ジャンセンが深海に泳ぎ去り、クレアたち三頭は再び後に取り残されました。
「マッコウのダンナはなぜあんな話をしたんだろう?」
チェロキーはだれに問うでもなく、首をかしげて繰り返しました。クレアも、ジャンセンがいまこのとき自らの属する種族の悲惨な戦争の物語を自分たちに語り、最後の台詞を口にした真意をつかみとろうと考えこみました。ダグラスは、孤高のマッコウクジラに課された宿題に、若い二頭が自力で答えを見出そうと一所懸命頭をひねる様子を、何も言わずにじっと見守りました。しかし、チェロキーがいつになく真剣に思い悩んでいるので(彼は何度も「今晩は眠れそうにないや」と漏らしました)、ちょっとぐらいヒントを与えてあげようという気になりました。
「君たちはわしが歴史の講義をするまで、〈毛なしのアザラシ〉のことは知らなかったんじゃな」
「ええ」
物思いに沈んでいたクレアは、ふと顔をあげてダグラスのほうを見ました。
「前に〈沈まぬ岩〉と〈毛なしのアザラシ〉の関係についての話をしたが、わしたちの種族の間では、ひところ〈毛なしのアザラシ〉の起源に関する議論が盛んじゃった。ずいぶんとさまざまな仮説が立てられたものじゃ。結局のところ、それらのいずれも証明する手立ては何もなかったから、わしのように事実を扱う〈歴史編纂者〉としては、立場を保留する以外にないんじゃがな。参考までに聞いてみる気はあるかね?」
「へえ、そういうのってなんかおもしろそうだな。どうせ眠れそうにないし、オヤジさんのためになる話に耳を傾けて夜を明かすのも悪くないですね。アネさんはかまいませんか?」
チェロキーは、クレアが〈毛なしのアザラシ〉に好ましくない印象を抱いているのがわかったので、念のため彼女に確認をとりました。クレアとしても、話を聞くだけなら承認するのにやぶさかではありませんでした。ただ、新たな謎解きのテーマが増えることになりそうだとは思いましたが。
「それじゃあ、数ある仮説の中でもとくに興味深いものをいくつか選んで話してあげよう。それぞれの説の信憑性のほどについては、わしゃ責任持たんがね」
暗い戦争の物語の直後だったこともあり、ダグラスは努めて明るく和やかな口調で話し始めました。大海のただ中で岸打つ波の音もなく、ただ夜のしじまの中で三頭の吹く潮の音だけが代わる代わるこだましました。
『〈毛なしのアザラシ〉起源諸説』
「──〈毛なしのアザラシ〉の発生起源に関する論文は、〈生物観察者〉や〈哲学者〉、〈形而上学者〉などから多数発表されているが、それらは大きく三つのタイプに分類できる。その三つというのは、@〔生物起源説〕、A〔無生物起源説〕、B〔惑星外起源説〕じゃ。まあ、BはAに入れてもよいがな。
「@の〔生物起源説〕は、言うまでもなく現存する生物種のどれか、あるいはすでに絶滅した種族から〈毛なしのアザラシ〉が分化したというものじゃ。彼らの先祖はわしたちには未知の種族だという説もあるし、中には、〈毛なしのアザラシ〉は他のどの生物種とも系統を異にすると唱える者もいる。いずれにしても、これに含まれる説は〈毛なしのアザラシ〉が生物の一種であるか、少なくとも生きもののグループから派生したと考えている点で一致している。
「それに対して、Aの〔無生物起源説〕では、〈毛なしのアザラシ〉を無生物の範疇に属するものとみなしておる。渚の石や浜辺の砂や海底の粘土といったな。〈沈まぬ岩〉と同類というわけじゃ。水や空気、あるいは不可知のエネルギーの塊のようなものから生まれたと考えている〈学者〉もおる。@と違って発生の過程を説明できないところが難点じゃが、火山や地震、サイクロンといった気象・地殻活動の結果にそれを求める者が多い。無生物と生物との合いの子的な性質を持つと考える立場もあるが、厳密な定義の問題に関する議論に終始するのはあまり意味がないと賛同する者は少ない。Aの説を唱える学派は、〈毛なしのアザラシ〉の異質性をより重視しているのが特徴じゃ。
