4 集  会

 それからの数日間、クレアは来る日も来る日も息子の姿を求めてさ迷いました。彼女の属する〈小郡〉の領域内は隅から隅まで見て回りましたが、ジョーイの居所は依然として突きとめられないままでした。もうこれ以上友鯨(ゆうじん)たちを煩わせるわけにはいきませんでした。彼女たちも自分のこどもの面倒を看なくてはいけませんし、来年もまた元気な赤ちゃんを産むためには、収獲の仕事だって疎かにはできません。クレアとしては鯨ヒレ(ひとで)が欲しいのはやまやまでしたが、貴重な時間を割いてよその子の捜索につきあってくれた仲間たちの子育て業を妨げる気は毛頭ありませんでした。
 ただ、アンとレックスだけは、なおも暇を見つけてはクレアにヒレを貸してジョーイを捜し続けてくれました。もっとも、アンにも自分の息子バートがいるため、彼女たちは交代でリリと二頭まとめて世話をすることにしました。クレアを励ますつもりもあって、アンはおどけてこう言ってみせました。
「なんだか私も楽して双子を授かったみたいな気分よ」
 レックスも、食べる時間さえ惜しんでジョーイの行方を尋ね泳ぎました。クレア自身に至っては、息子が行方不明になって以来、オキアミ一匹口にしていなかったのですが。しかし、三頭の懸命な捜索にもかかわらず、ジョーイの消息は一向につかめませんでした。次第に絶望の色が濃くなる中で、〈小郡〉の〈集会〉の日がやってきました。
 ミンククジラの社会は、いくつかの階層を持つ〈郡〉という単位を基礎に構成されています。彼らの種族はまず、この惑星の南と北のそれぞれに大きく分かれています。南半球に住む者たちは、自分たちのことを〈表の一族〉、北半球に住む者たちのことを〈裏側の一族〉と呼んでいます。北半球側に行けば、この関係が逆になり、逆に南半球に住む者たちのほうが〈裏〉になるのですが。北生まれの者は胸ビレの根元近くに白い斑点を持っており、南生まれの者ではこの識別標識がグレーに変わります。〈表裏〉双方の種族は、ともにそれぞれの極に近い海域を餌場とし、赤道に近い暖かい海を繁殖海域に選んでいますが、二つの一族のクジラ同士が顔を合わせることはまずありません。なぜなら、両半球では季節が逆になっているので、赤道へ回遊してくる時期も半年分ずれているからです。しかし、何世代かに一頭、規定のコースを外れて〈表〉と〈裏〉との橋渡しをする者が現れます。そのクジラは〈伝道者〉と呼ばれ、生まれたその日から自らに課せられた定めを知っているともいわれます。〈伝道者〉は自ら未知の航海へと乗りだし、飢餓で果てる危険を冒しながらも、古の血によってつながれた兄弟たちのもとをめざします。彼らはそこで客鯨(まろうど)として迎えられ、郷里の様子を伝えて歴史のより糸の結び目となるのです。そのうちのある者は、ずっと異郷の海にとどまってその水底に骨を埋め、別の者は再び生まれ育った故郷への路をたどり、情報交換の役を果たします。
 クレアが属する南半球の一族には七つの〈大郡〉が存在します。〈大郡〉は白い大陸をとり囲む〈豊饒の海〉を七つに区切った海域をそれぞれの領分としています。一つの〈大郡〉の〈食堂〉は隣り合う〈大郡〉のそれと接していますが、〈抱擁の海〉のほうは別々に分かれており、冬の間はお互いに接触する機会はありません。〈大郡〉内のクジラたちは遺伝的に共通の血を引く者が多くを占め、家系図をたどっていくといずれは一握りのご先祖さまに行き当たります。クレアが属しているのは、ロス海を収獲の場とし、太平洋の中ほどに近い海域を繁殖の場とする、ミンククジラ属中最大の〈大郡〉で、〈表の一族〉のうち半分近い数のクジラを擁しています。〈大郡〉はそのようにたいへんな大所帯なのですが、別の〈大郡〉の中には、〈沈まぬ岩〉の集中攻撃を受けて早くも数を大幅に減らされたところもあると聞きます。多くのクジラは終生一つの〈大郡〉で暮らし、つがいの相手も同郷の者から選ぶのが普通です。ただし、年に一割ほど他の〈郡〉に引っ越す者もいます。先の鯨口(じんこう)の減少した〈大郡〉からは、隣りに位置するクレアたちの〈大郡〉に対して、何百頭か移住者を差し向けてほしいとの要請が来ていました。
 各〈大郡〉の中には、さらにいくつかの〈小郡〉が含まれます。〈大郡〉は主に血筋と行動圏のみによって保たれている関係で、情報の流通はあるものの、ひとつの群れとみなすには規模が大きすぎます。そこで、さまざまな社会的機能を有するグループの単位となる〈小郡〉があるわけですが、陸上の他の動物や魚たちの群れと異なるのは、必ずしも空間的なまとまりを持った集団ではない点です。通常、クジラたちは単独か家族単位で行動することが多く、一見すると群れ社会を形成しているようには見えません。それでも、同じ〈小郡〉に属するクジラ同士は、離れた場所にいても音声を通じてコミュニケーションをはかっており、同じ伝承や歌を共有しています。クジラたちの〈郡〉は、いわば住む場所に縛られないコミュニティと呼ぶことができるでしょう。一つ一つの〈小郡〉は数十から二、三百頭のクジラを成員としています。クレアたちの〈小郡〉は、およそ百頭余りのクジラが集まった平均的な〈郡〉の一つです。こうした社会構造はクジラの種ごとに違っており、それぞれ独自の特徴があります。
