●Chapter 6 アリューシャン海域へ

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(707の士官室で)
 南郷副長が関係者一同を前にして
「では、明日から始める新型機関システムの負荷変動試験についての打ち合わせを始めます。
 まず、篠原重工の青木太郎技師長(注:実在の人物とは無関係)からよろしく。」

「えーっ、青木と申します。まず最初に、今回、北極海での戦闘を想定していくつかの改造を行ったポイントを再確認のため申しておきます。
 改造点はニッカド電池をリチウムイオンに換装、ディーゼルを小型高出力のADDディーゼルに。そして余裕の出たスペースに酸素吸蔵セルを詰め込んだことです。
 リチウムイオン電池は皆さん意外にご存知ないんですが、持続時間が大幅に増える反面、大電力を流すことができません。」
 何人かがへぇーの声をあげる。

「そこで大出力がいる時にはADDディーゼルに切り替えるわけです。
 それに使う酸素ですが、水素吸蔵合金のような便利な金属はないので、これまで液体酸素で貯蔵するしかなかったんですが、ナノテクのおかげでカーボン・ナノチューブを利用して吸蔵できるようになりました。といっても30分が限度です。
 問題は排気の方ですが、水深がせいぜい100mまで、それ以上深くなると排出にパワーが取られてしまって使う意味がなくなってしまいます。」

 誰かがウルトラマンの戦闘みたいだなとつぶやく。そこで機関長の水野善太(注:実在の人物とは無関係です)が。
「まあ、いろいろ長短を組み合わせた苦肉の策なんで、あとは使う者次第ってことで」

 青木が苦笑しつつ、
「助け舟どうも。
 さて問題はむしろここからなんですが、ADDディーゼルは傾斜機能材料による固体潤滑や最適燃焼制御で大幅な小型軽量化を実現しています。その反面、エンジンの慣性力が小さいために負荷変動の影響をもろに受けてしまいます。そこをガバナーで調整するんですが、それが追いつかないと動作が不安定になって、最悪、エンジンが停止してしまいます。
 擬似負荷を使ったシミュレーションで大丈夫なように設定してはいますが、実際の負荷変動でどうなるかを確かめる。それが今回の負荷変動試験の目的です。」

 ここで一息付いてから、さらに続ける。
「 もうひとつ重要な試験がありまして、システムの一部で短絡が起きた時の保護協調試験があります。つまり、一つのサブシステムで短絡が起きてもシステム全体がダウンすることがないように、サブシステムと高圧配電盤と発電機のそれぞれに保護装置の働くタイミングを変えています。
 大事な配電盤と発電機を守るために必要な措置なんですが、そのせいで短絡が一箇所で起こると、母線が遮断されるまでのごく僅かな時間に、他のサブシステムに影響が及んでしまう場合があるわけです。つまり心臓部は大丈夫、バッテリーも十分あるのに周辺機器が全部停止してしまうという状態が起こり得ます。」
 一同からどよめきが。

「そこでそのようなことができるだけ起きないように保護装置のタイミングの組み合わせを調整します。」

 そこで水野機関長が
「停止してしまった機器は、ひとつひとつ短絡の有無を調べながら立ち上げていかなきゃならん。その時間をできるだけ短縮する訓練も行うからな。」

 一同、ざわめく。そこに南郷副長が。
「通常、このような試験はドック側で実施されることだが、今回は事態がかなり切迫しているので、U潜隊もうろつくベーリング海峡に向かう途中で行う結果となった。
 「ちはや」のほかにも、カナダ海軍のブルーシャークが護衛のために随伴してくれているとはいえ、ブラックアウトの起きた時に敵に遭遇する可能性はないとはいえん。みんなくれぐれも覚悟して取り組んでくれ。では解散。」


(米国家安全保障局NSA)
「USRの秘密基地の建造場所が分かりました。」

「なんだと。」

「この衛星画像をご覧ください。フィンランドのラウマ・レポラ造船所です。中国向けの海底トンネル用ケーシングのジョイント部分ということですが。」

「とりたてて変わっているようには見えないな。」

「こちらの拡大画面をご覧ください。各所に表示されている水中工事用の注意銘板です。文字までは判別できないですが。」

「この銘板がどうしたんだ。」

「問題はこれらの取り付け方向でして。」

「うーん、みんな同じ方向だが。」

「そうです。まず海底に設置する海底トンネルになぜこんなに銘板が各所に付くのかが第一の疑問でした。それで詳しく調べると、みんなこちら方向を上にしています。水平に設置するなら右と左とで銘板の向きが異なるはずです。
 つまり、このケーシングは垂直に設置されることを前提にして設計されています。」

