■6,500m潜水調査船「しんかい6500」/支援母船「よこすか」システム誕生物語

(1986.7.10、プロメテウス、第53号ほか)


2007.4.4 撮影:西村

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2012年11月12日更新
 日本の6,000m級潜水調査船は、1970年の海洋科学技術審議会(現在の海洋開発審議会)で開発の必要性が答申されたのを端緒とする。しかし一気に誕生とはならず、まず、技術的中間段階として2000m潜水調査船で建造経験を積むこととなり、1981年10月に「しんかい2000」として完成した。そして構想から20年を経た1990年4月に悲願の「しんかい6500」が完成、順調に運用され、1999年に500回潜航を達成した。
 「しんかい6500」は、フランス(Ifremer)の「ノチール(NAUTILE)」(1984年に完成)、ロシアの「ミールI&II(MIR)」(1987年に完成)がいずれも潜航深度が6,000m、米海軍の「シークリフ(SEA CLIFF)」(1970年完成)が1983年に耐圧球を高張力鋼からチタン合金に換装して潜航深度6096mとなったのに対し、さらに400m上回り、有人潜水調査船としては最も潜航深度が深い。
 建造着手当時の予算担当者として、その誕生には大変苦労した。その頃の思い出を以下に紹介する。
■耐圧球の材料は?
 耐圧球の材料について、当時すでに完成していた米「シークリフ」、仏「ノチール」ともにチタン合金である。
 比強度の高いチタン製耐圧球は水中重量が負となって浮力材を要しない。すると耐圧球より前方のシンタクチック・フォームを少なくでき、観測窓の上の突出量を少なくできる。深海調査では、地層が露出した崩落崖の斜面がしばしば観察対象となるが、高張力鋼を採用すると耐圧球の前方に設ける浮力材が邪魔となって、観察窓が斜面に十分接近できない場合がある。
 一方、チタン製は高張力鋼に比べて耐衝撃性に劣る。シークリフに当初、高張力鋼(HY-100)が採用されたのは、機雷処理など軍事行動での配慮ではないかと言われている。海洋科学技術センターの高圧水槽実験棟に耐圧球の縮尺モデルの圧壊試験結果が陳列されているが、高張力鋼とチタン合金とで破壊の様子が異なり、チタン製は硬いが脆いという懸念を感じさせる。
 この心配に対し、基本設計に入る前に縮尺モデルによる1500回の低サイクル疲労試験及び圧壊試験が行われ、十分安全であることが確かめられて、チタン合金(Ti-6Al-8CoELI)の採用が決定された。
■潜航深度は?
 開発構想が持ち上がった古くから、海溝部を除く全海底に到達しうる6,000mが目標水深であり、海外の潜水調査船は潜航深度6,000m〜6,096mである。
 しかしながら、基本設計段階に移ろうとする段階に至って、研究上の意義を評価する際、それまで重要なミッションであった低レベル放射性廃棄物の海洋投棄という政策が放棄された時期にあたり、6,000mもの潜航能力が必要かとの疑問が投じられた。
 一方、三陸津波(1896年、死者26,360人)、昭和三陸津波(1933年、死者2,995人)の発生が6,000mを超えた海域にある断層である可能性が指摘された。すなわち、太平洋プレートが日本海溝に沈み込む際にプレートの曲率の最も大きい水深6.000〜6,500mの地点で大断層がいくつも発生している。このことから、潜航深度として6,500mが選ばれることとなった。
 「しんかい6500」は開発要素をいろいろ盛り込んだこともあって海外の6000m級よりも建造費が高くその説明に苦慮していたが、世界一の潜航深度ということで説明しやすくなったという副次的効果もあった。

 余談であるが、船名について当時から「しんかい2000」との関係から「しんかい6500」が公募で選ばれる可能性が高いと推測されたため、英語の呼び名が"Shinkai six thansands and five hundreds"となると面倒。どうせなら7,000mにできないかと関係者内で論議された。耐圧球の安全率が「潜航深度の1.5倍+300m」となっているうちの300mは旧規則との整合のために付け加えられたものであり、これを除くだけでも6800mまで潜航深度が増える。
 しかしながら、これは実現しなかった。その大きな理由として、深海用の各種機器の規格が10000psi(Pond per square inch)=703kgf/cm2であり、これは水深6700mぐらいであるからとのこと。実際、耐圧試験でも6500mを越えるあたりで不具合が出るものが多かったようである。

