■「しんかい2000」誕生物語

−1998年4月11日沖縄県伊平屋島沖での1000回潜航達成を記念して−

<「しんかい2000」、2002年11月11日の潜航を最後に運休。
1981年10月完成以来、潜航回数1411回、合計潜航時間7528時間>

(1998.10、"潜水調査船『しんかい2000』1000回潜航記録"より)

西村屋トップメニュー>地球システムの科学>深海に挑む技術
 
2000年5月21日更新

■深海調査と亡失事故

 私と「しんかい2000」との出会いは、今から12年前、「しんかい2000」の試運転時から悩まされた電線コネクタ絶縁不良の問題がようやく片付いて、本格的な研究潜航が順調に進み出した頃です。海洋科学技術センター(JAMSTEC)の担当となったその日は、500m無人機(ROV)の「ホーネット500」の亡失事故で深夜まで慌ただしい状態でした。その後もあまり間を置かずに鬼界カルデラで深海曳航体の亡失があり、「海洋では亡失はつきもの」とまず頭に刷り込まれました。
■幻の「しんかい2000」救助作戦
 「しんかい2000」の浮上不能事故を想定し、すでに米海軍のROVのCURV-IIIギャラクシーで空輸する手順もJAMSTECで作られていて、そのための日米間での文書の取り交わしについて外務省との相談が行われているところでした。この方法によって「しんかい2000」の船内生存可能時間内に救助できるかを突き詰めていくと、どうしても不確実性があると言わざるをえません。それが「しんかい2000」/「なつしま」/「ドルフィン-3K」、そして、「しんかい6500」/「よこすか」/「かいこう」(UROV-7K)のいわゆる3点セットの考え方が生まれた背景にあります。

 これはほんの一例に過ぎないのでしょう。「しんかい2000」が人身事故なく1000回潜航を達成したことの裏には、関係者の安全性確保について、もっと多くの苦労の積み重ねがあったものと思います。

■学問を横断する総合研究
 「しんかい2000」は、それから深海という新領域で学問を横断する総合研究という新しい分野を生み出しました。当初は各省庁別に潜航回数を割り当てテーマ募集する方式でスタートし、JAMSTECは「深海調査手法の研究」という位置付けでした。それを、プレート境界海域、海底火山域などのキーエリアを設定してテーマ募集する方式に転換したのがこの頃です。
 これによって、キーエリアに潜航回数を集中させ、固体地球分野と生物・化学などの分野が協力した領域横断的な研究を可能としたことで、その後の「しんかい6500」、海洋地球研究船「みらい」の利用方法にとどまらず、JAMSTECにおける研究の基本形態にもなったと言えるのではないでしょうか?

 この総合研究の誕生の理由はいくつかありました。当時、6000m級潜水調査船を予算要求するうえで「しんかい2000」の成果が問われていました。特に熱水活動地震に関係する研究成果を出すには、相模トラフ駿河トラフ沖縄トラフに潜航回数を集中させなければという切迫した事情がありました。
 もうひとつは、「しんかい2000」の利用料金問題です。民間に有料で使ってもらうよう財政サイドから求められていました。逆に言えば、潜航費用の大部分をJAMSTECで負担しなければ深海研究の進展は考えられず、その理由付けが必要であり、それを「多数部門の協力による総合的試験研究」としてJAMSTEC自身が取り組むべき位置付けにする必要に迫られたことがあります。

 こうした転換を果たすうえで、いったん省庁別に割り当てたシェアを大きく変えるかもしれないことで反発されるのではと心配しましたが、当時、深海調査の責任者だった堀田 宏運航室長(現JAMSTEC理事)がこの新しい考え方を「しんかいシンポジウム」で提案し、研究者から歓迎されたことに力づけられ、奈須先生(現東大名誉教授)を座長とする検討会で新しい5ヶ年計画を策定し(私がワープロの威力に感激した最初の報告書となりました)、当面の重点4海域と総合調査研究4課題を設定しました。
 そのお陰か、生物コロニーチューブワーム熱水活動など、果たして日本周辺でも見つかるだろうかという心配を払拭する発見が相次ぎました。

■「フォーカス」の1枚
 なかでも、初島沖コロニーで東大海洋研の石井輝秋さんが鮮明で美しい写真を撮影し、それを写真週刊誌フォーカスがカラーグラビア見開きページ全面に掲載してくれました。発売日が6000m級潜水調査船を大蔵主査に説明する日に間に合うよう、担当女性記者が駅でめまいで倒れる体調不良にもかかわらず、写真を取りにきてくれたのでした。
 その当時は、私も一日置きに職場に泊まり込んでいた大変な時期でしたが、説明の日の朝に数冊のフォーカスを買い込み、「おかげさまで『しんかい2000』はこんな大きな成果をあげています」と説明することができたその日は、元気百倍の気分でした。
 「しんかい6500」を生み出す原動力となったのは、実は「しんかい2000」自身の頑張りだったわけです。
■魅力ある映像
 そういうこともあって、「魅力ある写真」は海洋の重要性を分かってもらうために千金に値する。これが私の頭に刷り込まれた2つ目のものです。当時、「しんかい2000」の成果は1レグ毎にプレス発表していました。発表に立ち会う者として、潜水船が深海に潜って何ができて何ができないかをずいぶん勉強させてもらいました。
 例えば、キンメダイなど水産資源の生態についてはスクリュー音で逃げるのか期待された映像が得られず、また、平凡な海底の映像が多くて、結局堆積物の表面しか見えなくて地震研究の役には立たないのではと心配もしました。

