(レッドのUXとの死闘のあと、浮上した707の艦橋(注:セイル上)で)
PKN艦隊の全滅のニュースは悲惨な映像で世界に放映された。
しかし速水艦長らはジュニアによる海底調査の結果と報道されたニュースとの間に矛盾を感じた。完全に破壊されたグレートガーディアン以外の沈没した艦船の損傷は思いのほか小さい。この程度ならかなりの乗員が脱出できただろう。アポロノームによる救助がいかに迅速だったとはいえ、707がUXとの死闘を終えて浮上した時には、もはや漂流する死体が一体も発見されないのは通常の戦闘ではありえない。
おそらくPKN乗員の多くがアポロノームに救助されたことは間違いない。PKN艦隊で3隻のアポロノームが唯一被害を逃れたのはなぜなのか。レッドは当然狙うべきアポロノームをなぜ狙わなかったのか?
速水はPKN艦隊成立の経緯にもなにか不自然なものがあることを感じていた。レッドによる通商路攻撃が始まってから、わずか1年でPKN艦隊が発足したタイミングのよさ、日本政府の対応の遅れと、最新鋭艦ぞろいのPKN艦隊の中で唯一ポンコツのドンガメ707の参加。新鋭艦を与えてからもPKNの直接指揮下に組み込まれないまま。
レッド、PKN艦隊、日本政府、その3つの間の関係にいったいどんな謎が組み込まれているのか・・・・。
・・・・・・・・
「艦長、なんか変ですね」
「南郷君、君もそう思うかね」
「PKN発足式典の時の攻撃とも違うように思えるんですが」
「うむ」
速水は1年前を思い出した。アポロノームの多数の乗組員を救うためとはいえ、安岡司厨長、後藤一水、西村二水という3人の尊い命を犠牲にしてしまったあの事件。速水は何度その時の判断を悔やんだかしれない。その速水が新造707に復帰することを決意した理由は、いくつかの疑問を自ら明らかにすることが亡くなった3人へのせめてもの供養と考えたからだ。
なぜPKN艦隊は無防備な結集をしたのか。なぜレッドはやすやすと侵入できたのか。レッドの発射した魚雷はなぜ1本だけだったのか・・・。
「艦長はレッドをご存知なんですか」
「ああ、そうだ。実はな、レッドの女房、ユウとか言ったな。日本人でうちのみゆきと、昔、友だち同士だったんだ」
速水は、レッドという世界で最も有名でかつ謎に包まれた男のことを語り始めた。
「レッドはドイツのチュービンゲン大学で人工頭脳の研究をしておってな。ちょっと変わっていたのは自分の開発したゲーデルBという人工頭脳を使って気候変動の研究をしておったんだよ。
学会で画期的な氷床崩壊モデルを発表したあと、化石燃料全廃を言い出してな。過激な言動で学会からつまはじきにされ、あるとき姿を消してしまったんだ。
それからだ。各地の紛争地域で難民の救済活動をするようになったのは。それも変わった方法だった。インターネットを駆使して世界から物資や資金を集めてな。ユウと知り合ったのも難民キャンプでだ。」
「そんな男がなぜ・・・」
「そこだよ。やつは初めのうちは人道主義者として世界的な人気を集めておった。ついには紛争地域で強い政治的発言権を持つようになってな。紛争地域というのは分かるかね。なんらかの意味で大国が資源問題に絡んでおることを。
もともと化石燃料全面禁止を主張していた男だから、石油の大量消費国や石油メジャーには激しい非難を浴びせるようになった。それにつれて世界的な人気もより過激なものに変質していったんだ。地球温暖化で水没したり砂漠化の進む国の人々はもちろん、西欧文化侵略を憂慮する民族主義者というような連中からもだ。」
「そんなことがあったんですか。それにしてもタンカーを攻撃するようになるなんて」
「やつにとってはな、単純な論理なんだ。化石燃料は海上輸送に依存している。海上輸送を恐怖に陥れるということは化石燃料のコストアップになる。つまり非化石燃料の競争力がアップするわけだ。やつの考え方は学者だと思えばよい。国際的な政治交渉に委ねているより遥かに効率的だ。」
「それにしても、人殺しまで許されるものでしょうか。」
「そうだ。それはわしにも理解できない。しかしやつが活動していたのは難民の餓死や自爆テロの横行している地域だ。わしらには考えの及ばない世界だ。
それにな、いくらやつが世界的に人気があるからといって、できる規模を超えとる。潜水艦隊なんで、一国がうしろにつくか、それに匹敵する存在がバックにいないとな。それに、それだけの支持を取り付ける理由もな。」
「それっていったい」
「いやまだ確信が持てたわけじゃない・・・。それはそうと、もうこれ以上捜索しても仕方がないだろう。ジュニアの2人を呼び戻せ。」
「分かりました。帰港の準備に取り掛かります。洋上じゃこれ以上の修理は無理なので、浮上したまま帰るしかありませんね。」
「やれやれ、天候が悪くなってきたというのに、先が思いやられるな。」
・・・・
(707の発令所で)
「賢次、五郎、USR潜隊のほうはどうだった」
「それが・・・、艦長のおっしゃったとおり、死体が思いのほか少なくて・・・」
「やはりな。人工頭脳がお手の物のレッドのことだ。それぐらいのことはやるだろう。それにしてもシンクホールのお陰で命拾いしたな」
「そのシンクホールのことなんですが・・・。」
「なんだ」
「乱泥流(*1)の起こった海底長谷にも行ってみたんですよ。ところがシャローガス(*2)がかなりあちこちで吹き出ていて。あんな海底、初めてっすよ。」
「なんだと。・・・うーん、そうか。やはりな。」
「艦長、それってどういうことですか。」
「南郷君、海底ハイドレート層が不安定になっているってことだよ。鈴木ソーナー長、どう思うかね。」
