(ベーリング海峡を通過中のブルーシャーク)
幅約88km、水深約50mのベーリング海峡。この季節はすでに海面に蓮氷が広がり始めている。U-SUBを追跡するためにブルーシャークに乗り込んだ千太。ソーナー室では日本語の達者なブラッド艦長が千太の横につく変則体制がとられている。
千太が、
「キャプテン、U-SUBのスクリュー音消えました。」
ブラッド艦長が、
「多分、バッフル・クリアーだろう。モーター停止。原子炉は自然循環モードに、全員沈黙を保て!」
潜水艦は自分のスクリューが回っている後方はパッシブソーナーの死角になっている。このため、時々、スクリューを停止して惰性で360度転蛇する。これをバッフル・クリアーという。追跡している方は静寂を保って再び相手が元のコースに復帰するのを待つ。
「センタ、君はグレートだ。原子力推進は騒音の点で不利だ。十分な遠距離で探知できているから気付かれずに済んでいる。」
アリューシャン列島付近で千太が発見したU-SUB。707が試験調整中だったために千太がブルーシャークに乗り移って追跡が続行された。ベーリング海を渡っていよいよベーリング海峡に入った。そこには当然のことながらSOSUSネットワークで潜水艦の通行が監視されているはずだったが、U潜隊はやすやすと気付かれずに通過していたのだった。
高度なステルス機能を持つUXを別として、U潜のアクティブソーナー・キャンセラーは通常能力と考えられた。一種のクローズドサイクル機関が使われている分、原子力推進よりも静穏だといっても、狭くて浅いベーリング海峡を探知されずに通行できるとは考えにくかった。
「コマンディング・オフィサー(注:艦長のこと)、バッフル・クリアーじゃないような気がするんです。何か海の中の流れが聞こえます。」
「なんだって?」
「阿部先生がベーリング海峡ではいつも太平洋から北極海に向かう流れがあるって言っていました。U-SUBはその流れに乗ったのでは。」
「その流れなら知っているが、わずか1ノット前後だ。流れに乗るにはちょっとな。
バッフル・クリアーが本当なら前進するわけにはいかんが、といってバッフル・クリアーが終わるのを待っていたら、まかれてしまうな・・・。
よし、秘密兵器を出すか。エックスオー(注:XO、副長のこと)、ディープダイバーを用意!」
・・・・・・
ブルーシャークの背中のボンクから出たのは自律型無人機AUVの<ディープダイバー>である。ディープダイバーは射出後に翼を広げ、羽ばたき推進と海中滑空で無音走行が可能。滑空モードでは浮力を負にして斜め下方に、浮力を正にして斜め上方にとジグザグに前進する。
有線モードでスイムアウトしたディープダイバーは約10ノットという低速ながら完全な静穏を保ちながらU-SUBの推進音の消えたあたりに接近する。
モニター画面には幅がわずか数十mの蛇行する溝が映し出された。ベーリング海峡が陸橋で閉じられていた氷期に刻まれた河川と思われるその溝に入ったディープダイバーは突然、数ノットの低層流に捉まる。
ディープダイバーをモニターしていたXOが、
「キャプテン、ディープダーバーがどんどん流されていきます。」
「これがセンタの言ってた流れか。よし、本艦もそれに乗り入れろ。」
ブルーシャークの原子炉は、低出力レベルでは冷却ポンプを動かさなくても自然循環で冷却可能な準本質安全炉である。その自然循環モードのまま、スクリューはキャビテーションを生じないぎりぎりの低負荷で前進を再開する。
やがて底層流がブルーシャークを捕らえ、船体が大きく揺らぐ。
ヘルムズマン(注:操舵手のこと)が思わず弱音を吐く。
「キャプテン、舵が効きませんぜ!」
「これ以上、対水速度を上げるわけにはいかん。なんとか踏ん張れ」
「シーアンカーでもなきゃ、とても進路を保てやせんです。」
「シーアンカーの代わりになるものなんて本艦には・・・。
そうだ、スクリュー停止! フル・スターボード!」
XOが、
「キャプテン、それじゃ崖に・・・。」
「いや、そのままダウントリム・フル! アンカーを一連出せ!」
ブルーシャークは艦首を突っ込んだ半倒立の状態を経て転蛇。ぎりぎりで崖をかわし、艦尾を流れの方に向ける。艦首底から繰り出されたマッシュルームアンカーが海底を引きずる。
「よし、そのままスクリューをロック(注:遊転をブレーキで止める)、シーアンカー代わりにして進むんだ。」
「なんていう曲芸を・・・。」
ブラッド艦長のとっさの判断とヘルムズマンの曲芸的な操船によって、ブルーシャークは蛇行する渓谷を突き進む。
「これは海流というより、むしろ潮汐流かもしれんな。時間がくれば逆転する・・・。いずれにしてもアポロノームには無理だな。」
独り言のようにつぶやくブラッド。やがて流れは弱まり、渓谷の幅も広くなってきた。
「キャプテン、チュクチ海に入りました。」
「U-SUBが待ち構えているかもしれんぞ。静穏状態を保て。」
先行するディープダイバーのパッシブセンサーに耳をすます千太。
「U-SUBのスクリュー音、キャッチしました。左舷15度方向、距離、おそらく3000m。遠ざかっています。」
「なんだ、やっこさん、ずいぶん慌てているな。さてこのまま追いかけるかどうかだが。」
XOが、
「キャプテン、このルートをPKN本部に伝えることが先では。」
「確かにな。アポロノームは隠せないにしても、少しでもこちらの隠し札を増やさないとな。それにセンタを707に返す約束もあったしな。
このまま深度を上げろ。ディープダイバーに開氷面を探させろ。」
・・・・
かろうじてセイルのみを氷上に突き出したブルーシャークから衛星レーザー通信経由で暗号化された情報が送られる。それをもとにPKN本部では最終的な決断が下された。
洋上で不調だったシステムの改修を終えたアポロノーム3はいち早くベーリング海峡入りする。
それに続いて大西洋側を警戒していたアポロノーム1と2がノルウェー沖を北上。
アポロノーム3とすれ違いにベーリング海峡の入口まで舞い戻ったブルーシャークは、「ちはや」から最後の給油を受けた707とランデブー。
707の甲板上で抱き合う千太、賢次、五郎の3人。
それを艦橋から眺める速水と南郷。
「ようやく揃いましたね、艦長。」
「ああ。願わくば、本艦のミッションが本当に科学的検証だけで済めばいいがな。」
「敵と遭遇したらどうするんですか。」
「本艦がPKNを離脱したからといって、相手が手加減するとは思えんがな。本艦はもう十分に手を血で染めておる。」
「それじゃ。」
「オレは自分の乗組員を守るためなら、一瞬たりとも相手を攻撃するのを躊躇うつもりはない。」
「それを聞いて安心しました。それでこそ我々の艦長です。」
「いや、オレだって阿部先生の主張が通ればいいと思っていたんだが。」
「先生、落ち込んでいますよ。PKN本部には相手にされませんでしたからね、たった0.1%の海域を調査しただけで何が分かるかって。」
「いや、オレはたった0.1%調べただけでこういう結果が出ればこそって先生のカンを信じるね。ここは707で有無を言わせぬデータを取ろうじゃないか。それで戦争が避けられるんならな。」