 各々の〈小郡〉にはいろいろな役割を担うクジラがいます。彼らはおとなになると、自分にふさわしい職業≠どれか一つ選ぶことができます。例えば、〈音楽家〉や〈歴史家〉、〈ナチュラリスト〉などなど。彼らはだれもが〈収獲者〉として食べていくのには不自由していませんから、職業の選択は一頭一頭の自由に任されます。どの仕事も社会にとって無益なものはなく、しかも自分の性に合った好きなことを生業にできる──クジラたちの仕事とはそういった性質のものなのです。
 ちなみに、レックスの肩書きは〈クリエーター〉、由緒ある正式名称でいうと〈幼心を擽る者〉です。いつまでも童心を失わない彼にいかにもふさわしい仕事でしょう? クレアはというと、自分では特別な才能を持ち合わせておらず、強いて挙げるとすれば、いささかありきたりながら〈母親〉であることくらいだと思っていました。若くして三頭の子を社会に送りだしたうえ、双子まで育ててきたことで、彼女は平凡な〈母親業〉にかけて非凡な才能を示しました。いまの彼女は、その母親として自分は失格だと思いこんでいたのですが……。
 それらの多くの職業の中でも、とりわけ〈郡〉にとって重要なものが三つあります。それは〈政を司る者〉、〈来し方の語り手〉、〈行く末の語り手〉です。〈政を司る者〉は〈小郡〉内のクジラたちをまとめる実質的な統率者です。彼女(メスがなる場合が多いのですが)は群れのメンバーの声を集め、二頭の〈語り手〉の意見を判断材料とし、〈小郡〉全体に関する事物を取り決めます。それらは回遊の時期、〈食堂〉の割り振り、ペアリングや子育てに関するガイド、〈郡〉内でもめごとが起こった際の調停、天敵への対処に至るまで、実に多岐にわたります。ただ、〈政を司る者〉の見解は〈郡〉の仲間たちへの助言・提言にとどまり、なんらかの拘束力を伴うものではありません。それに従うか否かは、あくまでも各鯨(かくじん)の意思に委ねられます。もっとも、常に群れを安全な進路へと導いてきた思慮深い政のプロの判断を疑う者はいませんでしたし、仲間たちから絶大な信頼を寄せられる者だけがそうした地位に就けるのでした。このことに関しては、前述のとおり、〈沈まぬ岩〉の出現によって若干事情が変わってきましたが。ほかに〈政を司る者〉の仕事としては、他の〈小郡〉の同業者との間で情報交換や意見調整をすることなども含まれています。
 次に二頭の〈語り手〉についてですが、このうち〈来し方の語り手〉は現在直面している事態を解決するうえで参考になる先祖の残した知恵や訓戒を引きだし、〈行く末の語り手〉は将来生起するであろうできごとを予見するのがその役目です。彼らはどちらも過去と未来の立場から〈現の語り手〉たる〈政を司る者〉に必要なアドバイスをするのですが、両者の職業的な性格は実はかなりかけ離れています。〈来し方の語り手〉のほうは他方より現実的な側面を持っており、一族の歴史や伝承に関する豊富な知識と、そこから最も状況に即した事例を検索する能力、さらにその教訓を他のクジラたちにも受けとめさせる巧みな語りの技術が要求されます。そのため、この役どころには、〈政を司る者〉を引退した者や、歴史の編纂に携わっていて政にも興味を抱いた者がなることが多かったりします。
それに対して、〈行く末の語り手〉のほうは他のどの職業とも異なる一風変わったところがあります。どこが変わっているかといいますと、彼は未来のできごとを予言するのですが、〈来し方の語り手〉のような洞察力や記憶力の修練を要求するというより、この世ならぬものと通じ合うようなどこか謎めいたところがあるのです。ですから、この職業にはだれでも希望者がなれるというわけにはいきません。生まれつきそうした能力を備えたごく一部のクジラだけがこの道を選ぶのです。予言の行われる模様については──このあとで登場しますが。
