チェロキーの一件があってからというもの、クレアはシャロンが仕事の合間に話しかけても曖昧な返事しかよこさなくなりました。シャロンは彼女の態度の変化に首をかしげましたが、スーパーポッドまで日数がなく準備に追われていたため、誤解のもとを確かめる暇がありませんでした。クレアは、チェロキーを脅しているのは一部の不心得者だけだと思っていたので、シャロンや彼女の属する〈郡〉そのものに対して信用が置けなくなったわけではありませんでしたが、どうしてもガードを降ろすことができないのです。誘拐犯に関する情報がいっかな入ってこず、ただじっと待つことしかできない故に焦燥を感じてもいました。そんなクレアの沈んだ様子を見て、ダグラスはステラに相談に行くことにしました。
明くる日、四頭のクジラはシャチ族の〈政を司る者〉に招かれ、シャチたち自身も普段は滅多に訪れない、ひときわ静かな入江の一つにやってきました。岸辺に生い茂る大樹の森が、なぜかクレアたちクジラの気分をも落ち着かせました。ここには何か、シャチたちにとって特別な意味を持つ場所とされたのも自然と納得できる神聖な雰囲気がありました。
「よくおいでいただきました、みなさん。招待に応じてくださってありがとう」
老いたメスの長は、だれも伴わず一頭だけで客鯨を迎えました。
「お忙しいさなかに私たちの相手などしていただいて、ご迷惑じゃありませんか?」
「指揮のほうはシャロンに任せてありますし、若い者たちはみんな張り切ってやってくれていますから、ご心配には及びませんよ。私だってたまには息抜きをしなくては老体にこたえますからね。日がな一日働きづめというのは、やはりクジラ族として健全なことではありませんよ。違いますか?」気をつかわせては悪いのではないかと思って尋ねたクレアに対し、ステラは穏やかな笑みを浮かべて冗談を言い、彼女の気兼ねを打ち消しました。
「無理を言ってあなた方に逗留いただいたのに、まだ有益な情報をもたらすことができずに申し訳なく思っています。ここは、私たちの〈小郡〉で昔語りの場に使っている入江です。これからみなさんに、私たちシャチ一族の物語をご披露しようと思います。本来、先祖代々受け継がれてきた民話を異種族に対して公開したりはしないものですが、仮にも同じ血を分ける者のヒレでなされた罪深い行為に対し、私たちとしても償いをしなくてはなりません。お役に立てるというほどのものではありませんが、あなた方が対峙される相手について知るのに少しでも参考になればと思います」
「そんな! これはあなた方バンクーバー〈ウロコ派〉のみなさんとはなんの関わりもないことですし、私の息子を誘拐したのは、外見は同じでも中身はあなた方正統なシャチとは似ても似つかない全然別種の生きものですわ!」
ステラたちの責任を強く否定するクレアに、彼女は感謝といたわりの情をこめた穏やかな視線を向けて先を続けました。「これはね、あなた方に対するだけでなく、私たち自身のメタ・セティに対する責任でもあるのですよ。そのわけは、これからする物語を聞いてもらえればわかります。私は一応〈来し方の語り手〉としての訓練も積んでいるのですよ。長いこと〈施政者〉を務めていると、いろいろと他の職業のノウハウについてもかじっておく必要を感じましてね。プロの〈語り手〉のように雄弁な語りというわけにはいきませんが、どうかしばしの間お耳をお貸しくださいましな」
大地と海と空との境目にできた無音の世界のような語りの場で、慎み深い老シャチの淀みない物語が始められました。
『シャチの気高さについて』
「──みなさんは疑問に感じたことはありませんか? もし、生物がどれもこれも食いつ食われつしているのだとしたら、そのいちばんてっぺんに居座っているのは何だろうと。すべての生きものは、天敵に食われることで増えすぎることなくバランスを保っているわけですが、そうやって食う食われるの関係が続いていくと、しまいにはだれにも食べられることなく一方的に食べるだけ、という種に必ず行き当たってしまうはずです。だとしたら、その動物は大洋を埋め立てるほどに増殖して他のすべての生物を食いつくし、ついには自らも滅んでしまうのでしょうか? 答えは簡単、いちばん上の生きものなんてやっぱりいないのです。食う食われるの関係は種族ごとに一組しかないわけでも、一方通行でもありません。どんなに強い動物でも、幼いときや年をとると天敵がいますし、寄生虫や病原種族にはかないません。それに、食う食われるの関係は強弱ではなく、互いに対等の立場にある持ちつ持たれつの関係なのですから、そうした心配は無用なのです。そのことは、私たち生きものがだれしもとり交わす共生の契約≠フいちばん最初の条文に書かれているとおりです。
「でも、みなさんはこう思うかもしれませんね。種と種との関係でいえばそうかもしれないが、結局個体と個体との力関係を比べると強弱があるではないか? その強い動物というのは、他の動物より馬力やスピード、頭脳の点で勝れているから、やはりいつかはその力を発達させ、集団としても優位に立とうとして、他の生物種族を絶やしてしまうことになりはしないだろうか? ここで、バラエティにあふれる自然の世界にあっては、どの環境でも、どの種族に対しても通用する万能の力や知恵というものはなく、それぞれの種がそれぞれの能力において秀でているのだという事実はさておくとしましょう。海、森、草原、空といったひとまとまりの自然を考えたとき、確かにそれぞれの生態系で頂点に位置するそれなりに強い動物がいます。海の場合でいえば、その一つがシャチ、つまり私たちの種族です。
