(初出:2008/2/27)
(更新:2008/5/20)
グラフで解く"捕鯨汚染"
〜日本の捕鯨が南極のクロミンククジラを絶滅に導く最悪のシナリオ〜
前段としてまずこちらをお読みください→捕鯨が汚染を招く!?
ここで説明した、捕鯨によって誘発されるクロミンククジラのカドミウム"汚染"が、どのような形でクロミンククジラの個体数に影響を及ぼすことになるか、さらにグラフを使って解説したいと思います。
図AはMSY理論でおなじみの個体数と増加率の関係を示したもの。そして図@は、図Aの右端、"満限状態"にあるときの、言い換えれば野生動物が自然な定常状態にあるときのポピュレーション(人口/個体数動態)曲線です。以下、図A中のA〜Dの段階にあるポピュレーション曲線のグラフはそれぞれ下段に示します。
もちろん、これらのグラフはあくまで理想化したものであり、現実の野生動物の生息数でこんなきれいな指数関数曲線が描かれるわけではありません。図Aの中央の位置にもっていくことで最大の漁獲生産をあげるというのがMSY理論の主旨で、日本の水産資源学者、そしてレクチャーを受けたマスコミ関係者など捕鯨推進派がこれを"信奉"しているわけですが、従来から実態を反映していないと批判されてきたMSYに代わって、既にIWCではRMP(改訂版管理方式)が適用されています。逆に言うなら、捕鯨擁護論者にはこのグラフを使ったほうが返ってわかりやすいでしょう・・。
一つ注意していただきたいのは、図Aの縦軸を"見かけの増加率"としている点です。これは、実際の個体数の年次推移をもとに求められる増加率そのもの="真の増加率"ではなく、人為的な捕獲圧を加えることで生じる個体当り摂餌量の増加等の環境条件の良好化により引き起こされる繁殖率の上昇、若齢個体の死亡率低下などを便宜的に指標化したものです。これは調査捕鯨の成熟個体を中心にしたサンプルのデータに基づく、日本側が主張するところの「クジラが増えている」間接的な状況証拠にあたります。
さて、捕鯨を開始し"見かけの増加率"が上昇してしばらくすると、クロミンククジラにおいてはMSY理論では予想だにされなかった事態が起こります。それが図Aです。
"見かけの増加率"上昇=摂餌量増大によってカドミウムの体内蓄積が進み、閾値を越える年齢付近で腎障害が発症するようになります。捕鯨開始に連動したある年級群(特定の年に生まれた個体を集団と仮定したもの)以降になると、突然腎障害の平均発症年齢付近を境に死亡率が急激に上昇を見せ始めるのです。これは、メスの繁殖可能年限を大幅に短縮させ(おそらく高齢個体の繁殖成功率にも影響するでしょう)、新生児加入率を減少させます。
この段階で仮に捕鯨を止めたとしても、事態の進行がとどまることはありません。なぜなら、捕鯨が開始されてから腎障害の兆候が表面化するまで、発症年齢分の時差が含まれているからです。個体数の減少にしたがって、"見かけの増加率"上昇とそれに伴うカドミウム汚染の進行は一段と加速されます。それが次のグラフBです。
図Bでは、カドミウムの生体濃縮のペースが速まることで腎障害の発症年齢がさらに低年齢化し、加えて新生児の加入率低下がポピュレーションに反映され始めます。ここで、捕鯨の捕獲対象の中心となる成熟した若齢個体の健康状態、資源状態を反映するはずの各種のデータ="見かけの増加率"に大きな変化がないことにも注目してください。調査捕鯨では捕獲した全個体で調べられるのは耳垢栓の年齢査定のみで、汚染物質の生体濃度などはほんの一握りのサンプルでしか行われません。想定される発症年齢以降の個体の腎機能・肝機能値の継続的で慎重なモニタリングを行わない限り、続くポピュレーションに跳ね返ってくる影響は見過ごされかねないのです。その結果が図Cです。
この段階では、クロミンククジラはあたかも突然の大災害に見舞われたかのように、大幅な個体数の減少を示します。捕鯨に付随して行われる致死調査で、目に見える異変が現れるのは、初期の腎障害により減った新規加入年級群が成熟しかけた頃ということになるでしょう。しかも、ある範囲の年齢層の"見かけの増加率"だけ見れば、あたかも資源が"頑健"であるかのように、増加傾向が示され続けるのです。
そして、たとえAの段階で捕鯨を直ちに中止しモラトリアムに入ったとしても、個体数の減少にはまったく歯止めがかかりません。個体数の減少自体によって、クロミンククジラの汚染状態は維持され続けてしまうのです。(仮にあったとしてですが)MSYの最適値に相当する個体数で、カドミウム"汚染"もピークに達します。後は坂道を転げ落ちるかのごとく、個体数は減少し続けることになります。そして、最終的にはグラフDのステータスに到達します。
この段階まで減少して、"見かけの増加率"が腎障害の閾値を下回るようになり、ようやく個体数が落ち着くことになります。