 さて、ここでこれから開かれる〈集会〉のことをお話ししておきましょう。クジラたちの〈集会〉とは、一般市民が持ちかけるいろいろな相談ごとや要望に対し、〈政を司る者〉が彼女を補佐する数名の〈政を輔ける者〉とともに回答したり、必要な対策を講じる場です。つまり、この日〈小郡〉に属するメンバーのほとんどが一同に会し、行政サービスを集中的に処理したり、あるいは決議やセレモニーに傍聴・参加する機会が提供されるのです。また、〈集会〉では〈小郡〉の今後の行事予定や決定事項が参加者を通じて〈郡〉内に伝達されます。〈集会〉への参加は未成年者も含めだれでも可能ですが、強制ではありません。それに、〈集会〉で公開された内容は遅かれ早かれ〈郡〉中の者の耳に届くのですから、出席しないからといって特段不自由することはありません。けれども、議題がどうあれ、〈集会〉は〈小郡〉にとって仲間同士の連帯をはかる大切な年中行事ですし、よそのクジラや〈郡〉全体がいまどんな問題を抱えていて、それがどのような形で解決されていくかを一望できるまたとない機会でもありますので、幼い子や政に興味のない者を除いて、たいてい家族のだれかが顔を出すようにしています。〈集会〉は普通、南北の海を往復する回遊の旅を挟んで前後に一回ずつ、すなわち合わせて合計年四回開かれ、到着後に開かれるほうを〈頭の集会〉、出発前に開かれるほうを〈尾の集会〉と呼びます。緊急の要件がある場合には臨時の〈集会〉が持たれることもありますが、クレアが生まれてからはそうしたことは二度しかありませんでした。いまからとり行われようとしているのは、このうち南氷洋を発つ前に開く〈豊饒の海での尾の集会〉でした。
 その日、クレアは朝のおっぱいを与えた後、リリを一日アンに預けることにしました。彼女は今度の〈尾の集会〉でジョーイが行方不明になったことを話し、賢明なる長老たちに助言を仰ぐつもりでした。彼女が大声であちこち尋ねまわったものですから、同じ〈小郡〉に所属する大方のクジラはすでに聞き及んでいることでしたが。そこでジョーイの消息がつかめるなり、大がかりな捜索隊を編成してもらえるという確証があったわけではありませんが、いまの彼女としては一縷の望みにもすがりつく思いだったのです。実はこれまで一回も〈集会〉に顔を出したことがなかったので、クレアはレックスにも同伴を頼もうと思っていましたが、彼はどういうわけかこの朝彼女に何も告げずにどこかへ行ったきりでした。今日の〈尾の集会〉で自分がジョーイの件を訴えるつもりでいることは、あの(ひと)も知っているはずなのに……。そういえば、レックスが昨日辺りから何やら難しげな表情をしていたのをクレアは思い出しました。時間が来たので、彼女は一抹の不安を覚えながらも、仕方なく一頭で〈集会場〉へ向かいました。
 〈集会〉を開くのに都合のよい場所──発言者の声が場内によく通り、かつ外から邪魔の入らない海域──は限られているので、近隣の各〈小郡〉で日にちを違えて交代で使用するのが通例となっています。クレアの〈小郡〉は今年は早めに順番が回ってきました。一刻も早く息子を捜しだしたい彼女にとってはありがたいことでした。〈集会〉の参加者たちは、大陸からの風に吹き寄せられてぽっかり開いた海氷の隙間に、疎らな円陣を作って寄り集まっていました。ここはいつのまにか氷に閉じこめられる心配のないよう慎重に選びぬかれた場所で、沖合に通じる氷の水路の出入口では二頭のクジラが見張り番をしていました。クレアとしてはこんなところに長居をする気分にはなれませんでしたが、ざわめきに囲まれているうちに、いつしかそんなことは忘れてしまいました。
 周りのクジラたちは、近くの者同士でてんでに私語にふけっていました。円のそこここで交わされる熱を帯びた会話のせいで、この場の雰囲気にはそれなりに活気がありましたが、一般からの〈集会〉の傍聴者は往時に比べて減っていました。最近はメスたちも育児に忙しくてほかの物事にかまけている暇がなくなりましたし、若いクジラたちが〈郡〉全体のことにそれほど関心を抱かなくなったこともその一因でしょう。〈沈まぬ岩〉が出没しては仲間をさらっていく物騒な世の中にあって、このようなときこそクジラ同士の結束が必要なのではないかとクレアは感じました。もっとも彼女自身、いままで子育てにかまけていて、自分が深刻な問題を抱えてから初めて顔を出す気になったわけですが。
 クレアはちょっと失敬して、前の鯨垣の間に頭を割りこませました。輪の中央では数頭のクジラがささやき声を交わしていました。彼らの会話は周囲の一般市民の他愛のないおしゃべりとは違い、きびきびとして実務的でした。その中央のグループの中でも、一頭のメスはとりわけ目につきました。見かけというより、その話し方や態度が権威を匂わせているのです。彼女がこの〈小郡〉の〈政を司る者〉を務めるモーリスでした。モーリスはロス海〈大郡〉の中でも最年少の行政の長として評判でした。彼女はそばにいる〈政を輔ける者〉たちに鋭く短い言葉を発すると、頭をもたげて一同を見回しました。
「時間になりましたので、これより〈第四四半期集会〉を開きます。みなさん、唱和を」
 みなに語りかけるときも、モーリスは取り巻きの者たちに対するのと同じように事務的な調子を崩しませんでした。しかも彼女は、〈尾の集会〉というこれまでの伝統的な表現ではなく、一年を四つに分割した四半期という呼称を用いました。わざわざ数を含んだ言葉に置き換えたところに、比喩的な表現を嫌う彼女の気性が如実に表れていました。レックスが言うには、含蓄のある豊かな表現力こそ鯨類性の証だとのことですが。そのうち、〈豊饒の海〉も〈夏期にオキアミを捕食する低温水域〉とかなんとかに変えるんじゃないかしら……。