「なるほど・・・。だが秘密基地は内部に建造ドックもあると思っていたんだが。」

「潜水艦の方を垂直にしてしまうことぐらい、クロイツェンバッハならやりかねないですよ。」

「それはそうだな・・・。それで、この発注主は。」

「中国のゼネコンでして、台湾との海底トンネルを請け負っているのは本当ですが、その一部に紛れ込ませたようです。」

「そうか。そのルートを徹底的に調べろ。USRへのロジスティクスを助ける大物がいるのは間違いないからな。」


(アリューシャン列島の南方)
 弓なりになった大圏ルートである北米航路では、荒天に遭遇した時に高緯度側、すなわちアリューシャン列島付近もしくはベーリング海に回避する場合がある。特にホンジュラスの国旗を掲げるその7000トン程度の貨物船のように、本来は近隣国との近海航路に投入され、いささか耐航性に劣る中型船の場合はそうである。

 船首の船名表記を見れば中国か台湾が支配する便宜地籍船と分かるその貨物船。しかしその海面下ではU潜隊の一隻が密かに接近していたのだった。
 その時、貨物船から変哲もない20フィートコンテナがガントリークレーンで舷外に吊り出される。水飛沫を残して去っていく貨物船。沈降するコンテナに接近するU-SUBからロボットアームが伸びる。やがて海中投下されたコンテナを甲板上に固定したU-SUBは、北に向けて転蛇する。


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・・・・

(707ソーナー室)
「鈴木さん、前方の貨物船で変な着水音が。」

「千太、なんの音だ。」

「かなり大きな物ですよ。救命艇かな。でも貨物船は走り続けています。」

「停船もしないでか。それは変だな。」

「あっ、ちょっと待ってください。海中で何か聞こえます・・・。
 潜水艦のスクリュー音のような。」

「識別するにはちょっと距離があり過ぎるな。念のため艦長に報告しよう。」

・・・・

(発令所)
「艦長、怪しい音をキャッチしました。」

「なんだ。」

「前方を横切る貨物船から何か大きなものが落下する音がして、そのあと、潜水艦らしき音が。」

「うーん、それは変だな。」

 そこに千太が、
「あっ、不審潜が離れていきます。やはり潜水艦のスクリュー音です。こないだのU潜隊のに似てます。」

「艦長、音紋照合も一致しました。」
と鈴木が補う。南郷副長が、
「艦長、これは前々から謎とされていたUSRへのロジスティクスなのでは。」

「うーん、なるほど、そう考えれば辻褄が合うな。」

「これは絶好のチャンスですよ。ちょうど相手のバッフル・ゾーン(注:スクリューのある後方は死角になる)ですし、付いていけば、問題のU潜隊のルートを暴く絶好のチャンスじゃないですか。」

「それはそうだが、まだシステム調整は十分じゃないぞ。」

「最初に比べればブラックアウトは随分減ったと思いますが」

「もう一つの問題はな、阿部先生と青木技師長たちだ。民間人を乗せたまま北極海に入るわけにはいかん。
 うーん・・・。そうだ、カモメはどう考えるかな。
 おいカモメ、聞いているか。」

「聞いているわよ。」

「負荷変動試験を切り上げて追跡すべきかね。」

「ブルーシャークに任せましょ。」

「えっ、なぜだね。」

「ブラックアウトのたびにUPS(注:無停電装置)に切り替わってメモリをバックアップされるのは嫌なの。」

「ううっ、なんて理由なんだ。」

 そこに鈴木が、
「艦長、千太だから聞き分けられるんで、ブルーシャークにできるでしょうか。」

 カモメが
「千太をブルーシャークに貸せばいいわ。チュクチ海までのルートが分かれば返してもらいましょ。」

 しばし沈黙した速水は、
「ブルーシャークの随伴なしで試験するリスクをどう考えるかだな・・・。
 よし、ブルーシャークに浮上するよう連絡せよ。ブラッド艦長と話してみる。」

・・・・・・


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 707の艦橋からブルーシャークに向かう千太を見送る賢次と五郎。
「千太のやつ、大丈夫だろうか。」

「あいつが先に北極海入りするとはな。それにあいつ、英語なんて話せたっけ。」

 そこに艦長が、
「ブラッド艦長は日本語が達者だからな。それとブルーシャークはいい艦だぞ。」

「あっ、艦長。でもU潜隊と戦闘になったらどうなるんですか。」

「今回はな、U-SUBのバッフル・ゾーンを追跡して、北極海への侵入ルートを探るだけだ。ベーリング海のSOSUSネットワークをどうやってかいくぐっていたかが分かれば、逆にこちらもUSRの探査網をかいくぐれるわけだからな。」

