2031年、
さようなら「うらしま」

藤崎慎吾

 

 青い宇宙の中に、V字形をした巨大な尾びれがひるがえった。同時に猛獣が吠えているような野太い声が聞こえてくる。実際に海の中にいたら、きっと腹の底にまで響いただろう。ザトウクジラの鳴き声は、そのまま急激に音程を駆け上り、最後には本当の宇宙にまで届きそうな余韻を残して消えた。
 まるでカスタネットを素早く打ち鳴らすような音が、クジラの鳴き声を追いかけてきた。それも上下左右、あらゆる方向から迫ってくる。すぐに数頭のハンドウイルカが視界に躍り出た。カスタネットはクリックス音と言って、超音波の混じった彼らの声だ。
「みんな慌てて、どこへ行くんだろう」
 洋一は、30メートルの水深を進む自律型無人探査機(AUV)に、すっかりなり切った気分で、そうつぶやいた。さっきまでクジラやイルカの説明をしてくれていた海洋科学技術センター(JAMSTEC)のスタッフたちも、今は無言で操縦盤に向かっている。何か困ったことが起きているようだ。
 洋一は期待と不安が半ば入り混じったような気持で、網膜に描かれる映像と操縦室の様子とを交互に見ていた。

 ここは沖縄本島の西にある慶良間諸島の近海――。洋一はAUVの支援母船「よこすか」に乗っていた。まだ3月になったばかりだが、亜熱帯の海には、もう摂氏20度を超える風が吹いていた。
 洋一は全国から選ばれたジュニア・マリン・ジャーナリストの1人として、体験航海に招待されている。他に9人の小中学生が「よこすか」に乗りこんで、海洋観測や無人探査機の操縦などを見学したり、実際に自分でやってみたりしていた。
 7日間の日程で今日が最終日。昨日は海が荒れて、ほとんど船の中に閉じこめられていたが、今は空も明るく、海は多少うねっている程度だった。
 洋一たちは「よこすか」の船上にあるAUVの操縦室に集まり、壁ぞいに並べられた椅子に座って、「バイザー」というサングラスのような装置をつけていた。バイザーには、網膜に直接映像を映す網膜ディスプレイと、骨を振動させて聴覚神経に音を伝える骨伝導レシーバが組みこまれている。いずれもAUVから送られてくる映像や音を、リアルに体験するための装置だ。
 そしてAUVの名前は「うらしま」。約30年前の西暦2000年に開発された。それまでは支援母船とケーブルでつながれた有索の無人探査機が主流だったが、「うらしま」はケーブルなしで自由に海中を航行できる最新鋭の探査機だった。長さ9.7メートルの魚雷形で、空中重量7.5トン、最大潜航深度3500メートル、航続距離は300キロメートルだ。
 もともとは長距離を航行可能なAUVの試験機として開発された「うらしま」は、30年の間に様々な海を渡り歩いてきた。北極の氷の下で海水を採取したり、海底火山の火口に降りたり、海溝に沈んだ船を探しに行ったりした。また2004年に完成した地球深部探査船「ちきゅう」が海底を掘削するときには、色々な支援活動を行ったりもした。
 やがて航続距離1万キロメートルの本格的な深海巡航探査機が開発されたとき、試験機としての「うらしま」は別の役目を与えられることになった。それまでの「うらしま」は、あらかじめプログラムされたスケジュールに従って航行するだけだった。進んでいる方向が正しいかどうかや、障害物を回避するといった判断くらいはできたが、それ以上の「知恵」はなかった。しかも支援母船の存在を除けば、常に単独で行動した。
 今の「うらしま」には学習機能を備えた人工知能が搭載されている。人間からこと細かな指示を受けなくても、独自の判断で調査や観測を行うことができた。そして同じように人工知能をもつ他の探査機と超音波で「会話」しながら、協力して作業をすることもできる。海の知的ロボットとして「うらしま」は海中牧場のカウボーイ役や海底基地の建設、メタンハイドレートの採掘などにも活躍した。
 しかし機械といえども年を取る。老朽化で様々な障害が出始めた「うらしま」は、「りゅうぐう」や「おとひめ」といった次世代ロボットに道をゆずり、現役を引退した。そして今は海洋科学に興味を持つ青少年のために、海中世界への案内役を買って出ているのだ。
 今日も「よこすか」のAフレームクレーンで海に下ろされた「うらしま」は、水面を跳ねるようにしながら一周し、まさに水を得た魚といった感じで潜航を開始した。そしてバイザーをつけた10人の子供たちに、リアルタイムで映像や音を送っている。