「そうした力のある種族が、他の生物を征服し、海を支配してやろうなどという邪な気を起こさぬよう(悲しいことですが、メタ・セティは彼女のお創りになった生きものたちを完全に型に填めてしまうことを好まなかったために、万が一にもそういう事態が生じる可能性は否定できませんでした)、メタ・セティは彼らにある特質を備えさせました。それは種族としての誇り≠ナした。この性質をこしらえるにあたっては、メタ・セティも一筋縄ではいかず、だいぶ腐心されたようです。彼女がどれだけ苦労したのかを、シャチのケースについて見てみましょう。
「これまでメタ・セティは、実にさまざまなタイプの生きものを創ってこられましたが、彼女は際限ない拡大志向の持ち主ではありませんでした。例えば、サイズについては娘に負担をかけすぎないよう、クジラや、セコイア、フタバガキ程度でストップさせましたし、速さや持久力、潜れる深さなどについても一応それぞれに限界を設けました。それでも、すべての種が優劣なく銘々ほかにはないユーモラスな特質を備えるように計らったため、自然の豊かさが損なわれることはなかったのです。
「そんな中でシャチ族は、泳ぐスピード、たくましい尾の筋力や強力な牙、高感度の音波探知能力など、諸能力においてトップクラスの持ち主で、総合得点では文字どおり海洋生物界ナンバーワンでした。知恵の点でも、協同で狩りをしたり、難しい獲物を工夫して捕らえる才覚がありました。彼らはまた、食べ物の好みについてはうるさくなく、大小のイカや魚(その中にはサメも含まれます)からペンギン、アザラシやオットセイの仲間、近い親戚のイルカやネズミイルカ、果ては巨大なクジラまで何でも食べ、おまけに大食漢でした。さらに、彼らは南北の極海から赤道の海まで、沿岸から大洋のど真ん中まで、世界中の海に住み着いていました。メタ・セティとしても、一種くらいこういう動物がいてもいいのではないかと始めは思ったのですが、創ってしまってからちょっぴり、しまった! と後悔しました(もちろん、慎み深い彼女のことですから、大声で叫んだりはしませんが)。彼らは瞬く間に海中に広がり、鯨口を増やしていってしまいました。メタ・セティが頭を悩ませていると、当のシャチたちのほうから彼女に対して訴えがありました。
「『どうかしましたか? シャチに属する者たち、私の愛する孫たちよ』
「『メタ・セティ、わが種族を創られし大いなるクジラよ。餌がだんだん少なくなってきて困っています。我々はどうしたらよいのでしょうか? もしかして、これは何か私どもに至らぬところがあるのでしょうか?』
「シャチ一族の〈政を司る者〉の代表者が、彼女に向かって恭しく黒い胸ビレを広げて言いました。メタ・セティはこの際、彼ら自身の考えを聞いてみることにしました。
「『実は、私としてもそのことで少々迷っているのです。といって、このままヒレを打たずに放っておくわけにはいきません。あなたたちに授けた能力をいくつか奪うか、あるいは、その代わりに誇り≠ニいうものを持たせようと思うのですが。あなたたち自身はどちらがよいですか?』
「『私どもとしては、せっかく授かった能力を失ってしまうのは悲しいように思います。ですから、その誇り≠ニやらを賦与していただくほうがよいかと存じます』
「『よろしい。では、そのように計らいましょう』
「こうしてシャチ一族は、メタ・セティから新たに誇り≠ニいう能力をもらいました。ところが、その後いくらたっても情況は好転しません。これでは埒が開かないと、シャチ族の長は再びメタ・セティに訴えかけました。
「『おお、メタ・セティ、全能のクジラよ。私どもは残念ながら未だに窮状を脱しておりません。あなたにいただいた誇り≠フ使い方がどうもよくわからないのです。そもそも誇り≠ニいうのはいったい何なのでしょう?』
「『シャチに属する者よ。私はすでにあなたたちに何かを誇らしい≠ニ感じる能力を与えてあります。ただ、何を誇り≠ノするか、誇り≠ニいうものを社会的にどう位置づけるかは、あくまであなたたち次第なのですよ。誇る$ォ質を備えさせたのは、生きものの中であなたたちが初めてです。ですから、私にとってもこれは一つの賭けです。しかし、それがあれば、あなたたちが現状を打開して自らも他の生きものたちも救うことは可能なはずです。私としては、あなたたちに与えた数々の素晴らしい能力が、それを有することで他の生きものたちを滅ぼさざるをえないような悪≠セとは考えたくありませんし、そうでないことをあなたたちに証してほしいのです。わかりましたか?』
「『まだ十分に理解できたとは言いかねますが、ご期待に沿えるよう努力いたしましょう』
