●地球は「生きている」といえるのか?

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2007年5月19日更新

 「ガイア仮説」は地球システム科学的な意味を超えて、地球がひとつの生命体なのかどうかという議論までも巻き起こしました。
 ガイア仮説が巻き起こしたものを多角的に評価したものとして、以下の著書がお奨めです。

・「ガイア 蘇る地球生命論」(著:ローレンス・E・ジョセフ、監修:竹内 均、訳:高柳雄一、TBSブリタニカ)

 まず、「ガイア仮説」の共同提唱者である女性微生物学者リン・マーギュリスとの立場の違いが面白い。リン・マーギュリスは、カール・セーガンとの間に2児をもうけたのちに離婚。息子ドリオン・セーガンとの共著「ミクロコスモス(Microcosmos)」において、真核生物のミトコンドリアと葉緑体の成因として、原核細胞の中に、何か他の生物が入り込み、細胞内共生した結果とする「細胞共生説」を唱えた凄い人です。

・「真核細胞の起源」(1970、リン・マーギュリス)
・「性の起源―遺伝子と共生ゲームの30億年」(リン・マーギュリス/ドリオン・セーガン、青土社1995)
・「不思議なダンス性行動の生物学
=>原核細胞から真核細胞へ(河野重行さん。リン・マーギュリスの「共生説」、東芝『ゑれきてる』より)

 微生物というミクロの視点からアプローチするマーギュリスと、火星大気や太陽光度の増大というマクロな視点からアプロートしたラブロックが結びついて「ガイア仮説」の共同提案に至ったというのは、なかなか興味深いものがあります。

 このマーギュリスが学問的厳格さを重んじて、「地球生命体」という考えには嫌悪感を隠しませんでした。ラブロックも、最初の頃(「ガイアの時代」の頃)は、いささか迷惑顔だったようです。つまり、彼は「生命と非生命の境界が必ずしも明確でない限り、地球のような複雑な有機体を生命と呼んでもいいのでは」との立場であって、決して「地球はひとつの生命体である」とまでは言っていないのです。

 最近の著書「ガイアの復讐」やインタビューでも、それは一般の人々に理解しやすくするための比喩(メタファー)であると述べています。リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」が比喩であるのと同様というわけです。ところが、内心は煽っているようなところがあるみたい。というか、ラブロックは「意志を持つガイア」という考えが気に入っているようです。これは人間中心主義の宗教への反発もありそうです。

 このガイア仮説における「惑星規模の相互依存関係」という視点は、社会・文化的にも大きな衝撃を与えたようです。1988年に出版された「ガイア平和アトラス」The Gaia Peace Atlas: Survival Into the Third Milleniumという論文集は、なんと、ゴルバチョフ、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世、レーガン、大司教デスモンド・ツツ、国連事務総長ペレス・デクエヤルらそうそうたるメンバーが地球の相互依存というテーマで書いています。

 さらに、本書では人間中心ではない宗教として成立しそうな状況も詳しく紹介されていて興味深い。リンディスファーン協会(Lindisfarne Association、Wikipedia)というところが中心となっているようですが、キリスト教などの宗教家たちが、ガイア教を異教として排斥せず、むしろ「無信仰に比べればずっと好ましい」と寛容であるのも面白い。

 人間中心の宗教であるキリスト教圏とイスラム教圏の間の対立の激化を見ると、今後、この非人間中心のガイア教がどうなっていくのか、とても気になるところですね。


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