32 ラビングビーチ

 チェロキーはいま、ジョンストン海峡の北東側の一角にある岬のそばで、二頭の若シャチと待ち合わせをしていました。同族の中では小柄で肩身の狭い思いをしてきた彼ですが、身の丈一〇メートルを越えることのないシャチたちの間に入ると、一二メートルの巨体はなかなか目立ちます。そうして両脇に年若いシャチを伴っていると、頭の分だけ先頭を行くチェロキーは、なんだか彼らの兄貴分にでもなった気持ちになるのです。よりによって正真正銘のシャチと一緒に遊ぶようになるなんて、考えてみれば自分でも不思議なことでした。
 しかし、実際に彼らと相対してみると、シャチは重量級のイルカにすぎないというのが率直な感想でした。もちろん、相手が〈ウロコ派〉で安全が保障されていることは大前提でしたが。まだおとなになりきっていないシャチは、茶目っ気たっぷりで何にでも鼻先を突っこみたがり、威厳とはおよそ程遠く、恐怖ともなれば微塵も感じさせませんでした。現に、尊敬の念を奉っていたのは彼ではなく、むしろシャチたちのほうだったのです。彼らに言わせると、ザトウクジラは大道芸のプロだから、クジラ族の中でもとりわけ丁重に遇しなければならないと親たちに教わったのだそうです(実は半分からかわれていたことに、チェロキーは気づきませんでした)。高貴な家柄というくせにどういう教育をしてるんだと思いながらも、恭しげな眼差しを向けられて悪い気がするはずもありません。なにせ相手はまだこどもだとはいえ、必殺クジラの名を天下にとどろかすあのシャチなのですから。体長も鯨生(じんせい)経験も長い自分がいろいろ指導してやろうという気を起こし、クレアやダグラスよりもシャチたちとともに過ごす時間のほうがとかく多くなりがちだったのは、そういうわけだったのです。
 クレアは岩陰に隠れてこっそりチェロキーを見張っていました。彼はときどき潮を吹いたり、何気なく辺りを見回していましたが、周囲に警戒を払っている様子はありません。おかげでクレアは、心置きなく彼の様子をじっくり観察することができました。確かにジャンセンの言うとおり、別にチェロキーが恐怖や緊張を感じているようには見受けられませんでした。やっぱりリンチ説は思いすごしのようね。だけど、そしたらどこへ、何をしにいっているのかしら? と、彼の共謀者であるシャチ二頭がやってきました。
「師匠」
「チェロキー先生」
「やあやあ、君たち。今日はどこで何をしようかね?」
 シャチの若者たちは、チェロキーのことをおだてて先生だの師匠だのと呼称に付けていました。彼はそれを真に受けて、いかにもそれらしく見えるように蛇腹状の下腹をやや膨らませ気味にして、咳払いなどしながらしゃべりました。
「先生。今日はおもしろいものを見つけたんで、いまから先生をそこへご案内します」
「ふむ、ぼくも君たちの発見に興味があるね。さっそく連れていってくれたまえ」
「どうぞ、こちらです、師匠」
 前に彼らの密会を目撃したときは、クレアはそのシャチたちの性別や歳をはっきり確かめませんでしたが、今日こうして見てみると、二頭はまだまだとても若いということに気づきました。オスでしたが、体長はチェロキーの半分くらいしかありません。成熟したオスの特徴である丈高い背ビレも伸びきっておらず、遠目からではメスと区別がつきませんでした。おそらくまだポッドから独立してもいないでしょう。会話の内容は彼女のいるところまでは届きませんが、チェロキーの立居振る舞いはなにやら芝居がかって道化じみていました。やがて、三頭は連れだってどこかへ移動し始めました。クレアは一定の距離を置きながら彼らの後を尾行しました。
