(初出:2008/3/2)

水産行政とクジラ

──日本政府が捕鯨推進を掲げる裏の動機──

 国際外交・科学技術論を専門にされている若手研究者、東北大の石井氏が『世界』3月号で日本の調査捕鯨について興味深い論考を発表されています(「なぜ調査捕鯨論争は繰り返されるのか」)。この中で氏は、"捕鯨サークル"にとってはモラトリアム解除など眼中にないどころか実は回避すべきシナリオで、調査を装った議事国有企業形式こそが唯一の存続形態であることを見事に看破しています。RMP(改訂版管理方式)では必要となどされていないとはいえ、建前として商業捕鯨再開を掲げないことには、調査捕鯨実施の前提条件は崩壊してしまいます。だからこそ、国際会議の席上で派手なパフォーマンスを交え声高に「商業捕鯨再開」を唱えつつ、ひたすら現状の固着化を図っているとするなら、国際外交における一つの"謎"とされてきたIWCの現状──石井氏の指摘するところの"逆予定調和"の構図がすっきりと明解に見えてきます。
 ここでは、農水省/水産庁が捕鯨再開・推進を至上命題の一つに掲げるもう一つの理由、捕鯨存続の看板の裏にある真の動機について論じてみたいと思います。
 昨年(2007)11月、北海道の函館水産試験場長が収賄容疑で逮捕され、先月有罪の判決を受けました。担当管区の5つの漁協のうち1つの組合長から現金を受け取り、その見返りに漁獲可能量を越えるスケトウダラの漁獲枠を与えていたのです。ここに、捕鯨推進の謎を解く一つのカギが隠されています。
 水産行政は本来、線の引かれていない海の上で、人為的要因、もしくは科学的に未解明な部分もある自然要因によって刻々と大きく変動する水産資源を、海区、魚種、漁期などに従い、隣接する漁協や、漁獲対象・漁法が異なりつつも重複する各漁業種間など、軋轢を抱える複雑な利害関係者に厳正に配分するという、きわめて高い調整・調停能力を必要とされる行政機関です。しかし……日本の水産行政は、その能力を如何なく発揮するどころか、管理能力のなさを露呈するばかりでした。
 沖合で資源を根こそぎにするトロール操業に泣く零細な定置網漁業者を擁護せず、大手水産によるそれらの操業を優遇し、原発の建設に反対する沿岸漁民の利益を代弁せずに、温廃水養殖の音頭をとり──。諫早干拓事業では、農業増産を理由に漁業者の権利を踏みにじりました(実際には、上に置いたのは土木事業ですが・・)。高度経済成長期には、全国各地で沿岸の埋立・開発が進められ、多くの漁業者が補償金と引き換えに漁業を続けることを断念させられました。二百海里時代に入ると、近隣諸国や新興漁業国による周辺海域の操業で日本近海の水産資源も脅かされるようになりましたが、一方で日本の遠洋漁業が他国の二百海里内外で過剰漁獲を行った結果資源が枯渇する事態も起きており、水産ODAをダシに使ってそれらの大手水産業者をバックアップしながら、国内の漁業者と水産資源の保護のほうは常に後手に回っていたのです。密漁・乱獲・ことごとく失敗した資源管理・不正のしわ寄せを一番食ったのはもちろん魚たちでしたが・・。そして、沿岸の漁民が内外の様々な障害に翻弄されながら決して満足な支援を得られなかったのに対し、最大手による商業捕鯨は破格の優遇を受けていたといえます。零細な沿岸漁業がいじめられっ子、捕鯨はさながら威張り散らすガキ大将、そして水産行政はいじめを見て見ぬふりをし、一握りの子だけをエコヒーキする無能教師という配役でしょうか──。
 そして、水産大国から水産物輸入大国へと様変わりした今も、国内の漁業を取り巻く厳しい状況と、水産行政の無策ぶりは変わっていません。北海道の汚職事件は、漁業者の水産行政に対する決定的な不審ともに同業者に対する疑念と警戒心までも煽り立てる結果となりました。談合体質から一向に抜けきらず、"地元の熱意"によって道路建設の優先順位を付ける国交省のように、わざわざ不平等を拡大させる不公正な手法が染み付いてしまった日本の官僚に、公務員の鏡たる倫理にかなう公明正大な行動を期待するのが無理なのでしょう。そのうえ、水産庁には現状を打破する予算も対案もありません。
 では、こうして積もりに積もった漁業者の不満をなだめるにはどうすればいいか。何か都合のいい捌け口はないものか……。
 一つありました。そう、クジラです・・・・。
 国内でほとんど誰も利害関係がなく、文句をいわれることもない、野生動物と海外のNPO、これほど理想的なスケープゴートはありません。「互いに角突き合っている場合じゃない、大手も中小も日本の漁業者が一丸となって""に立ち向かわなくては!」──というわけです。「あるいは、国を挙げて巨大な"敵"と対峙してるんだから、少しくらい堪えてくれ。"仲間"だろ!?」という意味合いも帯びているのでしょうか・・・。
 捕鯨推進がとりわけ漁業者に向けたPRであることは、「クジラが魚を食べ尽くす」という非科学的な主張、そして「次はマグロだ!」「次はウナギだ!」というこれまた根拠のないドミノ理論にも明確に表れています。まさに漁業者の危機感を煽動するプロパガンダそのものですもんね・・。こうして、全漁連の捕鯨推進決議や、全国自然保護連合会での漁業系自然保護団体の反"反捕鯨"姿勢などに見られるように、まるで漁業者が一致団結して捕鯨を支持しているかのような雰囲気が作られたのです。
 しかし、これらは詰まるところ、政策の本来の受益者であるべき漁業者、そして納税者である国民全員の目から、日本の水産行政の無為無策を覆い隠すゴマカシ以外の何物でもありません

 筆者自身は肉も魚も食べませんが、海藻は大好きですし、何より家族が専ら魚のお世話になってきました。全国の港には捨て猫の面倒を見てくれる心優しい漁師さんがたくさんいらっしゃいます。ニタリクジラと共に生きるカツオ漁師さんもいます。アザラシとの共存に真剣に取り組む漁師さんもいます。モラトリアムをきっちり実施して資源も自分たちも護ることのできる漁協も。飽食・廃食の国に南極の野生動物まで殺して持ってきて冷凍倉庫で持て余している巨大な産官学コングロマリットとは正反対の、上野公園のホームレスのために無料でトラックに魚を積んで運んでくる奇特な方たちもいます(残念なことに、無神経で傲慢な官僚機構のせいで事故に遭われた若い方もいましたが・・)。筆者は、そうした漁業者のみなさんに尊敬の念を抱き、また消費者としても支援したいと思っています。漁業を全否定する気など、毛頭ありません。
 ですが、ソレ(日本の漁業)とコレ(南極での調査/商業捕鯨)とはまったく別です──。

 日本政府の捕鯨推進の理由については、この水産行政の失策の矛先を転嫁する以外にも、保守層のフラストレーションの解消、そして国連安保理常任委入りに向けた独自性のアピールもあると思われます(こちら参照)。