ただし、腎障害の方は引き続き残ることになるかもしれません。というのも、この段階での"見かけの増加率"の減少は、密度減少に伴う繁殖率の低下が種内競合低下に伴う摂餌機会・栄養状態の改善を上回ることで引き起こされるため、"汚染"に直結する後者の効果は依然として維持されると考えられるからです。
ステージDの新たな定常状態は、MSY理論においてさえ危険領域とされるもの。環境要因によるほんのわずかなブレで、そのまま絶滅の淵に突き進みかねないのです。地球温暖化やオゾンホールによる餌生物への影響と生態系の撹乱、南極圏まで到達する有機塩素化合物とカドミウムとの複合汚染の可能性など、クロミンククジラを脅かす危険な要素は現実にいくらでもあるのです。
同じ境遇にある他の多くの野生動物と同様、クロミンククジラはまさしく"絶滅危惧種"に他なりません。こうした特殊な事情がある以上、クロミンククジラをレッドデータブックのリストから外すのは明らかに過ちです。正確な総個体数とはいえない76万頭という数字をもって、クロミンククジラが安全だなどとは決していえないのです。
上記の事情を考慮したうえで、持続可能な捕鯨がはたして可能といえるでしょうか? カドミウム汚染の効果を除く方法は次の3つ。
1.ナンキョクオキアミのカドミウム濃度を下げる。
2.クロミンククジラの各個体に腎障害の予防・治療処置を施す。
3.シロナガスやナガスなどの部分的な競合他種の資源状態を、ミンクの間引き以外の方法で早急に回復させ、商業捕鯨が南極海に進出した一世紀前の健全な状態に南極海生態系を引き戻す。
いずれも非現実的で実行不能ですね・・。
MSYに代わるRMPは、実はシンプルに捕鯨と並行して行う目視調査に基づく総個体数のみから十分な安全率を考慮したうえで捕獲枠を算定するというもの。問題はこの安全率の見積もりが果たして十分かどうかです。このカドミウム"汚染"の問題にしろ、変異原性を持つ有機塩素化合物の影響にしろ、個体数減少という目に見える形で影響が表れるまでには、性成熟年齢の高さや、蓄積して発症するまでの期間を含めると、かなりの時差を伴います。コンティンジェンシーをよほど高めに設定しない限り、他の大型ヒゲクジラ類で犯した愚を再び繰り返すことになりかねません。南極海生態系で"ヒゲクジラチーム"にはクロミンクに代わる"控え選手"がもう残っていないのですから、石橋を叩いて渡るくらいの慎重さを期して当然でしょう。ついでにいえば、危険信号が出てモラトリアムを発令した場合、発症年齢を考慮すれば、再び商業捕獲にゴーサインが出るまでの期間は最低20〜30年ということになるでしょう。これでは、少なくとも水産会社による従来の商業捕鯨が成立する余地はありませんね・・。
カドミウム"汚染"の影響を考慮した場合、Aの段階に入る手前で絶対に食い止める必要があります。実際には理論どおりには運ばず、"見かけの増加率"は自然要因によって絶えず変動しますから、その分のバッファーも当然積まなくてはなりません。万全を期すためには、やはり目視による調査のみでなく、捕獲した個体の相当数で腎機能・肝機能値の検査を義務付けるべきでしょう。調査の名のもとに行われている現在の捕鯨でもさっぱりできていないようですが・・。この点は、鯨研に生データを公開させ、中立の立場から科学委に検証させることがぜひとも必要と思われます。自分の首を絞めることはしたがらないだろうけど・・。
もっとも、既に手遅れかもしれません。前章で示したとおり、80年代のわずかなサンプルからも腎障害の疑いを示すデータが出ているのです。仮にこれが商業捕鯨によって引き起こされた南極海生態系の撹乱、具体的にはシロナガスを始めとする大型ヒゲクジラ類の激減による大きなニッチの空白が原因だとしても、"汚染"状態を解消するためには、クロミンククジラがAを脱して更新された@の段階へ速やかに到達してくれるのを待つ以外ありません。
ところが、日本はその後20年間、1000頭規模の調査捕鯨という形でAをさらにB、Cへと進めさせかねない誤った方法をとり続けました。そして今、当時の76万に代わる最新の正確な数字は一向に示されないまま、IDCRの3周目に入って、予想を大きく越える小さな数字が出ているとのこと。日本側は「ミンクがパックアイスに逃げるのがうまくなった」といった、科学的とはいいがたい弁解でお茶を濁していますが、果たして本当にそうなのでしょうか?(こちらも参照) 筆者としては、地球温暖化などとともに、このカドミウム"汚染"が原因で個体数の実数が減少したのでないことを祈るばかりです。それはとりもなおさず、日本が、他国も含む前世紀の捕鯨産業の過ちから何一つ学ぶことなく、最後のクロミンククジラまで絶滅の危機に追いやった重大な責任を負うことを意味するのですから──。
