2001年11月24日瀧乃家、12月6日JAMSTECでの小澤語録。
もっと深めたい話題ですが、それはそこまでとして、
まったく驚いたことに「サブマリン707」の頃も含めて、先生は漫画家専業だったことはなかった。1983年の交通事故で、会社勤めができなくなるまでの間、新日鐵、東京ガス、日野自動車、日産自動車、横浜造船、千葉銀行・・・(順番はさだかでなし)で、自動化やオンラインのメンテナンスの仕事をしながら、漫画をいろんな人の手も借りて書いていたのだった。
基本的に、先生は終始、エンジニアが本職で、漫画は副業という感覚に近かったようだ。エンジニアとしての能力は随所に発揮され、レンチだけで組み立てるオモチャの発案、潜水プラモデルのデザイン、フィンレス浮沈機構の考案などをされている。
のちに、週刊朝日で企業広告漫画(ADコミックス)を発案され、自動車の広告漫画を描かれたが、路面をグリップするタイヤのきしみ、翼端渦のような車体後方気流の表現法などエンジニアならではのセンスが光っている。
話は過去に戻って、当時、それでもかなり無理がたたって、アイコさんの誕生を機に、身体を大事にするため漫画業をセーブしたのが激減の理由だったようだ。
だけど、奥さんや親戚から猛反対されて、衣食住の3文字の中でも重要な意味がある「衣」の字だけ使って「亜衣子」と名付けた。先生は3人の子供がいるが、いずれも付けたい名前を反対されて、違う名前にされた。ちなみに、先生は20才で結婚して27年で離婚、2度目の奥さんとは16年で離婚。現在、独身中。
私は特に「アジのタタキ編」とか、「707F」の絵が、額に入れて飾りたいぐらい美しいと思うのですが、この「アジのタタキ編」は、YASUさんの報告にもある、早稲田の漫画研究会が線入れしたものとのこと。ただし、西村屋が全小澤作品の中で最も大好きなカモメの乱舞する絵は、先生がリハビリを兼ねて一人で描かれたとのこと。
「707F」は6〜7割は先生だったが、蛭田 充氏(「仮面ライダー」、「デビルマン」ほか)が手伝われた。
その他の過去の作品も、自分一人で書いたのはほとんどない。サブマリン707は自衛官出身の増田シンゴさん、青の6号は久松文夫氏(「スーパージェッター」ほか)、そのほか、あだち充氏(なんと小澤先生(「北沢 力」の名)原作でデビュー作「消えた爆音」を描いている)、ながやす巧氏(「愛と誠」ほか)などが手伝ったもの。
ただし、専属のアシスタントは増田さんぐらいなもの。そのほかは編集者の連れてきた助っ人だった。専属を雇うことはその人の生活について重い責任を負うことであり、それができなかったとのこと。このせいで作品をよくチェックする余裕もなく、また、連載の人気投票競争で無我夢中だったため、間違い/矛盾が多いとのこと(2002年2月3日)。
この増田シンゴさんには多くのエピソードがある。彼は米第6艦隊のオクラホマシティーにも留学したエリートで、出会った当時は特務艦(レーダーピケット艦)の「わかば」の艦橋士官だった。横浜港で出会って意気投合し、飲み明かして先生の部屋で目を覚ましたら、すでに「わかば」は朝8:00に出港してしまっていた。まあいいやとそのまま先生の仕事を手伝い始めた。船の絵は非常に得意で、707はほとんど彼の絵だったという。
2、3年?経って、脱走したままというわけにもいかず、小澤先生が付き添って基地に出向いたところ、どういう訳か本人不在のまま佐世保や横須賀などに転属されており、おまけになんと一階級昇進していたという。
そんな増田さんに大きな不幸が訪れる。実家の工場に手伝いに帰省していた時、プレスで右腕を切断。これが707のアポロノーム中断の秘密だった。小澤先生自身の手で執筆を再開したら、これは小澤先生の絵ではないと抗議の投書が殺到したという。
詳しくは瀧乃家サイト宣言の「マスダさん」の項を参照のこと。
トフラーといえば各国の首脳にもアポイントなしで会えるほどの大物学者。日本エージェントを通じての返事は、マンガで表現できるはずがないと言われ、米国エージェントからも「マンガで第3の波を描くというのは、志に留めて欲しい」との返事だった。
断られて2年。それでも30枚ぐらいの原稿を中央公論の編集長(だったっけ?)が渡米する際に頼んで、トフラーの家に届けてもらった。トフラーの奥さんがその原稿を見て、夫に取り次いだ結果、編集長?はトフラーのいる部屋に招き入れられ、自分は社会学者で、親日家を自負していたが、マンガがこれだけの表現能力があるとは知らなかった。ぜひ机を並べて仕事をしたい、と自分の不明を詫びた。
その結果が、3巻の「第3の波」となった。とはいえ、寝たきり状態のころだったので、3巻目は虫プロの助けを借りた。
というトフラーだが、それでも、富士山の上に立つ日本人の顔を、もっとデッパにしてくれなど、問題もあった。新707の珍さんの顔も、実際の中国人とはかなり違うのでは、という問いに対して、21才の頃、香港に密航したが、その時世話してくれた中国人が、まさにそういう顔だったとのこと。
高校生の頃、手塚治虫より作家は「一頭百尾?」といって、何か表現しようとすると、描きたいことの99%を捨てなければいけないと言われたことがある。編集者からジュニアの発進シーンも、あまりコマを使い過ぎと言われた。しかし、それを省いてまで出版しようとは思わない。
それから、えーっと腸閉塞が60年でしたっけ、小沢から小澤に変えたきっかけはなんだったかな? SF論についても、いろいろディープな話があったんですが・・・。
それはそうと、「ギンガ、ギンガ、ギンガ」と「宇宙戦艦ヤマト」とでは内容に大きな違いがある。なんといっても、小澤作品には女性乗組員はいない。その理由は前述のとおり。乗り込んでいる幼子から老人まで全て男性。西村屋としてはせめて幼子には母親が付いているべきと思うが、本作品では地球を出発時に涙の離別をしている。そして、波動砲もない。超光速で航行中に暗黒星雲を迂回する時の衝撃で船体が損傷し、飲料水を失うという危機が描かれているという。
子供たちが自衛艦に乗っているってのは、どうしても設定に無理があるんだね。だから「さようなら「うらしま」」(全国から選ばれたジュニア・マリン・ジャーナリストが体験航海に招待されているとの設定)でこれだ、と思ったんだ。
そこに3人も乗ってたんだ。海で親をなくした子どもたち、海洋技術者が海上の事故に巻き込まれて死んだとか、船乗りや漁師で遭難したとか、そういう子どもたちもあのとき「よこすか」に招待されていたんだ。それで「うらしま」の事件がきっかけで、707に乗るようになる。707は自衛艦の任を解かれてJAMSTECの深海探査部門に配属されている。それなら、子どもたちが乗っていても不思議じゃない。