「一方、Bの〔惑星外起源説〕は、Aの考えをさらに一歩押し進めている。この説を主張する者に言わせれば、『土や岩といえども、基本的にはメタ・セティのお創りになったルールに従い、我々生きものと相互作用を営んでいるのであり、生物を無生物に置き換えてみたところで、〈毛なしのアザラシ〉の異端性を説明することはできない。彼らはメタ・セティの力の及ばぬ世界の外側、虚空の中からか、別の次元からこの〈メタ・セティの子〉の上にまぎれこんできた外来種族:エイリアンに相違ない』んだそうじゃ。もっとも、この説の場合、自然界の法則に対する逸脱があまりにも強すぎるし、成因に関してはまったくの空想の域を出ない。また、〈毛なしのアザラシ〉がそこまでわしたち生きものとは無縁な種族かとなると疑問が残る。
「メタ・セティの創られた生物種族同士の取り決めは、物理法則のように何か必ずしも絶対的な制約ではないし、わしたちが望みさえすればそれを破ることもできる──生きものは通常そんなことを望まないというだけで。そのことは、ジャンセンの物語にもあったとおりじゃ。確かに、時の針を進められ、この星を産み落とし、世界の構造を決定されたのはメタ・セティじゃが、彼女はわしたち個鯨個鯨が能力の範囲で自らの意思に従うことを禁じたり、圧迫を加えたりはせぬ。生物たるわしたちの性質に関してはただ、それぞれの形で生きることを目指すその方向性≠設定されただけだという気がする。一つの生ある存在としてこの世に解き放たれたときから、すべての生きものは生きものであること∴ネ外なんの束縛も受けない、本質的に自由の身なんじゃとな。
「それに、肝腎なことじゃが、〈毛なしのアザラシ〉といえども自然界の法則から逃れることは実際のところできぬようじゃ。厳密に検証されているわけではないが、彼らだって食物を摂るし息もする。種族の生存にとって適切な温度その他の環境は一定の範囲に限られておる。彼らは水の中では永く生活できん。そして、彼らもおそらく不死身ではないはずじゃ。彼らの異質性は、それよりむしろ、なんらかのきっかけで生じた小さな歪みが膨れ上がってしまったということのように思われる。そんなわけで、三つの学派のうちでは@が一応主流を占めておる(Bの学説はなかなか独創的でおもしろいが、この説を推す〈学者〉──もちろん、いちばんの少数派じゃ──はどういうわけか偏狭な頑固者が多くてな)。
「ここでは一応、〈毛なしのアザラシ〉は生物由来だと仮定するとして、では、その先祖は何じゃったか? これについても諸説紛々としておってな。アザラシの変種とする者、痩身のシロクマだという者、そのほかアシカ、セイウチ、ジュゴン、ラッコ、トウゾクカモメ、アホウドリ、オサガメ、ウミイグアナ、シーラカンス、アカナマダ、シャチフリ、ネコザメ、ミサキギボシムシ、オオイカリナマコ、ミズダコ、ゾウクラゲ、タカアシガニ、ユウレイクラゲetc.etc.と候補を挙げたらきりがない。あげくの果てには、小さなクジラ類だと主張する〈学者〉まで出る始末じゃ。いまのところ、どの説にも系統関係をはっきり裏付けるだけの根拠はない(リストに入った種族はどれも否定したがるんじゃがね)。最も有力なのは、わしたちのあまりよく知らない陸棲哺乳類の一種だというものじゃ。あのカリフォルニアのコククジラたちが観察を続けられれば、いずれ論争に終止符を打つてがかりが得られるかもしれんがな……。
