■小澤さとるQ&Aその2

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2002年2月8日更新

 2001年11月24日瀧乃家、12月6日JAMSTECでの小澤語録。

・海洋SFはなぜ大ヒットしないのか
 まずは海洋SFはなぜ大ヒットしないのか、いや、SF全体がそもそもヒットしていない、日本じゃ本当のSFは育たない・・・という話題でした。
 先生が別途企画中の子供向けキャラクターで、ほかの星から地球にやってきた女の子(ヒノ子)の話で、その女の子が宇宙のお父さんお母さんと話すシーンを書こうとすると、編集者が「宇宙を入れるのはやめて下さい。現実にあることだけにしてください」と反対するとのこと。
 日本では出版社の力が弱いため冒険が出来ないという。昨今の出版不況はコミックスにまで及んでいるとのこと。

 もっと深めたい話題ですが、それはそこまでとして、

・1960年(70年の間違いだろう)から作品数が激減した理由
 1960年(同上)から急に作品数が激減したのは、やはり長女アイコさんの誕生が関係していたらしい。その前から十二指腸潰瘍で、医者から転業、転地療養を申し渡されていた。

 まったく驚いたことに「サブマリン707」の頃も含めて、先生は漫画家専業だったことはなかった。1983年の交通事故で、会社勤めができなくなるまでの間、新日鐵、東京ガス、日野自動車、日産自動車、横浜造船、千葉銀行・・・(順番はさだかでなし)で、自動化やオンラインのメンテナンスの仕事をしながら、漫画をいろんな人の手も借りて書いていたのだった。

 基本的に、先生は終始、エンジニアが本職で、漫画は副業という感覚に近かったようだ。エンジニアとしての能力は随所に発揮され、レンチだけで組み立てるオモチャの発案、潜水プラモデルのデザイン、フィンレス浮沈機構の考案などをされている。
 のちに、週刊朝日で企業広告漫画(ADコミックス)を発案され、自動車の広告漫画を描かれたが、路面をグリップするタイヤのきしみ、翼端渦のような車体後方気流の表現法などエンジニアならではのセンスが光っている。

 話は過去に戻って、当時、それでもかなり無理がたたって、アイコさんの誕生を機に、身体を大事にするため漫画業をセーブしたのが激減の理由だったようだ。

・茶衣香=カモメの理由
 初めての女の子に、先生は茶衣香(チャイカ)と名付けようとした。女性初の宇宙飛行士、テレシコワが発した「私はカモメ」がロシア語で「ヤー・チャイカ」だった。だから新707で「茶衣香」をカモメと読ませたのね。

 だけど、奥さんや親戚から猛反対されて、衣食住の3文字の中でも重要な意味がある「衣」の字だけ使って「亜衣子」と名付けた。先生は3人の子供がいるが、いずれも付けたい名前を反対されて、違う名前にされた。ちなみに、先生は20才で結婚して27年で離婚、2度目の奥さんとは16年で離婚。現在、独身中。

・小澤作品の絵の秘
 新707の原稿コピーを見たけど、線が美しいですね。これはドイツ式製図法とかいうものを徹底的に練習させられた結果だそうですが、先生の絵は影の付いた立体的表現じゃない、図面的な表現ですね。これを先生は「方向性を持たないスカラーマンガ」とおっしゃっていました。

 私は特に「アジのタタキ編」とか、「707F」の絵が、額に入れて飾りたいぐらい美しいと思うのですが、この「アジのタタキ編」は、YASUさんの報告にもある、早稲田の漫画研究会が線入れしたものとのこと。ただし、西村屋が全小澤作品の中で最も大好きなカモメの乱舞する絵は、先生がリハビリを兼ねて一人で描かれたとのこと。
 「707F」は6〜7割は先生だったが、蛭田 充氏(「仮面ライダー」、「デビルマン」ほか)が手伝われた。