■小型・軽量化の努力
 耐圧球の内径を2.1mから、当時の潜水船特殊規則からの要求値を下回る2.0mにされた。電気機器は「しんかい2000」では3つの耐圧容器に収められていたが、「しんかい6500」では極力油漬けとなり、耐圧容器1個に収められるようになった。コンデンサだけは圧力によってコンデンサ容量が変化してしまうため、油漬けが不可能とのこと。推進用モーターは「しんかい2000」と同じインバータの必要な交流方式であるが、当時としては直流モーターの回転数制御が難しかった事情があった。
 このほか「しんかい2000」また実物大モックアップを作って非常に高密度な艤装が行われた。
■観測窓の配置は?
 もうひとつ大きな論議になったのは、3つの観察窓をどう配置するかという問題である。しんかい6500の観察窓は内径12cmであるが、その周囲が補強部になっていて、耐圧球に配置できる窓の数とその間隔には制限がある。
 当時、米「アルビン」と「シークリフ」は前方に主パイロットのための窓を1つ、その左右に副パイロット及び研究者用の2つの窓を配置している。結果的に左右の視野が広くなるように3つの窓が配置されている点は安全性の点で大きな利点であるが、3人の共通視野はなく、特に研究者は、観察に最も有利な前方の視野が得にくい。
 一方、「しんかい2000」及び「ノチール」では副パイロットと研究者の2つの窓を前方に並べて配置しており、副パイロットと研究者は前方の視野を共有できるが、主パイロットは直接窓を覗くことができない。研究者が前方の視野を有するのが大きな利点であるが、結果的に左右の視野は狭い。

 当時、海底火山域の複雑地形の中での熱水活動の探索が重要なミッションだったため、主パイロットの視野を確保して操船性を高め、かつ、左右の視野も広げて探索及び安全性を確保する面では、アルビン型が有利である。
 一方、研究面では崩落崖などの急斜面に頭を付けるようにして近接して観察するという面では、ノチール型が有利である。
 これらは全く質の異なる選択枝であったが、当時としては探索能力を重視する上で操船性と安全性は何物にも代え難いということで、アルビン型を選ぶという苦渋の選択結果となった。この点を「しんかい6500」乗船回数最多の研究者である藤岡換太郎さんに伺ったところ、パイロットに言えば正面の窓から見せてもらえたのであまり気にならなかったとの話。少し安心した。  ミールの場合、耐圧球の内径が2.1mと大きめで乗員の配置に余裕があることもあって、正面に内径20cm!の窓、その両側の内径10cmの窓との共通視野が大きくなっている。窓の補強部の設計方法も「しんかい6500」よりスマートなのかもしれない。

■下降・上昇速度を増大させるために
 「しんかい2000」では、水深2,000mまでの下降・上昇にそれぞれ1.5時間を要し、そのままだと6,500mまで往復だけで9時間以上を浪費してしまって調査時間が取れなくなってしまう。
 下降・上昇速度を2倍に増やすため、船体断面形状を円形から縦長の楕円形に、また、左右に突き出ていたスラスタを船体埋め込み式に変形するなど抵抗を減らす船型改良が行われ、往復だけに要する時間を5時間へとほぼ半減することに成功した。
 また、30度程度のトリムを付けて(船の頭を上げ下げして)螺旋状に降下・上昇する方法が検討されたが、大きなトリムを付けるために必要な重量を、下降・上昇のためのバラストの積み増しに回した方が効果的であることが分かり、従来通りの方式となった。
■垂直尾翼が後退翼になっている理由
 「しんかい2000」の尾翼は直立だった。ノーチールのかっこよさに比べてダサイ。三菱重工の担当者に相談。いずれプラモデルも発売されるかもしれない。子供たちにも人気が出るように格好良くできないか。例えばスペースシャトルの尾翼みたいにするとか。ただし合理性がないとダメですよと話したら、いや揚力中心が後ろになるから安定化モーメントは大きくなるし・・・、ということで検討された。尾翼後端がちょうど推進器の後端と一致するようになっており、推進器に索などが巻き込まれにくくするという理屈が付けられている。