〈毛なしのアザラシ〉が自分たちの親戚かもしれないという話を聞いて、クレアはぞっとしました。同じ生きもの仲間だというだけでもおもしろくないのに……。ふと彼女の心に、自分は〈毛なしのアザラシ〉に対する偏見を持ってるのかな、という考えが浮かびました。同じ〈メタ・セティの子〉の上に生を授かったのなら、差別しないでどの種族とも等しく尊重してあげなくちゃいけないわよね……。他の二頭に動揺を悟られないよう、クレアは表情に出さずに疑念を押しやると、再びダグラスの話に聞き入りました。
「──〈毛なしのアザラシ〉と他の種族の者たちの間に溝が生じたきっかけが何だったのか、なぜ彼らがエイリアンと呼ばれるまでに異質な存在になってしまったのか、その理由はいまもって謎に包まれているが、いくつかのシナリオが描かれてはおる。中でも、〈大哲学者〉ローゼンブラットの著した『なぜ〈毛なしのアザラシ〉はクジラを捕まえるようになったか?──改題:〈毛なしのアザラシ〉が毛を失くしたわけ』という学説が有名じゃ。ローゼンブラットは自分の学説を一般市民がわかりやすいようストーリー形式で描き、それを〈歌鯨〉の一頭が叙事詩に仕立てて歌ったりもした。チェロキーも覚えて仲間に伝えてみてはいかがかね?」
「そ、そうですね……。今度暇を見て、体調のいいときに教えてもらいましょうか。ハハ、ハ」
クレアが傍らのチェロキーを見やると、彼はむりやり作り笑いを浮かべていました。そういえば、彼は長編の詩は苦手だったんだっけねえ……。正直なところ彼女自身続きを早く知りたいと思ったのですが、クレアは横目でちらっと彼の顔をうかがいながら、ちょっぴり意地悪を働きました。
「私はいまこの場で聞いちゃいたいけどナ」
「あ、じゃあ、ぼくも聞くだけなら……」
そうやって苦手科目のレッスンをサボってばかりいるから、お友達にからかわれるんじゃないの……。
「本職のザトウの〈歌鯨〉の前で披露するのはちと気が引けるが、まあ〈語り手〉になったつもりでやってみよう。年寄のしわがれ声じゃ、耳に障ったら遠慮せずに言っておくれ。本当は、〈毛なしのアザラシ〉がどの種族から岐かれたかで細部が変わってくるが、ここではある陸の獣ということにしておこう。大筋はどれでも一緒じゃからな」
〈歴史家〉ダグラスは大きな潮を吹いて一呼吸すると、今度は〈語り手〉に早変わりして物語を始めました。
『〈毛なしのアザラシ〉が毛を失くしたわけ』
「──その昔、海岸沿いの平地にへばりつくように点々と巣を構える〈ザッショクアザラシ〉という動物がおった。陸の獣としては中くらいの大きさじゃったが、身体つきは貧弱で、強力な牙や爪のような武器もこれといって備わっていなかった。当事、〈ザッショクアザラシ〉は全身を密な毛で覆われておった。おかげで、冷たい水の中でも彼らは一時的に体温を保つことができた。彼らは海中に潜って器用な前肢を使って海藻を採ったり、ウニや貝類などの動きの鈍い小動物を捕まえたりして暮らしておった。彼らはその名のとおり雑食性で、好奇心もひときわ強く、陸の植物の実を拾い集めたり、他の動物の腐肉を漁ったりもしたし、その他およそ口に入る限りのものを食べた。生きた動物でも、それが前肢に負えるものなら遠慮会釈もなく殺して口に放りこんだ。そのようにひ弱で大食らいの動物じゃったが、他の生きもの仲間は別に彼らを蔑むこともなかったし、メタ・セティは彼らに対しても分け隔てなく恩寵を与えた。彼らは彼らで、ちゃんと自分たちのやり方で他の種族を敬い、メタ・セティを崇めていた。彼女との通信線は開かれていた。