 水中では電波が使えないので、ケーブルを持たないAUVからの情報は、全て超音波に乗せなければならない。30年前に開発された当初も「うらしま」には音響画像伝送装置が搭載されていた。これによってテレビカメラが撮影した画像を、6秒ごとに1枚送ることができた。
 情報圧縮技術の進歩で、今では1秒間に30枚送ることができる。これなら水中の映像をケーブルで伝送して見るのと、ほとんど変わらない。しかもパッシブソーナーつまり水中マイクでとらえた音までついている。船の上にいながらにして「うらしま」が何を見聞きしているのかが、瞬時にわかるのだ。これはもう自分がAUVになって水中を散歩しているようなものだった。
「うらしま」の「目」を通して、洋一はきらめく海面を下から見上げた。それがだんだん遠ざかっていくと、まるでカーテンのように広がる光の筋に囲まれた。やがて海面が見えなくなると、あたりは青い靄に包まれ、どちらが上だか下だかわからなくなってしまった。
 テレビカメラによる映像には、前方障害物回避ソーナーとサイドスキャンソーナーでとらえた海底地形を3次元の映像にして合成することもできる。すると水が濁っていて実際には数メートル先しか見えない場合でも、半径100〜200メートルにわたる景色を「音像」として眺めることができた。こうなると、まるで未知の惑星上を探査するロケットのような気分だ。
 洋一たちは水深30〜60メートルくらいの海中を、20分ほど散歩した。それから、いよいよ200メートルを超える深海へ出発しようとしたとき、突然、猫がかん高く鳴くような声が聞こえてきた。すると、ただ青いだけだったテレビ映像の中に、口の細長いイルカたちが姿を現した。
「ああ、やっぱり今日も来たか」
 今回の体験航海を企画したというJAMSTEC普及・教育部の磯崎部長が、うれしそうに声を上げた。洋一の祖父にほど近い年齢で、日焼けした顔に白髪がよく似合う。もともとは技術者で、AUVの開発にも携わっていたらしい。「うらしま」に人工知能を載せたのも磯崎部長だ。
「見ているかい、みんな。前を泳いでいるのはハンドウイルカの群れだよ」
 愛嬌のあるしぐさに、洋一の口もほころぶ。
「今日も、っていうことは、いつも来るんですか」
 誰かが質問した。
「そうなんだ。海域にもよるけど『うらしま』が潜ると、たいていと言っていいほどイルカたちが寄ってくる。三宅島沖の海中牧場で働いていたころなんかは、ほとんど一日中、イルカの群れに混じっていたよ。どうやら仲間だと思われているらしいんだな。沖縄でもよくデモをしているから、このへんのイルカとも親しいはずだ」
 予定を変更して「うらしま」は、そのまましばらくイルカたちと遊んでいた。頃合を見てJAMSTECのスタッフは、改めて深度を下げるよう指示を出した。
 異変が起きたのは、そのときだった。「うらしま」が指示に従わなかったのだ。
 深度を30メートル前後に保ったまま、AUVはイルカたちの後を追い始めた。方向も本来、予定されていたコースとはちがっている。超音波による通信で、もとに戻るよう指示すると、一瞬、ためらうように停止した。しかし、すぐにまた全速力でイルカについていこうとする。
「どうなっているんだ、いったい」
 磯崎部長が、スタッフの1人に声をかける。
「わかりません。こんなことは初めてです」
「イルカたちが、さかんにクリックス音を出しているな」
「強制的に自律航行モードを切りましょうか」
「いや、ちょっと様子を見てみよう」
「でも、あまり燃料を積んでいませんから、遠くへ行かれないようにしないと……」
「クリックス音って何ですか」
 洋一が遠慮がちに口を開いた。
「ああ、イルカには2種類の声があってね。一つはホイッスル音という口笛のような声で、主に仲間どうしの会話に使われている。もう一つがクリックス音で、ほとんどは人間には聞こえない超音波だ。これはソーナーのようなもので、餌をさがしたり障害物を避けたりするのに使うと言われている。しかし、すぐそばにいる『うらしま』に向かってクリックス音を出しているのは、なぜなのかなあ」