 いともあっさり開会を宣言したあと、モーリスは低い無調の音を発しました。つづいて周りにいたグループが、彼女のつぶやきにも似た音に合わせて歌いだしました。歌は輪の中心から同心円状に外側に広がり、しまいにはすべてのクジラが重唱に加わりました。別に受け持ちのパートを割り振られているわけでもなく、一頭一頭がその場の雰囲気と銘々の気分に従って和音の中に声を重ねていくのです。いまのクレアの音による心象はラのフラットでした。〈集会〉のように多数の仲間が集まって一つことをなすときに行われるこの儀式には、各自が音の一部となり全体の和音の中に溶けこむことによって、参加者全員の心を一つにまとめ、共通の目的に向かわせる効果がありました。このときの調和のとれ方次第で、〈集会〉での討議の行方が半ば決するとさえいわれています。〈集会場〉に居合わせたクジラと同じ数だけの音階が組み合わさってできた和音は、氷の空隙を源に、海底をなめ、氷山の間を縫い、始まったときと同じくゆっくりと、霞が晴れるように波間に消えていきました。初参加のクレアには、今日の唱和の出来栄えが果たしていいほうなのかどうなのかよくわかりませんでしたが、モーリスの態度を見ると、合唱の良し悪しにはほとんど注意を払っておらず、どうも儀式自体を形式的なものと考えている節がありました。
 相変わらず感情をにじませることなくモーリスは言いました。
「それでは、さっそく議事に入りたいと思います。まず、最新の〈郡勢調査〉の結果が判明しましたので、この場を借りてそれを発表します。〈四等施政補佐官〉」
 モーリスは〈政を輔ける者〉に一等、二等、三等……とそれぞれに名称を与えていました。呼ばれたクジラはソワソワしながら彼女の脇に進み出ました。その〈四等補佐官〉はさっきからずっと独り言をつぶやいており、唱和の最中にもブツブツ言う声が聞こえたほどでした。彼は明らかに緊張した面持ちで、一つ短く潮を吹いてから報告を始めました。
「ええ、ええ、ええ、〈豊饒の海〉に入ってから三ヵ月間にわたる調査による、ええ、ええ、今期のわが〈小郡〉の鯨口(じんこう)がこのほど明らかになりましたので、ええ、みなさんにご報告します、ええ、はい」
 彼はそこでいったん言葉を区切って一同を見渡し、ヒゲ板に挟まったオキアミを舌でほじくり出すように口をモグモグさせたかと思うと、暗誦した数値を一転した早口で唱えました。ええ、ええ、という口癖は抜けませんでしたが。
「ええ、ええ、現在当〈郡〉内にいると推定されるのは、全部で一三五頭、ええ、内訳がおとなのオス三七頭、おとなのメス三二頭、ええ、ええ、八歳未満のこどもが六六頭、ええ、そのうち今年生まれの赤ん坊がじゅ、一八頭」
 言葉につかえてモーリスのほうをちらっと盗み見し、彼女の表情に変化がないのを見てとると先を続けます。
「ええ、ええ、続きまして、昨年と比較した結果ですが、ええ、昨年のトータルが一二九頭で死亡した者が一四頭、ええ、ええ、ええ、他の〈郡〉へ移籍した者が一九頭、他の〈郡〉から転入した者が、ええ、二、ニ、二ィ〜……二一! 二一頭です、はい、ええ」
 四等の〈政を輔ける者〉はほっとした様子で後ろに下がりました。きっと明日になったら彼は数字を全部忘れているに違いないわ、とクレアは思いました。
「たいへん結構。ただ一つ補足させていただくと、今年生まれのこどもは新しく〈郡〉に加わった者だから、頭数の増減の対比のほうに入れておくのが妥当ですね」
 そう言った彼女の口ぶりは、たいへん結構だとはちっとも思っていないように聞こえました。
「お聞きのとおり、私たちの〈小郡〉は順調に数を増やしています。いま挙げた一連の数字は、〈郡〉全体の安全が確実に保障されていることを意味します。大局的に見る限り、私たちの氏族の繁栄を脅かすものはありません。〈沈まぬ岩〉の出没でさえ恐るるに足りないのです。表面的なことに目を奪われるあまり、私たちは普段なかなかこのことに気づきませんが、この〈集会〉に参集されたみなさんは今日、その事実を知ったわけです。私たちミンククジラ一族は、いついかなるときも偉大なるメタ・セティのご加護のもとにあるのです……。一頭一頭のクジラは膨大な大海の中の一滴の水にすぎないことを、私たちは肝に銘じておかなければなりません!」