「やがて、〈ザッショクアザラシ〉は生きた魚を捕らえる方法を編みだした。それまでは、生きて泳ぎ回っている魚は、さすがにすばしこすぎて、彼らにはとても捕まえられなかった。しかし、弱った魚を拾って味をしめた彼らは、メタ・セティに願いごとを捧げつつも、なんとかうまく魚をたくさん前肢に入れる算段はないものかと、必死になって知恵を絞った。そして、ついに彼らは魔法をものにした。〈前肢の延長〉という名の魔法をな」
「ぜ、前肢のなんですって? エンチョォー??」チェロキーが素っ頓狂な声をあげます。
「〈前肢の延長〉というのは、そうじゃな……君たちはラッコと呼ばれる種族を知っておるかね?」
「いいえ」
クレアもチェロキーも、南半球に住んでいないその動物の名は知りませんでした。先ほどダグラスが〈毛なしのアザラシ〉の先祖候補に挙げたのが初耳です。
「ラッコというのは、ちょうどこの話に出てくる〈ザッショクアザラシ〉と似たような動物でな。もっとも、ラッコは純肉食性で泳ぎも得意だし、先祖は川に住む獣の種族じゃが。彼らはアワビやウニなんかを餌にしておるんじゃが、やっぱり肢先が器用で、海底で拾った石で殻を割り、中の柔らかい身を食べる術を心得ているんじゃ。この石が〈前肢の延長〉のうちの一つじゃ。動物が使う〈前肢の延長〉としては、石か植物体がいちばんノーマルなものじゃろう。ちょっとニュアンスが異なるかもしれんが、前肢のないわしたちだって一種の〈延長〉を持っておる。バブルネットフィーディングをするときに、空気の泡を使うじゃろ? あれも餌を捕らえるのに空気という、わしたち自身の肉体とは別な媒体を利用しているわけじゃ。そういったものを称して〈延長〉と呼ぶ。
「〈ザッショクアザラシ〉の〈前肢の延長〉は、他の動物のそれに比べずば抜けて優れておった。彼らの一族は、餌を見つけだし、前肢に入れるために工夫することにかけてはひどく知恵が働く。メタ・セティが〈ザッショクアザラシ〉たちにそうした才覚を与えたのは、肉体的に他の種族より劣る彼らの便宜をはかり、バランスをとるつもりだったのじゃろう。じゃが、彼らの考案した〈延長〉は、天秤をむしろ逆に傾ける結果を招いた。彼らは数々の〈前肢の延長〉を作りだし、それらは時の移ろいとともに変態を遂げていった。〈沈まぬ岩〉自体、実は彼らの作り上げた〈延長〉のうちで最も進んだ形態の一つといえる。彼らはそれらを使ってより多くの獲物を、より確実に、より手際よく仕留めることができるようになった。といっても、餌にされる生きもののほうは、それに合わせて数を増やしたり、逃げる手段を見出すことはできなかったから──」
クレアはダグラスの話を聞いてハッとなりました。私たちが食事をするときに吐き出す泡が、〈沈まぬ岩〉と同じですって!? レックスの生命を奪ったあの銛も、大勢の魚たちを苦しめる〈ゴースト〉も……。私たちクジラと〈毛なしのアザラシ〉が同じ……!? クレアの頭の中で、狭い海峡で潮汐によって引き起こされる渦潮のように思考が渦巻きます。〈アザラシ〉が自分たちと同じルーツを持つ生きものであること、戦争を招いたマッコウクジラ族のように自らの欲望を満たすために知恵を働かせたこと……。あれほどの異質さを生んだ歪みの正体が、おぼろげながらつかみかけてきました。
「──初めのころは、魚を捕るのに銛や〈ゴースト〉の原始的なタイプを使っていたらしい。そのうち動物たちはみな、〈ザッショクアザラシ〉を他の生きものの仲間とは一寸違った目で見るようになった。だれより彼ら自身が、そのことを強く意識しだした。それでも、〈アザラシ〉たちはまだ信仰を捨ててはいなかったから、メタ・セティとの接触は保たれておった。」
「オヤジさん、無生物の〈延長〉がどうして進化するんです?」チェロキーがどうも腑に落ちないという顔で尋ねました。
