(初出:2005/9/4)
間引き必要説の大ウソ
日本では、南極海でいつまでたっても個体数が増加に転じる兆しが見えないシロナガスクジラなどの大型ヒゲクジラ類を回復させるためには、ミンククジラを間引かなければならないということがまことしやかに喧伝されています。
この仮説は、大型鯨類の減少によって生じたニッチの空白がミンククジラによって占められたという前提に基づいています。が、果たして実際のところはどうなのでしょうか?
まず、それぞれの種の増減の因果関係を具体的に立証するのは非常に困難です。主にコンピューター技術の飛躍的な向上に伴い、今日では数理生態学の分野が目覚しい進歩を遂げ、生物種の動態に関する各種の数理モデルが扱われるようになりました。しかし、これらは扱うパラメーターを少数種間の捕食・競合関係に絞った近似的シミュレーションであって、現実の生態系については多少もっともらしい説明がつけられるようになったというレベルに過ぎず、将来予測・野生生物の保護管理への応用が可能な段階には至っていません。生態系の変動に関して考慮すべき要素はあまりに複雑なうえに未解明な部分も多く、化学や工学、あるいは気象学・地震学の分野におけるコンピューター・シミュレーションと同水準の結果と精度を求めることは無理な相談なのです。
南半球産ミンククジラの個体数については、IDCR(国際鯨類探査十ヵ年計画)によって1990年までに導き出された76万頭という数字がありますが、前後で統計的に増減を比較できるデータがありません。カドミウム汚染の項でも触れた性成熟年齢の低下というのは一種の状況証拠ですが、ミンククジラのほか、個体数が大幅に減少したナガスクジラなどでも報告されています(注:この"状況証拠"については1997年度のIWC科学委においても一応認められています)。また、オキアミにもいくつか種類があり、カイアシ類など他の動物プランクトンも含め、ヒゲクジラ類の中でもそれぞれの種によって対象となる餌の種類に差があります。同じオキアミの捕食者でも、鰭脚類や海鳥類は増加した一方、魚類は若干減少したとみられ、これはオキアミ以外に魚も捕食するこれらの大型捕食者の増加に起因すると考えられます。
もう一つ、この仮説にまったく欠けているのは、大型ヒゲクジラ類の減少がどのようにしてもたらされたのか?という視点と説明です。そこにはむしろ因果関係の転倒さえうかがえます。事実をいえば、シロナガスクジラなどを減少させたのはあくまでも商業捕鯨による乱獲です。ミンククジラではありません。"海のゴキブリ"などという呼称まで持ち出して、商業捕鯨の適正管理に対して責を負っていたはずの鯨類学界の無能を一切省みることなく、あたかもミンククジラが悪者であるかのように吹聴する姿勢には憤りを覚えずにはいられません。性成熟年齢に達するまでに少なくとも七年以上、一産一子で繁殖サイクルも最低一年のゴキブリなどどこにもいやしませんからね。そんなこといったら、哺乳類の99%はゴキブリ以上(ノミ並?)になっちゃいますよ(汗) そんなことを言う輩は生物学者の風上にも置けません。
因果関係に関する正しい説明を続けましょう。シロナガスクジラなどが捕鯨によって壊滅的な打撃を受け、回復がほとんど不可能なまでに個体数を激減させられたがために、空白となったニッチがミンククジラ(一部イワシクジラなども)、カニクイアザラシやミナミオットセイなどの鰭脚類、ペンギン、魚類その他のオキアミ捕食者(この下線の部分が捕鯨擁護派の主張では"省略"されているところがポイントです)によって、埋め合わされたと考えられるのです(ミンクを含めあくまで証明はできませんが)。逆ではありません。南半球のシロナガスクジラは、南極の海に捕鯨船が闖入してくるわずか一世紀前までは少なくとも現在のミンククジラと等しい(バイオマスで見ればはるかに多い)ケタの個体数が生息していました。人間の管理がなければ回復できないのであれば、過去百万年の間にとっくに激減・絶滅していたはずですが、実際には、ミンククジラや他の繁殖力の高い競合種の海棲動物と間違いなく共存できていたのです。にもかかわらず、現在回復がままならないのは、そもそも個体数の大幅な減少そのものが繁殖に著しい支障をきたしているからだと推測できます(前項で述べたとおり、陸上の大型哺乳類において知られているように、繁殖に関わる密度依存的な社会行動の変調がその大きな理由だと考えられます)。そのような状態にまでクジラたちを追い詰めた人間が「南極海の生態系を管理できる/しなければならない」などと嘯くのはおこがましいにもほどがあります。