 その他の過去の作品も、自分一人で書いたのはほとんどない。サブマリン707は自衛官出身の増田シンゴさん、青の6号は久松文夫氏(「スーパージェッター」ほか)、そのほか、あだち充氏(なんと小澤先生(「北沢 力」の名)原作でデビュー作「消えた爆音」を描いている)、ながやす巧氏(「愛と誠」ほか)などが手伝ったもの。

 ただし、専属のアシスタントは増田さんぐらいなもの。そのほかは編集者の連れてきた助っ人だった。専属を雇うことはその人の生活について重い責任を負うことであり、それができなかったとのこと。このせいで作品をよくチェックする余裕もなく、また、連載の人気投票競争で無我夢中だったため、間違い/矛盾が多いとのこと(2002年2月3日)。

 この増田シンゴさんには多くのエピソードがある。彼は米第6艦隊のオクラホマシティーにも留学したエリートで、出会った当時は特務艦(レーダーピケット艦)の「わかば」の艦橋士官だった。横浜港で出会って意気投合し、飲み明かして先生の部屋で目を覚ましたら、すでに「わかば」は朝8:00に出港してしまっていた。まあいいやとそのまま先生の仕事を手伝い始めた。船の絵は非常に得意で、707はほとんど彼の絵だったという。
 2、3年?経って、脱走したままというわけにもいかず、小澤先生が付き添って基地に出向いたところ、どういう訳か本人不在のまま佐世保や横須賀などに転属されており、おまけになんと一階級昇進していたという。
 そんな増田さんに大きな不幸が訪れる。実家の工場に手伝いに帰省していた時、プレスで右腕を切断。これが707のアポロノーム中断の秘密だった。小澤先生自身の手で執筆を再開したら、これは小澤先生の絵ではないと抗議の投書が殺到したという。
 詳しくは瀧乃家サイト宣言の「マスダさん」の項を参照のこと。

・トフラーの「第3の波」
 1983年の交通事故では、右手で湯飲みも持てないひどい状態、寝たきりに近い状態の頃、「マンガ世界史」とか「マンガ経済学」などの本が出版されていたころ、先生は日本で最も欠けている文化論を描きたいと、アルビン・トフラーの「第3の波」を選んだ。

 トフラーといえば各国の首脳にもアポイントなしで会えるほどの大物学者。日本エージェントを通じての返事は、マンガで表現できるはずがないと言われ、米国エージェントからも「マンガで第3の波を描くというのは、志に留めて欲しい」との返事だった。

 断られて2年。それでも30枚ぐらいの原稿を中央公論の編集長(だったっけ?)が渡米する際に頼んで、トフラーの家に届けてもらった。トフラーの奥さんがその原稿を見て、夫に取り次いだ結果、編集長?はトフラーのいる部屋に招き入れられ、自分は社会学者で、親日家を自負していたが、マンガがこれだけの表現能力があるとは知らなかった。ぜひ机を並べて仕事をしたい、と自分の不明を詫びた。

 その結果が、3巻の「第3の波」となった。とはいえ、寝たきり状態のころだったので、3巻目は虫プロの助けを借りた。

 というトフラーだが、それでも、富士山の上に立つ日本人の顔を、もっとデッパにしてくれなど、問題もあった。新707の珍さんの顔も、実際の中国人とはかなり違うのでは、という問いに対して、21才の頃、香港に密航したが、その時世話してくれた中国人が、まさにそういう顔だったとのこと。

・編集者の干渉
 新707のハイスキュード二重反転プロペラに、なぜ、ダクトが付いていないかというと、先生としては、今やダクトが付くのが常識と考えていたが、編集者が、アニメにした時に、ダクトでは推進器の動きが見えないから、というので、ダクトを取ったとのこと。

 高校生の頃、手塚治虫より作家は「一頭百尾?」といって、何か表現しようとすると、描きたいことの99%を捨てなければいけないと言われたことがある。編集者からジュニアの発進シーンも、あまりコマを使い過ぎと言われた。しかし、それを省いてまで出版しようとは思わない。