「確かに彼女に言われたとおり、誇らしい°C分は漠然とながら捉えられましたが、まだ波間ら差す光の綾のように覚束ないものでした。それからシャチたちは、みなで丸く突き出た額を寄せ集めて真剣に話し合いました。ある者は、メタ・セティの信頼に応えることが誇り≠セと言い、別の者は、メタ・セティに頼らず自分たちで道を切り開いていくのが誇り≠セ、言いなりになっていたら我々の誇り≠ヘ傷つく、と言いました。いずれにしても、誇り≠ニはたいへん難しいものだという点では全員の見解が一致しました。ともかく、運用しながら状況に即して改善していくほかはないということで、彼らは当面メタ・セティとの交信を保ちつつ、徐々に誇り≠フ使い方を覚えていくことに決めました。
「手始めに、メタ・セティに授かった諸々の能力を誇り≠フ対象にしたらどうかと、あるシャチが提案しました。そこで彼らは、自分たちの種族に備わった優れた力や知恵を誇り≠ノすることにしました。多くの者はすんなりとこの誇り≠受け入れました。しかし、彼らはそうした己の能力に陶酔し、技を鍛錬して研き、ヒレを競い合ったり、自分が他鯨より勝っているところをひけらかすようになりました。そのため、獲物の量はますます乏しくなってしまいました。〈政を司る者〉は再びメタ・セティに助力を請いました。
「『メタ・セティ。私たちはまだ満足に誇り≠使いこなせていないようです。どこがいけなかったのでしょうか?』
「『結果が悪化しているということは、どこかに問題点があるんでしょうね。あなたは、ご自分ではどう思われますか?』
「『あなたからの授かり物である私たちの諸能力は、確かに誇ってよい≠烽フだという気がいたします。ですから、おそらく誇り≠フ持ちように原因があるのではないかと……』
「『それは、例えばどういうことでしょうね?』
「〈施政長〉はしばし考えこんでから答えました。『本来誇り≠ノすべきそうした能力を、誇る≠ノ足るように扱えなかったのではないかと思います』
「『それは正しい指摘ですね。私はあなたたちへの贈り物の一つとして、知恵≠授けました。それを、誇る≠ノ足るように駆使してご覧なさい』
「さて、次の試みとして、たくさんのそうした能力を備えたシャチ族そのものに誇り≠フ基礎を置くべきだ、との意見が出されました。この誇り≠煦モ外に早く定着しました。ところが、これはやがて自分たちの一族の優越感を呼び覚ますことにつながりました。異種族との差異を見せつけたり、自分たちより下位のレベルにあるものとして他の生きものたちを蔑視する風潮が広まりました。極端な誇り≠フ持ち主は、こんなに優秀な種族であるのに、なんで他の劣った生きものどものことを考えてやる必要があるのか? といった論理を持ちだす者も出始めました。これでは事態がよくなるはずもありません。
「『メタ・セティ、母なるクジラよ。困ったことに、また誇り方≠ェおかしくなったようです』
「『どうもそのようですね』
「『申し上げにくいことですが、一族の中には、あなたのお訓えは間違っているのではないか? あなたは我々シャチ族にのみ恵みをもたらせばよいのだと吹聴して回る者も出る始末で。変な誇り≠ェ横行してしまい、〈政を司る者〉としても弱りました』
「『そういう誇り≠ェあってもいいのかもしれませんよ?』
「メタ・セティの言葉に、シャチの長は当惑しました。『そんなことをおっしゃらないでください。そうした誇り≠ェ誇り≠ニして間違っていることは私にも理解できます』
「『どういうふうに間違っているのです?』
「『それは……結果として、我々が滅びへの道を泳いでしまうことになるからです。現状を是認するような誇り≠ヘ、やはり賢明な誇り≠ニはいえないでしょう』
「『となると、私の考えだした誇り℃ゥ体が間違っているのかもしれませんね?』
「『そんな恐れ多い! たぶん、私どもはまだ誇り≠フ性質をよく理解できていないのでしょう。何か足りない要素があるのかもしれません。もう一度やり直してみます』
「今度こそ──というわけで、シャチ族選り抜きの施政者グループが長い討議の末に考案したのは、愛≠誇りにしようというものでした。今度の誇り≠ヘみなに普及するまでに結構時間がかかりました。というのは、愛≠ニいうのもやっぱり誇り≠サのものと同じように、定義が難しくてとりつきにくい概念だったからです。しかし、愛にも子やペアの相手、ポッド仲間への愛のように馴染みやすいものもありましたから、彼らはその線で愛に誇り≠抱くよう努めました。この試みはなんとかうまくいくかに思えましたが、次第に綻びが見え始めました。シャチたちは身近な者を愛し、その愛情の深さを誇り≠ノするあまり、それ以外の者への気づかいを忘れてしまいました。彼らは強い愛情に結ばれた一部の者だけで寄り固まり、他の集団との間に険悪な雰囲気が生まれました。同志愛がどれほど深いかを証明するために、激しい抗争を始めるところまで出てきました。こうなるともう泥沼で、海の生物界に正常な秩序を呼び戻すどころではありません。
「『おお、メタ・セティ。もうおしまいです。私どもにはやっぱり誇り≠得る資格などないのかもしれません。このままでは、海もシャチもともどもだめになってしまいます……』〈施政長〉はメタ・セティに向かって嘆きました。
「『そんな泣き言を言うのは誇り″bォシャチ族らしくないですね。あなたたちは確かにいい線をついていたし、失敗した理由について分析し、判断できるのですから、まだあきらめることはありませんよ』