 やがて「うらしま」の前方障害物回避ソーナーに、巨大な物体が映し出された。テレビカメラにも、ぼんやりとした黒い影としてとらえられている。体長15メートルにもなるザトウクジラだった。まるでペンギンの羽みたいに長い胸びれが特徴だ。イルカたちは、そのクジラにつき従っているようだった。
 クジラが時々、歌うように鳴く。すると間髪を置かずにイルカがクリックス音を発した。
「なんだかクジラがイルカに話しかけて、それをイルカが『うらしま』に伝えているみたい」
 女の子の声がした。
「うん。クジラとイルカが『うらしま』に、こっちへ来いって言っているんじゃないかな」
 洋一もつけ加えた。
「なるほど。それは面白い見方だね」
 磯崎部長が答えた。そしてスタッフの1人に言った。
「どうだろう。超音波コマンドリンクにイルカが割りこんで『うらしま』を乗っ取った、なんていうことはありうるのかな」
「まさか……と言いたいですが、イルカの能力については、まだ完全にわかっていませんからね。我々が超音波で出す指示をおぼえて、声で真似することができれば可能なのかもしれません」
 クジラとイルカ、そして「うらしま」で構成される奇妙な群れは、慶良間諸島沖を、さらに南へと下っていった。

 異変が起きてから、約1時間が経った。相変わらず「うらしま」は、クジラやイルカの後を追っている。イルカは時々、交代で水面に上がり呼吸をした。クジラも2回ほど浮上して、潮を吹いた。
「磯崎さん。そろそろ引き返させないと本当にまずいです」スタッフが言った。「デモンストレーション用に、燃料は少ししか積んでいませんから」
「そうだな。やっぱり『うらしま』は言うことをきかないか」
「ええ。さっきも帰還指示を出したんですが、一瞬、立ち止まる程度で、すぐにまたイルカを追いはじめます」
「じゃあ仕方がない。自律航行モードから音響遠隔制御モードに切り替えよう」
 その時だった。今までは、ぼんやりと青かった洋一の視界が、突然、暗くなった。
「あれ、ちょっと待て」磯崎部長が声を上げる。「今、機首を下げなかったか」
「ええ、急に潜航し始めたようです。現在の水深は40メートル……50メートル……60メートル……どんどん潜っていきます」
「何があるというんだ、いったい」
 操縦室の中がざわめく。
「どうします? 今、切り替えますか」
「……いや、もうちょっと待ってみよう」
「燃料は、あと1時間もちませんよ」
「ああ、わかっている。だが『うらしま』は、何か考えがあって行動しているように思えるんだよ」
 海はどんどん暗くなっていく。水深100メートルを超えると、いちばん前を行くクジラの姿は、全く見えなくなった。太陽光がじゅうぶんに届かないので何となく寒そうだが、水温はまだ18度くらいだ。
 突然、目の前が明るくなった。「うらしま」が水中ライトをつけたらしい。白い雪のようなものが、ちらちらと舞っている。イルカたちのつややかな背中も浮かび上がった。さすがにクジラまでは光が届かない。しかしソーナーには、黒い影がはっきりと映っていた。
「磯崎さん」スタッフの1人が言った。「船長がお話ししたいそうです」
 インターホンのディスプレイに、口鬚を生やしている「よこすか」船長の顔が映った。
「さきほど横須賀から連絡が入りました。今朝未明、沖縄本島南沖でシンガポール船籍のタンカーが座礁し、行方不明になっているそうです。その捜索と原油流出対策に協力してほしいと、海上保安庁からJAMSTECに正式な要請が来ました。今、その海域にもっとも近い場所にいるのが我々です。もしかしたら捜索に『うらしま』を使うかもしれません。申し訳ありませんが、デモを中止していただけませんか」
 磯崎部長は船長の言葉を聞いて、目を見開いた。
「……そうか」
「磯崎さん、聞いてますか?」
「船長、デモを中止する必要はないと思う」
「何ですって」
「おそらく『うらしま』はもうタンカーを発見しているよ」
 まさに磯崎部長がそう答えたとき、ソーナーによる3次元映像に人工物らしい物体が浮かび上がった。それは水深約200メートルの海底に、半ば埋もれているように見える。いちばん先に、そこまで到達したクジラは、人工物の上を一巡りすると浮上し始めた。そろそろ呼吸しなければならないのだろう。ここはザトウクジラが通常潜水する深度をはるかに超えていた。次にイルカたちも1頭、また1頭と、水面に向かって泳いでいく。
