私は社会に出てから海中開発技術協会と海洋科学技術センターで長年潜水技術に係われる幸運に恵まれました、その間に多くの潜水技術の先駆者達にお会いする、話しを伺う機会が数多くありました。=Man in the Sea(西村屋)
この偉大な先駆者達も次第に亡くなられ(猪野 峻先生、佐々木忠義先生、菅原久一所長、梨本一郎先生)、我が国の潜水技術の発展の経過は次第に風化しつつあります。
これまで多くの潜水技術の先駆者達から伺った話や記録から我が国における輝かしい潜水技術の発展の記録を以下の年表にまとめました。いまだ不備な点も多々あると思われますが気付き事項はご一報下さい。
今後の潜水技術の発展の調査の一助になれば幸いです。
紀元前 3000 | ・千葉県周辺でアワビが採取されていた。 |
紀元200 | ・魏志倭人伝に海士が記載されている。 |
750 | ・万葉集に海女に関する歌が記載されている。 |
1001 | ・枕草子に海女に関する記載がある。 |
1790 | ・オランダから泳気釣鐘が輸入され、飽の浦撃船所築造に使用する。 |
1859 | ・潜水ヘルメット、ドレスが輸入される。 |
1863〜4 | ・五稜郭工事に潜水ヘルメットが使用される。 |
1866 | ・横浜港で英国艦のヘルメット潜水器による船底修理が行われる。 |
1867 | ・増田万吉、ヘルメットにより「ハラシイ号」の船底修理を行う。 |
1870 | ・ヘルメット潜水器が輸入される。 |
1872 | ・海軍工作局でヘルメット潜水器の国産化が始まる。 ・増田万吉、横浜で潜水業を開始 |
1873 | ・松本島吉(横浜)、「メリケン号」(横浜沖)をサルベージする。 |
1875 | ・増田万吉、浦賀でヘルメットによるアワビの試験操業行う。 |
1877 | ・増田万吉、房州で数十台のヘルメットでアワビ操業行う。 |
1878 | ・千葉県白浜にシーベゴーマンの送気ポンプ輸入される。 |
1882 | ・数百台のヘルメットが輸入され、アワビの乱獲が表面化する。 |
1883 | ・ハコメガネ(覗水器)が発明される。 ・アラフラ海へ日本人ダイバーが短期契約移民を開始する。 |
1884 | ・増田万吉、房州小湊で漁業者を対象にヘルメット講習会を開催 |
1886 | ・日本で初めてサルベージ作業(外国人による)が行われる。 ・潜水服、潜水ホース、送気ポンプが国産化する。 |
1886 | ・沖縄糸満で潜水眼鏡(両眼式)が使用される。 |
1887 | ・房州大原沖でヘルメット200台によるアワビ漁始まる。 |
1890 | ・潜水眼鏡が全国に普及する。 |
1891 | ・外国人の指導によりサルベージ作業を行う。 |
1893 | ・我が国初のサルベージ業(三菱造船海難救助部)発足する。 |
1906 | ・日露戦争のため、旅順港で軍の潜水活動が行われる。 |
1910 | ・深田サルベージの前身である深田海事工作所が発足した。 |
1912 | ・渡辺理一、真珠貝採取用のマスク潜水器を開発。 |
1913 | ・大串友治、ボンベを背負うマスク潜水器を開発。 |
1914 | ・有明海で朝鮮ダイバーによるタイラギ漁が行われる。 |
1915 | ・山本虎多、渡辺の開発したマスク潜水器を改良完成させた。 |
1920 | ・帝国海軍が英国海軍の減圧表を採用した。 |
1924 | ・永代橋工事で続出した減圧症患者の治療が行われた。 |
1925 | ・片岡弓八、地中海70mから「八阪丸」の金塊を引き揚げる。 |
1929 | ・「西村式豆潜水艇1号」が完成する。 ・陸軍科学研究所、水中写真機を開発した。 |
1930 | ・三浦定之助、定置網調査に潜水器を取り入れる。 |
1931 | ・アラフラ海で裸式潜水法がはじめられた。 ・倉敷労働科学研究所、国際産業医学会で海女の研究を発表。 |
1932 | ・「西村式豆潜水艇2号」が完成する。 |