 二頭のシャチと一頭のザトウクジラは、海峡に向かって口を開く小さな湾の一つに入っていきました。そこには海岸線に沿ってケルプの海中林が密生しており、葉状の先端を海面に棚引かせていました。シャチたちはいきなりダッシュして林の中へ飛びこむと、二頭で隠れんぼを始めました。ケルプの林はシャチのこどもたちにとって格好の遊び場であり、彼らは好んで生い茂る海藻の藪の中を突っ切ったり、数頭で鬼ごっこをします。チェロキーもコブのある鼻先をケルプの間に突っこみ、二頭の居所を探り当てようとしました。根も茎も葉も定まらぬブヨブヨした褐藻は、海底と海面をつないで湾内を仕切るカーテンとなり、ユラユラうごめいて反対側にあるものを見え隠れさせます。ここではソナーの威力も半減しますが、もちろん隠れんぼで音波を使うことは反則ですから、目を凝らして動きを見分けるか、勘に頼るしかありません。緑色の水の濁りを通して影が動いて見えたのは、ケルプが水にそよいだだけなのか、光の加減か、悪ふざけの好きな黒白の小悪魔の仕業か──。チェロキーが、ここかな、ここかな、とケルプの隙間を次々のぞき回っていると、突然茂みの向こうで何者かが彼の鼻先にガブッと噛みつきました。
「あいたっ!!」
「どうしました、師匠!?」いつのまにか後ろに回っていた機敏な若シャチたちが、何事かというように鈍感な先生の顔をのぞきこみました。
「うん、なんか変な生きものがいるんだよ、この林の中に。凶暴なやつだ、他鯨(ひと)の頭にいきなり噛みつきおって。君たち、気をつけたほうがいいぞ」
「それはたいへんです、先生。さっそく〈郡〉のみんなに報告しなくては!」
 悪戯の張本鯨(ちょうほんにん)たちは、吹き出しそうになるのを懸命にこらえてまじめな表情を装いました。
「こんな中に潜りこむのはもう危険だからやめよう。ほかにもっとおもしろいことはないかい?」
 そこで三頭のクジラは、今度はケルプを玩具にしてゲームをすることにしました。
「見て見て、新体操だよ〜〜ん」
 シャチの一頭が尾ビレや背ビレにケルプを引っかけ、ダンスを踊るみたいに回転して身体に巻きつけます。
「どーれどれ」
 チェロキーもまねしてケルプの端をくわえ、錐揉み状に身体を旋回させて巻き取ろうとしました。二頭のシャチは先生の手伝いと称して、それっとばかり彼をケルプでグルグル巻きにしてしまいました。
「わあい、ザトウの海苔巻だぁ!」
「クジラ寿司だ!」
「こ、こら! 縁起でもない冗談はやめなさい!」
 若シャチたちは、今度は特別に長くて太いケルプを林の中から引きずりだしてきました。
「先生、これで綱引きをやりませんか?」
「よしきた」
 チェロキーと二頭のシャチはそれぞれケルプの両端を口にくわえ、ホイッスルを合図に(口を開けずに吹けるところが便利です)引っ張りっこをしました。スピードや牙のような武器とは関係ないただの力比べだったら、チェロキーにも彼らに勝つ自信があります。ケルプがピンと張り詰めたところで、二頭のシャチは目配せし、くわえていた口をパッと放しました。本気で顎を食い縛って引っ張っていたチェロキーは、相手が急に力を抜いたため、後ろに弾き飛ばされて海底にのめりこんでしまいました。
 泥を被った頭を振って目をぱちくりさせているチェロキーに、腕白なシャチたちはニヤニヤしながら言いました。「いやあ、ぼくたちじゃ師匠にはとてもかなわないや」
 次に、彼らは小さめのケルプを何本か引っこ抜いて持ってきました。
「先生、これです。ぼくたちが発明したゲームですよ」
 ケルプの先端には空気の入った浮袋が付いていますので、くわえて潜ってから放すと水面に浮かび上がります。全員が「いっせいのせ」でこれを放し、いちばん先に自分のケルプが水面に到達した者が勝ちというわけです。
「それじゃああ先生、どれか選んでください」
 長いの、短いの、ねじれたのといろいろある中で、チェロキーは大きめの浮袋の付いた一本をとりました。みんなで海底にそれをくわえていき、位置につきます。
「いきますよ。せいのっせ!」
 同時に顎を開いて放すと、三本のケルプは海面を目指して浮上し、勢い余って空中にポンと飛び出しました。
「あれえ、ぼくの負けだなあ」
 それから、何度か自分のケルプを慎重に取っ替え引っ替えして挑んだものの、結果はいつもチェロキーの負けに終わりました。どうも、ヒゲに根がからまって口を開けてからケルプが放たれるまでにタイムラグのあることが原因のようです。
「これはやっぱりハンデをつけるべきだな。ぼくは『いっせいの、せ』の『の』のところで放すことにしよう」
「それより先生、ぼくたちこの間物理の授業で聞いたんですけど、世界には二つの支配的な力が働いているんですって。知ってます?」
