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「ナナ(♀)とティビ(♀)のこと」
1994年の夏の終わり、当時の仕事場にあった小さな中庭の草むしりをしてたら、縁側の下に小さな骨とひとつかみの毛がありました。その夏、そこで見かけた野良猫の親子、その子供に間違いありません。
翌日、新聞折込のタウンペーパーで、「仔猫貰って下さい」の記事を目にして、ほとんどためらわずに電話しました。
実家を出て以来十何年振りの猫との生活がはじまりました。ナナの実家は、ナナの両親、兄弟、年上の兄弟もいるステキなおうちでした。
2001年の春、ティビは川沿いの道路に姉妹?ですてられていました。生後一ヶ月くらいで酷い風邪のため、目やにだらけで見えてませんでした。
お医者さんに目が開かないかもしれない、といわれたのに、今じゃ大きなグリーンのきれいな目をしてます。
隣のコはギャーギャーと、まるでティビを守ってるみたいでしたが、このコも幸せに暮らしてるそうです。
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「チビ太(左上)・ウリ子姫(右上)・フェリーチェ(左下)」
えみりんさんちのチビ太君は、生まれたばかりでした。箱の中から四角く狭い空をどんな気持ちで見上げてたのかな。(18歳の今も元気!)
はるっぺさんちのウリちゃん(享年13才)はもう少しで保健所にやられるところをご主人が貰い受けて来られたそうです。
めぐみさんちのフェリーチェちゃんは海岸の波打ち際に置かれていたのを保護されたそうです。
私がニャン閣総理大臣だったら、「ペットショップで犬や猫を買った人は、必ず捨て犬捨て猫を最低一匹飼う義務を負う」、という法律を作りたい。
ペットショップの動物たちもかわいそうです。お金儲けのために無理に何度も産まされ、極小さいうちから親から離され、売れずに大きくなってしまったら処分されたりもするのでしょう。
ペットショップ側だけの問題ではなく、ブランド(血統?)にこだわる人がいる限りそれが繰り返されるでしょう。本当に動物が好きなら、道端や公園にいるかわいそうな子達にも、手を差し伸べて欲しいと思うのです。
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| 「チイコ♂のこと(享年2歳)」
30年前くらい前のことですが、夜道でふと振り返ると、真っ暗な道を生後一ヶ月くらいの仔猫が後ろ足をズリズリ引きずりながら一所懸命ついてきてました。
その2時間くらい前にここを通った時、4匹いた仔猫のうちの一匹でした。まだ明るく通りかかった人何人かでその子達を抱いたりしてたんです。用事を済ませての帰り道、もう一匹もいないな、どうしたかな?と考えながら歩いてたら、このこだけが付いてきたんです。
もしかしたら、あとの3匹は拾われて、チイコだけ残ってたのかもしれません。
このコは脊髄損傷で、当初は垂れ流していましたが2ヶ月くらいからは自力では排泄できなくなりました。でもそれ以外は前足だけでカーテンをよじ登ったり、超スピードで走ったり、普通の猫とかわらずヤンチャをして、私たちに幸せをくれました。
後ろにたなびいていた足は、大きくなると横座りの格好で、さすがにガッチリとたくましくなった前足で走りまわっていました。
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| 「サバのこと(♀享年推定3歳)」
2006年8月4日に逝ってしまったサバが、神様のお使いの子だったと本気で信じてる私です。
サバは2005年の8月6日の夜遅く、息子があまりの姿に見かねて連れて帰って来た猫ですが、私たちにとって特別な不思議な子でした。拾った時、わずか1.3kgしかないのに(その後2.6kgまでなりました)出産の後のようで、すでに2〜3才とのことでした。
そして白血病と伝染性腹膜炎という、猫にとって怖い病気のウィルスをもっていました。すごく人懐っこくて一度も人を噛んだり引っかいたことがなく、何をしてもかわいく、スリスリ大好きで誰もが惹かれる不思議な魅力を持った猫でした。
その子は、息子のつらい浪人生活を見守り、(正に机の上で)、息子が東京に行った後、私が寂しがらないようにぴったり寄り添い、私が友人に、サバをなでながら、「今が一番幸せ、ストレス全くナシ!」と言い切った翌日に、
たった5時間で天国にいってしまいました。(サバがいなくちゃ幸せじゃないのにね)あと2日でサバの来た記念日でした。
短命で飼い主に特別な子だったと思わせる、誰かを幸せになるまで見守るという役目の猫や犬たちが、エンジェルルームで、次の派遣先が決まるのを待ってる、とゆう絵です。(もう次の誰かのところへ行ったかな?)