1933 | ・鈴木章之、「ナヒモフ号」の引き揚げで97〜107mの減圧表を作成。 ・浅利式マスク潜水器が開発される。 |
1933 | ・三浦定之助、水深45mの水中写真の撮影に成功。 |
1934 | ・日本サルベージ設立される。 ・山口市十郎、三菱造船所で潜水ロボット「開洋」を建造する。 |
1937 | ・アラフラ海で日本人ダイバー約3000人に達する。 |
1939 | ・マスク式潜水器で水深95mに潜水する。 ・釧路沖でヘルメットによる岩盤調査行われる。 |
1943 | ・帝国海軍、特攻兵器「伏竜」を開発する。 |
1945 | ・水中切断技術が実用化する。 ・運輸逓信省、三浦市諸磯に潜水員養成所を開設する。 ・千葉労働病院に再圧治療タンク設置される。 |
1947 | ・アクアラングが輸入される (1943にJacques-Yves CousteauとEmile GarnanがAqualungを発明)。 |
1950 | ・マスク式潜水器が軍・官から漁民にも広がりをみせる。 |
1951 | ・井上直一、潜水球「くろしお」で206m潜水する。 |
1952 | ・化学反応によるニッセン式潜水器が開発される。 |
1954 | ・我が国に駐留していた米海軍UDTがアクアラングを持ち込む ・「洞爺丸」遭難で全国から400名のダイバーが参加した。 ・海上自衛隊に水中処分隊が発足する。 ・佐々木忠義、水中テレビによる海中調査を行う。 ・南伊豆の漁協に2室型再圧治療タンクが設置される。 |
1956 | ・潜水研究所は雑誌「潜水技術」を発行する。 |
1957 | ・日本潜水科学協会創立 |
1958 | ・東海サルベージは潜水装置「白鯨」を完成する。 |
1961 | ・労働省高気圧障害防止規則が施行される。 ・日本アクアラング(株)設立 |
1962 | ・読売ランド水中バレーシアター開演 |
1963 | ・水中溶接が実用化する。 ・日本光学は水中カメラ「ニコノス」を発売する。 |
1965 | ・クレッシイサブはオキシラングを販売、死亡事故が発生する。 |
1966 | ・全日空松山沖遭難事故でダイバーが活躍する。 ・セイコーは耐圧300mダイバーズウオッチを発売する。 ・海中開発技術協会が発足する。日本潜水科学協会から改組 |
1967 | ・海中公園センターが設立する。 |
1968 | ・潜航深度600mの潜水調査船「しんかい」が完成する。 ・田中和栄、「歩号一世」による海中居住実験行う。 ・海中協、東京医科歯科大で25m相当圧の飽和潜水実験行う。 ・三井海洋開発が設立する。 |
1969 | ・八丈島でブルーオリンピック(第9回)開催。 ・我が国初の海中展望塔が和歌山県白浜に完成。 ・日本海洋産業が設立する。 ・シートピア計画の基礎研究スタートする。 ・潜水雑誌「マリンダイビング」創刊 |
1970 | ・シートピア計画のPTC/DDC完成する。 ・深田サルベージは岩国沖43mの「陸奥」を引揚げる。 ・厚生省は第1次の海中公園を指定する。 ・シートピア計画で100m相当圧の飽和潜水実験行う ・ジャック マイヨール 伊豆で素潜り76mの世界記録を作る。 |
1971 | 日本海洋産業、初めての石油試掘支援潜水行う。 ・シートピア計画 海中作業基地、支援ブイ完成する。 ・静岡県三津浜に海底ハウス設置される。 ・科学技術庁と経団連は海洋科学技術センターを設立する。 ・芙蓉海洋開発は我が国初の水中カラーテレビの撮影に成功。 |
1972 | ・シートピア計画で30mの海底に4人が3日間生活した。 ・海上自衛隊第一術科学校に潜水艦脱出装置付き訓練水槽完成。 ・三井海洋開発はスラスター付きダイビングベル「タドポール」を完成する。 |
1973 | ・有明海のタイラギ漁で船上減圧が盛んになる。 ・海洋科学技術センターに500m用潜水シミュレーター完成 ・三井海洋開発はGE社の閉鎖式スクーバを販売する。 ・日本潜水協会が設立する。 ・海上保安庁に潜水員グループの設置決まる。 ・シートピア計画で60mの海底に4人が3日間生活した。 |
