(初出:2002/4/24)
(更新:2009/6/18)

捕鯨が汚染を招く!?

○○○南極海クロミンククジラのカドミウム汚染○○○

 「捕鯨と汚染」と聞いて思い浮かぶのは、沿岸の捕鯨基地での解体によって流れ出る血液が内湾の汚染や富栄養化によって漁場環境の悪化を呼んだり、解体後の骨や内臓の一部などを海中に不法投棄したり、捕鯨母船の解体処理に伴う同様の汚染。ですが、ここで採り上げるのはそれらとはまた別次元の問題です。
 大型種を次々と獲り尽くしていった商業捕鯨の最後のターゲットとなり、現在日本が調査捕鯨の形で捕獲を進めている南半球産のクロミンククジラから、高濃度のカドミウムが検出され、その年級群別の汚染濃度の推移が興味深い観測を呼んでいます。
 まず、人為的な汚染の度合が低いはずの南極海のヒゲクジラで高濃度の汚染が発覚した背景には、カドミウムの生物蓄積の特異性があります。南極海は、深層に溜まった高カドミウム水が巻き上げられる湧昇流域であり、クロミンククジラがほぼ100 %依存している餌生物のナンキョクオキアミはカドミウムを高度に蓄積します。環境からの摂取が一定の割合であれば、鯨類のカドミウムの体内濃度は年齢とともに増加していくはずですが、クロミンククジラの場合だけ、15〜20齢(捕獲時)以後のあたりで濃度の減少が見られます。つまり、この年齢より若い年級群から重金属の蓄積率がそれ以前より上昇したことがわかります。生物中の重金属の代謝に関しては、一定濃度に達すると腎臓での処理能力の限界を越え腎障害につながることがわかっています。現実に、肝臓のカドミウム濃度が20ppm 以上で腎臓のそれを上回っている個体が見つかっており、腎障害に至っていた疑いが持たれています
 汚染源として挙げられるのは、まず南極大陸上の設営基地での有害物質を含む未処理廃水の垂れ流しやゴミ焼却です。中には、自国の基準値をはるかに上回る濃度の有害物質が排出されていたケースもあったようです。南極での越冬は19世紀末に始まりましたが、戦後各国の基地建設が大陸沿岸を中心に次々と進み、現在では20ヵ国が常設、夏季のみ、閉鎖中を合わせ百ほどの基地を設けています。越冬する研究者の人数も千人を越え、最大の米国マクマード基地は一都市並の規模を呈しています。監視の目が届かない状態で、生体中へ移行しやすいカドミウムの排出が何年もずっと継続され、もともと高水準にある南極海の生物圏へ付加されていたとしたら、それがクロミンククジラの体内蓄積に拍車をかけて障害を引き起こすレベルに至ったということも考えられなくはありません。(注:'91年以降は一応「南極環境議定書」により、南極における基地活動に関する制限や環境アセスメント、損害賠償等について規定が設けられています)
 もうひとつは、人為的な排出が原因なのではなく、商業捕鯨による生態系のかく乱が汚染と同等の効果をもたらしたというものです。ちょうどこの年級の前後からクロミンククジラの摂餌量が増加したため、餌生物中に含まれる重金属の蓄積量の増加を招いたのではないかとの推測も成り立ちます。これは、餌のオキアミ中のカドミウム含有量が変わらないと仮定した場合、濃度から逆算して、体重当り摂餌率が1.5 倍に増加したと考えれば説明がつくといいます。クロミンククジラに関しては、性成熟年齢の低下(雌で1940年代の12歳から70年代の7〜8歳へ)と成熟体長の大型化傾向が示されています。商業捕鯨により大型ヒゲクジラ類が壊滅的な打撃を受けたため、2億トンはあったと考えられる年間のオキアミ摂餌量は1/5ほどに減少し、余剰分が他のオキアミ捕食者群:鰭脚類やペンギンを含む海鳥類、頭足類などに分配されたと考えられます。実際、ナンキョクオットセイやカニクイアザラシなどの個体数は明らかに増加しました。捕鯨によるダメージの比較的少なかったクロミンククジラにとっても摂餌環境が良好化した可能性はあります。しかし・・・競合相手がいなくなって餌を入手しやすくなったとしても、そのために有害物質の蓄積が速まって障害に結びついていたとすれば、とうてい環境が"良好化"したとはいえません
 生物の個体数と増減率の関係は、理論的には、0の状態から個体数が増えるに従い指数関数的に上昇しますが、次第に餌の量などリソース上の制約を受けるようになり、キャパシティ=環境収容力の上限に達した時点で平衡に達します。微分すれば放物線の形となり、満限状態の50%の個体数の時が最も増加率が高くなります。古くから水産学では最大の漁獲量を得る方程式として扱われてきました(MSY理論と呼ばれます)。クジラの管理方式もこのMSYが基本になっています。もっとも、ビーカーの中のゾウリムシと違い、現実の自然の中では複雑な種間関係を考慮しなければならず、キャパシティも絶えず変動します。特に大型哺乳類は繁殖に際して密度依存的な社会行動の要素が大きく加わるため、ある程度個体数が減少すると増加する余地がなくなってしまうケースがほとんどです。魚類の場合は一度に数千、数万の卵を産むため、環境条件の好転が生残率のアップにつながりやすいのですが、クジラの場合は生殖可能年限に達するまで何年も要し、1産1仔から多産になるということもありえないため、母数に対する増分がそもそも知れています。前世紀に商業捕鯨の管理に無惨な失敗を重ねてきたのも、理論の限界を示すものといえるでしょう。