「もちろん、〈延長〉そのものに進化する能力はなかった。〈ザッショクアザラシ〉が改良を加え、あるいはより効果的な新種を発明して置き換えていったんじゃ。〈アザラシ〉とセットで見たとき、そこには獲物を捕らえるといった目的に沿った明らかな能力向上の傾向がうかがえるから、進化という言葉を比喩的に用いたんじゃよ。もっとも、問題はそのスケールが定義元の生物進化のそれとは大きく食い違うところにあったわけじゃが、まあその辺はこれから出てくる。
「どうも話が横道に逸れてしまったようじゃな。〈歴史家〉に物語をさせるとこれだから困る……。ある日、〈ザッショクアザラシ〉たちは浜辺に出てみて、普段見慣れない大きな漂着物を見つけた。それは波に打ち上げられたクジラの死体じゃった。彼らはさっそくメタ・セティに感謝の気持ちを表すために祈りを捧げることにした。〈郡〉の中で〈行く末の語り手〉に相当する役目を請け負う者が予言の儀式を執り行い、メタ・セティの言葉をみなの者に伝えた。その内容はこうじゃった。
「『〈ザッショクアザラシ〉に属する者たちよ。クジラは本来あなた方の食物ではありません。そのクジラに前肢をつけてはいけません』
「滅多にありつけない大ご馳走が前肢に入って大喜びじゃった〈ザッショクアザラシ〉たちは、メタ・セティの意外な言葉に驚いてざわめきたった。〈政を司る者〉にあたる個体が立ち上がり、彼女に問うた。
「『おお、世界を統べる光、大いなる力よ。私たちはてっきり、この垂涎を催す美肉の塊はあなたからの賜物だとばかり思っていましたが』
「メタ・セティは〈行く末の語り手〉の口を借りて答えた。『彼らはあなた方の前肢の届かない大洋を泳ぐ大きな生きものです。北と南の海を行き来し、小エビや小魚を食べ、シャチやサメに食われ、子孫を残し、歌と歴史を語り、そうしてずっと海の中で一生を送るのです。彼らの生活史の中にあなた方は登場しません。あなた方が崖の上から、遠く水平線の彼方に彼らの潮を吹く姿を見て観想に耽ることがあっても、それ以上の関係はないのです。どのみち、非力なあなた方に彼らを捕らえることは無理ですよ。どうしてもそのクジラの肉を食べたいと言うのなら、彼らの寿命が尽きて土に還るべく陸に上がるとき──そんなことは何年に一度もありませんよ──以外は口をつけないことをお約束なさい』
「『おお、偉大なる力。あなたのおっしゃるとおりにいたしましょう』
「こうして、〈ザッショクアザラシ〉たちはクジラの死骸をきれいにたいらげてしまった。クジラの肉は脂がのっていて、コリコリと……(クレアが顔をしかめたのを見て)やめとこう、ともかく一部の者には非常に好評じゃった。一度口にしたクジラの味を忘れることはなかなかできんかった。欲しいときにクジラの肉が前肢に入ったらどんなにかよいじゃろう、と彼らは考えた。いつクジラが座礁するかなんてことはわからないし、それまではとても待ちきれない。しかし、彼らはもうメタ・セティと約束を交わしてしまっていた。
「〈ザッショクアザラシ〉の長は〈政を輔ける者〉を集め、メタ・セティの追及をかわしてクジラを前肢にする方法を密かに相談した。いつのころからか、彼らは大いなる力がすべての生きものに平等に幸福を分け与える存在だということを忘れ、神とは自分たちだけに恵みを授けてくれるものだと思いこんでおったから、その神に、自分たちにはそのご馳走を獲得する能力があるにもかかわらず、食べることを禁じられるのは合点がいかなかった。自分たちの種族が非力でクジラを捕らえることなどできないと言われ、威厳を傷つけられたと感じたこともあった。〈ザッショクアザラシ〉たちは、神とは自分たちに都合のよいものであるべきだと考えた。そうして、そのような神をでっちあげた。それは確か、〈モノ・セティ〉とか呼ばれたらしい。
