(初出:2007/10/14)

トンガの仔クジラたちにも迫る危機!
"ザトウクジラカード"を振りかざす
北朝鮮も真っ青の捕鯨ニッポン焼けっぱち外交

 10月6日(土)TBS夜9時からの「世界・ふしぎ発見!」というクイズ形式の紀行番組で、トンガのザトウクジラが取り上げられました。
 番組中でも紹介されたとおり、南太平洋に位置するトンガ周辺の海域はザトウクジラの繁殖場となっており、クジラと一緒に泳ぐこともできる世界有数のウォッチング・ポイントとしても知られています。実際にレポーターが挑戦したドルフィン・スイムならぬホエール・スイムの模様が間近に映し出され、映像としてはなかなか見応えがありました。尾ビレでニンゲンを弄ぶ様は、典型的な哺乳類の"遊び行動"で、微笑ましく感じられたものです。とはいえ、何しろ体重差数百倍ですから、尾の一振りで舟をひっくり返し、赤子の手をひねるごとく簡単にこの"小動物"を殺してしまうこともできたはず。ニンゲンを"自分たちに危険をもたらす存在"とみなしていないからなのでしょう。トンガでは80年代から捕鯨が禁止されてウォッチングへの切り換えが行われました。日本などからの直通便がなくまだ観光客が大挙して訪れる状況にないことや、ウォッチング事業者が研究者の提示するガイドラインを厳守していることも、ニンゲンとの間に良好な関係が築けている理由といえます。
 ・・と、ここまではよかったのですが、クイズのほうはなぜかトンガのクジラたちやそれを取りまく自然とは無関係の、日本の捕鯨産業に関するものでした。国際感覚があり日本のパンダ保護の顔としても知られる徹子さんなどは、「なんじゃこりゃ〜!?」と内心首をかしげてたかもしれませんね。。まあ、日本のマスコミ内部にも捕鯨シンパがだいぶ巣食っているので、横槍でも入ったんじゃないかと勘繰りたくもなります。どうせ出題するなら、トンガのクジラたちとも日本の捕鯨とも直接関係のある内容にすればよかったのに・・。

 Q:いま目の前を泳いでいるクジラたちは今年の冬にもある国によって殺されてしまうかもしれません。では、その国とは?

 A:ニッポン


 ・・・・。これ本当のことです・・・
 日本はここ数年、IWC上でザトウクジラを「獲ってやる〜〜」「獲ってやる〜〜」と呪詛のように繰り返し唱え続けてきました。日本が実施している南極海の捕獲調査計画JARPAUは、距離が近いという理由でW区とX区という太平洋側の2海区で交替に行われているのですが、当然ながらここはオーストラリアとニュージーランドの直下にあたる部分でもあります。この2海区には、オーストラリアの南・西部海岸沿い、豪州−NZ間を抜けてグレートバリアリーフに至るルート、NZの東側から南太平洋諸国に至るルートの、大きく3系統のザトウクジラが冬季(南半球の夏)に索餌のために回遊してくると考えられています。このJARPAU上で(クロ)ミンククジラに加えてザトウクジラ50頭も「殺してやるぞ〜〜」と言っているわけです。
 豪州、NZに回遊しているザトウクジラは順調に増加しているのに対し(「だから殺していいんだ」というのが日本の言い分ですが)、各島嶼周辺ごとの小グループに分かれている可能性もある3系統目の個体数は、トンガでもまだやっと700頭ばかりで、他の島では減少しているところもあり、回復には程遠いのが実状です(こっちも対象範囲の隣りの海区に回遊しているはずだからたぶん問題ないという言い方ですが)。
