラは旨い!」「クジラを殺したい!」と主張するほうが、正直な分まだマシかもしれません。その気もまったくないくせに、捕鯨を正当化するために他の環境問題を口実にする姿勢は、非常にアンフェアだと言わざるを得ないでしょう。

《参考リンク》
勝川俊雄 公式ウェブサイト・漁業システム論
遠洋調査捕鯨は地球にやさしくない・日新丸船団、CO2を4万tは排出か?
「Evaluating environmental impacts of the Japanese beef cow-calf system by the life cycle assessment method」(Animal Science Journal,2006)
http://www3.interscience.wiley.com/journal/117979629/abstract?CRETRY=1&SRETRY=0
http://www.newscientist.com/article/mg19526134.500-meat-is-murder-on-the-environment.html
「クジラの肉は牛肉より環境に優しい=ノルウェー活動家」(ロイター)
「家畜ふん尿及び食品廃棄物からのメタンガス回収」
「温室ガス削減に効果?家畜のゲップからメタン除去、帯広畜産大が開発」
「農畜産業における温室効果ガスの排出権取引研究」

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