 暗い海の中に「うらしま」だけが取り残された。
「クジラが発見してイルカに知らせた。そしてイルカが『うらしま』に助けを求めた……ということかな」
「信じられませんが、そういうストーリーに見えますね」
「『うらしま』とイルカは、お互いに言葉を学習し合っていたのか? 我々、人間が気がつかない間に……」
 人工物の一部が「うらしま」のテレビカメラにとらえられた。どうやらタンカーにまちがいないようだ。左舷を下にして、泥の中に少しめりこんでいる。「うらしま」は船体の周囲を、ぐるりと一巡りした。甲板上左舷側タンクのマンホールが開いて、そこから油が漏れ出している。また右舷側タンクの一つに亀裂が入って、そこからも油が漏れているようだった。
「まずいな。早く油を止めないと、海が広範囲に汚染されてしまう。慶良間のサンゴ礁も大打撃を受けるかもしれないぞ」
 突然「うらしま」のスラスタが高速に回転し始めた。タンカーの姿が視界から消える。サーチライトが何もない闇をなめていったかと思うと、白っぽい泥が目の前に迫ってきた。まるで、そのまま突っこんでいきそうだ。子供たちが悲鳴を上げる。しかし「うらしま」は、ぎりぎりのところで姿勢を水平に戻した。
 再びタンカーの船体が見える。カメラが中央にとらえているのは、半開きになったタンクのマンホールだった。蓋も口も3分の1ほどが泥の中に埋まっている。黒い原油がボールのようになって口から吐き出されては、水面へと浮び上がっていた。
「うらしま」はゆっくりとマンホールに近づいていく。そして、ついにテレビカメラはピントを合わせられなくなってしまった。「うらしま」はマンホールの蓋に頭を接触させたらしい。そのまま、またスラスタを全速力で回転させ始めた。
「蓋を押して閉じようというのか」
 磯崎部長がつぶやく。しかし蓋が泥にめりこんでいるせいか、なかなか進まないようだった。スタッフが声を上げる。
「まずいですよ。この出力でずっと蓋を押し続けていたら、燃料が、あっという間になくなってしまう」
 バイザーの骨伝導レシーバを通して、モーターのうなり声が聞こえてくる。まるで悲鳴を上げているようでもあった。それでも蓋は、ごくわずかずつしか動いていない。
 急にモーターの音が弱まった。しかし、すぐにまた回転数が上がり始めた。蓋が遠ざかっていく。どうやらスラスタを逆回転させて後退しているらしい。そして10メートルほど離れたところで止まると、再び猛然と前へ突進していった。マンホールの蓋が、みるみる近づいてくる。
 ごおん、という音が水中に響き渡った。
「なんて事を……体当たりして蓋を閉めようとしているぞ」
「磯崎さん、遠隔操作に切り替えましょう。このままじゃ燃料切れになるばかりか、『うらしま』が壊れてしまう!」
 そう言葉を交わしている間に後退していた「うらしま」は、また全速力でマンホールに突っこんでいった。再び、ごおん、という音。
「そ、そうだな……切り替えるか」
 かすれた声で磯崎部長が答えたとき、洋一の口から思わずこぼれ出た言葉があった。
「がんばれ……『うらしま』」
 しいんとした操縦室内に、その言葉がゆっくりとしみわたっていった。やがて別の少年が声を上げた。
「『うらしま』がんばれ!」
 すると堰を切ったように、子供たちが口々に叫び始めた。
「がんばれー、うらしまあ」
「負けないで!」
「もう少しよ」
 磯崎部長はスタッフと顔を見合わせた。操縦室内は、10人の子供たちの声援で割れんばかりだった。
「ど、どうします?」
 スタッフが困り果てた様子で聞く。磯崎部長は、しばらく考えた末、答えた。
「この30年間、文句一つ言わずに働いてきた。……好きなようにさせてやってくれ。それに今から引き上げて燃料を補給し、再び潜らせるなんてことをやらせているうちに、油は全部漏出してしまうかもしれない」
 子供たちの声援が届いたのか、「うらしま」は果敢に体当たりを繰り返している。蓋と口の隙間は、もうあと指1本だった。それでも油は平たい固まりになって、すり抜けていく。
「うらしま」は最後の突進の準備に入っていた。機体が左右に揺れている。カメラの映像にノイズが走っていた。
 モーターの音が高まる。「うらしま」が疾走を開始した。迫ってくる蓋の映像が、振動でぶるぶる震えていた。
 ずこん!
