- 潜航予定
- 常時真夏の頃東京放送局では、海底から見た侭の放送を行く依頼があり、奇岩性礁が峨々として、且つ珍魚又は食用魚が沢山泳ぎ廻って居る様な海底行を欲しなかったので、一週間位予定の海底を探す。深さ二百尋以内五十尋以上と定めて、毎日潜水したのである。若し夫れ五十尋以内と来ては、大体兜式其他マスク式などで探し尽されて居り、其様な妥当な底が無かったからである。
伊豆伊東の沖合六哩ばかり、初島迄は百尋位の台地を為し浅いが、其以東は急深であり、千メートルを出ずして其様な深海が得らるゝのであり、之は熱海火の外輪山の沈没せるものと云はれ、多年海蝕を受けて奇岩の連続海でもあった。先ず五百メートル以内の海深と云はうか。
- 潜航準備
- 科学的又は機械学的に云ふと、最初の一番幼稚な潜航艇の如くであると云はう。腹部と雖(いえど)も直径五尺であり、蓄電池其他が置いてあるから、腰を低くして漸(ようや)く据る程度である。独航時速五哩を走るが、蓄電池の消耗其他から、発動機船で沖合迄曳き船して行く。
真夏の頃炎天下土用波の唸りは高い。之は小形だが重量があり、曳くに仲々重く時々曳綱が巨波の間に衝撃力で切断する事などもあった。
初島はテングサの名所朝鮮海女が盛んに働いて居る。且つ東側の深い所に三名ばかり兜式潜水夫も働いて居る。沖は凪(なぎ)だが沿岸は怒涛が捲き返って居る。
南洋沖合いだ。白帆の小船が沢山集って居り、スルメイカ釣りであり網代と伊東の小釣船で、北伊豆地震の直後昨年来スルメイカ周年漁ありて大漁する。凡そ二百艘も集って居るだらう。白扇逆さまに懸ると云ふ富士も此頃は薄霞に包れてか灰色である。
- 潜航
- 小さいながら五人を容るゝに足る。酸素の補給も何も持たないが、今は酸素瓶を五本持ちつゝ中央には直径二尺位の出入口、厳重に蓋が下され、艇外から締まる様になって居る。巨波に洗はれるから之が乗り下も中々大変だ。準備終るや、空気は排除されて徐々に沈んで行く。
軽く徐航して転回航しながら海底に向って航走して行く。届いた所は五十米突?と深度計が教えて呉れる。礁面は発育不良のテングサが僅かと、カジメが甚だ疎に生えるのみ。海松など腕大のが礁斜面に枝を栄えて居る。
- 深底へ
- 艇は傾斜面をズンズン下ってゆく。普通の潜水艦など海の途中を航走するが、之は海底をゴソゴソと這ゆ廻って行く。タンク(戦車)のやうだ。之が為襲器は特製されて居る。重量は十四屯もあるが、浮力と平均されて居るから、軽くプロペラの回転で自由に運航する。サラサラと底を擦する音もさわやかである。
百メートル位もゆくと、已(すで)に海藻など一本もなかった。光線が不足で育たないだらう? 礁の急斜面などにはヤギ(サンゴモドキ)が巨大に密生して居る。之は海底否陸上に持って来ても、鮮紅美麗で自分など見ては珊瑚と変わらない。或る漁夫は珊瑚と間違えて沢山費用をかけて取り、遂に破産したと云はれる。内部は粗であり、乾燥するとボロボロに砕けて仕舞い彫刻にならないのだ。
礁面には海苔(・学者はビトロソアー)と云ふが如く一面に発生して居る。一と抱え位の大石に衝突するとドンとするが、之位は乗り越えて行く。間もなく百五十米突?を示して居た。自分等潜水夫は百米と云へば凡そ現今の最大潜水深度であり夫れも潮流の無い凪ぎの日でなければ潜れない。空気管とか息綱とか曳っ張って居るからだ。之は独り離れて居り、潮流など余り感じない。硝子窓から覗く深海の状況が、刻々に変化して来る。
- 深底礁間
- 砂底には二尺もあるアンコウ魚が這ひ廻って居る。この深海に夏の頃居るとは意外である。先方が薄暗くなって来たと思ふと、まもなく石原で艇底の摩擦は激しい。根石だ。砂面から露出せる礁角?もある。
やがて断崖の礁に突き当った。前方に衝角の鉄骨があるから平気である。高さが幾何あるか分からない。中腹迄しか見えない。已(すで)に三百米である。今日海水が澄んでか斯様な深海と雖もよく外界が見える。キンメダイの一群が十メートル位先きをザアザアと逃げて行く。追ふが如く断崖の麓を走る。
斜面には依然ヤギ(珊瑚の如き)が発生して居り、海松の如き茂ったものは最早消えて仕舞ったらしい。彼方の海中にぶら下って、否立ち泳ぎ? 沢山のタチ魚が林立して静かに動きもせず、大刀の如き銀粉で輝く彼も日光の加減で輝きもせず、深海に眞?立ちになって休んでいる。
見事さよ!