「『しかし……』
「『私には、あなたたちはせっかく検討した反省材料を活かしきっていないように思えますね。もういっぺんだけようく考えてご覧なさい。誇り≠捨てるのは、誇り≠勝ち獲ってからでも遅くはありませんよ?』
「シャチたちはメタ・セティの勧めに従い、再度問題点を洗い直すことにしました。最初に過ちを犯したのは、力強さや頭のよさを、その内容に捉われて誇る≠ノ価する用い方をしなかったからでした。自分たちはすでに誇れる≠烽フを持っている、それを誇らしげ≠ノ威張り散らして振りかざしたとき、誇り≠ヘヒレの届かないものになってしまったのです。次には、己れの種族は他の種族と異なる別格の存在であるという意味を、誇り≠ノ付そうとしたのが失敗のもとでした。これも、自分たちが誇らしい℃族なのだと思いこむ前に、まず誇らしい℃族としてふさわしく振る舞うべきではなかったかと省みられました。三番めは、愛を単なる誇り≠フ対象としてしまったことがどうもいけなかったようです。何を誇れる≠ゥではなく、どうして誇れる≠フかをもっとよく考えるべきでした。そのため、愛情の深さが本当に誇れる≠烽フとはならなかったのです。
「では、真に誇り″b「種族とはいかなる振る舞いをすべきなのか? どうすれば誇り≠ヘ生きるのか? シャチたちはそこで、自分たちが誇り≠有する最初の種族になるのだということに、はたと思い至りました。自分たちの優れた能力が真に誇れる≠ニきとは、まかり間違えば他の種族との良好な関係を壊したり、メタ・セティを悲しませたりしかねない──そうなった暁には誇り≠ヘ死んでしまうのです──能力を、暴走させることなく上手に使いこなせたときに違いありません。状況をよく省察した結果、彼らは力をセーブすることを覚えました。力を持っているが故に、謙虚で慎ましい態度を心がけるようにしました。そのためにこそ持ち前の知恵を発揮しました。シャチたちは分散し、それぞれの自然に自らのほうを合わせて糧を得るようにしました(このときが〈毛皮派〉と〈ウロコ派〉の分派の起源です)。礼節を重んじ、各種独特の作法や儀式、厳格な掟を築きました(〈郡〉、ポッドのシステムや、繁殖における節度などが含まれます)。誇り≠フために驕慢にならず、他の力を持たない者たち、その気になればいくらでも殺せる者たちにも敬意を払い、ともに生きることを学びました。盲目的で身勝手な愛を誇り≠ノするのではなく、すべてのものに尊厳と愛を見出せたときに誇り≠感じとりました。そういったことは、高貴さとは矛盾するように当初は思われましたが、やってみると意外にこれが素直に誇らしい°C持ちになれることがわかりましたし、異種族から畏敬の眼差しを向けられるようにもなりました。本物の誇り≠ノ目覚めたシャチは、それからというもの、もう二度と誇り≠フ奴隷となってそれを失ってしまうことはありませんでした。
「『メタ・セティ、すべての生きものを育み、世界を見守る偉大なクジラよ。私どもはどうにか間に合ったようです。これもみなあなたにいただいた誇り≠フおかげです。ご恩顧に感謝いたします。私どもははなはだ不完全な存在ですが、それ故に生の喜びと誇り≠見出します。今後も奢り高ぶることなく鋭意精進してまいりますので、なにとぞ未熟なわが一族にお知恵とお力をお貸しください』
「シャチ族の長は、いつになく清々しい気持ちでメタ・セティに対しました。
「『私もうれしいです。あなたたちが自らの力で困難に向き合い、解決の方法を学びとったことを、私は誇り≠ノ思いますよ。どうかそのことを忘れないでください』
「〈施政長〉はそのとき、メタ・セティがいつでも彼らが自分たちで考えるように仕向け、種族の誇り≠損なうことなくそこへ到達できるよう導いてくれたことに気づき、感謝の念を新たにしました。
「それからメタ・セティは、より複雑になった世界におけるトラブルの処方箋の一つとして、他のクジラ族をはじめとする多くの種族に、それぞれ見合った形で誇り≠持たせるようにしました。私たちシャチは、その最初の候補に選ばれ、彼女の期待を裏切らなかったことを、たいへん誇り≠ノ思っているのです──」
「──いかがでしたか? なんだか自画自賛しているみたいになってしまったけど。もともとこれは同族向けの内容で、誇り≠見失いかけたときに一族を叱咤鼓舞するために説くものだから」と、謙虚さの見本のようなステラが言いました。
「いやあ、バンクーバー北〈小郡〉に所属するシャチのみなさんを見ていると得心がいきますよ。物語どおりの高貴さを保っていらっしゃる」
チェロキーの感想に、クレアもダグラスも同感でした。しかし、無礼無作法を重んじるジャンセンだけは別で、「いかにもあんたたちらしいとは思うが、俺は別に善いとも悪いとも思わんね」と、こちらもいかにも彼らしい感想でした。
「あなた方の追っている異端のシャチたちに対して、なぜ私たちが憤るのかも、これで理解していただけたかと思います」ステラは目を伏せてため息の潮を一つ吹き上げました。つまり、あのシャチの集団は、歴史上初めてメタ・セティに対する誓いを破り、いわばシャチ族の誇り≠ノ泥を塗ったわけです。彼女の心痛も無理からぬことでしょう。