 商業捕鯨時代からも、隔離されている冬季の繁殖海域と異なり、隣り合っている夏季の索餌海域では系統群の行動範囲を越えて行き来している個体がいることは指摘されていました。北太平洋のザトウクジラの尾ビレ標識を用いた数年間の目視調査でも、メキシコ沖、琉球・小笠原、ハワイの異なる繁殖海域をまたがって移動している個体がいることなどが確認されています。"迷子"や"気まぐれ"といった必ずしも生存上有利といえない形質が遺伝子プールの変化・多様化に貢献しているとすれば、生物の進化・多様性の奥深さを示す大変おもしろい話ではあります("方向音痴"の遺伝子なんてものがあったとしても固着はしないでしょうけど・・)。が、これは今もなお減少している個体群の浮動個体への直接の影響、及び減少している個体群の増加に寄与しうる個体群へのダメージによる間接的な回復の鈍化など、単純な数字の計算ではすまない様々な影響を与える可能性もあるのです。いずれにしても、専ら商業捕鯨の影響でCITESの危急種に分類されるまで数を減らした種に対し、やっと回復の兆しが見えてきたというところで「すぐに殺してしまえ!」というのは、野生動物の保護管理の観点からはあまりにも乱暴な発想といえます。
 沿岸性でニンゲンがアクセスしやすいところに分布域を持ち、ヒゲクジラ中最も多くのパフォーマンスや歌まで披露してくれるザトウクジラは、ウォッチャーの間でもとりわけ人気の高い鯨種です。しかし、従来の捕鯨業者には、「ミンクより足が遅くて歩留がいいから得だ」くらいの認識しかありませんでした。冷凍鯨肉にしてしまえば、食通だろうと区別はつかないでしょうしね(「ミンクの方がうまい」という奴はいるかもしれませんが・・)。
 例えば、あなたが自然観察会に参加して、姿を現して豊かな時間を提供してくれた鳥や虫、獣がいたとしましょう。同じ種類の動物が、場合によってはいま見たばかりの個体自身が、別の場所、別の時間に、「殺すのは俺の勝手だ、何が悪い」と息巻く別の誰かに撃ち殺されてしまいました。全然OKですか? 何の痛みも感じませんか? (まあそれを言ったら、実際のところ日本国内の野生動物はほとんどそればっかりになってしまいますけれど・・) あるいは、一度は絶滅に追い込まれるところだった野生動物を、町、国をあげて大切に見守り、ようやくのことで何とか個体数回復の兆しが見えてきたとします。その野生動物が、別の町、別の国で、「うちでは殺すのが当たり前なんですよ」とどんどん殺されていたら? それでも一抹の不快感も覚えませんか? 「おっしゃるとおりそのとおり」ですませられますか? ましてや、それが相手国の領土でないどころか、自分たちの国よりはるかに遠いくせに、自分たちの領土の目の前を通って死体を運んでいかれたとしたら? そして、「『殺させてくれ』という主張のみが絶対的に正しく、『殺さないで生かしてくれ』というのは明らかな間違いなのだ」と押し切られたなら? 価値があるのは死体の肉のみであり、生きた野生動物を楽しむのは価値にあたらない──公海上の無主物であるはずの野生動物に一方的にその価値観を当てはめようというのが、まさしく捕鯨擁護派の主張そのものなのですが・・。仮に、豊岡のコウノトリや佐渡のトキが、将来そういう憂き目に遭ったとしたら? 平気ですか? 数がギリギリのラインを越えさえしたらノープロブレムですか? その"感覚"こそ、国内の自然を構成していたはずのそれらの野生動物を追い詰めてきた原因に他ならないのと違いますか? そんなことでは、世界中のあらゆる野生動物はどんな種でさえ護ることができなくなってしまうとは思いませんか──?
