■原子力船「むつ」から海洋地球研究船「みらい」へ

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 1982〜83年に、今世紀最大規模と言われるエルニーニョ現象が発生した。これによって世界各地に干ばつや異常降水による大きな被害がもたらされ、多くの人命が失われた。その被害総額は約80億ドルとも言われる。日本はエルニーニョ現象の影響を受けにくい位置に存在するが、それでも4年続きの冷夏となり、輸入品の不足を心配した主婦らがトイレットペーパーなどの生活物質を買い占める騒動が起きた。
 その後、アフリカのサヘル地方の干ばつによる悲惨な飢饉が世界に伝えられ、気候変動への関心が次第に高まりつつあるなか、1987〜88年に比較的小規模なエルニーニョ現象が発生し、日本では初めてのエルニーニョ観測が実施された。
 これは気象庁がエルニーニョの発生を報じてからわずか2〜3週間で大蔵省への予算要求や観測準備が行われ、海洋科学技術センターの「なつしま」(1,553総トン)を本来の「しんかい2000」支援母船の任務から変更して実施された。この観測は「JENEX87/88」と名付けられた。赤道太平洋の東側は米国等の観測により比較的データが豊富であったが、西側はあまり観測されておらず、JENEX87/88 はそのデータ不足を埋めるものとして世界的にも評価された。

 これを契機として、日本の地球科学への取り組みが徐々に強化されるようになり、いずれ日本としても赤道海域への観測ブイ展開の一端を担うべきとの考えが生まれたのもこの頃である。これが当時始まったばかりの原子力船「むつ」の後利用の検討作業と結びつくこととなった。

 「むつ」は1969年6月に進水し、幾多の変遷を経て進水から21年後の1990年7月に初めての原子力航海を行い、翌年12月に実験航海を終えた。その間、実質的な航海日数は約半年程度であり、かなりの期間は青森県むつ市大湊港の河口の淡水中に係留されていたため、良好な状態に保たれていた。

=>原子力船「むつ」の開発昭和51年版 原子力白書より)

 1993年の海洋開発審議会答申において大型の海洋観測研究船の必要性が提言され、「むつ」を転用する方針が打ち出された結果、1995年6月、むつ市関根浜港で原子炉区画が陸揚げされて原子力船としての任を解かれた後、海洋科学技術センターに譲渡された。
 旧「むつ」船体はバージに載せられて回航され、前部船体は「むつ」の建造造船所である石川島播磨重工業(株)東京第一工場で、後部船体は三菱重工業(株)下関造船所で約200億円の費用を掛けて改造されることとなった。後部船体は1996年7月に東京第一工場まで回航され、前部船体と結合されて8月21日に27年ぶりの進水式が行われ、「みらい」と命名された。1997年4月より6次にわたる海上試運転が行われ、ついに同年9月29日(最初の進水から28年後)に完成し、海洋科学技術センターに引き渡された。

=>「みらい」の仕様(JAMSTEC)

1964年2月:海洋観測および乗組員の養成を目的とした船として基本設計方針を決定。
1966年3月31日:特殊貨物の運送及び乗組員の養成を目的とした船に変更。
1967年11月16日:石川島播磨重工業及び三菱重工業と契約締結。
1968年11月:「むつ」石川島播磨重工業東京第2工場で起工
1969年6月12日:進水式
1970年7月13日:原子力船開発事業団に引渡し
1972年8月25日:原子炉部を三菱重工から事業団に引き渡し。
1974年8月29日:尻屋岬沖東方約800kmの試験海域で初臨界。
1974年9月1日:放射線漏れ。
1982年6月30日:佐世保港で遮蔽改造工事等終了。
1990年3月29日:改修後の臨界
1990年7月13日:本州東方約210kmの洋上で初の原子力航行
1990年10月5日:出力約100%に到達。
1991年2月14日:使用前検査合格証と船舶検査証書交付
1991年2月25日〜12月12日:4次にわたる実験航海。
1995年6月22日:原子炉室を撤去
1995年6月30日:「むつ」を原研からJAMSTECに引渡し


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