 同じことを繰り返しやっていてもつまらないので、若シャチは話題をころっと変えました。ケルプはほかにしゃぶって歯型を付ける遊び方もありますが、これはヒゲクジラのチェロキーにはできない相談です。
「ううん、ぼくは文系で詩をやってるからねえ、理系は苦手なんだ」
 脇腹を掻くチェロキーに、若シャチは得意になって習ったことを話しました。
「一つは空に向かって引かれる力で、この力が働くと上に浮かび上がろうとし、もう一つは地の底に向かって引かれる力で、こっちの力のほうが強いと下に向かって沈んでいくんです。第一の力は、ぼくたちが空気を求めたり、何か浮き浮きした気分になっているときに優勢に働くんですって。ブリーチをするときは、楽しいことを考えるとより高く跳び上がれるわけです。第二の力は、ぼくたちが憂鬱な気分になったり、一頭で物思いに耽りたいときなんかに強く働くんです。だから、瞑想なんかすると沈むんですね。鳥たちはいつも羽のように軽い気分でいられるから空を飛ぶことができるし、生命を持たない石や何かは、これはもう沈みっぱなしでしかない。始終プカプカ浮いているクラゲとかのプランクトンは頭が柔らかくて心も軽く、世の中に心配事なんか全然ない。魚はどちらかと言うと沈思派が多くて、海底の岩にへばりついている生きものたちなんかはもう完璧な石頭。ぼくらクジラはだいたい中間くらい。水を離れて空に飛びだしていけるほど軽薄でもないし、空気を断って水底にじっと張り付いていられるほど陰気になってばかりもいられない。ヒゲクジラより歯クジラのほうが、どちらかと言うとノリがいいんでしょうね。ジャンセンさんたちマッコウクジラはもっと頑固で冷徹なんだろうけど。でもって、心を中庸に保つことができると、ちょうど二つの力が釣り合って浮き沈みしないんです」
「へえ。そうすると、〈沈まぬ岩〉ってのはいったい何なんだろうね? 岩にはやっぱり煩悩に駆られて浮かび上がったりしないで、ずっと瞑想していてもらいたいもんだな」
「でね、この二つの力の働き方は、物体や生物体の容積とは関係ないんですって。これを、発見した偉い〈博士〉の名を取って、『オルカメデスの原理』というんですよ」
「ほほう。そうだ、ぼくもいま一つ発見したぞ。さっきのケルプレースで、なぜぼくがいつもビリだったかというと、ぼくがヒゲクジラで、君たちより神経が細やかで物事を深く掘り下げて考えるタイプだからなんだな。つまり、ぼくたちの心に作用する二つの力は、ぼくたちが操作する物体にも伝播する。これを『チェロキーの法則』と名付けよう」
「さすがは先生!」
 それからしばらく三頭は、波と光が水面に描くモザイク模様のパターンの変化や、ときおり海底の石の隙間から湧いてくる泡の行列を眺めながら、ぼうっとしてたたずみました。
 不意にチェロキーが頭をもたげて二頭に言いました。
「さて、そろそろ例の場所へ行こうか?」
「そうですね、師匠」
 クレアは湾の入口の岩場の陰に隠れて、チェロキーと若いシャチがじゃれ合う様子を見守っていました。彼らはゲームにすっかり夢中で、自分が出ていったとしてもたぶん気がつかないでしょう。ジョーイやリリ顔負けのシャチたちの遊び好きにも驚きましたが、一緒になってはしゃいでいるチェロキーもチェロキーです。彼もまだまだこどもね、もう四時間以上たっているのに遊び飽きないんだから。それにしても、なんだか彼は腕白な二頭のシャチに手玉にとられているみたいです。とはいえ、クレアは一つ誤解が解けたことでほっとしました。そして、シャチたちに嫌疑をかけたことを心の中で詫びました。
 おや、また移動するわ。今度はどこへ行くのかしら? まあいっか、今日は徹底的につきあってみることにしましょ。これってもしかして、一種の探偵ごっこね。


 チェロキーとシャチの若者たちは、ジョンストン海峡を横断してバンクーバー島の岸沿いを伝っていきました。途中で彼らは一頭のミンククジラとすれ違いました。
「あ、あれ、アネさんかな!?」
「あれはたぶん〈表の一族〉でしょう。ぼくたちよく見かけますから」