上記のとおり、捕鯨擁護派の間引きに関する主張は完全にナンセンスです。少なくとも、競合種の中でより繁殖率の高いアザラシやペンギンを大量に間引かないことにはまったく意味がありません。もっとも、そんなことをすれば、「カワイイが保護色!」なんて写真集が売れるようなどっかの情緒的な動物観の国民(こちらの項も参照)からは盛大に反発をくらうかもしれませんし、肉を売る市場もありませんけどね。。おそらく、最善なのは下手に手をつけずにそのままほっとくことでしょう。南極の自然にとっては、生態のまだ近いミンククジラに穴埋めをしてもらう方がマシに違いありますまい。
いわゆる"間引き"による野生動物の管理が必要な状態というのは、天敵を撲滅したり、植生を大幅に改変したり、あるいは人間がよそから持ち込んだ移入種だったりと、いずれも人間の浅はかさが招いたものです。IWCに出席している日本の関係者の中には、なんと沖縄のマングースをミンククジラと同列に扱っている人なんかもいますが、このあまりの生態学的無知には開いた口が塞がりません。なぜって? だって、沖縄にマングースを導入したのは、ハブを退治しようなどというまさしく安易な捕鯨的自然管理の発想にほかならなかったんですから──。
クジラが殖えすぎて海があふれた!? んなアホな…
ちなみに、76万頭という数をめぐっては、日本では安全率を過大に見積もっている過小な数字であるとされ、業界の応援団のオピニオンやジャーナリストが百万は下らないだろうと盛んに吹聴していました。が、継続的に捕獲を含む調査を行っている以上、もっと精度の高い直近のデータが日本から出てきてもおかしくないはずなのに、なぜか更新されません。小さい数字を出して減ったと思われるのを恐れているんでしょうか?? 鯨研自身、目視調査で興味深いデータが次々に集まっているなかで致死的調査の意義がますます薄れつつあることを認めてるようですが(HP上の記述はなんか削除しちゃったみたいですニャ〜・・)、だったら、毎年耳垢栓の切片作ってレポートするだけの新味のない研究はやめりゃいいでしょうにね(--; 死体は他の動物学の分野と照らしてもストランディングの調査で十分なはずですから。 鯨肉市場の維持のための隠れ蓑に科学の名が使われているのは哀しい話です。(未確認生物ミンククジラ!?も参照)
補足1:
シロナガスとミンクの競合は、シロナガスが1属のオキアミに依存していて、ミンクとかぶっているという説明がなされてきました。が、オーストラリア南部に回遊している個体群では索餌期の延長、オキアミ以外のリソース利用が報告(目視)されています。シロナガスの食性については、商業捕鯨時代の解体鯨の胃内容物に基づく研究だけだったわけで、その意味では、1)捕鯨付随の致死的調査オンリーでは実態を反映できない、2)資源学至上主義的な固定観念のために適応力について予測できず誤謬を招いた、ということもいえそうです。まあ、ミンクの方は捕りたいから「適応力があるんだー」と言ってましたけどねぇ。。シロナガスにしろミンクにしろ、商業捕鯨という未曾有の災厄(温暖化その他によるオキアミ減少もあるでしょうが、いずれにしろ"人災"ですね)からなんとか懸命に立ち直ろうとしている姿(クジラというより南極の自然の)には胸を打たれるものがあります。別に彼らがそうしたかったわけじゃないでしょうが……。
補足2:
2chやYAHOOなど巨大掲示板で声の大きな捕鯨シンパの流布する言説に、戸惑われる方もいらっしゃるかと思います。間引き説の非科学性については改めて繰り返すまでもないことですが、いくつか補足しておきましょう。
「クジラに比べれば、アザラシやペンギンの影響など取るに足らないんじゃないか?」と、身体の大きさだけで単純に考える方も多いようです。ここで問題になるのは単位体重当り摂餌量であり、実際にはクジラに比べ代謝の高い小型動物のほうがはるかに大きくなるのです(単にバイオマスだけ見ても、カニクイアザラシなどはべらぼうで到底無視できないのですが)。生物学では常識なんですけど・・。