クロミンククジラの"捕鯨汚染"の問題は、私たちに次のことを教えてくれます。
- 自然界の挙動について知ろうとするとき、私たちの科学がいかに未熟で浅はかなものかということ。
- 一度自然を傷つけてしまったら、それを取り戻すのがどれほど困難かということ。
- とりわけ南極のようなニンゲンという動物にとって"遠い自然"は、経験や伝統に基づく感覚も、合理的な科学も及ばない、里山のような"身近な自然"とは根本的に異なるものなのだということ。生物資源の持続的利用の可否はまず身近な自然で実証すべし!!(日本はそれすら満足にこなせていないというのに!!!)
※追記:(2008/3/3)
鯨研は、JARPAの一環として汚染物質の調査をしており「汚染濃度は低く南極海はクリーンだとわかった」と、ごく簡単にまとめています。
http://www.icrwhale.org/02-A-56.htm
しかし、実際に公表されている数値を見ると、南極海のクロミンククジラについてはPCBで10年間でたったの3体の標本でしか検査していません。筋肉中に蓄積する水銀(総水銀のみ)は200サンプルで検査してますが、カドミウムの数値は掲示されていません。"商品"として市場に流す筋肉中の濃度はPCBも測ってますが・・。
http://www.icrwhale.org/03-A-b-06-1a.pdf
農水省のHPでも、12年間の調査捕鯨の成果という形で公表しています。それを見ると奇妙なことに気づきます。北太平洋産で騒がれたPCB等については「こんなに低いんだから安全だ」と自慢げに数字を掲げているのに対し、水銀とカドミウムは「出すまでもない」というような付け足しの扱いです。ところが、その部位はどういうわけか肝臓・腎臓中の数値がなく筋肉のみなのですね……。
http://www.jfa.maff.go.jp/rerys/11.11.9.2.html
汚染物質の生体内への蓄積は、その化学的性質の違いから種類によって大きく傾向が異なります。脂溶性のPCB等は脂皮に集中して蓄積しますが、カドミウムその他の重金属は脂皮では低く、筋肉、骨、脳、そして腎臓や肝臓などの器官で濃縮されやすくなります。微量元素の検出を検査機関に委託する費用はバカにならないので、いま台所事情が非常に厳しいといわれている鯨研としては、多数の個体の多数の部位からサンプルを集めて検査に回す余裕がないことも考えられます・・。が、そうであれば、PCB等有機塩素系については脂皮、カドミウム等重金属については腎臓・肝臓を検査対象として優先すべきでしょう。カドミウムの濃度を筋肉で調べたデータのみを公表するのは不自然です。もともと耳垢専門だから海棲哺乳類の化学物質汚染の実情を十分理解していないのか、それとも何かヤバイことが見つかってごまかそうとしているのか・・・。
ここで次の2つの表をご覧いただきましょう。表1は調査捕鯨12年分のデータに基づく北西太平洋ミンクと南極海クロミンクの数値を比較したもの。鯨研側が「クリーン」と言ってのける南極海のほうでカドミウムの数値のみ北太平洋のものより高いことががわかります。
出典:農水省・鯨研HP 表1:汚染物質の蓄積量比較その1(単位:ppm) 汚染物質 PCB 水銀 カドミウム 部位 脂皮 筋肉 筋肉 筋肉 北西太平洋ミンククジラ 0.29-0.8 0.005-0.058 0.009-0.83 -0.04 南極海クロミンククジラ 0.023-0.11 0.000081-0.00031 0.003-0.07 0.01-0.32
続いて表2は、同じ南極海クロミンクでの調査捕鯨期間分とそれ以前のデータを比較したもの。'87年以前の分は37検体をもとに標準偏差も求められていますが、調査捕鯨のほうは検体数が少なすぎて出す意味がないのか・・(商売でやっていたときより"科学的調査"のほうが精度が悪いのか??) いずれにしても、筋肉中のカドミウム最大0.32ppmという数値は、商業捕獲時代の平均0.05ppmという数値を大きく上回っています。筋肉中でさえ約3倍も増加している以上、腎臓・肝臓の値のほうで下回っているということはおよそ考えられません。すでに「腎障害が起きている疑い」をもたれていた時点から、その後の十年間でカドミウムの生体濃縮が明らかに進行していることを意味しています。場合によっては、もう臨界を越えて腎障害が多発するモードに移行してしまった可能性さえあります。
出典:農水省・鯨研HP、「重金属汚染と海の哺乳類」(愛媛大本田、'90) 表2:汚染物質の蓄積量比較その2(単位:ppm) 汚染物質 カドミウム 部位 筋肉 肝臓 腎臓 -'87
(平均値±標準偏差)0.05±0.04 15.4±9.39 21.4±85.0 '89-'98
(最小値−最大値)0.01-0.32 ??? ???