ステラの物語を聞いていて、クレアは一つ感じたことがありました。それは、同じミンククジラの敵にして強大な存在でありながら、〈毛なしのアザラシ〉とシャチとではあまりに開きがありすぎるということです。シャチが誇り″bォ種族であるとすれば、〈毛なしのアザラシ〉は誇り≠ネんてかけらも持ち合わせていないように思われました。もっとも、力に関してはシャチだって〈沈まぬ岩〉に遠く及びませんが。
「ステラさんは〈毛なしのアザラシ〉についてどう思われますか? といのは、いまのあなた方の種族の物語は、彼らについても多くのことを語っているように思いますし、ジョーイをさらったシャチたちはどこかで〈アザラシ〉と関連があるような気がするんです」
「〈毛なしのアザラシ〉についてですか? 彼らのことはもちろん知っています。実は、この辺にもよく〈沈まぬ岩〉が出没するので、観察する機会に事欠かないんですよ」
自分の言葉を聞いてギョッとなったクレアを見て、ステラはあわてて付け足しました。「ご心配なさらなくても大丈夫ですよ。〈クジラ食〉は来やしませんから。彼らはたいがい〈フィッシャー〉か〈ウォッチャー〉か、あるいは単なる〈パセジャー〉です。〈アザラシ〉たちはかなり以前から大陸や島々の岸辺に住んでいて、サケを獲っていたんですよ。もっとも、新型の〈岩〉が出現して量的にたくさん獲りだすようになったのは、ここ数世代の間のできごとですが。ただ、サケは非常に豊富なので、いまのところ私たちや(毛つきの)アザラシのような他のサケ食の種族の取り分まで横取りすることなくすんでいますけどね。この季節になると、彼らは〈食堂〉に〈ゴースト〉を張りめぐらせてサケをそこへ追いこむんです。私たちの漁といくぶん似たところがありますね。彼らのほうが獲物を独占したがる傾向が強いですが。一昔前は、〈魚食岩〉も私たちシャチをずいぶん忌み嫌っていました。〈岩〉に近づいて謎の頓死を遂げた仲間もいます。
「それから、私たちの〈郡〉の一員を誘拐する〈沈まぬ岩〉もいました。一年で一〇頭以上も行方不明になった年もありました。彼らがどこへ連れ去られ、どんな運命を迎えたのかはいまもってわかりません。ただ、数年後に突然帰ってきたシャチが一頭だけいたんです。それが……彼はまだ幼いときに捕らえられ、もう大のおとなになっていたのですが、言葉をすっかり忘れてまるで赤子も同然の振る舞い方をしたんです。ソナーの使い方がわからず泳ぐ魚を満足に捕まえられませんでしたし、トレードマークの背ビレもしなだれて元気がなくって──日に何百マイルも泳ぎ回っている私たちでは考えられないんですけど。その後、なんとか生活していけるようにはなったものの、記憶はとうとう戻りませんでした。ただ、彼はときどき奇妙な行動を起こしたんです。海の中だというのに、まるでタイドプールに閉じこめられたみたいに同じところをグルグル回ったりするんですよ。いったいどこでどんな目に遭ってきたのやら……」
行方不明になった数年の間にそのシャチの身に起こったことを思い、クレアはぶるっと身震いしました。異質な環境に連れていかれ、仲間もなく独りぼっちで、いったいどんな生活を送らされていたのでしょう? もしかしたら、〈アザラシ〉が同様の目的でシャチを使ってジョーイをさらわせたのでは……。
「ちょうど二〇年ほど前から、ここの〈アザラシ〉たちは私たちに対して少しは節度ある振る舞いを示すようになりました。メタ・セティもちょっとは彼らに誇り≠フ分け前を残していたのかもしれませんね、フフ。〈沈まぬ岩〉は騒音を立てて耳に障るので迷惑ですし、彼らはしょっちゅう態度を変えるから油断はなりませんけど、とりあえずいまはそれ以上悪いことが起こらないので注視するにとどめています。最近はちょっと〈岩〉の通行量が増えてきたのが悩みの種ですが……どうにもなりませんね、こればかりは」ステラはここで再び深いため息をつきました。
「メタ・セティは〈毛なしのアザラシ〉を、始めからあなたたちみたいに力強い生きものとしてお創りになったのかしら?」
「そうとは思えませんね。私たちシャチについては、海の食物連鎖の頂点としての位置づけを用意しておいでだったのでしょうが、〈アザラシ〉のほうはむしろそんなことは思いもよらなかったんじゃないかしら? 私の見立てでは、彼らは陸上に生息する哺乳類の一種にまず間違いないようですが、生物としての諸能力においてはたいして秀でているわけではなかった。だから、〈岩〉だの〈ゴースト〉だのといった〈前肢の延長〉に頼りきっているのでしょう。彼らは私たちとは逆に、変な誇り≠ェそのまま固着してしまった失敗の見本なのかもしれませんね。フフフ」そう言ってステラは目を細めましたが、本心はこれが笑い飛ばせる程度の問題だったらどんなによかろうに、と思っている様子でした。
「そういえば、一つ〈毛なしのアザラシ〉にまつわるおもしろい逸話があるんですけど、もう物語りはお飽きになりました?」
「あ、そういうの、ぼく大好きですね」チェロキーが身を乗り出します。
「わしもぜひお聞かせ願いたいが」彼女の物語を暗記し、歴史編纂の資料として取りこむことに余念のないダグラスも促しました。
