海軍、豆潜の改良型に着手
 そこで豆潜水艇に代って、直接予定地点に沈錘を入れ、これをガイドにして偵察筐(キョウ、かご)を降ろし、筐の中から覗き窓を通して観察する方法がとられた(以下引揚げ作業そのものについては割愛する)
 上述の通り豆潜水艇の使用を中止するとともに、改造型の新造を進めるべく早速設計に着手した。
 設計、建造が進む間、海軍側の乗員養成のため、豆潜水艇の二号艇を使って呉海軍工廠で指導訓練が行われた。その指導には二号艇の乗員福永重一氏が主として当った。(戦後NHKTV番組「スポットライト」に出演:後述の戦後編「スポットライト」の項参照)
 この改良型の設計は、牧野茂技術中佐(のち大佐、戦艦大和設計主任、戦後、防衛庁及び三菱重工顧問、東大講師など歴任、平成8年(’96)8月没、93才)を中心に、有馬正雄技術大尉、堀内康夫技術中尉が加はって、呉工廠に運ばれた二号艇をもとにして、改良点をチェックしながら早急に進められた。
 2号艇の改良点は次の通り

 [外部]
1.潜航中、万一事故が起った場合急速に浮上できるように船体上側に浮力タンク(エアーでブロー)を新しく設けた。(特潜丁型”蛟竜”も上部に浮力タンクを新しく設けている)
2.救難ブイと山高シャックル(吊り上げ索自動取付金物)を新規に付けた。
3.マンホールの覗き窓(出っ張り)にワイヤが引掛からないように工夫をこらした。
4.後部に立っている排気筒を着脱式(取外し可能)にした。
5.西村式では前部フェンダー(防舷材)が山型鋼であったが、これをパイプ(鋼管)にした。(水中での浮力をつけるため、水上航走中の耐波性改善)

 [内部]
1.後部に砂堀ポンプ(吊上げ索を艦底に通すためのトンネル掘削用)、前部に土砂吸入ホースを装備した。
2.両舷側にバラストタンクを固定とした。
3.中央下部に蓄電池を置いて人の移動を容易にした。
4.マジックハンド(作業棒)は1本にした。

以上が主な改良点であるが、水中速力、持続力その他は西村式と殆んど変らない。
 以上の改良点をふまえて、呉海軍工廠で約3ヶ月かゝって2隻を建造した。
 進水・試運転には二号艇の福永重一氏も立ち会った。日本海軍にとってこの2隻の潜水作業艇は全く新しい種類の船で、雑役船の中に特別に「潜水作業艇」という船種を新設、呉工廠の附属艇として、昭和14年8月17日付で夫々3746号3747号という番号を附して正式に海軍が採用した。つまり西村式豆潜水艇第二号艇改造型が海軍に採用されたのである。



 この2隻の潜水作業艇の内の1隻3746号は呉海軍工廠に、他の1隻の3747号は沼津の海軍技術研究所音響研究部(後の第二海軍技術廠)に夫々配備された。
 この潜水作業艇はしばしば救難作業に使用されたがその詳細は全く不明である。しかし呉の3746号艇は堀内康夫技術中尉が指揮して調査作業を進め、一ヶ月後に沈潜”イ63号”を確認している。
 ”イ63号”の救難引揚作業は世界的にも未曾有のサルベージで、その詳細については、義田、寺田の両技術大尉が夫々「船の科学」(S24年6月号船舶技術協会)と「丸・別冊」(平成7年4月豆潜と潜水艦引揚げ作戦)に記述されている。
※筆者註:平成7年4月に発行された「丸」別冊・”戦争と人物14”に未発表ワイド画報として「豆潜と沈没潜水艦引揚げ作戦」で上述の”イ63号”潜水艦引揚作業について豆潜2号艇と改良型豆潜(海軍)の2隻の貴重な写真をまじえて詳細に発表されているので関心のある方は参照されたい。