●「行政の驕り」が透ける強引な公共マリーナ開発

(要旨)
ヨット、ボートを収容するマリーナが全国で建設されている。
しかし、河川や港の遊休水面を解放すれば、こんなものはいらない。
行政が建設にこだわるのは「開発」そのものが目的だからである。
(著者)
小林則子(こばやし のりこ)
海洋ジャーナリスト
三井物産、AP通信などを経て海洋雑誌記者。75年、日本人女性として初めてヨット単独太平洋横断に成功。以後フリーに。 著書に『優しく海に 抱かれたい』(集英社)など。

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「モーターボート・ヨット 66%が無許可放置船」「初の全国一斉調査」「『小型』中心に13万8,000隻」

 5月2日の読売新聞夕刊社会面に、こんな見出しが四段抜きで踊った。全国でプレジャーボート・ヨットの実態調査をしたところ、水際で確認された20万8,000隻のうち、マリーナなどの施設や許可を受けた場所に保管されているのは6万9,000隻にとどまり、ほかは河川や港に無許可で放置されている、というのである。調査したのは運輸、建設、水産の3省庁である。
 いかにもけしからんことと思われるような記事だが、私に言わせると、大型連休中のレジャー関連記事として、お役所が記者クラブに「投げた」(担当官の表現)世論誘導記事である。そこには、日本のプレジャーボート界を牛耳ろうとする行政の「意図」が感じられる。その意図を点検する前に、艇保管をめぐる歴史的背景をざっと見ておこう。

 河川管理者の許可のない舟艇を河川に係留し、管理の障害とされると河川法に違反する。港に係留すると港の目的外使用で港湾法違反となる。法規違反を振りかざされると「社会の迷惑」「身勝手」といったイメージを持ちやすい。「でもちょっと待って」と、ボートやヨットのオーナーたちは言いたいのである。
 まず、当たり前のことだが、ボート・ヨットは水の上にしか置きようがない。河川法や港湾法が制定されるはるか以前から、船の所有者は船を停泊・係留させる水面をどこかに見つけ、「自主係留」してきた。
 ところが、日本のプレジャーボートは長い間、行政や漁業組合から不法呼ばわりされてきた。これは、ヨットのない時代に漁業権や海の諸法規が整備されたためで、国際的にも特異である。しかも「不法」の意味は漁協や行政にとって「そこに置かれては邪魔だ」という意味だったが、近年は違ってきた。

 例えば、神奈川県三浦市の油壺湾には約百隻の舟艇が停泊しており、1960年代から漁協・行政とオーナーの熾烈な闘いが繰り広げられてきた。漁協側はヨットを排除する理由の一つに、「台風時に漁船が避難できない」ことを挙げた。しかし、当然のことながらヨットにも安全な泊地が必要である。そこで、70年代に入って海域と隻数を区切ってヨットの停泊が合法化された。
 つまり、「不法」呼ばわりは絶対的なものではなく、行政が、「ここにヨットを置くことを認めよう」と頭を切りかえれば、即日「合法」になる性質のものなのだ。油壺に隣接する小網代湾、諸磯湾も似たような経緯で泊地として合法化されてきた。漁船の少なくなった三崎港さえ、海を知る事業家から「港を大解放してヨットの大泊地にしたらいい」という意見が出されている。工場埋め立て地の水路や水深の浅い河口など、悲しくなるような泊地もあるが、ともあれ合法化泊地の増加は全国で市民が海に出るための橋頭堡になってきた。


★再び「不法」呼ばわりされたからくり
 それが80年代に入ると、再び「不法」呼ばわりの報道が頻繁になった。なぜだろうか。公共事業を含めたバブル期の開発ブームがヨットの世界も覆い始めたからである。「不法」を単に合法化したのでは権益拡大に結びつかない。「迷惑な不法艇を収容する」という理由をつければ、公共投資のマリーナ建設が容易になる。マリーナは関連省庁の天下り先となるから、運輸省(港湾)、建設省(河川・港湾)、水産庁(漁港)と地方自治体の関係職員が連携して推進することになった。
 90年代に入るとバブルが崩壊し、全国で「無駄な公共投資」が社会的批判の対象になり、「船のいない地方港湾・漁港整備」もやり玉に挙がった。行き場を失った海関連の公共投資の投入先に、マリーナがターゲットとなった。自治体の関係者も「河川・港湾などへの大盤振る舞いは、陸上の橋や道路など大規模事業が少なくなったからだ」と認めている。経営コンサルタントの大前研一氏は、マリーナ建設のカラクリを次のように指摘する。
「水辺は公共のもので自治体に所有権はない。しかし、いったん埋め立てれば県や市の所有となり、改めてそこを掘ってマリーナにすればもろに権益が生じる。だから自治体はマリーナを建設しようとするのだ。」
 確かに、各地の自治体が新設するマリーナはすべて新造成地にできている。私もいくつかの自治体の「マリーナ開発」などの委員会に参画した経験があるが、「初めに開発ありき」であった。旧来の遊休水面に係留された「不法」舟艇排除は、マリーナ公共事業推進の理由づけにすぎないのである。

