■新しいビーチコーミング

by 山田 海人

海人のビューポート
 
2007年6月29日オープン

 海人のビューポートへようこそ! アメリカの有名な海の研究所ウッズホール海洋研究所は最近ビーチコーミングの本を出しました。ビューポートを訪問して頂ける皆様にもビーチコーミングの楽しさをお伝えしたいとまとめてみました。

1.はじめに
 ビーチコーミングとは、最近の言葉で英語"beachcombing"から流行りはじめたものです。一言で言えば「海辺で気に入ったものを拾うこと」ですが、この“海辺の遊び”には、見つける・探す、観察する、考える、調べる、小さな発見があるなど楽しい“大人の遊び”です。

2.フィールドは水と人々の出逢いの場
 ビーチコーミングのフィールドは海辺です。
 海辺とは、大切な水と人々の出逢いの場です。
 人は海辺に出ると大きな自然の懐に抱きかかえられたような気分になります。やわらかな砂浜、広がる海、どこまでも続く水平線、広い視界、きれいな空、さわやかな海風、包み込むような潮騒の音、そして穏やかな気候、これらはみな大切な水である海が作ってくれた環境です。
 水と人々の出逢いの場では、私たちを長い間、はぐくんでくれた“母なる海”が人々の心をいやしてくれます。
 このように海辺は楽しく、新鮮で、新しい何かが得られる場所です。海を渡ってきたフレッシュな空気をいっぱい吸って、太陽を浴び、海辺をゆっくりと“もの”を探して気ままに散策してみましょう。

3.ビーチコーミング
(1)まずは気持ち良い砂浜を歩く
 まずは海辺に出かけてみましょう。
 海辺の砂浜は足にもやさしく、ただ歩くだけでも気持ち良いものです。この砂浜の満潮の時に波が届く最も海面から高いところから、今波が打ちあげているこの間を注目してみます。
 満潮のラインは、1日に2回やってくる波で新しい波模様ができていたり、新しい海藻が打ちあげられたりした跡が残っています。
 台風や大しけの後もいろいろなものが打ちあがるので、満潮よりもっと高い箇所もたまには探してみましょう。
 こうして砂浜を歩くと、潮の満ち引きと打ち寄せる波が砂浜をきれいにしている、砂浜が潮の満ち引きで“呼吸“している、そんな砂浜の脇には厳しい環境を生き抜く海浜植物が生息しているなどが見えてきます。

(2)打ち上げられた“もの”が見えてくる。
 砂浜を歩いているといろいろなものが打ちあがっているのに気がつきます。
 @ 自然のものと人工のもの
 目立つゴミ、海藻、小さな石、貝殻、魚の死骸などです。まずは打ち上げられた“もの”を「自然のもの」と「人工のもの」と大きく二つに分けた視点で見てみましょう。

 A 最近のものと古いもの
 まずは人が作ったもの、つまり「人工のもの」です。「人工のもの」は「最近のもの」と、「古いもの」と二つの視点で見てみましょう。
 「最近のもの」にはレジ袋、発泡スチロール、たばこの吸い殻、プラスチックなどのゴミをはじめ、靴や帽子、ガラスビン、陶磁器のかけら、子供のおもちゃ、漁業で使われたウキ、網、釣り糸、ルアーおもりなどがあります。
 「古いもの」には、ガラスビンのかけらが波でもまれて角が丸くなったシーグラス、染付とよばれ絵など描かれた陶器のかけら、漁網に使う素焼のオモリ、古いガラスビンやかけらなどがあります。

