西村一松
 西村一松は山口県大津郡三隈村で漁業を代々営んでいた桑原仁右衛門の四男として明治17年3月25日に誕生した。

西村一松

 彼は明治39年に西村惣四郎の養子となり西村姓を名乗ること になった。
 惣四郎は一松の隣町、長門市仙崎の漁業、西村万吉の二男として生まれ、下関で明治17年に海産物問屋「西宗商店」を創始し、巨万の富みを築いた立志伝中の人物である。



 惣四郎は又、ノルウェー式捕鯨にも関心を持ち明治28年に「一丸捕鯨」を創立している。公式の記録にはないが、同社は明治37年に「日本遠洋漁業」と合併して「東洋漁業」を創立している。
 注、仙崎の人、西村吉右衛門が捕鯨を開始せんとして中止した話が文献にあるが、別人である,
 惣四郎は多岐の事業に手を広げている。汽船によるトロール業開始の目論見も立てたが、当時は問屋以外への融資は不可能な為、倉場富三郎(トミー・グラバー)を説得してイギリスよりトロール船「深江丸」を購入して「汽船漁業」を創立、事業を開始した。世にいう「我が国近代トロール漁業の創始」である。


 第一次大戦後、新たに委任統治領となった南洋群島の水産資源開発調査の要請が秋山真之海軍軍務局長より西村惣四郎にあった。
 大正5年の事である。
 惣四郎は息子一松を南洋に派遣してカツヲ漁業や鯨の新漁場を調査させた。しかし、冷凍、冷蔵の技術が未発達のため内地への輸送方法が無く水産事業としての企画は立てられなかった。
 いっぽうで、サイパン、パラヲ、トラック、などの島々は農地として適地であることが判り、防備隊の技師から砂糖黍(きび)の栽培に極めて有利との説明も聞いたので、サイパン、テニアン、ロタの諸島の長期貸し下げを受けた。
 かくて「西村拓殖」を創立して製糖事業を開始したが事業は思うにまかせず、大正11年には南洋興業に事業を引き継ぎ内地に戻った。
 このとき、一松は下関の本家、西宗商店を義弟の西村隆吉に託し、自は中国山東省青島に「西村洋行」を、台湾の基隆に「西村漁業」を創設して以西底引き網漁業を開始した。
 尚、本家を引き継いだ西村隆吉は筆者(※西村英二氏)の実父である。