「そうですか。本当に短い、ちょっとした御伽噺なんですけどね」
「どうぞ話してくださいな」とクレアも。ジャンセンは欠伸を噛み殺していますが、耳を貸す気はあるようです。
「では──」
『〈毛なしのアザラシ〉の兄弟とシャチ』
「──それは、〈毛なしのアザラシ〉が高速、貪食の〈沈まぬ岩〉を持つ以前、まだ非力で動物らしい気質を残していたころのことです。彼らの仲間は大陸や海峡に散らばる島々の岸辺にそれぞれの〈郡〉の巣を作り、原始的な〈岩〉を操って魚を獲る毎日を送っていました。残念ながら、彼らの生活の細部についてや、それがどのような歴史を経ていったかということについては、私たちにはうかがい知ることができません。しかし、彼らとシャチ族とは、驚くべきことに、一時的に交流を持てた時期があったのです。
「〈アザラシ〉たちはこの時代、まだメタ・セティに対する信仰心を捨ててはいませんでした。彼らはすでに肉体的なひ弱さを補うために各種の〈前肢の延長〉を編みだし、海のシャチと同様に地上で敵となる者のいない強力な捕食者となっていましたが、獲物にする動物たちを敬うことを忘れず、対等の存在として接していました。自身の魂と世界との間に境界線を引くことをしませんでした。おそらく、サケを始めとするこの一帯の自然の豊かさが、彼らをしてしばしの間誇り≠ニ謙虚さを保たせる役割を果たしたのでしょう。
「〈毛なしのアザラシ〉にとって、とりわけ私たちシャチは神聖な動物とみなされていたようです。〈沈まぬ岩〉で海に出るとお互いに遭遇することがあるわけですが、そんなときに私たちの大きさや力強さに彼らは心打たれ、一種の羨望にも近い眼差しを注ぐのでした。彼らは漁の成功を期して私たちに祈りを捧げました。私たちの優れた狩りの能力にあやかろうとしたのです。当事から〈ザッショクアザラシ〉の異名をとる彼らは種々の生きものを口に運んでいましたが、私たちは獲物ではなく、同じ海の幸を分け合う数少ない同胞の扱いでした。獲物をめぐっての対立もまだありませんでした。ですから、彼らとしては、私たちの一族とぜひとも友鯨になりたいと思わない理由はなかったのです。彼らはときどき私たちに〈毛なし語〉で話しかけ、歌いかけ、笑いかけて、友愛の情を表現しようとしました。私たちもそんな彼らには好感を抱き、ブローやブリーチングでもって応えてやりました。
「その〈毛なしのアザラシ〉の中に、とある兄弟がおりました。弟のほうは前肢のよい〈ハンター〉で、〈郡〉内の者からシャチの生まれ変わりと目されていました。彼らの間では、陸に乗り上げて死んだシャチの魂は〈アザラシ〉に乗り移るという言い伝えがあったようで、シャチが転生した者は勇敢で狩りの技術に長け、自然と交感する能力、中でもシャチと会話を交わす能力があると信じられていました。〈毛なしのアザラシ〉の作った〈前肢の延長〉の一つに、さまざまな音色を出せる〈歌う石〉というものがありました。〈延長〉などには縁のない私たちとしても、その音楽を奏でる〈歌う石〉だけは気に入っていました。弟はこの〈歌う石〉の扱いがたいへんうまく、彼が夕闇の中で一匹たたずんで演奏していると、シャチたちは思わず引き寄せられてその調べに耳を傾けてしまうのでした。そのように、〈郡〉の中でも高く評価されている弟を、兄のほうは次第に妬むようになりました。その嫉妬は、同様に弟と仲のよいシャチたちに対しても向けられました。
「ある日、二匹の兄弟は小さな〈沈まぬ岩〉で海峡の真ん中辺りまで漕ぎだしました。しばらくしてシャチのポッドが一つ、その海峡を通り抜けようとやってきました。兄はシャチがいましも〈岩〉の真横を過ぎようとしたところで、弟に向かって言いました。
「『おい、弟よ。お前が評判どおりに優れた狩りの前肢の持ち主なら、そこを泳いでいるバカでかい獲物に挑戦してみたらどうだ?』
「兄が何も告げずに自分を連れて〈岩〉を出したので、何を獲るつもりなのだろうといぶかっていた弟は、それを聞いてびっくりしました。
「『何を言いだすんです、お兄さん!? あれはシャチです。私たちと同じ〈狩鯨〉ですよ。そんなことをしては、シャチの霊の怒りに触れてしまう』
「『ふん、そんな弱気なことでは狩りの名手などとはとても呼べんぞ。お前はやはりあのけだものの成れの果てでしかないのだろう。そんな嘘つきの、けだものの同類には兄などと呼ばれたくはないな! どれ、お前にできぬのであれば、俺がそのシャチをみごと仕留めてやろう。だれが本物の狩りの名手か見せてやろうじゃないか!』
「兄にそう言われて弟は激しく動揺しました。兄との縁を切りたくはありませんでしたし、その兄に狩りの技術をけなされたり、けだものと呼ばれたりするのは心外でした。シャチを傷つけるのは本意ではありませんでしたが、兄が銛を取り出して〈岩〉のへりに踏みだしたので、彼を押しとどめて代わりに自分がその獲物を殺す〈延長〉を前肢に取りました。弟は、自分たちを信頼して〈岩〉に寄り添うように並んで身を浮かべているシャチの一頭の脳天目がけて、銛をはっしと射ちこみました。鮮血がほとばしり、銛を突き立てられた一頭は身もだえしながら水面下に沈みました。ひときわ高いホイッスルの音──それは弟が奏でる〈歌う石〉の音によく似ていました──が狭い海峡に響きわたったかと思うと、仲間のシャチたちが殺された一頭のもとへ殺到しました。次の刹那、二頭の〈アザラシ〉の乗っていた〈岩〉は転覆し、兄も弟もともどもに海中へ投げ出されました。