 クロミンククジラのカドミウム汚染が生態系のかく乱に基づくという仮定は、さらに計算外の要素があったことを教えています。人為的に増加率を上昇させようとしても、それが汚染と同様の状況を作り出して逆に死亡率の増加をもたらしかねないのです。有害物質の蓄積を考慮するなら、クロミンククジラの増加率はすでに限界にあり、捕獲の圧力によってさらに上昇させることは回避しなければならないといえるでしょう。カドミウムの影響は主に腎障害であり、高齢の個体ほど死亡率が上がり、繁殖可能年限を下げる結果につながるでしょう。クジラたちを脅かす汚染物質はカドミウムだけではありません。神経毒性のある有機水銀は、死亡率増加とともに社会行動に支障をきたすことによる繁殖力の低下も招く恐れがあります。また、有機塩素化合物は直接生殖ホルモンに作用したり、次の世代に影響を及ぼす変異原性を持っています。北半球産のミンククジラではすでにPCBの高濃度の蓄積が報告されていますし、禁止措置の遅れた第三世界由来のDDTなどが南極に棲む海棲哺乳類中からも検出されています。重金属と有機塩素化合物の複合汚染についても考慮しないわけにいきません。
 奇妙なことに、IWC上で議論されている改訂版の管理方式では、汚染が捕獲量の増大に働く場合もあるそうです。計算式上は、個体数の減少が単純に増分を増やすことになるためなのでしょう。しかし、汚染物質が時間をかけて蓄積され、閾値に達した時点で突如として障害の形で表面化し、生殖機能を大幅に低下させたり、次世代の未成熟個体の死亡率を上昇させる形で、個体数を快復させる"復元力"を相殺してしまうかもしれません。これは、主に旧東欧圏に由来する汚染物質の影響を受けた北海・バルト海のアザラシ等海棲哺乳類において現実にみられたことでもあります。年間捕獲量の算定は、死亡率の内訳に占める人為的捕獲による死亡の比率を引き上げることで(言い換えると、汚染で死ぬ前に捕っちゃうんだからのーぷろぶれむってこと)、結果的に個体数が維持されるという前提に基づいてなされるわけですが、生残個体の死亡率が一定の時差を置いてから急激に上昇し(あるいは死亡しなくとも繁殖成功率が著しく減少し)、年級群構成を大きく変化(突然新生児と繁殖可能メスがガタ減りする等)させるような事態はまったく想定されていないハズです。しかも、そうして蓄積した汚染物質は一朝一夕で消えるわけではなく、場合によっては元に戻るまで数世代かかるでしょう。影響が目に見えるようになってから捕獲を止めても遅いのです。コンティンジェンシーを大幅に見積もっておかないことには、シロナガスクジラを追い詰めたのと同じ過ちを将来再び繰り返すことになりかねません。
 ちなみに、同じオキアミを捕食しているシロナガスクジラにおいても、同様の汚染物質濃縮メカニズムが作用することは大いに考えられるので、カドミウム等による汚染がある時点でシロナガス等大型鯨類に駄目押しの打撃を与え、現在も個体数増加を阻害する要因になっている可能性も否定できません。ミンク間引き論がいかに視野の狭い議論かを示すものといえます。
 体重・寿命を規定する要素として重金属の生体濃縮が働くというのは、学術的にみればきわめて興味深いことなのかもしれませんが、南極の生態系の保護を考えるとき、捕鯨が汚染源になりうるというのは見過ごすことのできない問題です。水質と他種を含めた生物組織の汚染度の時系列変化を追えるだけの十分なデータがないため、はっきりした真相はわかりませんが、有害物質の排出にせよ捕鯨による生態系のかく乱にせよ、人為的活動の結果に基づくことは否定できないでしょう。商業利用の対象となりうるヒゲクジラ類の最小の種に至るまで資源管理上の手痛い失敗を重ねてきた捕鯨産業と鯨類学は、南極海生態系のバランスをここまで崩すことを予見できませんでした。南極の生物群集が今日の姿にたどり着くまでの永い進化史の間に、大型鯨類が激減して生態系が"がら空き"になり、クロミンククジラなどが"無理強い"されてカドミウムを溜め込む羽目になることなど、一度も起こらなかったのは確かです。ニンゲンという種の介入に絶えられないほど南極の自然あるいはクジラという種がデリケートだったともいえるし、現代の科学がいかに未熟なものかを示してもいるのでしょう。しかし、"落とし穴"はまだあるかもしれないのです──。

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※ ミンククジラのカドミウム汚染に関する詳細はサイエンティスト社発行の『海の哺乳類』3章:「重金属汚染と海の哺乳類」(愛媛大本田教授)を参照

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