シャロンの案内で、ジョンストン海峡とその周辺にわたる〈小郡〉の勢力範囲をひととおり見学させてもらった四頭のクジラは、スーパーポッドの日に催される行事の準備のために〈執務室〉に戻った彼女と別れて一服しました。
行く先々で一行とすれ違ったシャチたちはだれも愛想がよく、彼らに向かって気軽にあいさつをしてきました。若いシャチなどはまるで仔イルカのように興味津々の目つきで、滅多に訪れることのない客鯨の風貌をのぞき見にきました。中には物怖じせず積極的に彼らに話しかけてくる者もいたりして、その食性の故に孤高を保っているかに見えるシャチたちの、意外に社交的な一面を四頭にうかがわせました。
ただ、クレアとしては、彼らがそうした気前のよい仮面の裏側に何か一物隠し持っているのではないかという疑念を、どうしても払拭することができませんでした。というのも、やはり彼女の思い描くシャチのイメージは、彼らを餌食としてきた〈毛皮派〉の凶暴で冷酷なそれだったからです。シャチたちにとって大型クジラは常食の餌ではありませんでしたが、〈小郡〉では毎年何頭かの犠牲者を出すことを覚悟しなくてはなりませんでした。外洋性の〈毛皮派〉は、稀に彼女たちの〈抱擁の海〉にまで急襲をかけてくることもありました。そうした場合にまず狙われがちなのは、泳ぎの遅い乳飲み子です。
クレアは一度彼らの捕食行動を、遠くからですが、目撃したことがありました。そのシャチは、波にまぎれて砂浜にいたオットセイの群れに近づき、不意をついて襲いかかったのです。彼らはヒゲクジラと違って少しなら浜辺の上を移動することもできます(もちろん、華麗な泳ぎを見せる水中での姿態と比べて、胸ビレで這いずる格好はお世辞にも優雅とはいえませんが)。シャチはすかさず小柄な獲物を一頭くわえこむと、再び波間に姿を消しました。オットセイたちにしてみれば、海中から突如魔物がぬっと現れて、仲間をさらっていったと思われたことでしょう。ゾウアザラシの子を一噛みで三等分にしたという話も聞きました──頭と胴と尾に。そうした話は数えあげれば枚挙にいとまがありません。彼らが日々生きていくために獲物を狩っているのであれば、それは仕方のないことでしょうし、何千尾ものオキアミを丸呑みにしてしまうクレアたちのほうがある意味で残酷でないともいえません。しかし、ミンククジラの子をまるで神隠しのごとく次々と誘拐し、数百頭のイルカの群れを寸時にみな殺しにして海面を地獄絵図と化してしまうギャングのようなシャチの一団、彼女とチェロキーがほんの二ヵ月ばかり前に危うくその歯牙にかかりそうになった謎のシャチのことが脳裏によみがえり、どうしてもここで温和に暮らしているシャチたちと切り離すことができないのです。
「どうかしたかね、クレア?」浮かない顔をしているクレアに、ダグラスが尋ねました。
「ううん……」
彼女はスパイホップをして頭をめぐらし、近くに黒くとがった黒い背ビレが見えないかどうか確かめると、ささやくような小声で言いました。
「私、どうもここのシャチたちがまだ完全に信用できないのよ」
「シャロンやステラが嘘をついているというのかね?」
「ううん、別にそういうわけではないのだけれど……。ただなんとなく、二週間もここにいたら、何か起こるんじゃないかって気がするの……」
「へえ、アネさんて意外と神経質なんですね。ぼくは彼女たちを知って、いままでシャチに対して抱いていたイメージをすっかり塗り替えられましたよ。〈毛皮派〉も、ぼくらのこと食べるのやめてくれさえしたらいうことないのになあ」
始めいちばんオドオドしていたチェロキーが言いました。彼の言うことはクレアも確かに認めざるをえませんでしたが、そのギャップのありすぎるところがかえって不安を煽るのです。
「そりゃ、そのとおりなんだけど……。あのズラッと並んだ白い牙を見ていると、どうも落ち着かないのよねえ……」