 さらに、このような行政手法がまかり通る日本的風土が醸成されてきた。それは、プレジャーボートを社会的な存在としての「船」と見なさず、特殊な人種が乗って海に出てくる邪魔な存在とする見方につながっていった。つまり、商船や漁船が既得権を持つ港に入るのは異端で、「ヨットはマリーナへ行け」という誤った認識である。日本が海洋国であるなら、そういう見方をまず改めるべきだ。マリーナも、運河や河川も、と所有者の活動に合わせて重層的に受け入れるべきなのだ。


★マリーナに舟艇が集まらない理由
 このように進められた公共マリーナ開発だったが、ことは思惑どおりには進まなかった。昨年11月14日の朝日新聞に「マリーナ整備 44億円分の効果なし」「会計検査院 空き多く改善要求」という記事が載った。運輸省が全国で進めたマリーナ整備事業は28カ所で総費用は44億円(うち国の補助金11億円)、合計収容数7,400隻のうち利用は5,500隻で、改善を要する、という内容だ。
 既存の施設を含めるとマリーナは全国に68カ所あり、約2万隻の収容能力があるが、ヨット・ボートの普及数はその10倍以上の28万5,000隻ある。「公共マリーナに空きが多いのは不法係留が多いため」というのが行政側の結論だというのだが、本当だろうか。公共泊地は安いところでも年間約40万円、首都圏では百万円以上もする。つまり、公共マリーナが高すぎてオーナーの実状に合わないため、需要に結びつかないだけである。

 水産庁はまた、全国で「フィッシャリーナ」建設を推進している。漁港を整備してヨット泊地を整備するという構想を聞けば、誰しも漁船の利用が少なくなった漁港を有効活用するものと思うだろう。ところが現実は、ガラ空きの漁港の隣接地を「開発」して、新規のマリーナを建設しているのが実態なのである。とにかく「建設」が優先で、「利用」は二の次、三の次なのである。
 首都圏に近いは静岡県熱海市の初島のフィッシャリーナには、NTT株の売却資金が投入されたが、完成後、利用艇はほとんどゼロである。立地条件が悪いうえ、利用料も年間平均84万円(全長30フィート)と高く、ほかに契約・預託金など約200万円が必要となる。1時間の寄港で1,500円、一泊利用だと12,000円である。泊地といっても海面である。世界に例のない「公共」マリーナである。その種のフィッシャリーナは計画中も含め、全国で32カ所に建設される予定なのだ。

 マリーナ開発を進めたくてしようがない行政側はさらに「奥の手」を繰り出した。「放置艇一掃キャンペーン」と自治体の「放置艇排除」条例の制定である。法的にはグレーゾーンにある「放置艇」を、条例によって法的違反に追い込み、一挙に公共マリーナへ囲い込む方式である。まず横浜市に条例ができた。「放置対策」協議会をもつ首都圏で東京都と埼玉県もこれに追随する動きを見せている。
 横浜市の「放置艇」排除の理由は、

(1)河川・港湾管理の障害
(2)通航の邪魔
(3)美観の保持
(4)近隣の騒音の苦情
などである。だが、私が横浜の河川を視察しても、緊急の必要性は感じられなかった。むしろ川筋などは、秩序よく係留を公認したほうが市民のためであり、河川の有効利用も図られるように思える。
 横浜市の広報は、私設の乗降施設や沈船の写真を載せ、ことさら美観問題を強調する。しかし、これは筋が逆である。当局が欧米なみにランディング・ピア(乗降桟橋)を認めれば、こんないじましい景観はなくなり、すっきりと美しい「船のある運河」が生まれるのだ。高速道路下の水面は、昔から艀(はしけ)や小船の溜まり場だった。なぜ、こんなささやかな泊地から追い立ててまで、誰も望みもしない高額なマリーナへ囲い込むことに固執するのだろうか。65年の建設事務次官通達で、行政は公共水面の利用(占有許可)を民間には認めない方針で一貫しているが、昨今の実情に応じて「認める」方針に転換すれば、それで済むことなのである。

