普及している挿絵版の"MOBILIS IN MOBILI" | ishibashiさんによると、正しくは こちらのようなデザインか(by 西村屋) |
- ●"Mobilis in Mobili"の意味は?
- 「海底二万里」のノーチラス号の船内に掲げられているラテン語の銘句「MOBILIS IN MOBILI」、日本語では「動中の動」と訳されているが、どういう意味なのだろうか?
ネット上で検索すると、いくつかの英語訳が見つかる。
基本的には「動く/変化する環境における動き/変化」という意味となっており、本書でアロナクス教授はこれを"The submarine moves in a moving thing -- the ocean"という意味に理解している。
"Moving in a moving thing"
"Moving within the moving element"(F. P. Walter訳)
"Changing through change"
"Changing through the changing medium"
"Movement through the moving element"
"How change occur through a changing medium"
"One's behavior in a "worldchanging" environment"
浦安のディズニーシーのミステリアスアイランドにも"MOBILIS IN MOBILI"の表示があり(下の画像)、このエリアでの合言葉が「モビリ」となっていることはマニアの間で有名。ディズニーランドのガイドブックには「変化を以って変化をもたらす」という訳が載っているそうだ。「動中の動」より積極的な意味に訳されている。
"IN"または"through"に「以って」の意味まであるかどうかはともかく、"MOBILIS IN MOBILI"には「動く潜水艦の中に人間あり」あるいは「変動する海洋の中の動く潜水艦」という平凡な意味だけでなく、「動乱の世界の中のノーチラス号という独立国」、すなわち”ノーチラス号で世界を変える”という政治的なメッセージが込められていてもおかしくない。
ミステリアスアイランド内のマンホールに表示された"MOBILIS IN MOBILI"
ここで疑問なのが、船内で"MOBILIS IN MOBILI"を見つけたアロナックス教授が、海中を動く潜水艦にぴったり当てはまる銘句だと述べている点である。これが作家自身の代弁であるとすれば"MOBILIS IN MOBILI"に深い意味はないことになる。しかしヴェルヌは本書中でアロナックス教授を世間知らずの学者バカに描いており、もしかしてアロナックス教授が"MOBILIS IN MOBILI"の真の意味を見抜けなかったというヴェルヌの演出である可能性も考えられないことはない。
このノーチラス号の目的が虐げられた人々の救済にあることはこの本の各所にちりばめられている。「レ・ミゼラブル」が1862年に書かれたフランスで、科学技術以外ではあくまでも通俗的な作家であったヴェルヌが、革命というフランス読者にウケるネタを"MOBILIS IN MOBILI"に込めたとしても不思議ではない。
ishibashiさんによると、ヴェルヌの文学的評価の動きを作ったマルセル・モレという人が、ヴェルヌを「地下的な革命家」であると述べているとのこと。といって、ヴェルヌはこのような凝った演出をする作家ではないようにも思える。はたしてその真相はいかに・・・?
- ●"Mobilis in Mobili"の由来は?
- さて、この意味深な銘句は、そもそもジュール・ヴェルヌの造語なのか、それとも、本作品の前に書かれた他の著書からの引用なのだろうか?
現代思想の最前線 第21回に「かつて哲学者オルテガ・イ・ガセーは「動中の動(Mobilis in mobili)」をモットーとせねばならぬ、と書いた。」とある。これが出典かと思ったら、このスペインの哲学者Jose Ortega Y Gassetの生存年は1883年〜1955年(Wikipedia)、すなわち仏語版「海底二万里」が出版された1869〜1870年よりあとの生まれとなり、ガセーは出典とはなりえない。
また、Bloody Rose's 2008年02月14日には
と、同じくBloody Rose's 2008年01月10日には
- 『「動中の動("Mobilis In Mobili")」とは、「他人が動くのを見極め、自分が他人からは予期されない方向に動き勝利すること」、と言っても過言でない。』
とある。"Mobilis In Mobili"でネット検索して分かるのはここまでである。
- 『あの偉大な松下幸之助の哲学に "Mobilis In Mobili" (「動中の動」たれ。)と言う物作りを志す(者に向けた言葉がある)』
ishibashiさんによると、原著では"MOBILIS IN MOBILE"となっていてラテン語の文法が間違っており、のちの版で"MOBILIS IN MOBILI"に訂正されたいきさつがある。このことから従来の定説では、ラテン語が得意ではなかったヴェルヌの造語である可能性が高いと考えられているとのこと。
ところが、同じくishibashiさんによると、つい最近、日本のN・Fさんが気付いたことがきっかけで、ishibashiさんとヴェルヌ研究家のアレクサンドル・タリュー氏により新事実が確認された。
ヴェルヌは「海底二万里」第一部第一章のキュナード社に関する部分がフラシャの「大洋横断蒸気航海術」という本を元ネタとしており、その本の中に、ある技師※が「浪に打たれる岩」を象った紋章の銘として"Immobilis in mobile"(動中の不動)という言葉を採用していて、ラテン語の文法間違いも同じ。タリュー氏は全く別個にこの"Immobilis in mobile"に気付いていたものの、おやっと思っただけでそれ以上調べていなかったという。
(※:タリュー氏によりこの技師が誰かも判明。セバスチャン・アンリ・デュピュイ・ド・ボルドSebastien Henry Dupuy de Bordes (1702-1776)というグルノーブルの数学教師とのこと。)
さらにその後、ishibashiさんにより「動中の不動」の記述に続いて「さらに観察眼に優れたある技師は、波の動きに身を任せる小船を選び、『動中の動』を銘とした」という記述があることが判明。これは、波の中で波に抵抗せずに動けば船は壊れないという造船工学的な意味合いで使用しているようだ。
すなわち、「動中の動」の発明者がヴェルヌでないことが判明したが、ヴェルヌはそれを造船工学を超えたさまざまな意味を含む銘句としたことになる。
- ●類義語
- 太極拳の陰陽五行によると、太極拳には「静をもって動を制す」または「静中求動」という言葉があるとのこと。「動中の動」とは若干違った捉え方をしているのが面白い。
武蔵の『五輪書』を読むの「火之巻 2」の「6 景気を知る」に以下の註解がある。
太極拳に以下の言葉がある。
- 「敵を知る」ことは基本的な静態的認識だが、「景気を知る」のは戦闘中の動態的認識である。つまり、「敵を知る」の認識基準は動かない静止系だが、「景気を知る」のは基準そのものが動く運動系である。
・・・・・
これを禅家流に言えば、不動智には二つあり、前者は動中の静としての不動だが、後者は動中の動としての不動である。
いずれにしても、人を取り巻く環境を不変のものと思わずに、変化するものとして捉えよとしている点で共通しているといえよう。
- 陰陽論「動中に動に触れ、動にしてなお静なるがごとし」
陰陽論「攻防一如、防御即ち攻撃、攻撃即ち防御」
太極論「動、極まれば静となり、静、極まれば動となる」「動中に静を宿し、静中に動が潜む」