 B 海のものと陸のもの
 自然のものでは、「海のもの」と「陸のもの」と二つの視点でみてみましょう。
 「海のもの」には、石、海藻、貝殻、ウニ・ヒトデの死骸、カニ、ヤドカリ、エビ、魚や海ガメの死骸、海鳥などの死骸これらは海に棲むものの死骸です。また、鎌倉にはイルカ・クジラ、魚の骨なども打ちあがります。
 「陸のもの」では、流木をはじめ、植物の種子、クルミ、モモやウメの実、遠く南方からのヤシの実など、ヘビ、陸ガメ、カタツムリなどの陸の貝なども打ち上げられています。また、鎌倉では、馬や牛の歯や骨、たぬきやイノシシ、犬の骨なども打ちあがります。
 化石やメノウも石ですが、軽石をはじめいろいろな石も拾えます。

 C 浮くものと沈むもの
 メノウは石ですから海へ戻すと底へ沈みます。このように海水より比重が重く沈むものを「堆積物」と呼びます。一方、軽石は石ですが比重が軽く、海水に浮きます。これを「漂着物」といいます。
 「漂着物」は海面を漂って海流や風に運ばれて移動していますから遠くから流れ着いたものです。植物の種子、流木、蓋されたガラスビン、生き物の死骸、漁具、ライター、軽石、ゴミなどです。
 「堆積物」は海底に沈んでいるものですから地先の海底から打ち上げられたものです。海底で堆積物が移動する力は波とうねりと流れです。波の力は海面から届くのでせいぜい水深40mが限度です。傾斜によって深みへ落ちて行くのはもっと深い水深でもおきていますが、海底から傾斜に逆らって波打ち際へ押し上げられるのは軽いものでも水深5m以内でしょう。シーグラス、貝殻、陶器のかけら、動物の骨、石、缶、魚網などです。

(3)気に入った“もの”だけを拾う
 このように砂浜には、いろいろな“もの”が打ちあがっています。
 この中から貴方が“気に入ったもの”は何でしょうか?
 貝類でしょうか? 動物の骨でしょうか? 陶器のかけらでしょうか? 流木でしょうか? 植物の種子でしょうか? ガラスビンでしょうか?、石でしょうか?、あるいはきれいなものでしょうか?
 最初は、自分がこれだと思った“もの”を拾って、水洗いし、砂を落として観察してみましょう。打ちあがった状態より手にとって細かく観察するといろいろなものが見えてきます。
 こうしてお気に入りの“もの”が見つかれば、これをポケットに入れて持ち帰りましょう。そして、これまでの知識、経験から眺めてみましょう。これが貴方の“もの”との出逢いです。
 浜辺で興味ある“もの”を見つけると価値観が変化します。これまで何気なく歩いていた浜辺はせいぜい30分間いるのが限度でした。それが何時間でも浜辺で“もの”を探せるようになります。片道じっくり探したつもりでも往復すると新たな“もの”がみつかり、見落としていたものがいかに多いか気づかされます。
 こうして幾度も砂浜を歩いていると、少しづつ気に入ったものが貯まってきます。

(4)“もの”を調べてわかる「小さな発見」
 長い砂浜を歩いて見つけた“もの”、幾度も砂浜へ足を運んで探した“もの”、こうして手元にある“もの”はレプリカ(偽物)ではなく貴重な“本物”です。複数集まると“もの”の色、形、大きさなどの変化も気になって、貴方と出逢いがあった“もの”への愛着がしだいに湧いてきます。
 この“もの”とはどんなものなのでしょうか?。愛着が湧いてきたものは本で調べたり、インターネットで検索したり、図書館、博物館、美術館へ行って仲間を探してみます。
 “もの”の正体が徐々に明らかになって行く過程には、小さな発見が幾つあります。この「小さな発見」こそがビーチコーミングの楽しみの一つです。

(5)“もの”からのメッセージを受け取る
 こうして“もの”の正体が明らかになってから、“もの”と向かい合って感じたことは心へ直に伝わります。文字から伝わる情報と異なって心にじかに伝わった情報は、とても貴重な情報となります。
 貴方だけが知り得た情報、これが“もの”からのメッセージなのです。