 それから、えーっと腸閉塞が60年でしたっけ、小沢から小澤に変えたきっかけはなんだったかな? SF論についても、いろいろディープな話があったんですが・・・。

・「ギンガ、ギンガ、ギンガ」と「宇宙戦艦ヤマト」
 出版に至らなかった小澤先生の原稿の中に、ヤマトが銀河を航行する「ギンガ、ギンガ、ギンガ」という作品がある。プロデューサーの西崎氏がその原稿の全部に目を通し、そしてのちに松本零士氏とメカニック・デザイナーの宮武一貴氏の手により「宇宙戦艦ヤマト」をTV放映する。
 宇宙を航行するヤマトのアイデアはまざに西崎氏が小澤作品より拝借したに違いない。アイデアを無断借用した西崎氏に小澤先生は憤慨し、その後、出会った宮武一貴氏にも憤慨するが、実は宮武一貴氏はなにも知らなかったことが分かって意気投合し、のちに新青の6号の共同作業となる。

 それはそうと、「ギンガ、ギンガ、ギンガ」と「宇宙戦艦ヤマト」とでは内容に大きな違いがある。なんといっても、小澤作品には女性乗組員はいない。その理由は前述のとおり。乗り込んでいる幼子から老人まで全て男性。西村屋としてはせめて幼子には母親が付いているべきと思うが、本作品では地球を出発時に涙の離別をしている。そして、波動砲もない。超光速で航行中に暗黒星雲を迂回する時の衝撃で船体が損傷し、飲料水を失うという危機が描かれているという。

・OVA版青6
若い人の感性と表現力は素晴らしい。昔の番組はつまらなかった。石原裕次郎とかダサくて見てられなかった。が、最近のトレンディ・ドラマなどの表現、演技、カット・アングルなどうまい。
 青6でも、若い人たちに、まったく新しいものを作ればいいじゃないかと言ったら、いや、青6というタイトルでなきゃだめなんだという。それなら、ってんで全面的に任せて、注文はいっさい付けなかった。原作者はもっと注文付けて良いんだよと人からよく言われたけど・・・。あれは小澤の青6じゃないという反応も多かった。だけど僕は楽しかったよ。

・中島みゆきと浜崎あゆみ
・酒は飲まないけどよくスナックには行く。カラオケは好きだよ。遠軽ではカラオケができないと近所付き合いができない。
 演歌は嫌いだ。その場だけ自分だけの世界に留まっている。中島みゆきの歌は凄い。現在だけ、自分だけに留まっていない広がりがある。「時代」もプロジェクトXの主題歌も凄い。だから歌うのはいつも中島みゆきだ。50にもなったのに、よくああいう歌が作れるねぇ。
 それである時ラジオを聴いていて驚かされたのは、浜崎あゆみの歌。これも広がりがある。"Far Way"も凄い。だから、茶衣香(カモメ)が聴いていた歌にしたんだ。

・707の所属変更
(藤崎慎吾作「2031年、さようなら『うらしま』」の漫画化の打ち合わせで)

 子供たちが自衛艦に乗っているってのは、どうしても設定に無理があるんだね。だから「さようなら「うらしま」」(全国から選ばれたジュニア・マリン・ジャーナリストが体験航海に招待されているとの設定)でこれだ、と思ったんだ。
 そこに3人も乗ってたんだ。海で親をなくした子どもたち、海洋技術者が海上の事故に巻き込まれて死んだとか、船乗りや漁師で遭難したとか、そういう子どもたちもあのとき「よこすか」に招待されていたんだ。それで「うらしま」の事件がきっかけで、707に乗るようになる。707は自衛艦の任を解かれてJAMSTECの深海探査部門に配属されている。それなら、子どもたちが乗っていても不思議じゃない。

・療養時期のこと
 ご自分が運転していた自動車の事故でペンも持てなくなるひどい状態となり、38ヶ月病院をたらい回し。小田原の宗教家を紹介され、疑いの気持ちで赴いたところ回復したとのこと。この時について先生はあまり語らない。この時に無料奉仕で描いた「奇跡の時代」(ネットで調べると「奇跡の時代 淨霊」出版元:世界救世教)は70万部売れたとのこと。


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