「なんだ、お前さん、尖端恐怖症だったのか? この間、俺の口の中のぞいたじゃねえかよ」ジャンセンがわざとらしく口を開けて、下顎の歯を見せびらかします。
「よしてよ、もう」
「まあ、安心しな。もし連中が寝しなに闇討ちでも仕掛けてきたら、俺が頭突きを食らわして噴気孔から泡を吹かしてやるから。一応あんたとは用心棒になる契約を交わしたんだしな。さてと、俺はちょっくらその辺をブラブラしてくるか」
ジャンセンはついと反転して尾ビレを水面上に振り上げると潜っていってしまいました。気安く請け負ったそばから勝手にどこかへ遊びにいってしまう彼の言うことを、クレアはどこまで本気でアテにしていいのかわかりかねました。
「ぼくもちょっと散歩してきますね」と、チェロキーも続きます。あの臆病者がシャチのウヨウヨする中をよく一頭でうろつけるわね……。
「それじゃあ、わしも食事に……」
ダグラスが言いかけて向きを変えると、クレアはあわてて引き止めました。
「ま、待ってよ、ダグラス! 私を一頭にしないで!!」
「ホッホッ、どうしたんだね、お嬢ちゃんや? 恐い夢でも見たかね?」
「もう、からかわないでよ、ダグラスったら!」
「まあ、一緒に〈食堂〉にでも行くことにしようか」
ダグラスの後についていきながら、本当は自分がいちばん臆病なのかもしれないな、とクレアは思いました。霧と森の海峡で、彼女の吹き上げた弱々しい潮はいまにも消え入りそうでした。
数日の間、クレアはやはり一頭でいるのが安心できなくて、大体ダグラスと行動をともにしました。ジャンセンは例によって一頭でぶらついていることが多く、ときどきは島を離れて沖や深海にもヒレを向けているようでした。たまに会っても、「おう」と軽く声をかけるだけで、こちらの心配などまったく知らぬ気です。彼だったらシャチがポッド一つ束になってかかっても倒すのは難しいでしょうが、いざというときに不在では話になりません。とんだ用心棒もいたものだ、とクレアは思ったものでした。
どういうわけか、チェロキーもしばしばどこかへ姿を消してしまうことがありました。一緒にいるときの彼はひどく浮かれており、静かな海峡でのバカンスを存分に堪能しているように見えました。しかし、クレアには彼の明るさが見せかけのものであり、シャチたちとは別の意味で、自分たちに何かを隠しているような気がしました。
ある日、クレアがダグラスの食事につきあっていると、シャロンが声をかけてきました。
「こんにちは、お食事ですか?」
「おや、こんにちは、シャロンさん。今日はまた一段とおきれいでいらっしゃいますな」
「いやだわ、ダグラスさんたら。ヒゲクジラにそんなお世辞を言われたのは生まれて初めてですよ、フフ」
なによ、ダグラスったら、いい歳して……。クレアはダグラスを横目でジロッとにらみました。でも、正直なところ、すらりと伸びた背ビレとスマートな流線型の体、黒と白が滑らかな曲線を描いて対照をなしている模様は実に美しく、水面に浮かんで日の光に照り輝いているところなど、見る者をうっとりさせるものがありました。実は、この艶々した白黒の斑模様は、海中で見ると錯綜する光線の揺らめきに溶けこんでしまって、巧みなカモフラージュの役目をも果たします。彼らの美しさは危険を秘めた美しさなのです。とまれ、シャロンは確かにバンクーバーのシャチたちの間でもひときわ端麗なメスでした。
「クレアさんはお食事をなさらないの?」
「え、ええ、まあ。ちょっと食欲がないもので……」
二頭がいた〈食堂〉はメニューの異なるシャチたちとは別々になっており、ダグラスは普段は滅多に開けない大口を広げてアミの群れを泳ぎ食べしていました。クレアはジョーイとシャチたち(誘拐犯と彼女の周囲のと)のことで頭がいっぱいで食べる気がせず、彼の採餌を眺めるだけですませていたのです。
「そうですか。私もいまから食事にするんだけど、よかったら私たちの漁でも見学にいらっしゃいません?」