4.海から授かったお宝
 ここからは具体的な例に沿ってご説明しましょう。
(1)明治10年国産初の目薬
 材木座の和賀江嶋の近くで小さなガラスビンを拾いました。波が洗った砂浜の上に打ち上げられていました。手のひらに入ってしまうほどの小さなガラスビンでした。透明なガラスビンの中には砂が入っていましたが、近くの水たまりで洗うとガラスビンに凹凸文字(エンボス)が書かれています。「岸田吟香 岸田の目薬 精リ水 東京銀座」と書かれていました。少し欠けていましたが昔の目薬のビンのようです。
 ガラスビンを調べるのはちょっと大変でした。いろいろ調べているうちにガラスビンの本が見つかり、「びんだま飛ばそ」(庄司太一、定価1,600円 PARCO出版)を買いました。
 この本は昔のラムネビン、化粧品、インクビンなどいろいろ写真入りで紹介している貴重な本でした。おめあての目ぐすりのビンもいろいろ載っていました。国産一号水目薬は、ヘボン博士処方による明治10年発売の岸田吟香「精リ水」と書かれていました。改めて小さなガラスビンをよく見ましたが間違いありません。これが日本で初めて発売された目薬のガラスビンです。
 このような液体目薬のガラスビンはちょっと変わった形をしています。それはビンに付属しているガラスパイプを使って薬液を取り、目の上で滴下していたので、ガラスパイプを箱にいれやすいよう片面がへこんでいるのです。
 この岸田の目薬は、1本10銭で売られていたそうです。かけそばが1銭5厘の時代ですから目薬は今のお金で三千円ほどになります。かなり高価な目薬だったのですね。

(2)ヒロポンのビン
 昔のガラスビンには高級品が入っていました。さらに小さいビンほど付加価値の高いものを入れていたので香水、さきほどの目薬、白髪染めなどです。材木座の砂に埋まっていた小さなガラスビン(高さ:35ミリ、幅23ミリ、奥行き17ミリ)は親指ほどの大きさで、四角を左右にカットした八角形のようなビンでした。口のところはネジが切ってあってスクリューキャップです。
 この小さなガラスビンを調べたところ、今では販売禁止されている覚せい剤の錠剤ヒロポンを入れていたビンでした。ヒロポンは昭和25年12月に生産中止になって、それまで製薬会社21社が製造していたものが禁制となりました。この間、太宰治、坂口安吾、ミスワカナなどがヒロポン中毒になっていたと言われています。
 昭和24年には20錠入りが21円と書かれています。当時便せんの切手が10銭でしたから、ずいぶん高い薬だったのですね。

(3)馬の歯
 鎌倉の浜辺には動物の骨などが多く打ちあがります。馬の骨、牛の骨、イルカ・クジラの骨などですが、この中で代表的なのが馬の歯です。
 なぜ、馬の歯が打ちあがるのでしょうか? 鎌倉時代には幕府に馬・牛が飼われていました。いくさで死んだり、病気で死んだ馬・牛は海岸ちかくの前浜で処分されたり、馬・牛の捨て場で埋められていました。
 これらが大雨で流されたり、がけ崩れなどで流失したりして海へ放出されたと考えられています。鎌倉時代の150年を考えると相当な数が海へ流出たと思います。
 馬の歯は草をむしり取る前歯(細長い切歯)と草をすりつぶす奥歯(太い大臼歯)と中間の歯があります。
 馬はオスで上下42本、メスでは38本の歯が生えています。オスとメスの違いは犬歯です。オスには小さな犬歯が上下4本はえていますが、メスにはこの犬歯がないのです。
 馬と牛の歯のすり合わせの部分を比べてみると、牛の歯ははんすうした草を更にすりつぶすよう凹凸があり、馬の歯はこれに比べ平なのが特徴です。
 鎌倉時代の馬はサラブレッドに比べると小さい馬でしたが、こうして馬の歯をみると、北方系の馬なのか、南方系の馬なのか遺伝子情報も含まれているので貴重なサンプルになります。