 クレアのことがチェロキーの頭をよぎりました。別に隠し立てするようなことでもないんだけどね。なんとなく、なんだよなぁ……。彼は、自分がシャチと遊んでいるところをクレアに隠す羽目になってしまった経緯について考えをめぐらしました。アネさんがジョーイのことで深刻になっているときに遊んでいるのが後ろめたいから? 自分がこどもっぽいことをしているところを見せたくないから? 〈沈まぬ岩〉がらみの事件が続いたせいか、ここんとこアネさんはどことなく近寄りがたい雰囲気だってのもあるな……。そのうえ、詰問口調で責められて余計言いづらくなっちゃったし……。だからって、いつまでもこのまんまってのもよくないよなあ。よし、今度ちゃんと説明しよう。何も悪いことしてるわけじゃなし。これから行くところに彼女を連れていくってのもいいな。ストレス解消にはもってこいだもんね。
 まもなく、目的地の小さな浜が見えてきました。海峡を挟む両岸は、切りたった崖と黒い岩肌をのぞかせる岩礁地帯が続いていますが、ところどころには小石からなる浜が海中にまで広がっているところがあります。エコロケーションで()る≠ニ、小石に埋め尽くされた平坦な浅瀬が音波を吸収して反射音を送ってこないので、逆にそうした浜辺は一耳(ひとめ)≠ナわかります。超音波まで吸い取って文字どおり音をかき消してしまうこの浜辺には、崖の上の森から聞こえるアビの頓狂なさえずりや、クジラたちの潮吹きの遠いこだまがときたま静寂を破るほかは、生きものの気配とて感じられません。しかし、シャチたちにとってそこは、〈執務室〉や〈昔語りの場〉に劣らぬ非常に大切なポイントとなっていました。
 クレアが見ていると、三頭のクジラはスピードを上げながら一直線に浜へ近づいていきました。夏の〈豊饒の海〉に初めて入るときみたいに、待ちに待っていたものにありついたという感じです。チェロキーとシャチたちは小さな弓なりの浜の手前でいったん停止し、準備体操でもするように深々と深呼吸すると、海面下に消えました。何を始める気かしら?
「さて、諸君! これからクジラ界きっての〈大道芸鯨(だいどうげいにん)〉にして著名な〈歌鯨〉でもある豪州東側〈大郡〉のチェロキーが、諸君に芸の極意をご覧に入れよう!」
 二頭の若シャチは白い脇腹を黒い胸ビレでたたいてはやしたてました。
「ではまず芸その一、背面滑り!」
 チェロキーは仰向けになって、ぎっしりと砂利石の敷き詰められた海底に背中をこすりながら滑りだしました。
「続いて芸その二! 腹滑りぃ〜」
 今度は腹這いになってやはり小石に身体を擦りつけます。クレアのいるところにも、ゴロゴロとこすれる音が聞こえてきます。
「芸その三! ヨ・コ・ス・ベ・リ♪」
 幅一五〇メートルほどの小さな浅瀬のスペースをフルに活用して、大きなザトウクジラが縦横無尽に捻転している様は、確かに究極の大道芸といっても差し支えないでしょう。深さが数メートルしかないため、ときどき胸ビレや尾ビレが波間を裂いて躍りあがります。あれじゃ一族の恥だわ。私、ザトウ仲間でなくてよかった。
「今度はちと難しい技をいくぞ。奥義、横転滑りーっ!!」
 シャチの二頭はチェロキーの演技にやんやの喝采を送ります。彼らは自分たちも一緒になって滑走し始めました。黒くそそり立つ背ビレを横に倒し、沖から浜のほうに向かって、あるいは汀線に沿って弧を描くようにして、身体をこすりつけて回りました。小石の上を滑るだけでは飽きたらぬとみえ、互いの身体をぶつけ合ったり、ブリーチングをしたり、尾ビレで水面を蹴り上げながら水飛沫を振り撒いて戯れます。彼らの笑い声は、この浜の静けさを完全に打ち負かしてしまいました。
 このシャチたちの行動はラビングと呼ばれるものでした。クジラ族の胸ビレは見てわかるとおり遊泳のためのもので、指先もなく体表をかきむしれるようにはできていません。一方で、微妙な水流を検知する彼らの皮膚感覚は敏感で繊細です。そこで、彼らは海底の砂利浜に身体をこすりつける習慣を身につけました。こうすることで、皮膚につく虫をとったり古い表皮をこそぎ落とせますし、皮膚に刺激を与えてやることで新陳代謝も活発になります。そのうえ、痛くない程度にザラザラとして冷ややかな小石の上を滑る感触は、夢心地になるくらい気持ちがよく、疲れもほぐれるのです。