「え、でも……」
「ぜひそうさせてもらいなさい。わしはここでもう少しご馳走になっているから。この体格を支えるためには、いまのうちからたんと詰めこんで栄養をとっておかんといかんからな、ホッホッ」
ダグラスったら、私を一頭でシャチと一緒に、それも獲物を屠るところに同席させようっていうの!? クレアは彼に目で訴えましたが、彼のほうも彼女に向かって、大丈夫、大丈夫、心配せんでよろしい──と目で微笑んで応えました。
彼女が躊躇しているのを見て、シャロンが言いました。「もちろん、無理には勧めないけど。あまり目の前でそういうのを見るのはお好きでないなら」
「いえ、別にいまはすることもありませんから……」
クレアは仕方なくシャロンの後に従いました。
二頭は横に並んで泳いでいきました。こうして見ると体長はほとんど違いません。クレアがまだ自分に対して恐怖心と警戒心を解いていないのを感じとったのか、シャロンは彼女の緊張をほぐすように、くだけた調子で話しかけました。
「他のお二方はどちら?」
「さあ、どこへ行ったのか……。ジャンセンはいつもこうなんですけど」
「うらやましいわね、あなたたちって。私もときどき、もっと異種族と交遊することができたらいいなって思うことがあるわ。もっとも、仲間同士のつきあいだって、決めなきゃいけないことやいざこざが盛りだくさんだったりすると、うんざりしちゃうけどね」
「それが普通なんじゃないでしょうか? 私たちみたいなケースは例外なんだし。こんな事件が起こったせいで、本来なら出会うこともなかったんだから。みんなそれぞれはみ出し者だし、フフ。私も早く前みたいに、〈郡〉の仲間とののんびりした日常生活に戻れたらいいなって思います、平凡な母親に……」
シャロンは、瞼を閉じて物思いに耽るクレアをじっと見つめて、ふとつぶやきました。
「……お互いに、相手をうらやむ理由なんてないんでしょうね。ただ、それぞれの運命の中で一所懸命生きていくだけ……」
クレアは目を開けてシャロンを見つめ返しました。大きさは変わらなくとも、力もスピードも比較にならぬほど強力なものを持つ無敵の殺し屋クジラの一員である彼女、いますぐ隣を泳いでいるメスのシャチが、自分と同じ一個の生命にすぎないのだと、そのときクレアははっきりと悟りました。クジラもイルカもアザラシも噛み砕く牙を隠し持っていようとも、彼女にだけはきっと信頼を置ける、そう思いました。
クレアの泳ぎにぎこちないところがなくなり、自分に心を開いてくれたのを知って嬉しくなったシャロンは、友鯨の鼻先で宙返りする跳躍の芸当をやってのけました。
道々、シャロンは自分たちのサケ漁の話をクレアに語って聞かせました。サケの漁獲があるのは、彼らが溯河する夏から秋にかけてです。川を降りたサケの稚魚たちは四、五年の間広い太平洋を回遊しながら成長し、この時期になると産卵という一生涯の偉業をなしとげるために生まれた川に帰ってくるのです。せっかく卵を産みにきたサケをそのゴール一歩手前で獲ってしまうのは、クレアなどは母親として不憫な気もしますが、そこは自然の摂理、何割かのサケはシャチやトド、あるいはグリズリーなど陸上の動物たちの糧となり、残りは無事に子孫を残してまた多くの生命を養うのです。分をわきまえさえすれば、そうやってシャチもサケもともどもに栄え続けることができるというものです。サケはバンクーバーに住むシャチにとって最も重要な食物でした。先週は今年の初漁があり、北〈小郡〉ではささやかなお祭りをやったそうです。メタ・セティの恵みに感謝し、みんなでお祝いして余興を楽しむもので、他のイルカやクジラ族のそれとなんら変わりはありません。
「サケたちはきっとあなたを見て、大口の敵がやってきたと腰を抜かすでしょうね」
「まあ、失礼しちゃうわ」