「気がついてみると、弟はどこか近くの小島の浜辺に横たわっていました。兄の姿は見当たりません。どこか近くに流れ着いていないかと周囲を見回すと、すぐ前の海の波間から黒い背ビレが突き出しているのが目に入りました。
「『お前が私をここへ運んでくれたのだね? 一緒にいた兄を知らないかい?』
「シャチはしばし沈黙してから答えました。『あなたは私のポッドの者を一頭殺しました。均衡が計られねばなりません』
「弟はシャチの言葉を聞いて、兄の運命を理解しました。
「『私たちはあなたたちの種族を朋友として遇してきました。我々の平和的な関係がこれからも続くのか、あるいはただ単に殺し、殺されるだけの関係に成り下がるのか、それはあなたたち次第です。私はあなたの曲が好きでしたよ』
「それ以来、弟はシャチの生まれ変わりであることをやめ、ただの〈毛なしのアザラシ〉になりました。彼が夕暮の浜辺で〈歌う石〉を奏でても、シャチたちは二度と鑑賞に訪れることはありませんでした。
「その後も、シャチと強い交感能力をもつ〈毛なしのアザラシ〉は幾度か輩出されましたが、次第に数が少なくなり、そのうちシャチと友好的な関係を結んでいた〈アザラシ〉の〈郡〉自体がいつのまにか消滅してしまいました。彼らと友であった時代のことを、私たちはいま、懐かしく思い起こすばかりです。果たして、あのか弱くも強い、ときに影を背負いながらも善良だった〈毛なしのアザラシ〉たちは本当にいたのでしょうか? それとも、あれは幻にすぎなかったのでしょうか? 物語の中に、私たちは確かに彼らが実在したのだという感触を持っています。いまも私たちは種族の誇り≠もって、生物界に君臨する強力無二の敵、たやすく殺せる軟弱極まりない獣、不思議に惹かれる魂の持ち主として、彼らを獲物とみなすことは決してしないのです──」
ステラが話し終えた後、みなはしばし余韻を楽しんでいましたが、おもむろにクレアが口を開きました。
「ステラさんには失礼だけど、ちょっと実話だとは思えないわ……」
「私も夢物語じゃないかという気がするんですがね。奇妙なことに、いまでもごくたまに出ることがあるのですよ、弟≠ェ」
「ええっ!?」一同はまるで幽霊でも見たかのようにそろって驚きの声をあげました。
「少数か一匹で、原始的でちっぽけな〈沈まぬ岩〉に乗って、平気な顔して私たちのポッドの間に割りこんできて、〈歌う石〉を演奏したり(上手なのも下手なのもいますが)、鳴いたり、ただともに時間を過ごしたいって感じでやってくる〈毛なしのアザラシ〉がいるんですよ。私くらい歳をとって頑固になると、薄気味悪い感のほうが強いんですけど、好奇心旺盛な若者はそばに寄っていってお互いに〈ウォッチング〉し合っていますね」
「あ、ぼく、コククジラたちと〈アザラシ・ウォッチング〉したことがあるんですよ。あれもその話に出てくる弟≠フ類いなんですかね」と、チェロキーも相槌を打ちます。
「ふん、〈アザラシ〉って野郎はつくづく救いようのない二重鯨格だぜ」ジャンセンは軽蔑感をあらわにしてそっぽを向きました。クレアも、〈毛なしのアザラシ〉だけはシャチにやっつけてもらいたいと思うくらいなだけに、これについてはジャンセンの意見に賛成でした。
「つかぬことを訊きますけど、〈毛なしのアザラシ〉って食えることは食えるんですかね? その兄貴≠フほうは食っちゃった?」単なる好奇心からチェロキーが尋ねました。
「さあ、私たちは無論食べたことはありませんし……どうなのか。なんとなく消化不良を起こしそうですね。〈毛皮派〉に訊いてみなければわからないけど、やっぱり食べる気が起きないんじゃないかしら?」
シャチも食べないのか……。でも、だれかが食べてくれないと、初めの話にあるみたいに、そのうち〈毛なしのアザラシ〉がどんどん増殖して地表も海も覆い尽くしちゃうんじゃないかしら? ところで、ここでもう一つのキーワード、〈毛皮派〉のシャチが登場しましたが、誘拐犯のシャチたちと関係がありそうに思われる彼らのことについても、ついでにステラに尋ねてしまおうとクレアは思いたちました。
「あの、このうえまたお願いするのはたいへん厚かましいと思うんですけど、〈毛皮派〉のことについてもう少しうかがえます?」
身を乗りだしてきたクレアの要請に、ステラは苦笑して答えました。
「そうですねえ……。ただ、彼らの捕食方法についてあなた方に明かすわけにはいかないのですよ。私たちのならシャロンがたっぷりお見せしたと思いますけど。やっぱり……フェアじゃなくなってしまうでしょ? もし私が、〈毛皮派〉の狩りの秘密をあなたにお教えしたとしましょう。あなた方が知恵をつけて逃げおおせるようになると、彼らは食料に乏しくなり飢えてしまう。そうすると、私たちの食物である魚にヒレを出し、せっかくいままでうまく食べ分けていたものが同じ餌をめぐって争い合うことになる。今度は私たちがあなた方をメニューに含める羽目になるかもしれませんよ。わかってもらえるかしら?」