(4)貴重な陶器のかけら
 鎌倉の浜辺に打ち上げられたものの代表的なものと言えば古い陶器のかけらでしょうか。逗子寄りにある和賀江嶋は鎌倉時代の古い築港の跡です。当時幕府に献上される高価な陶器は中国の宋の青磁です。
 これが遠くから船に揺られて運ばれ、時には荒天にも遭ったでしょう、和賀江嶋に着いて荷が解かれて荒天で割れてしまったものは海に捨てられたものもあるでしょう。こうして青磁のかけらが今でも毎日のように打ち上げられています。
 青磁のかけらは鶯色の釉薬、古びた土の色で小さなかけらでも輝いてみえます。長年この青磁を集められた陶芸家の方に伺うと、ここで拾えるものに偽物はない。釉薬の厚み、土のぐあい、彫って描く絵の様子、作った人の指の痕など博物館では見られないものを青磁のかけらは伝えていると言っています。

(5)シュウマイ弁当の醤油入れ
 今はコンビニでお弁当が買えますが、昔は横浜駅のシュウマイ弁当が海水浴の昼食でした。横浜駅の崎陽軒のシュウマイ弁当には醤油入れのヒョウタン型のもの(ひょうちゃん)とお皿がついていました。
 この磁器製の醤油入れは昭和22年ごろから昭和44年まで使われていて、図柄は80種類もあります、それぞれの時代の変化が読み取れるもので、目鼻は鎌倉在住の漫画家横山隆一さんが描かれていました。
 後に原田浩さんも描くようになりましたが、「ひょうちゃん」は今でもビーチコーマーに人気のお宝となっています。お皿には青と緑の文字が書かれた二種類があり、磁器製の頑丈さのためか、お皿はほどんど割れずに打ちあがってきます。

(6)サクラガイ
 「さくら貝の歌」をご存知でしょうか?土屋花情作詞/八洲秀章作曲で
「麗しき 桜貝一つ 去り行ける 君にささげん この貝は こぞの浜辺に 君一人 拾いし貝よ、、、、」
という昭和の名曲ですが、八洲秀章さんが由比ヶ浜でサクラガイを拾って歌を作られたことから生まれたものです。逗子の海岸に歌碑があるのですが、これは作詞家の土屋花情さんが逗子町役場に勤められていたことから逗子海岸に建てられたものです。
 鎌倉の海岸にはこのサクラガイを拾いに多くの方々が訪れます。サクラガイはとても奇麗で壊れやすい薄い殻の二枚貝ですが、打ち上げられたものは繋ぎが切れてそれぞれ殻が別々に打ちあがっています。これを18歳で亡くなった恋人八重子さんと重ねて切なく「わが恋のごとく悲しやさくら貝 片ひらのみのさみしくありて」と詠ったのが八洲秀章さんだったのです。
 「サクラガイ」と呼ばれるものは、サクラガイ、モモノハナガイ、オオモモノハナガイ、カバザクラの4種類があります。鎌倉のサクラガイは二枚そろっているものが比較的多く拾えます。また、多くは肉食のツメタガイの食害を受けて小さな穴があいています。二枚揃っていてツメタガイの食害を受けていないものはお宝かも知れません。