 モーリスが珍しく使った比喩が、クレアにはどうもしっくりきませんでした。そもそも、〈郡〉のクジラの頭数を調べることになんの意味があるのか、彼女にはまったく理解できませんでした。数なんていうものは、せいぜい自分からイカまでの足の本数と、一口分のオキアミの数=たくさん!だけ知っていれば、それこそたくさんじゃない? 一頭のクジラといっても、私と、レックスと、モーリスとでは全然違うし……。いなくなったジョーイの代わりがいったいだれにつとまるというの? 群れのこどもの数が何頭だろうと、母親にとっては自分の子の生死こそが大問題なのよ!? 一〇頭のクジラが死んでその家族が悲しい思いをしても、一〇頭以上新たなクジラが生まれさえすれば万事めでたしとでもいうのかしら? そんなのどこかおかしわ……。ここでならジョーイを救いだすための助力が得られるかもしれないという、最初に抱いていた淡い期待が急速にしぼんでいくのを、クレアは感じました。
「今回は前回の全鯨口(じんこう)調査に加えて、性別と成熟・未成熟別による頭数も割りだしました。このデータは今後、鯨口(じんこう)計画を遂行するにあたってたいへん役立ちます。なぜなら、オスメスそれぞれの頭数がわかれば、より適切なペアリング配分を考えることができますし、幼若個体の数を知ることは、将来のじんこう鯨口の推移を見極めるのに有益です。その際には、年ごとの数値を比較して経年変化を追うことも大切です。ゆくゆくは、各年齢別の頭数を数えることで、さらに精度の高い予測を行えるようにしたいと考えています。これらの結果は、〈未来観測者〉にとってもおおいに援けとなるに違いありません」
 モーリスは言い終えると、まだ若い〈行く末の語り手〉のほうを見やり、目を細めました。どうやら満足しているのはモーリス自身くらいのもので、大方のクジラたちは、〈政を輔ける者〉も含めて彼女の話についていけないようでした。
「六日後に予定されているロス海〈大郡〉の全代表者会議で、私は各〈小郡〉ごとに同様の調査を行ってデータを交換するよう進言するつもりです。こうした科学的調査が広く進められるようになれば、必ずや全ミンククジラ族に平和と安寧が約束されることでしょう。ちなみにこの会議の席上では、調査の便宜をはからって、〈小郡〉のそれぞれに〈施政長〉の名を冠することも提案する考えです。それから──」
 なるほど、モーリスが旧来の伝統を排して〈小郡〉内のシステムの改革を推し進めようとしていることは、クレアも小耳に挟んではいましたが、彼女は大胆にもそれを〈大郡〉中に広げる心積もりのようです。クレアは〈施政長〉の独り決めでことがどんどん運ばれていくのがどうも腑に落ちませんでした。別にケチをつけるつもりはなかったのですが、さっきからだれも意見を述べようとしないので、彼女は胸ビレを挙げて発言を求めました。
「あの……〈郡〉の名前を付けるなら、さっきの〈政を輔ける者〉さんたちのように番号で一番、二番と付けたほうがいいんじゃないでしょうか? 〈政を司る者〉が交代するたびにいちいち名前を変えていたんじゃ、まどろこしいと思うけど」
 それぞれ名前も生い立ちもあり、鯨格(じんかく)を備えた存在のはずの〈政を輔ける者〉を番号で呼んでおいて、群れ全部に一頭の名前をかぶせるのはおかしいのではないかと、率直にいってクレアはそう思ったのです。
 流れるように淀みなく続いていた演説を中断させられたモーリスは、異を唱えたクレアのほうを怪訝そうに見つめました。
「あなたのお名前は?」
「クレアです」
「ああ、あの双子を産んだ方ね」
 彼女は仲間を顔より名前で覚えているようでした。
「〈施政補佐官〉は一番、二番ではなくて一等、二等よ。これはそれぞれの役職の業務分担に応じた等級です。それに対して〈小郡〉はどれも対等の関係だから、番号で順位を付けるわけにはいきません。いずれにしても、いまは政策上の決定事項をみなさんにお知らせする時間であって、質疑応答の場ではないわ。ここで話される内容は、私たち執政担当グループが〈郡〉から委ねられた責務として検討を重ねてきたものなんですのよ。まあもっとも、あなたが政に携わりたいとおっしゃるのであれば話は別ですけど。それにはちゃんと試験にパスして資格を取っていただかないとね。あなた、ひょっとして〈集会〉に参加なさったのは今日が初めてかしら?」
「は、はい……」
「それなら仕方がありませんね。でも、最低限のマナーは覚えていただかないと」
 モーリスはかすかに軽蔑の念のこもった声でそう言うと、話をもとに戻しました。クレアは赤くなって見物鯨(けんぶつにん)の輪の前列から首を引っこめました。恥ずかしい気持ちでいっぱいでしたが、自分がそれほど間違った発言をしたという気はしませんでした。
「次に、〈沈まぬ岩〉の動向について、〈二等施政補佐官〉から──」
 クレアは次々に運ばれていく議事の内容にすっかり興味を失い、この場にいることがだんだんいやになってきました。そのとき、輪の後方にいるレックスの姿が目に入りました。彼のほうはさっきからクレアに気づいていたようで、目配せを送ってきました。クレアはなるべく音を立てないようにして彼のそばへ泳ぎ寄りました。
「やあ、遅れちゃってゴメン。ちょっと野暮用があってね」