「〈予言者〉の注釈したモノ・セティのお告げのもとに、彼らはクジラを捕まえるために大きな特製の〈前肢の延長〉をこしらえようとした。なんといっても〈アザラシ〉たちの自慢は、さまざまな素材を加工して思いのままの〈延長〉を作り上げることのできる器用な前肢じゃった。そうしてできあがったのが、今日の〈沈まぬ岩〉の原型じゃといわれる。どんなふうにしてそれを完成させたのか、知る術はない。なんらかの厭わしい呪術でもって岩に魂を封じこめたのだという者もある。胸ビレしかないわしたちクジラにはとてもまねはできんな。もっとも、前肢など持たなくてかえって幸いだったのかもしれんが……。
「ともかく、それを使って彼らは海原に漕ぎ出で、クジラの回遊路にあたる沿岸の浅瀬でクジラが来るのを待ち受けた(前も言ったように、このときの種類はコククジラかセミクジラの仲間じゃったろう)。〈ザッショクアザラシ〉は〈沈まぬ岩〉と〈ゴースト〉とを併用してクジラの進路をふさぎ、入江に向かって追いたてた。クジラは岸辺に乗り上げ、さっそく群がった〈ザッショクアザラシ〉たちの胃袋行きとなった。
「彼らは極上の獲物を前にして、大々的にモノ・セティを祀り祝宴をあげた。そのとき、〈予言者〉の口からではなく、天上からじかにメタ・セティの声が響きわたった。
「『あなた方は約束を破りましたね』
「〈ザッショクアザラシ〉たちは青い顔になって空を見上げた。〈政を司る者〉は始めうろたえたが、努めて平静を装い悪びれたふうもなく答えた。
「『大いなる力よ、我々は約束をちゃんと守っております。ご覧のとおり、このクジラは浜に乗り上げたものでございます』
「『でも、それはあなた方がクジラを追いこんだからではありませんか?』
「メタ・セティにごまかしが通用しないことを知った彼らの長はさらに狼狽したが、開き直って次のように言を弄した。
「『おお、偉大なる力よ。されど、私どもはあなただけに仕えているわけではありません。私どもにはあなたよりもっと偉大な神がおられます。その神がおっしゃられたのです。すべての生きものは私どもの種族のために遣わされたものだ≠ニ』
「『そうですか……』メタ・セティは落胆したように言った。『ならば、私の出る幕はもうありませんね……』
「メタ・セティの声はふっつりと途切れた。それきり、彼らの種族は二度と彼女の声を耳にすることはなくなった。でも、〈予言者〉が失職することはなかった。モノ・セティ──神の虚像がいくらでも彼らに仕事を与えてくれたから。
「そのことがあってから、〈ザッショクアザラシ〉一族は自然の恩恵に浴することがなくなった……ように、少なくとも彼ら自身は思った。その代わり、彼らは力ずくで自然の富を奪っていった。彼らはますます貪欲になり、〈前肢の延長〉をさらに発展させ、盛んに繁殖して勢力を広げていった。一方で、〈延長〉に頼りきるようになった彼らの身体はより貧弱になり、体毛も薄くなって、ついには他の動物の毛皮をまとわなくては体温を保持できなくなった。以来、彼らは〈毛なしのアザラシ〉と呼ばれるようになり、他のすべての生きものから異端種族として白眼視されるようになった。
──毛なしのアザラシ
毛のないアザラシ
毛皮失くして哀しゅうないか?
北の海辺じゃ寒かろに
毛皮がどうした
そんなものは邪魔っけなだけよ
俺らにゃヒ≠烽るイエ≠烽る
どしても寒気りゃそのときは
ラッコから横取りするまでよ
毛なしのアザラシ
欲張りアザラシ
クジラ食おうと海に出た
チビのくせして度胸があるね
チビがどうした
クジラなんぞ恐かないね
俺らにゃ〈ゴースト〉もある〈岩〉もある
貝やアマモじゃ飽き足らねえ
俺らの胃袋底無しさ
毛なしのアザラシ
威張り屋アザラシ
メタ・セティとケンカした
恵みなしでやってく気かい?