★行政が躍起となる「海の囲い込み」
 今回の取材の過程で、私は実に珍妙な行政理論に接した。「なぜ遊休水面をかたくなに利用させないのか」との質問に、東京都の係官はこう答えた。
「船を何隻も停泊させると、水位が上がり、河川管理上、問題なのです」
 係官は地球の海水量をタライか何かの水量と勘違いしているらしい。
 一方、運輸省は運河や水路、岸壁などに「ボートパーク」という名の「簡易管理施設」を造る事業をスタートさせ、「安全管理士」という制度も計画している。これには行政で施設を管理する狙いと、資格制度に伴う権益がもくろまれている、と私は見ている。このような泊地は、自治的活動とオーナーシップやクラブの芽生えのチャンスなのに、またぞろ行政がしゃしゃり出てくるのである。

 ともあれ、当面の河川や沿岸の「不法」キャンペーンの真意は、河川周辺の改修工事導入にあると見ていい。東京でも運河・河川は公共事業の新天地となっている。行政は係留艇のまばらな新設マリーナを埋めるために、しゃにむに「不法・放置」対策を先行させているが、私はこれを、18世紀のヨーロッパで領主や大地主が農民を追い出した歴史になぞらえて「海の囲い込み」と呼んでいる。
 5年前、東京都営の「夢の島マリーナ」が建設された時も、この手法が用いられ、その後の各地の新設マリーナも同じである。公共マリーナの居心地の悪さは生半可ではない。なにしろ公共マリーナは、港湾建設機構の公共投資システムだから、利用者の実状やサービスは二の次である。私の「公営マリーナ弊害十カ条」を挙げる。

(1)8時間労働ならぬ8時間開場という反レジャー体質
(2)年間100万円を超える高料金
(3)船室つきヨットで火気使用禁止の非レジャー思考
(4)海を知らない天下りの温床
(5)自由なクラブ結成まで否定するオーナー権無視
(6)特定業者の艇しか置かせないなどの癒着体質と特定備品の押しつけ
(7)海上の走航法まで管理する強権体質
(8)無用な「官製救助システム」への強制加入など行政下請け体質
(9)プライバシーに属する船舶保険書類や免許コピーの提出、収入証明要求など、諸権利無視の官憲体質
(10)管理・干渉過剰でサービスなしの無責任体制。

★お役所の身勝手で強引な手法
 さて、冒頭に挙げた「不法艇調査」の意図と背景とカラクリが、これで明瞭になったのではないだろうか。しかし、行政は会計検査院の指摘さえも「追い風」にして、今年から大規模かつ徹底的な「平成の大囲い込み」を実施しようとしているのだ。その経緯と手法、背後に巣くう行政の意図を見る時、私は大げさではなく、この国の「海」に絶望を禁じ得ない。その内容を見ることにしよう。

 お役所は「13万8000隻の舟艇が全国の海や川に放置されている」という実態調査をまとめたわけだが、この実態調査とは何なのだろうか。実はこれは、前述の三省庁からなる「プレジャーボートによる海洋性レクリエーションを活用した地域振興調査」という行政活動の一環である。そしてこの調査の費用には、国土庁の「国土総合開発事業調整費」が使われていることが分かった。
 要するに、目的は「開発事業」の推進なのである。国土開発投資の資金投入先としてマリーナ建設や河川に目が向けられ、事業実現のために「放置艇」をターゲットとし、「社会悪」のイメージを描こうとしているのである。新設の公共マリーナが埋め立ててから開発する構図になっているのも、目的が公共事業の拡大そのものだからである。

 その導入手法がまた、なんとも胡散臭い。この「実態調査」と並行して、運輸省は昨年8月に傘下の社団法人「日本マリーナ・ビーチ協会」(マリーナ業者の団体)に委嘱して「プレジャーボート保管対策懇談会」を発足させた。懇談会は3回の会合を開いて「放置艇解消のためのプレジャーボート保管のあり方について」という最終報告を出している。会計検査院のムダ指摘、3省庁の不法船実態調査、懇談会の放置艇解消対策の3本を束ね、「放置艇問題」をマリーナ開発と「放置艇の囲い込み」施策に直結させるという手法がとられたのである。