「SS-XCTD(*3)投入してみたんですが、やはり水温が上がっていますね。できればもっと詳しく調べたいところですが」
「今潜れば二度と浮かび上がれないからな。これだけの損傷だと神戸に帰るしかないだろう」
「艦長! 相談なんですが」
「なんだ、賢次」
「やっぱり水中揚収、挑戦してみたいんですが。さっきの戦い、洋上揚収で時間を食ってしまって、そのせいで707は危ない目に」
「そう気にするな。ドックを出たらたっぷり訓練してもらうからな。」
*1:海底地滑りによって土砂と海水の混合したものが高速で遠距離まで運ばれる現象。
*2:海底下の比較的浅い地層からのメタンガスや硫化水素の噴出。
*3:潜水艦用投下式塩分水温計。XCTDは日本製品がデファクト・スタンダード、世界標準になっている。
「それで」
「USR潜隊からの音響テレメトリが途絶える前のデータによると、海中メタン濃度の急激な上昇があったようです。塩分濃度には変化がなかったと。」
「やっぱりそうか」
「提督、これはいったいどういうことですか。USR潜隊は低塩分層にできた内部波で壊滅したのではないのですか」
「アーサー、あのアルバレツ・クレーターがシャロー・ウォーター・フロー(*5)の噴出口なのは知っているな。707がそこで浮力喪失したことから低塩分水の噴出なのは間違いない。低塩分水は軽いから上昇プルーム(*6)を作るだけだ。ホールに溜まって広い範囲に密度躍層を作ることはない。」
「それじゃいったいU潜隊はなぜ」
「707はUSR潜隊とは真反対の方向に魚雷を発射した。たぶんあの時全弾発射していたんだろう。低塩分プルームの周りでは音波がどのように伝わるか分かるかね。」
「ええ、密度が小さければ遅くなりますから・・・、周りの音波はプルームの方に曲げられますね。」
「そうだよ。つまり低塩分の上昇プルームは音響レンズの役割を果たすわけだ。そこで多数の魚雷が爆発した衝撃波がクレーター内をどう伝わるか考えてみろ。」
「クレータ内壁での反射と音響レンズによる屈折を考えれば、・・・・反対側の焦点に!、つまりUSR潜隊に集まったということですか。・・・・なんということを。」
「レンズの中にいた707は大きな被害を受けることなくな。USR潜隊の周りの海底からメタンが上昇したことから見ても衝撃波は凄まじいものだったに違いない。」
「・・・・、提督、あの速水という男はいったい何者なんですか。」
*4:ゲーデルBは各部の損傷で言語機能が低下してしまって、直接艦長に報告できない想定)
*5:海底下の浅い層からの水の噴出。あまり知られていない
*6:キノコ状・柱状の噴出
「分かった。すぐ行く。南郷君も来たまえ。」
・・・・・
(ソーナー室)
「どうなんだ。」
「これを見て下さい。アクティブソーナー・キャンセラー(*8)で艦影を消せるのは、アクティブ・ソーナーが決まった周波数で一方向からやってくるからです。それと逆位相の音波を船体各部から発信することで反射を消してしまいます。船体全体がトランスデューサ化されるようになって初めてできる芸当です。」
「役に立たなくなったアクティブ・ソーナーに代わって開発されたのがホロニック・ソナーです。通常は水中背景雑音の遮蔽効果で相手の位置を割り出すので、所詮、音圧レベルが低くて近距離でしか使えません。
ですが戦闘になると、水中爆発がアクティブ・ソーナーの代わりになってかなり遠方まで探知できるようになります。水中爆発はいろんな周波数が混ざっているので、今のアクティブ・キャンセラーではキャンセルしきれないためです。」
「ところがこのホロニック画面を見て下さい。千太が聞き分けたUXの位置はこのあたり。艦影らしきものは何も映っていませんね。そこで海底と海面からの反射成分も一晩かけて処理したのがこちらです。」
「おおっ、確かにこの大きさだとUXだな。」
「そうです。レイ・トレーシング(*9)じゃなくて波動関数を直接解けば、もっときれいな画像が得られるんですが。」
「するとなんだ、UXは水中爆発音までキャンセルできるというのか。」
「理論的には可能と聞いていたんですが、実際にこの目で見るまでは私も信じられませんでした。よほどの人工頭脳が搭載されているんでしょう。」
「レッドがチュービンゲン大から姿を消したとき、ゲーデルBという人工頭脳も持ち去ったらしい。おそらくその改良版が積まれているんだろう。」
「問題はこれからどうやってやつを探知するかです。今回は千太の耳と艦長のカンで運良くホロニック・ソーナーの探査レンジ内に飛び込めたからいいものの、本艦のコンピュータでは多重反射まで戦闘中にリアルタイム処理することは不可能ですから。」
「うーむ。何か手を考えないとな・・・。それにしてもよくやった。お手柄だぞ。」
「いえいえ、すべては千太のお陰です。おれたちがカルマン・フィルタ(*10)を通していたせいで聞き逃していた音を、あいつはフィルタなしで聞き分けたんですから。
今回の再解析を思いついたのもそれがヒントなんです。カルマンフィルタが大事な情報をも切り捨ててしまうなら、ホロニック・ソーナーが位相相関法で多重反射成分を除去(*11)している中に大事な情報があるんではないかと。」
「その千太を厨房から引き抜いたのもお前だ。とにかくよくやった。ゆっくり休んでくれ。」
*7:架空の装置
*8:アクティブ・ソーナーの探知を逃れる架空の装置
*9:音線追跡法のこと
*10:雑音を除去するための回路
*11:最初に到達した波形と同一の後続波を海底や海面での反射波と判断して除去する架空の処理法