「それが分かれば千太は帰ってくるんですね。」

「そうだ。心配するな。
 さあ南郷、負荷変動試験をピッチをあげて片付けてしまうぞ」

「了解。各員潜航準備!」

・・・・・

 何度かのブラックアウトと再立ち上げ、再調整が繰り返されたのち、ついに負荷変動試験と保護協調試験がクリアーされる。
 その夜、707の士官室ではささやかな祝宴が催される。といっても昼夜2交代の12時間当直という厳しい艦内生活ではアルコールはご法度だったが。

 千太のいない艦内でいささか寂しげな賢次と五郎に、青木技師長が声を掛ける。
「いよっ、ご両人、ジュニアはどうかな。」

「あっ青木さん、お陰で大分調子よくなってきました。」

 五郎が、
「青木さんって、ジュニアの開発責任者だったんでしょ。」

「まあね。ずいぶん苦労させられたよ。特にバリアブル・ベクトル・プロペラは初めてだったからね。」

「どうしてジュニアが開発されることになったんですか。」

「うーん、もう15年になるね。君たち、プロジェクトを実現する条件って何か分かる?」

「えっ・・・、そんなこと考えたことも・・・。」

「そうかもね。でも、いつか必ず何か君たちの手でプロジェクトを立てて欲しいね。いや、若い人こそ、自分の夢を持って、それを自分の手で実現するという経験を持つべきなんだ。」

「僕たちがプロジェクトですか。ジュニアを満足に動かせるようにするだけで精一杯なのに。」

「プロジェクトってね、実現するまでに10年は掛かるんだよ。いや、10年あれば必ず実現すると言うべきかな・・・。つまりね、10年追い続けられるほど大事な夢があるかどうかだ。」

「10年もですか。」

 思わず視線を交わす賢次と五郎。続ける青木。

「それにもう一つ大事なことは分かるかい。これは俺のプロジェクトだ、俺が産みの親だというヤツが少なくとも5人はいるかどうかなんだね。」

「えっ、ジュニアは青木さんのプロジェクトだったんじゃ。」

「あははっ。僕だけじゃないよ。ジュニアの生みの親は。僕は全体システムと制御系を担当したけどね。バリアブル・ベクトル・プロペラは彦坂ってやつが担当したし、ジュニアが潜水艦のサブシステムとして何が何でも必要だって言い続けてくれたひらさんとか、予算を獲るために何日も役所に泊り込んだ片見さんとか、そんな生みの親が何人もいるんだよ。」

「へーっ、そんなこと、考えたこともありませんでした。青木さんたちのジュニアへの夢ってなんだったんですか。」

「・・・そうだね。海の中を見ながら自由に動けるようになりたいってことだね。潜水艦ってのは特に操縦性能が悪いし、海の中を直接見ることもできないからね。」

「でも潜水艦自身をそういう風に変えることは出来ないんでしょうか。」

「海の中を人間の目で見ようとしてもせいぜい10mが限度だからね。潜水艦じゃ見ようとする対象にそこまで接近することがそもそも難しいだろ。」

「僕たち、確かにジュニアじゃ10mぐらいしか見えないんですけど、周りの流れが見えますよ。ちょうど雪が降る夜を車で走るみたいなんですよ。海の中のマリンスノーって。」

そこに五郎が、
「そういう流れを見ながら、10mより先にも何かがあるってことが分かるときもあるんですよ。」

「へー、それは凄いな。君たちがジュニアをそういうように言ってくれると、とてもうれしいな。」

「ジュニアの苦労話を話してくださいよ。」

「そうだね。前にも言ったように、バリアブル・ベクトル・プロペラ、これは世界でも初めてだったからね。
 海中を自由に動き回るために最初はいくつものスラスタをあちこちに付けることを考えたんだ。だけどスラスタをオン・オフするのにどうしても遅れがでる。
 そんな時、彦坂がヘリコプターに近い発想を持ち込んだんだ。
 それともっと難しい問題はどうやって小型化するかってところだ。安全性を確保するためにはどうしても2重化しなきゃいけないけど、すると船体が大きくなって、それを制御する推進器の出力も上げると、雪だるま的に大きくなってしまうんだ。」

「それをどう解決したんですか。」

「ひとつの艇の中で2重化するのを諦めて、ジュニアを2隻にしたんだ。常に2隻で行動する。一方が故障したらもう一隻が救難手段になる。そういう発想で切り抜けたんだよ。」

「へー、そうなんだ。」

「だから君たちはいつも2人で助け合わなきゃいけないんだ。分かるかい。」

 青木技師長の言葉に感銘を受けた賢次と五郎は、ジュニアをもっと活躍させようと決意を新たにしたのだった。


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