「え、ええ。それはもちろん、お訊きすべきではありませんわよね、ホホ……」そういう動機も実は否定できなかったクレアは、柄にもなく上品な笑い方をしてごまかしました。
「でも、それ以外についてならいいでしょう。〈毛皮派〉に属する者たちは寡黙です。この海峡のシャチたちみたいに騒々しくはありません。あくまで密やかに泳ぎ、一、二の合図を交わすだけで黙々と狩りをします。秘密を好み、それを共有する仲間を慕います。彼らは私たちより社交性に乏しく、ポッドや〈郡〉のメンバーの数も少なくてより流動的なようです。彼らの性向は、やはり思考の組み立て方やコミュニケーションの仕方が似通っている同じクジラ族をも、餌生物のリストに含めているところから必然的にくるものなのでしょう。私たちより彼らのほうが、むしろ慎ましやかで高貴な一族だといえるかもしれませんね。実は、彼らのほうがシャチ族としては本家で、私たちは分家なのですよ。毎年サケが豊富な糧をもたらしてくれるので、私たち〈ウロコ派〉は大きな獣をわざわざ追いかけて襲ったりする必要がなくなり、こうして一つ所に定住できるようになったのです。〈毛皮派〉と〈ウロコ派〉とは、しきたりや掟、政のシステムの面ではかなり隔たりがありますが、古い物語などはいまでも互いに共通のものを伝承しています」
「〈ウロコ派〉と〈毛皮派〉のお互いの間ではどの程度交流があるのですかな?」今度はダグラスが質問しました。
「交流のパイプはあまり太いとはいえませんね。暮らし方も食事内容も異なっていますから、情報交換の必要性も高くないですし。でも、同じ血筋の者として知識を分け合うことはあります。〈毛皮派〉は非常に広い範囲を移動しているので、定住している私たちと行動圏が一部重複しています。もっとも、一時的に通過する程度で長居はしませんが。餌を追い求めて転々としながら生活する流浪の民のようなものですね。この海域にもたまに出没することがありますよ」
クレアに驚かれる前に、ステラは急いで続けました。「もちろん、あなた方の安全は保証します。私たちのエリア内では私たちのルールのほうが優先しますから、彼らもそれに従わなくてはならないのです。外洋ではこの関係が逆になりますけどね。もっとも、私たちが外海に出向くことはそうはありませんが。万が一、みなさんのご滞在中にここへ立ち寄るようなことがあれば、厳重に申し渡しておきますから大丈夫ですよ」
それを聞いてクレアたちはほっと胸をなで下ろしました。
「私たち二つのシャチ族は、それぞれ異質なものとしてお互いの立場を尊重することを学んでいます。そうすることでいさかいが生じるのを回避しているのです。ときには面倒が起こって、両者の間柄が緊張することもありますけど、そうした場合は互いの均衡を復活させるために、いろいろと非常に煩雑な手続きがとられます。相手の一族に、自分たちのうちのだれか──たいていオスの若者ですが──を提供しなくてはならないときもあります」
「えっ!? まさか食べるんじゃ……」
「まさか! いくら私たちでも同族の肉を食らうことはありませんよ。よっぽどの大飢饉になって心を狂わせでもしない限りはね。つまり、単に群れの構成員に加えるだけの話です。私たちの間は繁殖が不可能なほどかけ離れてはいませんから。実は、私の娘の一頭はいま、〈毛皮派〉に属しているんですよ」
「へえ。そりゃまたどういう経緯で?」チェロキーが野暮な質問をします。
「まあ、いろいろとあったんですよ。いろいろとね……」
そう言って、ステラは遠くを見るような目つきをしました。その視線の先は過去へ飛んでいるように、クレアには思われました。
「さて、みなさんもさすがにお疲れになったでしょう。今日はこの辺でお開きにしましょうか。何かまだ疑問に思うことがあれば、できる範囲でお答えしますから、遠慮せずに聞きにきてくださいね」
「今日は本当にどうもありがとうございました」クレアは深々とお辞儀して、シャチの〈政を司る者〉に感謝の意を表しました。
ダグラスとステラは視線を交わしてにっこりとうなずきました。
「さあて、飯だ飯だ」ジャンセンはさっそく沖へ泳ぎだします。
今日ステラから教えてもらった話は、どれもたいへんに興味深いものばかりでした。たとえシャチと〈毛なしのアザラシ〉の両種族の間に一時的に親交があったとしても、彼女たちが誇り≠捨てて異端の種族の振る舞いを模倣したり、彼らと結託して生きものの世界を転覆させようとすることなどありえないことは、クレアにも納得できました。しかし、例の誘拐犯のシャチたちについてはますます謎が深まるばかりです。クレアは帰って一頭になってから、もう一度落ち着いて反芻しようと思いました。
おっと、その前にチェロキーの件を確かめておかなくちゃね……。ステラの言うとおり、彼女たちの一族が気高さを尊ぶのであれば、〈郡〉内でザトウいびりをするはずもありません。だとしたら、いったい彼らは連れだって何をやっているのでしょうか?
「あ、何か言いました、アネさん?」
「いいえ、別に」
首をかしげて泳いでいく要マーク鯨物を横目で見ながら、クレアは明日こそ必ず彼の不審な行動の裏を暴いてみせると決意を固くしました。私にいつまでも隠しごとができると思ったら甘いわよ。覚えてらっしゃい、チェロキー。