メタ・セティがどうした
施しなんぞ要るもんか
俺らにゃチカラ≠烽るチエ≠烽る
獣も魚も従わせるぞ
なにせ俺らが神なんだから──
「──これでしまいじゃ」
そう言ってダグラスは話を結びました。
「ふうん……毛の生えた〈毛なしのアザラシ〉ってどんなだったんだろ? 〈ミニ岩〉に乗っかってたやつらは本当にへんちくりんな表皮をしてたけど」
「これはわしたちの仲間が考えた想像上の物語にすぎん。実在の〈ザッショクアザラシ〉の暮らしぶりを観察したクジラはだれもおらんのじゃから。〈大哲学者〉ローゼンブラットのことじゃから、〈アザラシ〉とメタ・セティとのやりとりも含め、緻密な考察を重ねて実際にかくあったに違いないという確信のもとに筆を進めたんじゃろうが。物語に描かれた真実は、歴史に書かれた真実とは違う。じゃが、わしとしては歴史と同じように、そこから何を汲み取るかは君たち自身の判断に委ねることにしよう」
ダグラスは目を細めて穏やかに若い二頭を見つめました。
「……メタ・セティはどうして、マッコウクジラやダイオウイカたちは戒めたのに、〈毛なしのアザラシ〉を矯正しようとはしなかったのかしら?」
「アネさんは何にでも疑問をぶつけなきゃ気がすまないたちなんすね」
チェロキーの冷やかしに、クレアは口をとがらせました。「だって、わからないままほっとくのいやだもの」
「ふむ。ジャンセンたちの戦争はあれでも何十世代と続いたが、〈毛なしのアザラシ〉の引き起こす変化はテンポが速すぎて、メタ・セティにも気づかないのかもしれん。あるいは、彼女のヒレにすら余っているのか……」
クレアはダグラスとジャンセンの語った二つの物語の筋を改めて比べてみました。マッコウクジラとイカ、〈毛なしのアザラシ〉とクジラ──この二組は、ともに食う食われるの関係にありながら、どこかに決定的な違いがあるような気がします。ジャンセンの最後の言葉はなんだったかしら? 「契約を結び、それを守り通すことの意味を理解できないやつらも稀にはいる──」
考えこんでいるクレアの様子を見て、ダグラスは付け加えました。
「〈毛なしのアザラシ〉は確かに、〈前肢の延長〉を扱うたつじん達鯨じゃが、だからといって〈延長〉を用いること自体が悪いとはいえん。わしたちだって空気や音を使う。なんらかの意味で〈延長〉を用いている種族はかなりの数に上る。さっき〈毛なしのアザラシ〉起源説のところで述べたように、わしたちの世界では生物も無生物も含め無数のやりとりが行なわれておる。メタ・セティのお墨付きでな。じゃがそれでも、〈沈まぬ岩〉に匹敵する、あるいは少しでも似通った〈延長〉を持つ種族は、生物界広しといえど〈毛なしのアザラシ〉をおいてほかに一種も存在しない。やはり、他の動物のそれとはどこかに決定的な違いがあるんじゃろう。それは、突き詰めれば作る側の問題なんじゃろうな。彼らはメタ・セティの恵みの性格を曲解し、あげくには彼女の代わりに存在しない偽りの神をこしらえ、ひたすら信じた。そのために、メタ・セティに見放されたことに気づかなかったし、彼女の信頼を取り戻したいとも思わなかった。そしてとうとう、今日のニュータイプの〈クジラ食の岩〉を生み出すところまで行き着いた。〈延長〉はもはや彼らにとっても前肢に余るものになってしまい、逆に彼らのほうが〈延長〉に支配されるようになってしまった。〈延長〉に依存し、他の生きものの生命をますます多く奪い、〈メタ・セティの子〉を蝕み続けなければ生きていけぬ寄生虫に成り果てた……おやおや、いつから仮説をもてあそぶようになったのか。わしも年じゃな。ホッホッ」
クレアは二頭の年輩のクジラの語ってくれた物語から、そしてこの旅の体験から、いままでの自分が知らなかったこと、深く考えてこなかったことについて、多くのことを学びました。メタ・セティの創った世界の決まりごとが、私たちを縛り付けるものでないとしたら、私たちの意志次第でいつでも〈毛なしのアザラシ〉のように転びうるのかしら? 戦争の罪を犯したかつてのマッコウ一族のように。彼女はジョーイを誘拐したシャチたちのことを思い起こしました。
「ダンナは戻ってくるだろうか……」
チェロキーがポツリとつぶやきました。
クレアはまだ自責の念に駆られているチェロキーの横顔を見やると、明るい声で励ますように言いました。「心配しなくても平気よ。彼のことだもの、そのうち何食わぬ顔でひょっこり現れるに決まってるわ」
「えらく自信ありげですね」
ふと三頭は、曙光の差しこんできた前方の海中を泳ぐ黒い姿を認めました。
「よお、あんまり遅えから待ちくたびれちまったじゃねえか。お前ら、ヒゲ持ちのくせにマッコウよりとろいのか?」
ジャンセンは、チェロキーの〈ウォッチング〉の一件などきれいさっぱり忘れたような顔つきで、三頭のヒゲクジラに向かってニヤリとしました。
「ほらね」
クレアはしたり顔でウインクしました。