 レックスは後ろに何頭かのメスを従えていました。彼女たちは互いにあいさつを交わしました。どのメスもクレアとそれほど親しくないメスばかりで、年齢もちぐはぐでした。これ、みんなレックスのGFかしら? 彼の趣味はどうもよくわからないわね……。ともあれ、彼が駆けつけてきてくれたことで、先ほどまでのいたたまれない気持ちも少しは和らぎました。望みがあるようには思えないけど、ともかく最後まで残ろうとクレアは考え直しました。
 退屈な〈施政者〉からの報告がやっと終わり、いよいよこの〈集会〉のクライマックスである後半の部、一般参加者とのやりとりの時間になりました。
「では、これから一般のみなさんからのご意見とご質問を受け付けます。〈施政長〉にうかがいを立てたい方は前列へ」
 進行係のクジラが全員に向かって叫びました。
 単なる物見で来たクジラは傍聴者の輪の外側に後退し、訴えごとを携えてきた者は内側の位置を占めました。輪の一番内側の一点を先頭にして時計回り──南半球にできる渦巻の方向──に順番がめぐっていくのです。最初の番に当たっていたクジラが半身ほど進みでました。
「親愛なるわが〈小郡〉の長、モーリス様」
 やや歳のいったそのオスは、敬愛の印として胸ビレを横に広げて頭を下げました。
「私めは生物の観察を業としておる者ですが、最近は算術にも少なからぬ興味を覚えております。先ほどご披露いただいた新応用理論には、この老体まったくもって感服いたしました。しかし、おそれながら申しあげさせていただきますと、現在公用に使われている十進法にはいささか難点がございます。九本や七本の足を持つ生物は実在しておりませんし、私どもクジラがいやしくもイカなんぞの足の本数を計算の単位に選んでやることはないのであります。そもそもこの数の体系は、イカ食いのマッコウクジラ輩から伝えられたものでありまして、私どもミンククジラがそれを使うこと自体過ちなのです。そこで私めは、永年の研究の成果をもとに新しい数の体系を構築いたしました。その新しい数学理論とはいかなるものかと申しますと、ほかでもない私どもクジラの、この!」
 彼は胸ビレを上げ下げする大仰なジェスチャーを交えてまくしたてました。
「彼は数学の先生よりフリッパー・パフォーマンサーのほうが似合ってるんじゃないかね?」
 レックスがクレアにこっそり耳打ちしました。
「──両胸ビレがあればこと足りるとの結論に至ったのであります。すなわち、二≠ナあります。この二こそは、実は数の基本となるものにほかならないのであります。私どもは、右と! 左の! この両胸ビレをもってバランスを保っております。右か! 左か! どちらか一本だけでは用をなしませんが、そこにもう一本付け加えることによって、私どもは水中を自在に泳ぎまわることができるのであります。右と! 左と! 二本さえあればすむのであって、イカやイソギンチャクなどのようにやたら数ばかりあっても、こんがらかるだけなのであります。お考えにもなってみてください。私どもの住むこの世界は、すべからく二という数字を礎に成り立っておるのです。右と左、頭と尾、水と空気、昼と夜、生と死──すべてのことどもは二つの対立する概念の対となっております。私どもにはオスとメスという二つの性があります。私どもは〈豊饒の海〉と〈抱擁の海〉という二つの海域を行き来します。私どもは〈表〉と〈裏〉との二つの種族に分かれております。〈表〉の〈大郡〉の数は七つございますが、まあこれはたいしたことではない。このように、森羅万象を統べる数字が二なのです。でありますから、この二進法こそは正しい数の数え方なのであります。これでしたら覚えるのもたやすく、万民にとって算術が身近なものとなるでありましょう。右と! 左の! 自分のヒレと、ちょっとした計算ができるだけの頭がありさえすればよろしいんですから。どうかモーリス様、〈郡勢調査〉の折にも、来年からはこちらの二進法を採用していただくようご検討願えますでしょうか? つきましては、〈数の体系を打ち立てる者〉を新しい職業として認めていただきとう存じます。きっと政にも何かと重宝いたしますことは、この私めが請合います」
 モーリスは自分の信条の手前、途中で他鯨(ひと)の話の腰を折るわけにもいかず、じっと我慢して聞いていましたが、話がすむと即座にこう尋ねました。
「その数え方ですと、大きな数を数えるときにたいへんなのではありませんか? ご提案は興味深く聞かせていただきましたが、鯨口(じんこう)を調べるには不向きのようですね。数の研究はご自由になさってください。実用的なアイディアをお示しくだされば、すぐにでも喜んで私どものほうで使わせていただきましょう。それと新職種のほうですが、新たに〈計測者〉を設けることを認可します。これは〈郡勢調査〉を行う際に頭数のカウントを担当する仕事です。当然、数の学問の知識を持ち合わせていることが要求されますから、あなたにはぜひ職種の長をやっていただきましょう。〈生物観察者〉が一頭減ることになりますが、こちらはオキアミとシャチの観察を重点的にやりさえすれば十分ですからね」