 そればかりではありません。 国境を越えて移動する飛翔動物や海棲動物の調査にあたっては、研究者間の国際協力が不可欠です。一方の繁殖地を有する国の研究者が継続的なモニタリングを行っているときに、他方の越冬地を有する国ではガンガン致死的捕獲調査を行ったとします。時間をかけてせっせと個体識別用のデータベースを作成し、せっかくGPSの発信機を取り付けて放鳥したのに、経年変化をたどることによってこそ得られるはずだった数々の科学的知見も、捕殺された時点でぷっつりと途切れ、水の泡と化してしまうのです。自然死した場合でさえまだ多くの情報が得られるのに。
 生きたクジラとの付き合いを楽しんでいる大勢の人たちの神経を逆撫でする(豪・NZを反捕鯨国の急先鋒と目の仇にする人たちは「逆撫でされてきたのは自分たちのほうだ」と言い張るでしょうが・・)このような計画を、日本の水産庁・捕鯨サイドはなぜぶち上げ、数年間「やるぞ」「やるぞ」とちらつかせたのでしょう? なんと言っても、南半球のザトウクジラは日本の伝統とは百%何の関係もありません。南極でザトウクジラを何が何でも今年から50頭殺さなくてはならない危急性、必然性は皆無なのです
 実は、この間ザトウクジラの捕殺を取り下げる条件として掲げられたのが、日本の沿岸捕鯨の再開でありました──。
 私はそれを聞いて、「ああ、あの国にそっくりだなあ・・」と思わずにはいられませんでした。そう、核カードを振りかざして国際社会から譲歩を引き出そうとする例の国に・・・・。
 調査捕鯨をこうした政治的取引の道具にすること自体、「擬似商業捕鯨などではない純粋な科学目的によるものだ」という自らの主張を覆すものに他なりません。地域の平和と安定を脅かす「核カード」ほどの切迫さのない「ザトウクジラカード」は、残念ながら実行にまで移されることになりそうですが・・。

 国際舞台における各国政府関係者の発言内容は、往々にして額面どおりに受け取れないものです。その国が一体何を国益と考え、そのためにどのような結果を望んでいるか、発言の裏にあるコンテキストを読み解く必要があります。
 日本人の目からは支離滅裂にも映る北朝鮮の外交姿勢は、評論家諸氏の指摘するとおり、北朝鮮自身の明確な論理に裏打ちされた合理的なものです。相手国との距離感を測りながら硬軟取り混ぜてカードを繰り出し、最大限の譲歩を引き出そうとするそのやり方は、きわめて巧妙で、したたかです。
 もっとも、北朝鮮の"瀬戸際外交"は、末期的な独裁体制下にあるという同国の特殊事情があって初めて成立するもので、自由と民主主義を標榜する日本が本来とれる選択ではありません。にもかかわらず・・・ 「日本捕鯨9千年の歴史がうんたらかんたら──」と本会議の壇上で熱烈な講釈(こちらで解説しているとおり嘘八百なのですが)をぶちかましたり、科学者以外の人間を大挙して科学委に送り込んだり、水産ODAの形で一国当たり数億円を投じてカリブ諸国などの票を買ったり、官製NPOに便宜を図ったり、秘密投票を提案したかと思えば、 ウォッチングや捕殺などの問題を扱う部会は「関係ねえや」と席を蹴る──まさしく北朝鮮もタジタジの強硬姿勢のオンパレード。これまでの日本政府代表団の行動は、外交問題をウォッチしている専門家諸氏を悩ませるものでした。投下するエネルギーに見合うだけのどのような成果を期待しているのか、まったく見えてこないというのです。果たしてIWCにおける日本の外交姿勢からは何が読み取れるでしょうか? 北朝鮮ほどの戦略性があるのでしょうか? そこで日本政府が目指しているものは何なのでしょうか?