(7)シーグラス
 海岸に打ち上げられているガラスのかけらをシーグラスあるいはビーチグラスと呼びます。
 小石とともに打ち上げられ濡れて輝くシーグラスはまるで宝石のようです。波でもまれてガラスの角が丸くなって手にやさしくなっています。表面もすっかりすり減って、ツルツルしていた表面の面影はありません。光にかざしてみると光がやさしくなっています。
 このシーグラスはどこから来たのでしょうか。遠くの海からやって来たのでしょうか? いいえそんなことはありません。ガラスのかけらは海水より重く堆積物なのです。ガラスビンでも栓がしてあると海面に浮き海流に運ばれることはありますが、海流に漂うガラスビンはほんの一部です。これが磯に打ち上げられ割れてシーグラスになったものもありますが、全体から見ればごく一部です。
 このようにシーグラスの大半は近くで使われていたガラスビンや建築材料のガラス類です。使い終わったガラスビンや割れたものはビン置場などに集められていましたが、大雨などで流され、川や磯で割れたかけらが長年波にもまれて角が丸くなって再び打ち上げられたものです。日本ではガラスビンが製造されたのは明治10年以降ですが、大切な液体容器として幾度も使われ、割れても再生されて使われていました。
 ガラスビンの色はいろいろあって、ガラスに酸化コバルトや酸化銅が混ぜられた青系の色、酸化鉄や炭素が混ぜられた茶色系、酸化クロムの緑系、燐酸カルシュームの乳白色系など、や貴重な黄色もあります。シーグラスの色からも元のガラスビンがイメージできるものもあります。ビールビンであったり、炭酸飲料のガラスビン、薬のビン、クリームのビン、化粧水のビンなどです。
 シーグラスの中にはガラスビンの凹凸文字が残っていたり、表面のデザインが残っているものあります。このように一見どのようなガラスビンか分らないようですが、元のガラスビンを突き止められるのもビーチコーミングの楽しみの一つかも知れません。

(8)銀化ビン
 海へ流れ出されたガラスビンは海底に沈んでいますが、うねりにもまれているうちに砂泥の中に埋まっていきます。ビンの中に入った砂泥の中には有機物が含まれているので分解していきますが、しだいにビンの中の海水が貧酸素状態になり、ガラスビンの内面が化学変化をおこしてビンの中から酸化ナトリウムが溶けだしてしまいます。
 その状態が30〜50年続いたものが打ちあげられると、煌くガラスビンになります。これを私たちは「銀化ビン」と呼んで貴重なお宝にしています。
 打ち上げられたガラスビンには海水が入っているので“銀化”している状態が解りにくいのですが、水洗いしてビンの中が乾燥してくると“銀化”している状態が確認できます。このビンは光の具合でオーロラのような、真珠のような煌きがあり、ブルー、シルバー、ゴールドなどの煌きになります。

5.おわりに
 今回ご紹介した新しいビーチコーミングでは、地元の歴史にかかわる打ち上げもの、数十年前に地元で使われた生活品などの打ち上げものなど、主に海水より重い堆積物によるビーチコーミングを扱っています。これを「堆積物ビーチコーミング」と呼びます。
 一方、これまでの一般的なビーチコーミングでは海面に漂い、海流に運ばれてくる漂着物を扱っています。これを「漂着物ビーチコーミング」と呼びます。この漂着物は海流の影響、風の影響を受けて流れ着くもので、遠く南からはるばる流れ着いた貴重なものもあり、黒潮などの流れを理解するにはとても良い遊びです。しかし地元にゆかりの品々の情報は得られませんでした。
 今回の「堆積物ビーチコーミング」はこれまで少数派でした。しかし、鎌倉のように内湾性で遠浅の浜辺では、海がタイムカプセルとなって数十年前、数百年前の古くから使われていた陶器のかけらや動物の骨などを寄せる波が打ちあげてくれます。
 これを読まれた皆さんが鎌倉や地元の海辺を散策することによって、海藻にまみれた中から、小さな石ころの間から、ふるい昔の時代のかけら、昔の生活を語ってくれる証拠の品々を見つけ出してくれることを願っています。

 参考URL
Zen Style Beach Combing
山田海人の鎌倉レポート(ビーチコーミング)
山田海人のビューポート(海の恵みの銀化ビン)

 堆積物ビーチコーミングを扱っているURL
エマの海辺散歩
陶片窟
たまーにビーチコーミング
ビーチコーミングの奥深い世界“人工物編”
材木座海産貝類
まっちゃん4649のビーチコーミング入門
どんとこい 磯古事記
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