 老〈生物観察者〉──新しい〈計測者〉は釈然としない様子で目をぱちくりさせ、あいまいな返事をして下がりました。彼は〈集会〉が終わるまで、自分の申し出が結局のところ何一つ受け入れられなかったということを理解できませんでした。
 このようにして、モーリスと彼女の部下は一般参加者の陳情をてきぱきと処理していきました。訴えの大半は、こどもの名前がどうしても思いつかないので決めてほしいとか(もう半年以上になるのに!)、教育に関することとか、雌雄間のトラブルとか、モーリスにとってもクレアにとっても些細なことばかりでした。若き〈政を司る者〉はたいてい一言二言言い添えるだけで、あとは基本的に〈輔ける者〉たちに任せていました。中には、一頭のこどもをめぐって二頭の母親が親権を主張し合うという、クレアが聞いてびっくりするような事件もありました。それらの煩雑な問題を解決していくモーリスの行政担当官としての手腕は見事なものでした。彼女は一つ一つの訴えごとに手間隙かけず、実に淡々と処理していきました。こうして、忍耐強く有能なモーリスでさえいささかの疲れの色を隠せないほどになった頃、ようやくクレアの番が回ってきました。
「落ち着いて」
 レックスが彼女の耳元でささやき、胸ビレの先で軽く押しました。
 さっき心象を悪くしたこともあって、クレアは上目遣いに頭を下に向けながら、鼻先ばかりおずおずと前進しました。
「あの、さっきは礼儀をわきまえなくてごめんなさい。実は、ジョーイが……私の息子が先日行方知れずになりまして、彼を捜しだすために何かいいお知恵を拝借できないかご相談に参りました。ジョーイがいなくなったのはちょうど一週間前で、私が〈食堂〉に行っている間に、〈託児所〉のほかのこどもたちと一緒に遊んでいて──」
「お待ちなさい、クレアさん」
 モーリスは仮面のような表情を保ち、声音も変えずにクレアの話を遮りました。クレアは不満を覚えながらも、それを押しとどめて口を動かすのをやめました。
「そのジョーイというのは、今年生まれのあなたの双子のうちの一頭ですね?」
「ええ、そ、そうです。それで、私がいない間に──」
「お待ちなさい」
 今度はわずかにいらだちが声に表れていました。クレアは〈政を司る者〉の四角定規な気質を考えて、気を配ったつもりで事件の起こった状況をなるべくこと細かに説明しようとしたのですが、それがかえって気位の高いモーリスの癇に障ったようです。モーリスはうんざりしたように顔をしかめました。
「あなたは初参加者だから大目に見ますけど、この〈集会〉がどのような性格のものなのかは知っておいていただく必要がありますね。この公開質疑の席で受け付けられるのは、私たち施政者の業務の範囲内の事項に限られます。第三者のヒレに解決を委ねるべき〈小郡〉内でのトラブルですとか、あるいは、〈郡〉全体に影響の及ぶことが予想される重要な問題とかね。実行不能で結果もわかりきっている無益な援助を個鯨(こじん)に提供するための場ではありません。幼児の二、三割が毎年死亡するのは、自然の摂理として定められたやむをえないことです。お子さんを亡くされたお気持ちはわからなくはありませんが、シャチの腸から死んだこどもを引きずり出してこいと言われても、〈施政者〉にだってできることとできないことがありますよ」
 モーリスにぞっとするようなことを言われて、クレアは一瞬気が遠くなりかけました。そのとき、すぐそばでレックスの歯切れのよい声が響きました。
「ちょっと待ってください、聡明にして慈悲深いわが〈小郡〉の〈施政長〉閣下。彼女が……クレアがただいま申しあげたことは、当〈郡〉の命運にも関わる大問題なのです」
 〈集会場〉がにわかにどよめきました。
「静粛に! 静粛に、みなさん!」進行係が声を張りあげます。
「一頭の仔クジラの行方不明がなぜ〈小郡〉全体の問題につながるのか理解しかねますが、どういうことだかご説明願えますか、〈年少者向けの遊戯考案者〉?」
 モーリスはレックスのほうを振り向いて片目を吊り上げました。彼の名はその道の第一鯨者(だいいちにんしゃ)として結構通っていましたから、彼女もレックスの顔は知っていました。ただ、彼の仕事を〈施政長〉閣下が重く見ていないことは、いまの彼女の口ぶりだけからも十分うかがえました。それに対して、レックスは余裕のある笑みを浮かべ、尻ごみすることなく若い〈郡〉の長に向き合いました。