 今までとは明らかにちがう音がして、蓋はマンホールの口に収まった。
「やったあ!」
 子供たちは椅子から立ち上がって歓声を上げた。磯崎部長やスタッフも、思わずこぶしを振り上げていた。
 それでも「うらしま」は止まらなかった。姿勢制御装置が故障したのか、ふらふらと左右に頭を振りながら少し浮上する。そして今や壁のように立ちはだかっている甲板を、マストや手すりにぶつかりながら、右舷へ移動していった。
 テレビカメラに亀裂の入ったタンクが映る。ささくれだった金属の裂け目が迫ってきた。衝撃音に続いて、がりがりと何かが引っかかれるような音が響く。最後に映像がひと揺れして、ようやく「うらしま」は動きを止めた。
 操縦室では皆が口を半開きにしていた。
「亀裂の上に乗った」磯崎部長が、ようやく声を出した。「自分の体で穴をふさいだのか」
「何てやつだ」
「燃料はまだあるのか」
「いいえ、もうほとんど空です。バラストを落として浮上するくらいのことは、できるでしょうが」
「……どうせ落とせと言っても、落としはしないだろう」
 映像のノイズがひどくなってきた。現場のものとは思えない風景が、断片的に混じっている。その中には銀色に輝く魚の大群や、親子連れのクジラの姿があった。微笑みかけるイルカの顔や、並走する仲間のAUVがあった。そして磯崎部長や子供たちの笑顔も……。まるで30年の生涯を振り返っているようだった。
「『うらしま』は、死んでしまうの?」
 洋一が磯崎部長の袖をつかんで言った。
「『うらしま』は我々が思っていたより、ずっと頭のいい機械だった。だから、もうすぐ自分が完全に引退しなければならないことを知っていたんだ」部長は洋一の肩を抱いた。「でも他の潜水船や探査機のように、倉庫の片隅で眠りにつきたくはなかった。
『うらしま』は友だちのクジラやイルカが暮らす海を守るために、命を投げ出すことを選んだんだよ。もうすぐ定年になる私には、その気持がよくわかる。『うらしま』は死に場所を見つけたんだ。うらやましいよ」

 夕方、子供たちを乗せた「よこすか」は、那覇港に到着した。出迎えた父親に、洋一はさっそく「うらしま」の話を語って聞かせた。空は桃色に染まり、港には潮の臭いがする暖かいそよ風が吹いていた。
「そうか。『うらしま』は本当に海が好きだったんだね」
 洋一の話を聞き終えた父親は、そう言って微笑んだ。
「僕は大きくなったら海の研究者になるよ」洋一は空に溶け始めた水平線を見つめている。「そして『うらしま』みたいに世界中の海を旅して、いろいろな景色を見たり、いろいろな生き物と友だちになりたいんだ。そして『うらしま』が大好きだった海を守る仕事がしたいな」
 ついさっきまで洋一が乗っていた「よこすか」は、いつの間にか無数の明かりに彩られていた。しかし「うらしま」を海に下ろしたAフレームクレーンは、黒いシルエットになって斜めにそびえている。少し寂しそうに夕焼け空を眺めているようだった。

(終)

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