 ラビングにはどんな石でも利用できるわけではなく、角がなくて手頃な大きさの小石の揃っている浜が理想的です。いまチェロキーたちがいるのは、まさにラビングを行うための専用の浜で、バンクーバー北〈小郡〉に属するシャチたちが繁々とヒレを運ぶ場所なのです。ラビングビーチの利用はかち合わないよう時間交代制となっており、各ポッドに順繰りに番が回ってきます。二頭の若者シャチは、その正規の順番の合間を縫ってここへやってきたのでした(客鯨(きゃくじん)を連れていれば咎められても少しは言い訳が立つでしょうし)。
 チェロキーにとってラビングは初めての体験でした。大型のヒゲクジラにしてみれば、自分たちがラビングに使えそうな巨大な浜なんてそうそうあるとは思えません。代わりに、彼らはブリーチングですませているわけですが、やはりそれだけではフジツボやシラミがついたりすることが多くなり、シャチのように滑らかな肌は保てなくなります。逆に言えば、獲物を追うためのスピードが重要な意味を帯びるシャチにとっては、皮膚の手入れをするラビングの習慣は他のクジラ族以上に高い必要性を持っていたわけです。
 ともあれ、それは確かに悪くないものでした。クレアのブリーチングではありませんが、新しく何かを体験して素晴らしい感覚を味わうと、往々にして病み付きになってしまうものです。ここでハンサムボーイに磨きをかけておけば、来年の冬はメスたちがぼくんとこへ求愛に殺到するに違いないぞ、ウッヒッヒ──などとほくそ笑みながら、チェロキーはすぐ近くにクレアがいることにも気づかず、ラビングに興じていました。
 何度めかのラビングで、減速して止まったそのままの状態で小石の上に横たわり、うっとりと目を閉じていたチェロキーは、顔のすぐ横にだれかの気配を感じました。若シャチの一頭かな、と思って瞼を開くと、胸ビレを広げてジロッとにらんでいるクレアが逆さまの姿で飛びこんできました。いえ、逆さになっていたのは自分のほうでした。
「ア、ア、アネさん!?」
「何をやってるの、こんなところで?」
 彼女の不機嫌な声に、チェロキーはうろたえながら言いました。
「あちゃ〜〜、見られちゃった」
「あちゃ〜〜、じゃないわよ! 別に見られて減るもんじゃないでしょ? どうして早く教えてくれなかったの!?」
「いや、つまり、その、ちょっと言いそびれちゃって……」
 無言でブスッとしているクレアに、チェロキーは上目づかいに尋ねました。「あのぉ、アネさん? 怒ってます?」
「もう怒ってないわよっ!」
「こ、声が怒ってるじゃないですか」
「あ、あの、ごめんなさい。ぼくたちがいけないんです」
 振り向くと、二頭の若シャチが、脇でかしこまってすまなそうにしています。
「ぼくたちがチェロキーさんを、おもしろいところがあるって言って勝手にここへ引っ張ってきたんです。だから、チェロキーさんのこと叱らないでください」
 二頭は恟々として縮こまり(チェロキーをからかってきたことで良心の呵責を感じてもいるんでしょうが)、クレアが目を向けるとビクッとするくらいで、なんだか彼女もかわいそうになってきました。おとなになってミンクフォビアのシャチにでもなられたんじゃかなわないものね……。
「いいわ、そんなに気にしないで。せっかく遊んでいたところを、私のほうこそ邪魔して悪かったわね。どうぞ続けてらして」
 三頭はほっと胸をなで下ろしました。といっても、改めてラビングを再開する気にもなれません。
「ぼくたちはいいっすよ、もう十分堪能しましたから。それより、アネさんも一滑りどうです? なかなか快感ですよ。エステティックにもなるっていうし」
「もう、バカ言わないでよ!」
 チェロキーと若シャチたちは、あわてて逃げるように退散しました。懲りずに次の遊び場所を物色しにいったのでしょう。
 一頭残されたクレアは、ふとチェロキーたちがラビングに興じていた浜を振り返りました。……美容にいいですって?
 玉のような小石が一面に広がっている白い浜辺は、見た目にも美しく、なんだか自分を誘っているようにも思えます。クレアはもう一度チェロキーたちの泳ぎ去った方角をチラッと見ました。もう音の届かない距離まで行ってしまったようです。
 まあ、ちょっと一回試してみるだけ、ね──

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