 北朝鮮が一つ間違えば核戦争勃発という重大事につながりかねない大博打に打って出たのは、金融制裁の解除、さらにテロ国家指定解除によって米国から独裁政権維持への保証を得ることが、あの国にとって何にも増して重要な事柄だからであり、その意味で一連の瀬戸際外交は合理的ではあったのです。では、日本の場合は? 食糧事情が逼迫しているわけでも、日本経済が捕鯨によって支えられているわけでも全然ありません。鯨肉そのものが、いくら学校で子供たちに無理やり食わせようとも、市場消費の減退で有り余り、冷凍在庫の山が年々高く積み上がっているありさまです。自給率低下に歯止めをかける抜本的対策もないまま、南極の野生動物を殺して食うことで"自給"になるなどというのはあまりにもバカげた主張ですし。さらに言えば、原産国・メーカー・小売による不正表示が幅広い食品で立て続けに起きており、日本人の食卓はクジラどころじゃない脅威に直面している状況です(他項も参照)。つまり、どう分析しても、IWCでの"瀬戸際外交"の背景にあるものが浮かび上がってきません。もはや瀬戸際、がけっぷちを通り越して、崖から飛び降り降下中という感じですが・・。
 まあもっとも、「日本捕鯨9千年──」の啖呵だけでも、当事者である一部の官僚についてみれば、突き上げる議連、周辺で応援旗を振るマスコミや文化人などとともに、「何が彼らをしてここまで突き動かしているのか」という問いに対する回答だけは明白なように思われます(「ナショナリズムとクジラ」参照)。捕鯨産業、鯨食文化をシンボル化し、国体を護持する冒さざるべき神聖な存在にまで祀り上げてしまったことで、ここまでのエネルギーを搾り出せるのでしょう。実態は日本の伝統からあまりにかけ離れているにもかかわらず・・。
 日本の政策がナショナリズムと結びつくときに顕著に表れる特徴として、"秘密主義"が挙げられましょう。核持ち込み密約疑惑、沖縄集団自決に関する教科書検定問題、現在国会で論争となっている米軍への給油問題に至るまで、密室で議論しその内容を公開しなかったり、米国の公文書に頼ったほうがはるかに情報が得られるといった、隠蔽体質が前面に出てくるケースは決まって新保守主義者が「"左"に知られると都合が悪い」と考えそうなものばかり。「この国は一体いつから北朝鮮になったのだろう?」と思わせるほど情報アクセスに対する自由がなくなってしまいます。調査捕鯨の生データ隠しや秘密投票提案など、IWC上でもその傾向は見事に現れています。
 また、従軍慰安婦や戦時中の残虐行為の問題に見られるように、都合の悪いことは常に過小評価(都合のいいことは過大評価・・)し、問題の本質から目を逸らそうとすることも然りですね。「狭義の強制はなかった」「虐殺は数がもっと少なかった」「手榴弾を渡しただけで命令はしていない」といった具合に。論理的には、「公文書が見当たらない」=「行われた事実はない」とはなりません。それは、"行われた事実"も"行われていない事実"も確認できないことを意味します。そもそも文書にしてなかった、紛失した、マズイので握りつぶした等々、いくらでも考えられるのですから。細菌戦部隊の人体実験に関する連合国への虚偽報告に見られるように、旧日本軍の関係者には平気でそういうことをする人たちがいたのですし・・。拉致問題にしても、「人権派の欧州が同調してくれず反応が冷たい」と嘆く前に、振り返るべきことがあるのではないでしょうか。自国の加害責任について客観視できずに、被害ばかりを世界に訴えようとしても、説得力を持つはずがありません。
 都合の悪い事実・情報は隠すか矮小化するという傾向は、IWC上でも如実に現れています。例えば、IDCR(10年計画の周回目視調査)の2回目と3回目の数字が大幅に食い違い、3回目で大幅な減少が指摘されていることについて。確かに今回の数字が小さすぎるようだということは他国の研究者も認めているのですが、そのほかにもいろいろなことが考えられます。まず、「そもそも初期の76万頭という数字が過大な推定だった」という非常に大きな可能性。そして、「調査結果の数字より多いにしても減少局面にはある」という小さくない可能性。それだけの時間は経っていますし、野生動物の場合、繁殖率を度外視した極端な増加はありえなくても、極端な減少は現実に起こりうることです。ことあるごとに「76万!」と信用しきって叫んでいた日本にしてみれば、「間違いだった」というよりは「正しかったけど大きく減った」という見方の方がむしろ合理的な結論ということになるでしょうけどね。。個人的には、調査捕鯨の影響もさることながら急速に進行する地球温暖化などが関わっていることも心配ですが・・。さらに、現行の目視調査の手法・精度に予想外の欠陥がある可能性も捨てきれません。そうなると、調査計画の大幅な見直しが必要ですし、改訂版管理方式適用の前提となる数字の話である以上、商業捕鯨再開の目処などまったくつかなくなったことも認めざるをえないでしょう。しかし、それらについては一切触れようとせず、プレスの質問に対しても「たぶん諸々の理由で今回の数字がおかしいだけだよ。正しい数字は今まだ検証中、ゴニョゴニョ」という言い方しかしません。彼らの頭の中はただ「数字が少なくなったと(世間やマスコミに)見られちゃマズイ!(汗)」という一言で占められているかのようです。ザトウクジラ捕獲の問題でも、「島嶼系が対象海区に回遊してきている証拠はないから問題ない」と言っていますが、「そうでない証拠もない」のです。この論法、まさに右翼にそっくりですね。
 さて、担当者が捕鯨を美化する国粋主義にどっぷり漬かっていたとしても、トップクラスの外務官僚などはどうでしょう? 重要政策の決定に与る日本政府の上層にいる人間までも、そこまで染まっているのでしょうか? もし彼らに大局をにらむ能力がなく、「日本の食文化が危ない!」と喚きたてるだけのレベルだとしたら──日本はとっくに国家としての機能を失い、北朝鮮化の道をまっしぐらに突っ走っていそうですね・・。
 では、IWCにおいて超強硬姿勢を貫く日本政府の真の動機、戦略的妥当性はどこにあるのでしょうか???