 ついでながら、昇降搭の形状、位置も後退翼とバランスのとれたものとなっている。これもサイズの大きい国産観測ソーナー収納するということでちゃんと合理的である。たたこの観測ソーナーはパイロットたちには不評だったようで、ペイロードも食うことから、その後、外国製前方障害物ソーナーに換装された。

■民間資金の導入
 「しんかい6500」の最大の難関は予算である。125億円の建造費を認める代わりに、海洋科学技術センターの毎年の賛助会費を1億円増額させることが条件となった。海洋開発の商業的市場が一向に拡大しない状況での1億円もの会費増収は極めて困難な条件であった。
 この条件をクリアーするために、当時の海洋科学技術センターの関係者は大変な苦労をした。経団連を通じて民間に協力を呼び掛けるとともに、会社訪問では総会屋と同じようにあしらわれたり、競輪や競艇の補助金の増額でも大変な苦労をしている。
■その他の開発課題
 ●電子ビーム溶接
 「ノチール」の耐圧球は2つの半球をボルト締めする方式だったが、「しんかい6500」では電子ビーム溶接法及び3次元機械加工法が開発され、真球度が「しんかい2000」の1.07から1.01以下に抑えられた。
 ●耐圧球の直径
 「しんかい2000」では直径2.2mだったが、「ノチール」と同じ2.0mジャストに小型化された。
 ●浮力材
 高圧下ではマイクロバルーンという微小な中空ガラス球を合成樹脂で固めたシンタクチック・フォームという浮力材が用いられる。「しんかい2000」では比重0.54のシンタクチック・フォームが用いられたが、6,000m級の強度を持たせると比重が低下してしまう。「しんかい6500」では、従来のマイクロバルーンの隙間にさらに小さいマイクロバルーンを充填したバイナリー・シンタクチック・フォームが開発され、ほぼ同じ比重(0.53)のまま強度の向上(破壊深度13000m)を達成している。
 ●救難装置
 「しんかい2000」では浮上不能時に海面まで係留ブイを浮上させる救難装置が開発された。6,000m級になると、ブイの係留ロープが長くなって救難装置が実用的サイズに収まらないため、ブイを海面まで到達させずに、海底から数百m(ぐらいだったと思うけど)だけ浮上させ、そのブイ及び係留ロープを海上から絡め取る方式が採用された。
 この海上からの絡め取り装置は、ケーブル、錘、八目錨を組み合わせた、むしろ漁具と言ってもよいもので、これを海底に垂らしたまま母船を螺旋状に操船し、救難ブイを絡め取る。
 この方式は、その後、音響切り離し装置が作動しなくて浮上しないトランスポンダーの回収で実績を積んでいる。
■支援母船「よこすか」
 「しんかい6500」以上に難産だったのは、支援母船「よこすか」である。
 当時、「しんかい6500」の母船としては、「しんかい2000」の母船「なつしま」を使用する方針であった。そもそも「しんかい2000」は6,000m級潜水調査船の技術的中間段階であるから、「しんかい6500」が完成すれば、「しんかい2000」を廃船すべきとの議論すらあった。
 海外の潜水調査船も、「なつしま」ほど充実した専用母船を持つものはなく、仏「ノチール」の母船「ナジール」などは、外洋タグにコンテナ倉庫を積んだだけの貧弱なものである。
 このため、「しんかい6500」の建造要求の際には、この専用母船の話はご法度ということで、「しんかい6500」の建造着手が認められている。

 ところが、「なつしま」では、「しんかい6500」の電池整備やオーバーホールの期間を「しんかい2000」に当てても潜航回数がごくわずかにしかならない。もっと問題なのは、「しんかい6500」搭載のための「なつしま」の改造工事及び「しんかい6500」の試験潜航のため、せっかく軌道に乗り始めた「しんかい2000」による調査研究を2年間も中断させなければいけないことが一番の問題である。
 それから、「なつしま」では6,000m級の外部救難装置を搭載する余地がないことも大きな問題であった。

 そこで、まずは「しんかい2000」でどんどん成果をあげるため、それまでの省庁割り当て方式から、重要海域に潜航回数を集中させる方式に変更し、広報活動にも努力した(「しんかい2000」誕生秘話■学問を横断する総合研究と■「フォーカス」の一枚参照)。