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| 「ムギのこと」
サバが亡くなり文字通り泣き暮らしていましたが、3ヶ月程したら、あのやさしいサバが私に「席を空けたから、次の子お願い」と言ってるように思えて仕方がなくなりました。
次の子を見つけるのにいつの間にか必死になっていました。そんな時、獣医さんに、「入り口に貼ってある子、貰って」と言われたのがムギです。
ムギの保護主さんはそれまで50匹くらいの猫を保護されて、当時も20匹近くお世話されていました。そして、毎年2回、お家の塀の中に子猫を放り込む人が居て、この時はムギでした。
4〜5日は捕まらなくてやっとの思いで保護してくださったそうです。
無責任な人が善意の人に何もかも押し付けて、その善意の人はその優しさゆえに何匹もお世話することになる、こんな方に動物病院で何人か会いました。
自分も含めて本当に申し訳ない気持ちになります。ですからせめて、私が出会ってしまった子は、見捨てずにおこうと自分に言い聞かせています。
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| 「ゴロのこと」
2007年の4月20日に、すでに成猫のゴロはどこからともなく我が家にやって来ました。かつてないくらい私が落ち込んで涙を堪えながら(お恥ずかしい)ビオラの手入れをしてたら、
車の下から突然現れて、不思議な色の目でじっと私を見つめ、スリスリしてきました。とっさにこれはサバちゃんが私のところに送り込んだと思って、家に入れました。
去勢手術もしてあるしあまりに人懐っこいので飼い猫に間違いないとご近所に聞いて回ると、2〜3週間前からあたりをウロウロしてたとの事。動物保護センターにも届けましたがいまだに連絡なし。
こんないいこ、捨てられたとは思ってません。引越しシーズン、新しいお家から飛び出してしまって帰れなくなったのだと思います。もし、元飼い主が現れても、もはや返せません!
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| 「スイカのこと」
生後数週間のすいかは2007年の夏、炎天下の駐車場に妹と2匹、ダンポール箱に入れられて置かれていたそうです。
一旦は獣医さんから妹と2匹一緒に里親に貰われて行きましたが、妹の耳をちゅうちゅう吸って禿げさせたり、あちこちでおしっこをして大変との理由ですいかだけ返されました。
偶然その日に動物病院で出会ってかわいそうに、と抱きました。その後その子が一ヶ月近く簡易ケージに入れられたままで動物病院にいると知って、預かる事にしました。
頭がケージにつかえてて、かさぶたができてました。家に連れて帰ったら、へやの端から端まで20周くらい走り回ってました。あまりの爆裂振りにうちの子にすることにしました。
ウチに来てから一回もそそうしないのが不思議でした。吸う癖は直らず、今は自分の尻尾を吸ってます。一時預かりしてくれてたvanira5さんが、吸い魔→すいかと命名。
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| 「エルのこと(♀享年12歳)」
私が小3の時、エルは書道を教える父のお弟子さんからもらいました。チイコと最後の2年は重なってますが、2匹は会ったことがありません。住まいと仕事場が分かれてエルはやむなく仕事場に残りました。
かわいそうな事をしたと今でも心が痛みます。それでもエルはいつでもこんな顔で私を迎えてくれました。
チイコが来たことで、かえってエルへの気持ちが強くなりエルとの時間も増えました。ほんとにやさしいいい子でした。
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「タローとハナコとチビのこと」
チイコが亡くなって約2年後の6月、雨がシトシト降る日に、道路脇の溝に、タロー(♂)とハナコ(♀)がミーミー鳴いていました。
その一週間後、近くの方に「お宅の猫?」といって連れて来られたのがチビ(♀)で、あっという間に3匹になってしまいました。(実は父は動物苦手)
ほんとに3兄妹だったのかもしれません。タローはよくプチ家出をして、6年位して遂に帰って来なくなりました。
いつもきれいな姿で帰って来てたので、あまりの男前にどこかで飼われてるんだな、と言う事にしました。チビは遅れて来たせいかやや虚弱で、2歳で急死しました。
チビは今から思えば、性格も最後もサバそっくりでした。ハナコはなんと、17歳まで母のそばにずっといてくれました。
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