 最大の動機は「外交バランスそのもの」にあると筆者はみます。
 外務官僚・政治家にとっての最大の目標の一つは国連安保理の常任理事国入りです。仮に日本が常任理入りを果たした場合、重要議案のほとんどすべてにおいて米国と対立することは考えられず、実質的に米国の票を2票に増やすことになるでしょう。そして、そのことは世界のどの国も心得ているはずです。面と向かって言う国もありますけど・・。しかし──
「いや、いつもアメリカと仲良しこよしに見えるかもしんないけど、言うべき時はきちっと言うんです。異なる価値観を堂々と主張し、アジアの、太平洋の、島嶼国の利益を代弁できるんです。IWCを見て御覧なさいよ
 ──というわけです・・・・
 独自性をしっかりPRしたい、さりとて、本当に米国の臍を曲げるような真似は絶対にできない──となれば、IWCこそふさわしい舞台はありません。もちろん、IWC上での対立は米国との同盟関係に何の影響も及ぼさない、なぜなら「たかがクジラだから」──そういう目算があってのことです。いっそ華々しく火花を散らせた方が、自主独立の気概をより演出し、他の分野では決してできないバランス調整を図れるでしょう。それ故、捕鯨ナショナリズムに凝り固まった担当者がいくら息巻こうが、野放しにしてるんでしょうねぇ・・。
 IWCで捕鯨賛成票を投じてもらっているカリコム諸国に、日本はいずれも決まって経済援助と引き換えに国連とIWC上での支援を持ちかけたようです(こちらを参照)。2つの票を得るために外交関係を結んでいるといっても過言ではないのかもしれません。両者がセットになっていることは、このことからもうかがわれます。
 米国との二人三脚外交は、日本の外交能力のなさの裏返しです。その結果、アジアでも、中東でも、「日本に一目置く」国はますます少なくなりつつあります。地球温暖化問題など、京都会議のときからイニシアチブをとっていたなどととてもいえないのですが、欧州と米・中・途上国の双方を立て、コンセンサスを得て実をとるという、本来なら適任国として期待される役割さえ、到底こなせそうにない気配です。外交訪問は儀礼化し、カネの話以外は直接アメリカとしたほうが話が早いという具合で、国際舞台におけるその存在感は一層薄らいできています。6カ国協議の現状はまさにその象徴でしょう。
 常任理入りにしても、入って何をしたいのかが明確に見えてきません。常任理入りそのものが自己目的化しているようです。もちろん、わかりやすい答えは「米国を支援することこそが国益である」ということなんですが・・。国連常任理事国というステータスを求めるのは、むしろ「欧米列強と肩を並べる強国になりたい」という戦前の白昼夢に近いものがあるかもしれません。日本が本当の意味で独自色を打ち出し、世界から一目置かれる存在になるために最適な柱は"憲法9条"ではないかと、筆者なんかは思うんですが・・・。
 外交バランスの調整に次ぐ動機としては、同じく米国追従路線の副作用である国内の保守層のフラストレーション解消、そして水産行政の数々の失策の埋め合わせ/矛先転嫁でしょう。つまるところ、日本はIWCの席上で諸外国と歌舞伎めいた丁丁発止のやりとりをしながら、実際には完全な内向き指向で世界をまったく見ていないのです・・。それもまた、躊躇なく強硬路線に走れる理由でしょうが。
 そんなムチャクチャな外交方針で、果たしてデメリットは生じないのでしょうか? 米国との同盟関係にさえヒビが入らなければ本当にかまわないのでしょうか?