論文の末尾で愛媛大本田氏は「腎障害について現在検査を急いでいる」と記していますが、その後調査捕鯨で鯨研がどこまで追跡調査を行ったのかはわかりません。腎・肝機能値の検査は微量の化学物質の検出よりコストはかからないはずですが・・。愛媛大の研究グループによる近海の歯鯨類やアザラシなどのデータと比べても、やはりカドミウム濃度の高いイカを主に捕食するイシイルカを除くとこの数値はズバ抜けています。しかも、'87以前でさえ腎臓と肝臓の値はイシイルカをも大幅に越えているのです。研究者独自の調査で行えているにも関わらず、国が丸抱えをしている国家事業的研究で、こうした重要な数字のみ出てこないのは非常に問題があります。
もう一点補足すると、クロミンククジラの見かけの増加傾向は、ニッチの空白よりむしろ70年代以降開発されモラトリアム後も調査の名目で続行されている捕鯨そのものが主因で引き起こされたのかもしれません。ナンキョクオキアミの年次推移・その動態と商業捕鯨との関連は、「1.5億トンは余剰が生じただろう」といったきわめて大ざっぱな推測のみで、明らかなのはカニクイアザラシやミナミオットセイの個体数に増加が見られたことだけです。日本など捕鯨国によるかつてのクジラの乱獲が、海鳥、魚、イカ、その他低次捕食者・生産者を含む南極海生態系全体に大きな混乱をもたらしたことは間違いありませんが、クロミンククジラの個体数が増加したという直接的な証拠はありません。ザトウやシロナガスの一部に回復の兆しがあるという、ミンク間引き論とまっこうから矛盾する報告もあります。一方、水産学の基本的な考え方に則れば、人為的な捕獲の圧力を加えることによって、クロミンククジラの各種のパラメータは変化するハズで、どう転ぶかわからない生態系における種間関係の変化より結論はシンプルで明解です。80年代から90年代にかけてのタイミングでカドミウム蓄積量の数値が跳ね上がったということは、時差を考えても70年代以降の捕獲の影響と考えるほうが辻褄が合います。そして、見かけ上いくら増加しているように見えても、捕殺と腎障害によって相殺され個体数が減少にまで転じてしまっているとしたら……そして、その結果がIDCRでの報告に表れているとしたら──。
筆者はこの問題について一度複数の研究者に問い合わせたのですが、一介の市民であるためか目下のところご返答をいただけておりません(--;;(現在再確認中)。どなたか専門的な訓練を受けた科学者・ジャーナリストの方に、さらなる徹底的な検証をお願いしたいところなのですが……環境化学と資源動態学の両方に精通したニンゲンがいないとキビシイ。。
※追記:(2008/5/20)
表1について、少々わかりにくい点があったかもしれません。北西太平洋ミンククジラの筋肉中カドミウム濃度は、正確には[検出限界以下〜最大値0.04ppm]です。こういう場合、最小値"0"という表記の仕方はしません。ソースはもちろん鯨研です。まあ、数字をそのまま見ていただければわかるとおり、南極海クロミンククジラの方が最大値、平均値いずれも約8倍も生体中の濃度が高くなっています。小学校の算数ができる方は間違えることはないとは思いますが・・・・某巨大掲示板にて、この表を見て「北西太平洋ミンククジラの方が南太平洋クロミンククジラよりカドミウム濃度が高い」というきわめて単純な事実誤認の書き込みがなされたようなので・・・・。