また、日本の鯨類学者の算出した増加率・妊娠率、死亡率を持ち出し、ミンククジラの繁殖率の高さをアピールする方もいるようです。しかし、瓦解した76万頭に替わる数字を未だにずっと出せずにいるお粗末な日本の鯨類学界の古い数字な上に、これらは調査捕鯨に基づくポピュレーション推計から逆算したものなのですが、目視の精度についても大幅な見直しを余儀なくされている中(こちら参照)、(単なるカウント率ではなくポピュレーション構成そのものに関わる)より強力なバイアスのかかる調査捕鯨のデータでは、はっきり言ってあてになりません。さらに、シャチの被食による自然死亡率が低いという話は、「ミンクの胃内容物を調べないと南極の生態系はわからないんですよ」とのたまう日本の鯨類学者のこと、シャチを調査捕獲して胃内容物を調べない限り、彼らには検証する能力がありません。シャチの場合、捕食対象が幅広く個体群や海況による変化も大きいでしょうから、多大な年月をかけて膨大なサンプル(捕殺数)を蓄積したとしても、ヒゲクジラ−オキアミ間の被・捕食関係より究明は困難でしょうけど・・。いずれにしても、海洋生物を軒並み同じテーブルに乗せた場合、ミンククジラの繁殖率が圧倒的に低い部類に入るのは一目瞭然ですが(上記本論のゴキブリ・ノミの話参照)。
2chラーはともかく、水産庁や鯨研の関係者なら生物学の素養がこのレベルじゃお話にならないので、無知というよりしらばくれてるだけでしょうけど。別にネットのBBSでツッコまなくても結構ですが、環境省主催の審議会などでまで間引き説を未だに引用させて放置してるんじゃ、日本の鯨類学のお粗末ぶりを世界にさらけだしているようなものです・・。また、捕鯨シンパには「反捕鯨の主張は"ダブスタ"(ダブルスタンダードの略ですね・・)だ!」としきりに吠える傾向が見受けられますが、この間引き説をはじめ捕鯨擁護論の随所に見られるミンククジラに対する異様な別格扱いぶりを前にすればかすんで見えます。もっとも、捕鯨ニッポンのダブスタは「肉にして売りたいのがミンクだから」と極めてわかりやすいんですが・・。
捕鯨擁護論者はとかく聖書などを反捕鯨とからめるのがお好きなようです。ナショナリストのアングロサクソン・コンプレックスと一笑に付すこともできますが、笑って済ませられる話でもありません。社会学者も捕鯨への固執の動機と解く日本の捕鯨シンパの憎悪に駆られたが如き反・反捕鯨運動は、西側のキリスト教社会に反発するイスラム教原理主義を彷彿とさせます。相手に対する自己内イメージを勝手に膨れ上がらせているという点においても、両者にはまさに共通するものがあります。
シロナガスクジラはミンククジラやカニクイアザラシその他の南極海の生物群集と数十万年の長きにわたり共存してきました。この数十万年の間、幾度もの気候変動をはじめ自然な環境の変化にさらされてきたわけですが、それでもクジラたちが他の動物たちと(生態学的な意味で)良好な関係を保ち続けていたのは紛れもない事実です。しかし、商業捕鯨によってわずか百年足らずの間に南極の生態系は歯車を大きく狂わされました。自然史になかった捕鯨というニンゲンの愚行のインパクトがそれだけ圧倒的だったわけです。その意味では、ニンゲンは自己及び他者への管理能力を持たないバーサーカー的神だったともいえるでしょう。6千年で世界が造られたというのが単なる御伽噺なのに対し、百年でカタストロフをもたらしたこっちの方はリアルなノンフィクションですけども・・。
付け加えると、インパクトでもコントロール不可能な点でも捕鯨を上回る地球温暖化というニンゲンの文明活動が招いた環境破壊によって、海洋無酸素事変という恐るべき事態が将来的に引き起こされてしまう可能性も出てきました。これは5千万年の進化史を持つクジラたちにとっても未体験ゾーンであり、捕鯨や汚染などの人為的影響に対してきわめて脆弱な南極海生態系に壊滅的なダメージをもたらすことになるでしょう。もはや「捕鯨によって南極の生態系を管理するんだ」などという世迷いごとを言っている場合ではないのです。
沖縄にマングースを持ち込むようなバカげた発想と能力の域から未だに脱け出ることのできない捕鯨ニッポンに南極の自然の行く末を委ねてしまうことは、将来の世代に対してあまりにも大きな禍根を残しかねません。「ニンゲンという神が自然を管理セネバナラナイ」と説く捕鯨一神教を盲信するのは、ファンダメンタリスト以上に危険なカルト的狂信者集団に入信するも等しいことです。みなさん、くれぐれもご注意のほどを・・・・