 次に、「なつしま」に「しんかい2000」と「ドルフィン-3K」を同時搭載する改造工事を行い、安全確保のためには潜水船と母船と無人機の3点セットが不可欠であることを強調した(「しんかい2000」誕生秘話■幻の「しんかい2000」救助作戦参照)。

 さらに、突飛な案として、当時、宇宙開発事業団で必要性が検討されていたダウンレンジ船との兼用が議論された。当時は種子島からのロケット打ち上げには太平洋上での指令制御かなにかを行うダウンレンジ船が必要とされていた。そこで、「しんかい6500」のオーバーホール期間にダウンレンジ用の巨大なパラボラ・アンテナを搭載する技術的検討も行われた。

 この3つの作戦が功を奏して専用の支援母船「よこすか」が誕生することとなった。
 「しんかい6500」の圧壊深度である1万mまでの事前調査・救難装置(のちの「かいこう」)を搭載する専用母船の一般配置図を初めて見た時にはその大きさに驚いたものである。今でこそ長さ100mの母船は大きすぎるものではないが。
 このサイズなら船速も16ノット(「なつしま」は12ノット)となり、外洋での潜水調査も十分に行えることになる。

 幸いにもその後の技術進歩によってダウンレンジ船の必要性が弱まって、巨大パラボラを搭載する案は幻で終わった。

 着水揚収方法として2点吊りがいいか1点吊りがよいか検討されたが、1点吊りでは前後の揺れが大きくなることから2点吊りが採用された。1点吊りのアルヴィンでも母船船尾に追突する事故が起き、母船とアルヴィンとの間で数本の索を取る方法に改められたとのこと。

 この「よこすか」には、当時、米国SeaBeam社の製品の採用が検討されたが、当時は高価だったため、自主開発の国産マルチナロービーム音響測深機(HS-10、古野電気)が搭載されることとなった。現在は、SeaBeam2112に換装されている。

■「しんかい6500」の改造
 2003年度末のオーバーホールで、銀亜鉛電池がリチウムイオン電池に換装された。これで寿命が2倍(2年)になり、また数ダイブ毎に必要だった完全充放電という手順が不要となり、潜航回数を増大させることが可能となっている。

 運航停止となった「しんかい2000」と「ドルフィン3K」にのみ搭載されていた新スーパーHARPハイビジョンTVカメラの6Kへの搭載が切望されていたが、6500m仕様の新スーパーHARPの耐圧容器が過大でチルト・回転可能なように搭載することができず、しかも、乗員が乗っている耐圧殻内に引き込む貫通コネクタがハイビジョン対応ではないために長らく実現しなかった。
 ところが、2011年8月には視点固定式1台及び可動式1台のフルハイビジョンカメラが搭載された。
 さらに2012年3月に大幅な改造工事が完了し、1基だけだった主推進機(旋回式)が2基の小型で応答性のよいスラスタ(固定式、直流ブラシレス電動機)に換装され、また船尾部に横向きスラスタが増設されてジョイスティックによる横移動操船が可能となった。
 その際、横方向の抵抗軽減のため、尾翼が小型化されている。

 将来的なさらなる改造又は新造の夢として;
・照明をLEDに換装して照度をアップし、展長アームに照明を置くことでハレーションを防ぎ、高感度CCDと高照度LEDの組み合わせで被写回深度の深い高解像度映像が取れるようにする。
・耐圧殻を2人乗り(研究者と1パイロット)、2つ窓(共通視野のもの)として内径を小型化する。このためには使い捨て光ファイバー接続で潜航中・海底での副操縦士の役割を船上から代行する。浮上時は光ファイバーは切り離す(UROV方式)。
・これによって船体全体も小型化し、浮力調整用の海水バラストタンクと海水ポンプを大容量化し、投下バラストによらない潜航とし、可逆潜航、中層停止を可能とする。

=>海の底でデジタル機器を操る潜水調査船パイロット>第1回第2回第3回第4回(「しんかい6500」パイロットの櫻井さんへのインタビュー)
=>潜水調査船「しんかい6500」利用者の手引き(JAMSTEC研究業務部、PDFファイル)

=>NIRAI KANAI航海()


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