 こんな捕鯨ニッポンを、世界は果たしてどのような目で見るでしょうか──?

 「ジュラシック・パーク」などで知られるマイクル・クライトンが'92年に著した「ライジング・サン」は、"日本人・日本文化"をモチーフにしたサスペンス小説で、映画化もされました。"日本人の異質性"にスポットライトが当てられ、とりわけ日本企業の米国進出に警鐘を鳴らすような内容だったため、反日的として少々物議を醸したようです。日本人の目から読んでもなかなかおもしろかったのですが(笑えるとこもありましたけど・・)。
 もっとも、クライトンの指摘は、実際には完全な杞憂に終わりました。バブル崩壊からこの方、日本の経済界・企業は米国の投資家にいいようにあしらわれてきました。あの当時すでに、日本が米国資本を買い占めるというより、いい気になって高値で土地やビルを買わされた挙句大損させられただけでしたし。今でさえ、サブプライムローン問題でも為替の誘導で日本が損失だけを押し付けられる始末・・。政治の分野でも経済分野でも、日本はアメリカにまったく頭が上がらないのが実情といえます。今ではきっと世界中の多くの人々が、「日本に気をつけろ」などという論調は耳を貸すに値しないと、"害のないお人好しな日本人"像を受け入れていることでしょう。
 しかし・・・・IWC上での日本政府の態度が「ニッポン脅威論」に再び火を付けはしまいかと、筆者は懸念を覚えずにはいられません。普段はひた隠しにしている日本人の本性が、IWCという場において顕になっているんじゃないのか。他の席では温厚な顔をしているが、一皮向けば、その正体はエイリアンのように不気味で相容れない存在だ。南極の自然にまで自らの価値観のみを強引に押し付けようとするその姿勢は、戦前の超帝国主義時代のイメージとダブッて見える。彼らはあの頃と何も変わらない手に負えない民族で、唯我独尊の拡張主義こそがあの国の本音なのではないか──。
 日本が「伝統!」「伝統!」と自らの異質性を強調することは、取り返しのつかない国際的な信用の低下につながるかもしれません。
 日本の捕鯨推進の背景に硬直したナショナリズムがあることは、古参のIWC加盟国は十分承知しているでしょう。しかし、日本の声かけで賛成票を投じているカリコム諸国などは、実態をよくわかっていないかもしれません。何しろ、彼らの支持表明はレクチャーされたとおりに日本の持論を繰り返すだけですもんねぇ。。彼らが、「日本にくっついているといずれヤバイことになるかも・・」と勘付くのは、クジラにとってはプラスなのかもしれませんが・・。
 しかし、たとえクジラにとって幸いでも、日本人としてはこんな不幸なことはありません。「たかがクジラ」のために、姉妹都市提携を破棄してこどもたちの相互交流を含めた友好的な国際関係をぶち壊しにするような事態まで生じていますが、それはあまりにも愚かなことです。第一、それは日本人の総意などではありません。捕鯨にそこまで入れ揚げているのは、日本人全体の中のほんの一握りの人だけなのですから。あの国に例えるなら、将軍様一族と取り巻きの軍人たちというところでしょうか・・。そんな一部の人たちのために、あなたは世界を敵に回して戦いたいですか?? 公海に出てクジラを殺し続けることが、この国にとってそれだけの価値があるものだと、本気でそう思いますか???
 外務省の上級官僚さんが霞ヶ関からこんなとこをのぞいているとは思えませんが(ガンダムWIKIなら見にいくのかな・・)、もし外交バランスの平衡を保つことがIWC外交の現状路線放置の理由なら、それがもたらす潜在的な国際交流上のデメリットについてぜひとも再考してもらいたいものです・・・。