「でも、不思議よね。あなたたちみたいな大きな口の持ち主が、細かいアミやニシンの子しか食べられないなんて」
「私だって不思議よ。あなたみたいにそんな小さな口で、私たちでっかいクジラも食べちゃうんですもの」
「あら、私、クジラを食べたことなんて一度もないわよ!」シャロンはとくに一度も≠ニいうところを強調しました。
「私たち〈ウロコ派〉のシャチは魚しか食べないわ。本当よ! もっとも、一等級のキングサーモンは二メートルあるけど。〈郡〉の仲間にだって、クジラにヒレを出した者なんているはずは、ないわ……」
ここで彼女の表情がにわかに曇りました。しかし、その先を彼女は言いませんでした。お互いに冗談を交わし合うほどの仲になっても、まだ言えないこともあるのでしょう。
ほどなく、二頭の目の前に島を穿つ小さな入江が見えてきました。これから、話に聞くばかりでなく、サケ漁の模様を実際にクレアも目にするわけです。そこにはすでに、シャロンのポッドのメンバーが集合して待機していました。みんな湾を前にしてずらりと並んでいます。
「もう追いこみは終わっちゃったようね。私たちは鳴声やフリッパリングの音を使ってサケを追い立てて一ヵ所に封じこめるのよ。これが漁の第一段階」
なるほど、クレアがソナーで湾内をのぞきこむと、びっしりと群がったサケがパニックに陥っています。
「さあ、第二段階からは私も参加しなきゃね。後ろに下がって見ていて」
シャチたちはサケの群れを湾の一角に追いやると、シャロンのホイッスルを合図に漁を開始しました。輪になったシャチたちは、順番にその中へ飛びこんでサケを追い回します。他の者は逃げようとするサケの退路を阻み、岩やケルプの間に隠れたサケを反対側から脅したり、ヒレで水面をたたいて仲間のほうへ追い返します。一頭が獲物を捕らえると別のシャチに交代するという按配で、群れの者全員に餌が行き渡るようにします。まさにチームワークがものを言う、緊密なつながりを持つ家族ならではの漁でした。
やがてサケの数も少なくなり、シャチたちは獲物との追いかけっこをやめました。クレアはもう漁は終わったのかと思いましたが、シャロンは「まだ第三段階があるわよ」と、ニヤリとして言います。見ていると、シャチたちはなにやら不思議な行動をとり始めました。岩場になった海岸のすぐそばまで寄ると、海面に浮かんで身体を上下に揺らしだしたのです。彼女たちの体が揺れるにつれて、水面も次第に波立ってきました。波は繰り返し岩に打ち当たっては白く砕けます。まるでシャチとサケではなく、海と陸とがゲームの主役に成り代わったみたいです。いったい何をやっているのかとクレアが首をかしげていると、しばらくしてぽっかりとサケの身体が浮かび上がりました。なんだか酔っ払ったみたいになって水面に伸びています。
「あなたたち、いまのどういうふうにやったの!? まるで魔法みたい!」クレアが目を見開いてシャロンに尋ねます。シャロンはさらに勢いよく身体を揺さぶりながら答えました。
「フフ、サケたちが岩場の亀裂の奥のほうに逃げこんでしまうと、こちらからは手が出せなくなると思うでしょう? ところが、こうやって波を起こしてやるとね、サケたちは狭い隙間に潜っているから、頭や身体を岩にさんざんぶつけて、たまりかねて降参せざるをえないというわけ。わかった?」
クレアは、〈毛なしのアザラシ〉の〈前肢の延長〉を作る能力にも引けをとらないシャチたちの抜群の頭脳に驚嘆しました。それを使って獲物を根こそぎにしてしまったりしないところが、また彼らの賢さの証といえるのでしょう。
シャロンがどうやら大物を捕らえたようです。
「やったわ、クレア! 見て!」
羽目を外して大はしゃぎするシャロンに向かって、クレアは胸ビレを振りました。彼女の一家は北〈小郡〉の中でも漁の成績が優秀なことで有名でした。今日の漁果はまずまずだったようです。クレアもここへ来て以来初めて、心から楽しいひとときを過ごすことができました。