1974 | ・芙蓉海洋開発は潜水球「うずしお」で2名の死亡事故 ・日本海洋産業が常磐沖「第3白竜」で155mのダイバー作業行う。 ・海洋科学技術センターは混合ガス潜水技術コースを開設。 ・日本海洋産業は中国へADS-? 2基を輸出する。 |
1975 | ・アジア海洋作業が阿賀沖で81mのパイプライン作業を行う。 ・セイコーは耐圧600mのダイバーズウオッチを商品化。 ・沖縄本部半島で沖縄海洋博が開催された。 ・潜水雑誌「ダイビングワールド」創刊 ・シートピア計画で100mの海底に9回のPTC潜水行う。 |
1976 | ・我が国で初めて潜水技術シンポが開催される。 ・三津浜の海底ハウスで2名の空気栓塞症が発生。 |
1977 | ・ダイビングシステム搭載のジャッキアップリグ徳島沖で座礁する。 ・深田サルベージは北海道留萌沖「泰東丸」62mで潜水作業 ・日本海洋産業は舞鶴沖140mの墜落ヘリを回収する。 ・日本海洋産業は274m相当圧の潜水実験行う。 ・日本海洋産業は襟裳沖で204mのダイバー作業行う。 |
1978 | ・深田サルベージは志布志湾でSDCにより75mから油抜き作業行う。 ・海洋科学技術センターは300m相当圧の飽和潜水実験行う。 ・海上自衛隊は初の飽和潜水実験(60m相当圧)行う。 ・ダイバーズウオッチのクオーツ化が進み自動巻は生産を中止する。 |
1979 | 日本サルベージはイランの海抜1670mのダムで400回の潜水作業行う。 ・本四架橋工事で「シートピア」が水中検査工事に使われる。 |
1980 | 釜石港の港湾工事50mはヘリウム潜水により行われる。 ・日本海洋開発は対馬沖97m「ナヒモフ」の回収作業行う。 ・住友海洋開発は宮古島沖「第五白竜」DDS-1で287m作業行う。 |
1981 | ・本四架橋工事7A(50m)でヘリウム潜水による施工確認行う。 ・海洋科学技術センターの300m潜水システム完成する。 ・伊豆雲見で耐圧検査合格のボンベ破裂し死傷者がでる。 |
1982 | ・ベーリング海での漁船遭難でインマージョンスーツが検討される。 ・熊本県大矢野町沖で子供がサメに襲われ死亡した。 ・フランスの潜水マニュアルが「潜水学」として出版される。 ・世界開発技術センターは「ナヒモフ」,「天皇」などの沈船調査を行う。 ・住友海洋開発は鳥取沖「第五白竜」DDS-1で296m作業行う。 ・シチズンは耐圧1300mのダイバーズウオッチを販売する。 |
1985 | ・シチズンは水深計付きダイバーズウオッチを開発する。 |
1988 | ・海洋科学技術センターは300m飽和潜水を行う。 ・日本酸素は簡易半閉鎖式潜水器「オーバ」を販売する。 |
1990 | ・海洋科学技術センターは300m飽和潜水を行い、ニューシートピア計画は完了した。 |
1991 | ・海洋科学技術センターの潜水技術部は組織替えとなる。 |
1992 | ・愛知県松山沖でタイラギ漁のヘルメットダイバーがサメに襲われ行方不明となる。 |
1992 | ・海上自衛隊潜水医学実験隊の飽和潜水実験が開始される。 |
1993 | ・日本工業規格JISで潜水用携帯時計が規格化される。 ・海洋科学技術センターで初の窒素酸素の飽和潜水実験(20m)行われる。 |
1994 | ・パラオ諸島で日本人ダイバー5名行方不明となる。 |
2000 | ・海上自衛隊潜水艦救難艦「ちはや」「ふしみ」は深海潜水装置等を搭載して竣工した。 |
2002 | ・海上自衛隊潜水医学実験隊 400m相当圧の飽和潜水実験行う。 ・奄美大島沖の不審船の調査(水深100m)に大気圧潜水服「ニュースーツ] が使われる。 ・奄美大島沖の不審船引き揚げで飽和潜水ダイバーが95mで作業した。 ・シチズンは飽和潜水に対応した1000mプロフェショナルダイバーズを発売 |