<
西村一松水中観光船を構想
 戦後、海洋開発ブームにのって海洋性リゾートとか海洋レクリエーションなどが一躍クローズアップされて、海底遊覧船、海中水族館、海中展望塔(海中公園)などが開発され観光用潜水艇まで出現、各地で運営される時代となった。
 わが日本において、水中観光船を企画したのは他ならぬ”西村式豆潜水艇”を考案建造した西村一松その人なのである。
 今でこそ、海中の景観は手軽に楽しめるが戦前において、昭和の初めに水中観光の夢をいだいて実現を企図した者は、世界広しといえども彼をおいていないのではなかろうか。
 昭和の初期、独力、自費を以て豆潜水艇2隻を建造した彼にとって、行きつく先が観光船であったことは当然の成りゆきと云えよう。
 彼の未来構想が60年後の今日現実のものとなっていることを考えると納得がゆくのである。彼が水中観光船の構想を具体的に企画しはじめたのは、第二号艇の建造を終って間もなくと思はれる。その大要は次の通り

 「海底科学船」という船名で
 2隻を建造 乗員(客)50名
 運航場所  江ノ島あたりを予定

 この企画も「海底科学船会社設立趣意書」として作成してあったが、喪失して手許になく、残念乍ら詳細不明である。然しその趣意書の中の一部(趣旨)が筆者の手許に残っているので次に揚げる。文体は文語体そのもので当時のふん囲気が感ぜられ興味深いものと思う。

西村式「海底科学船」会社設立趣旨 (原文のまゝ)
「空に成層圏のピカール教授あり、海にビーブ博士の深海研究あり、人智の欲求と科学の進展は東西相競い未知の世界を探求して尽きざるが如きに独り四面環海の我国に於て一般に海に関する認識の甚しく欠如せる、実に驚くべきものあるは眞に痛恨極まりなき次第なり。
 然るに既に新聞、雑誌、映画に普く報導せらるゝ如く、吾西村一松は永年不断の研鑽努力の結果、此の人類「謎の竜宮」を世界に紹介すべく、完全なる海底科学船を完成し、相模湾に於て非公式ながら数度の天覧を賜り、また湘南、伊豆の海底に幾多江湖の学者名士試乗せられ、均しく其の偉大なる世界的真価に驚嘆せられたり。
、、、、中略、、、、、
 千古未踏の海底奇勝の漫歩探勝は、実に全世界の先端的興味の最高峰にして、一面海事教育の真髄妙諦たるべく、本船により従来夢想を許さぬ海底銀座の高貴幽雅な色彩に、金銀綾なす藻のショウウインドウやモダーンなスタイル様々な魚族、さては貪欲獰猛な鱶の棲む珊瑚林や小羊にも似たる烏賊、鰯の群れ遊ぶ銀緑の牧場に珍しく、青毛氈を敷き飾りたる岩礁に日向ぼっこのサゞエ、アワビ、グロテスクなタコ入道の爪歩きなど珍景奇観は手に取る如く、然も海底の風物は陸上と全然相反し、冬に芽萌え、夏に冬枯の状景を呈し、春は錦織る百尋の断崖、秋は新緑もゆる千尋の渓谷を渡るなど千古の魔境はパノラマの如く展開され、従来常暗なりと云はるゝ深海も、本船の発明により幽雅な緑美しく観賞し得るなど、興趣も尽きぬ別天地にて、海面の陽光は万華鏡の如く、脚下はアルプスの連峰や、須磨明石の白砂、青松もたゞならず、奇岩、青砂、珍樹の変ゝ連なるあり、更に又雨中曇天、暗夜となれば、独特の海中照明により映ずる海底は一段と美しく、宛然魔境スクリーンに百鬼乱舞の有様は何人の観賞にも自由に委ぬ。これ正に天下絶大の魅力たるに充分なり。
 柳々海事思想の善導普及は海に親しみ海を探求して、其の神秘を拓くに若くはなく、この尽きぬ興味に旅情を慰め、都塵を洗ふ清遊の傍ら、海事に、水産に、海底資源の開発に、吾が傳統的海事観念を脳裏に体得せしめんとする漸新啓発事業として実現を期さんとするものなり、、、、」