 そのうち、シービーム曳航体などの事前調査が進展し、崩落崖露岩が現れている場所にピンポイントに潜るようになったんでしょう。変化に富んだ海底地形や色彩豊かな生物の映像が増え、ああ、これなら十分に科学研究の手段になりそうだなと安心したものです。
 今から振り返ってみても、「しんかいシンポジウム」に掲載される論文数の増加にも増して、1つの論文の共著者数が著しく増え、中身の濃い論文揃いとなってきた印象を受けます。逆に潜航ポイントが集中しているせいで新たな発見の機会を減らしてはいないか少し心配ですが。

■「深海」が身近に
 当時に比べて、深海調査は定常状態になったといいましょうか。あまりニュースに登場しなくなってしまいましたが、それでも、日本の中で深海の世界が少しずつ身近な存在になってきたように思えます。
 3〜4年前にミスター・チルドレンが「深海」というCDアルバムを出した時は時代は変わったかなと思いました。TVゲームでも潜水船を操船して深海を探検する「アクアノートの休日」や「Deepsea Adventure」が発売された時はさっそく買いました。残念ながら拡大軸とかチムニーとかは登場しませんが。

 当時、記者クラブで再生されるカラー映像の美しさには、私も記者と一緒に惹き込まれてしまいました。「しんかい2000」の計画時に、どうせ太陽光の届かない世界だからTVカメラは白黒で十分ではないかとの議論もあったそうです。
 美しいビデオ映像に比べて、なぜ鮮明な写真が少ないのか、当時、堀田室長によく愚痴をこぼしたものです。研究者は限られた潜航時間の中でできるだけ広いエリアを観察したいので、停船して十分な光を当てて接写することがどうしても少なくなってしまうからだそうですが。
 今でもその傾向はあまり変わっていないようで、沖縄海域での液体二酸化炭素の海底噴出という「世界初の発見」(これが、二酸化炭素海底貯蔵のアイデアにも結びついた)について、鮮明な写真がないことでどれだけ損をしているか計り知れないと思います。

■TVカメラ vs. 肉眼
 「しんかい2000」の映像は、夜中に雪の山道を懐中電灯で照らして歩く印象がありました。接近すると豊かな色彩の世界が浮かび上がってきます。あれから10年後、ドルフィン3Kの新しい低照度TVカメラ(NHK の新スーパーハーブ・カメラ)の映像を見て珊瑚礁の中かと錯覚するほどの美しい映像に驚かされたものです。実は、撮像管の性能だけじゃなくて光の当て方や信号処理の方法などにも大きく依存するんだそうですが。
 これでも丸窓を通した肉眼の解像度や視野の広さには遠く及ばないそうで、そのせいでしょうか? 研究者サイドから美しい映像を追求しようという声はあまり強く感じられません。そう言わずに、近いうちに、肉眼を超えたTV画像が得られるよう改良してもらって、ダイナミックな深海の世界にお茶の間をあっと驚かせて欲しいものです。
■支援母船「なつしま」の頑張り
 忘れてならないのは支援母船の「なつしま」です。当時は世界最大かつ専用の支援母船で、その後の世界のお手本となった画期的な船です。「ノチール」(仏6000m潜水調査船)の当時の母船「ナディール」は外洋タグボートにコンテナを積み上げただけのものですから、ずいぶんの違いです。「しんかい2000」の次に計画された6000m級潜水調査船の母船も「なつしま」で十分との財政当局の強い意見が出るのも当然でしょう。
 幸いにして、というと不謹慎ですが、KAIKO計画で「ノチール」が来日した際、母船の荒天中での揚収能力不足のために長時間の曳航を余儀なくされ、乗員が強度の船酔いで本国に送還されました。また、「しんかい2000」が深海調査でヒットを連発してくれたこと、それと「ドルフィン-3K」との3点セット作戦が功を奏して、6000m級潜水調査船専用母船「よこすか」の誕生に結びつきました。

 この「よこすか」は1万m級事前調査救難装置(つまり、後の「かいこう」)の搭載も想定したもので、その一般配置図を初めて見た時は、こんな巨大母船がこの世で許されてなるものかと思いましたが、よくぞ1mも削られることなく実現したものだと思います。これも「しんかい2000」/「なつしま」システムの完成度が高かったおかげでしょう。

 「なつしま」は1982年に日本で初めてエルニーニョ発生中の西太平洋に緊急派遣されました(JENEX82/83)。これ以降、同海域の観測が継続され、地球温暖化など気候変動の研究の進展と、今日の海洋地球研究船「みらい」TRITONブイ・システムの構築に通じる新しい道を切り開いたわけです。
 「しんかい2000」の安全のための事前調査という重要な役割を中止して、「なつしま」をエルニーニョ緊急調査に派遣するというのは、当時としては大変な決断だったわけです。

■中深度の深海調査の行方?
 最後になりましたが、「しんかい6500」完成と同時に廃船の運命にあったところを、起死回生となった「しんかい2000」/「なつしま」システムは、今後も運航が継続されるかについて大きな岐路に差し掛かることでしょう。全国の研究者にとって、使えることが当たり前という惰性があるとはよもや思いませんが、いったん終了時期を決めたうえで、新たな中深度の深海調査の在り方を再構築することが必要な時期に来ているのではないでしょうか?

西村屋トップメニュー>地球システムの科学>深海に挑む技術