「おそれながら。ジョーイはシャチに襲われたわけではないでしょう。少なくとも、私たちの日頃見知っているシャチにはね。また、先ほどの二番、おっと失礼、二等〈輔ける者〉氏の報告を借りるなら、おそらく〈沈まぬ岩〉の仕業でもありますまい。やっこさんはまだこどもたちが自分で行けるはずのない〈大郡〉の隅っこをうろついているとのことでしたから。ジョーイは母親のクレアが見ていない間に──さっきの彼女の話の続きになりますが──双子の妹のリリと一緒に〈サメごっこ〉をして遊んでいて、不意に姿を消し、そのまま帰ってきませんでした。その後、私たちは仲間とヒレを分けて必死で捜索にあたりましたが、彼が消息を断った理由について、何者が関与しているのかも含め、てがかりになるものは何一つ見つけることができなかったんです。ということはですね、ジョーイが行方不明になったのは、我々クジラのまったく預かり知らぬ未知の原因によるとも考えられるわけです。なるほど、確かに彼一頭だけでしたら、〈施政長〉の頭を悩ませるほどのことではないかもしれません。ちなみに、ジョーイはぼくの息子であり、ぼくの職業の後継者としても有望でして、このまま彼が戻らなければ〈郡〉の将来にとって貴重な鯨材(じんざい)を失うことになると、ぼく個鯨(こじん)としては憂慮しておりますが……。まあ、〈遊戯考案者〉は欠くべからざる職とまではいえないかな?」
 ここでレックスはクレアのほうをチラッと見て、周囲のクジラに気づかれない程度に軽く片目をつぶりました。
「さて、ここにおられます淑女諸姉は、実はここ数日ばかりの間に相次いでお子さんを見失われた方です。いずれの方もお子さんがいなくなった状況はジョーイの場合と酷似しています。もっとも、どなたも〈施政長〉がおっしゃられたように、かような私事を〈集会〉の場に持ちこむのはふさわしからざることだろうとお思いでしたので、私が事情を話して無理にもおいでを願ったのです」
 クレアは驚いて、レックスの後ろに控えているメスたちのほうを振り返りました。彼女たちはうつむき加減でソワソワしており、後ろめたさを感じるのか、クレアと視線を合わせようとしませんでした。
「もしかしたらほかにもまだおられるかもしれませんが、私が確認できたのはここにいらしている七頭の方だけです。これで、少なくともジョーイを合わせて八頭の当歳児が行方不明になっていることになります。ところで、さっきお話があった〈郡勢調査〉の結果によれば、今年生まれの子は一八頭とのことでしたね。この数字はいつ調べたものです? この子たちも数に入っているんですか?」
「ええと、は、入っていると思います。ええ、〈抱擁の海〉や回遊途上で死亡したこどもは含まれておりませんが、ええ」
 〈四等施政補佐官〉がしどろもどろに答弁に立ちました。
「一八というと、イカとタコがペアを組んだ合計の足の数じゃないですか。いや、イカ同士のペアが仲たがいしてお互いの足を一本ずつ食い合ったとしたほうが早いか……。まあそれは冗談として、そのうちほぼ半数の行方がわからないのです。一族の次代を担うわが〈小郡〉の宝というべき仔クジラが八頭、わずか一週間のうちに原因不明のまま蒸発してしまったのですよ!? 八は二進法でいうとどうなります、先生? ああ、あとで計算してくださいよ、あとで。いかがです、モーリス? これが私たちの氏族の繁栄を脅かすものでないといえますか!? 一族の将来の平和と安寧を何より重んじるのであれば、なおのこと看過することのできない一大事件じゃないかと思えるんですがね……」
 どんなに深刻な事態を説くにも、レックスの場合はつい小噺じみたこっけいな語り口に転じてしまうようです。それでも、彼のウィットに富んだ、それでもことの重大さを損なわない演説は、クレアに希望の光を取り戻させ、みなの関心を引き寄せるのに役立ちました。ただ、モーリスには逆に不興を買うことになりました。とりわけ、彼の締めの一言は痛いところを突いていました。何しろ、今度の〈尾の集会〉のメインテーマであり、彼女の〈政を司る者〉としての手腕と実績を〈郡〉中の者に鮮明に印象づけるはずだった施政方針発表を台無しにしてしまったのですから。一にも二にも氏族の繁栄を最優先すること──〈沈まぬ岩〉による被害や社会の動揺を最小限にとどめるには、〈郡〉内から出る犠牲をあらかじめ見こんでそれには目をつぶり、繁殖力の増強によって損失を埋め合わせる以外にない──それが、モーリスにとってはほかに選択の余地のない最善の政策だったのです。
 質問者の助鯨(すけっと)が話し終えて恭しく下がってからも、しばらくモーリスは口をつぐんでいましたが、他の者たちに考える余裕を与えるほど長く間を置きはしませんでした。
「……わかりました、レックス。あなたのおっしゃることの一部はしごくもっともだと思われます。これは私たちの〈郡〉の将来に関わることですから、〈未来観測者〉に予言をお願いすることにしましょう」
 クレアには最後にモーリスがかすかな笑みを漏らしたように見えました。傍らに目をやると、レックスの顔には険しい表情が漂っていました。

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