クレアがそれを目撃したのは、シャロンとの友情が芽生え、ようやく一頭でこの海域を泳げるようになってしばらくしてからのことでした。その日、クレアはチェロキーが一頭でいるところを見かけました。彼はソワソワとして落ち着きがなく、だれかを待っているようでした。彼女が声をかけようとしたとき、二頭の若いオスのシャチが現れ、チェロキーと二、三言葉を交わしました。彼は周りでだれか見ていないか──おそらくクレアたちのことでしょう──気にしながら、二頭のシャチと連れだってどこかへ向かいました。
クレアは悲痛な面持ちでその場を後にしました。なんだかシャチたちへの信頼を一挙に裏切られた思いでした。チェロキーはきっとあのシャチたちに脅されてるんだわ。私たちに告げ口したらひどい目に遭わせるぞ、とかすごまれて。それで、彼も気が弱いから、怯えて私たちに打ち明けられずにいるのね……。彼はいったい何を要求されてるのかしら? 間近にいるクジラにヒレを出せない欲求不満の解消にいじめられているんじゃないかしら? それとも……。ダグラスとジャンセンに相談しなくては。
その晩クレアは、チェロキーのいないときを見計らって、二頭の仲間に打ち明けました。
「どう思う? 私、もう気が気でないわ。彼が何されてるのかって思うと……。噛みつかれたり、尾ビレでたたかれたり、狩りの練習だとか言って、ヒレの先とかぐらいかじられてるかもしれない。誘拐犯とのこともあるし。私たち、こっそりここを出ていったほうがいいんじゃないかしら……?」
「お前さんもずいぶん心配性だな。メスってのはみんなそんななのかね? あの小僧見たって、別に脅されてるとかいたぶられてるってふうにゃ全然見えねえぜ? 気楽なもんだ」深刻な口ぶりで事情を明かすクレアに、ジャンセンはややあきれ気味に言いました。
「でも、私、彼がシャチに唆されて連れられていくのをこの目で見たのよ!? チェロキーのことだから、ストレスが強すぎてもうその域を越えちゃったのかも」
「けっ、あいつがマゾになるたちかよ。コバンザメになでられたって悲鳴をあげるようなやつがよ」
「ううむ、わしにもちょっと信じかねるな。何か別の理由でもあるのかもしれんよ。直接彼に問いただしてみてはどうかね?」
「だって……」
ジャンセンばかりでなく、ダグラスもクレアの懸念を真剣にとり合ってはくれないようです。やっぱり本鯨に事情聴取して確かめるしかないか……。
次の日、クレアは意を決してチェロキーに訊いてみることにしました。
「ねえ、チェロキー。正直に答えるのよ。あなた、最近何か私たちに隠してない?」
「へ? な、なんのことです?」そう聞き返した彼の口調には、ややたじろいだ様子がうかがえました。やっぱり図星なのね……。
「あなた、シャチに脅迫されてるんでしょ?」
恐い目で自分を見据えるクレアに、チェロキーはびっくりして言いました。
「なんですって!? どうしてぼくが彼らに脅されなくっちゃならないんです? やだなあ、アネさん、変な嫌疑をかけないでくださいよ」
「ちょっとあなた、身体を見せてご覧なさい」
そう言うと、クレアは有無を言わせずチェロキーの周りを一周して、どこかにかじられた痕でも残ってないかと丹念に見回しました。チェロキーは身じろぎして抗議しました。
「な、なんですか、アネさん!? 他鯨のことジロジロ見ないでください! ぼくは潔白ですったら!」
彼の身体にはちょっと白い筋のような跡がところどころに見られるほかは、それらしい傷は一つも見当たりません。
「変ねえ……」
「おかしいのはアネさんのほうじゃないですか? シャチのみんなを疑ったりして。らしくないよ」
チェロキーは不満げに漏らすと、クレアを残して行ってしまいました。私の勘違いかな? ううん、そんなはずはないわ、私は絶対見たんだから。いまにきっと尻尾をつかんでやりますからね……