★百害あって一利なしの「海の車庫法」
 まことに強引な手法である。もともと公共マリーナの不人気は、自主係留(放置艇)のオーナーに責任があるわけではない。「不法船が社会問題になっている」のは、行政が「問題化している」だけである。その証拠に、同じ場所を行政が管理して合法化する動きが各地で展開されている(簡易泊地)。
 懇談会の「報告」にいたっては、あしき行政手法の典型である。マリーナ業者にマリーナの必要性を「報告」させ、マリーナを造りたい運輸省が施策に反映する、というのでは、運輸省と業界がタッグを組んでいるようなものである。すべては「放置艇を囲い込んで行政主導のマリーナ開発と管理を推進する」という結論先行のローラー作戦なのである。
 その結果、行政が生み出そうとしている施策は三つある。
第一は「マリーナへの放置艇の収容」
第二は「簡易な係留施設の設備とマリーナの連携」
第三が「暫定的な保管場所の活用(不法水域の合法化)」
である。これは、行政による日本のプレジャーボート文化に対する凌辱以外の何ものでもない。
 さらに行政は、「今後の課題」として、
(1)小型艇の届け出制、登録票など所有者の明確化(総背番号制)
(2)保管場所の義務づけ(海の車庫法)
も狙っている。いずれも、管理あって文化なし、官業一体のオーナーいじめ的発想だが、なかでもひどいのは「海の車庫法」の発想である。これは海の「究極の悪法」だ。
 陸上の車庫なら自分の土地にもつくれる。しかし、海面や海岸は私有できない以上、艇の所有は事実上、行政とマリーナ業者によって完全にコントロールされることになる。現在の公共マリーナでさえ、大資本メーカーの実質支配による弊害が指摘されているのに、こんな「国家・業界管理」が出現したら、市民の海は闇である。
 「自主オーナーの味方」を営業の旗印としているボート仲介販売業・山田マリンロフトの山田賢司氏も次のように憤っている。
「そんな海の国家・業界管理が進んだらヨットもボートも死にます。いま不法呼ばわりされながらも不便な泊地で頑張っているオーナーこそ、本当の海の愛好者です。いまじゃこの業界、どこを向いても天下り役人の巣だらけ。規制と金とり制度だらけじゃないですか。それに専門誌もおかしい。行政の尻馬に乗って、自主活動をしてきた長年の読者を不法だ、放置だ、と侮辱している。もっと見識をもって行政をこそ批判すべきです」
 行政や業界が、謳い文句どおりプレジャーボートの「健全な発展」を図るなら、未整備の泊地に自主的に停めている既存のオーナーに対して、「不法」「放置」のレッテルを張ること自体をやめるべきである。苦心して海に出る市民の尊厳を傷つけて、何の海事行政か。規則ずくめの権益拡大や、初めから結論が明らかな行政手法は、いまの時勢に通用しない。ましてや、それが行政権益の拡大や公共事業推進の道具というのでは、「不法」という犯罪人に仕立てられる市民からみれば、行政はまるで江戸時代の悪代官である。

 泊地に関して言えば、プレジャーボートの愛好者は、桟橋にお湯まで出るような施設(横浜)や、マンションつきのプライベート桟橋(芦屋=計画中)、歴史的景観を破壊してまでの造成(和歌山)などは望んでいない。仮にそういう需要があるなら、民間に任せればよい。行政は、質実なクラブや地域安全対策を支援することこそ必要なのである。


★「親水権」と「親海権」の視点を
 そして、「不法」といわれる泊地を含め、タテ割の機構にとらわれず泊地の大開放を実行に移すべきである。東京、横浜の港内だって、見直せば数千隻を収容できる規模の遊休水面があるし、全国の漁港には何十万隻分もの収容余地がある。
 それなのになぜ「開発」にこだわるのか。それに新開発するマリーナの大半は、台風の直撃に耐えられないのは明白だ。この点からも既存泊地活用の必要性が見直されるべきである。さらに、「不法」とされる遊休水面の活用と今後計画される「海の車庫法」の関連でいえば、市民の基本的な権利として「親水権」的な考えを視野に入れておくべきだ。
 海事法制に詳しい弁護士の田川俊一氏は、次のように説明する。
「”親水権”や”親海権”は市民が海に親しむ基本的な権利、レクリエーションの場として自然環境を保全し、その場を利用するという考え方を基礎とした権利のことです。この主張には新しい時代の考え方が込められている」
 漁業者や運送業者に認められている水路や漁港の利用が、一般市民にも認められるべき時代に移りつつある。社会全体がそのことを認識する時にきている。横浜のように、単純に条例で市民の「親水権」を縛るやり方に未来はない。

 ニュージーランドでは自治体が整備し、民間に開放している。桟橋や杭、ブイを設置した業者は35年間(旧法では50年)の利用権をオーナーに売る方式をとっている。ブイ停泊は年間1万円程度、立地も設備も最良の桟橋で35年間使用して500万円。年間にならすと15万円弱である。個人泊地とは、そうした価格が正常と思うべきである。
 一方、わずか28万隻の日本で、なぜ「不法だ」「総背番号だ」「全船マリーナ収容だ」と強権まがいの政策を考えるのか。それは、社会にヨットがなかった時代の海上利権構造を温存し、土建予算の発想をヨットの世界にもあてはめる行政の硬直した姿勢に原因がある。すべての既得権を時代に合ったものに見直し、自由な市民の活動を海上に復権させる努力こそ、行政に望まれているのである。


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