(初出:2008/2/4)
(更新:2008/8/7)
本物のクジラ学とは???
──ニタリクジラの生態新知見に見る日本の鯨類学の異常性──
2月3日放映のNHK『ダーウィンが来た!生きもの新伝説』(解説・監修と演出に少々疑問のある番組ではありますが・・いまどきの子供向け環境教育教材としてはまあそこそこの出来)にて土佐湾に生息するニタリクジラが取り上げられました。
http://www.nhk.or.jp/darwin/program/program088.html
カツオ漁師さんとニタリクジラたちの距離は、NHKの別の特集番組で紹介されたポーランドの伝統農家とキツネの話(こちら)ではありませんが、ニンゲンと野生動物との"最適の種間関係"を体現しており、「ああ、日本人だってちゃんとできるんだ」と見ていて大変心温まる思いでした。
今冬新たに発見されたという、回遊をしない定住型のニタリクジラの生態は、鯨類学、哺乳動物学全体を通じても、確かに大変興味深い貴重な内容です。とりあえずとってつけただけの仮説を(いつもと同じ調子ですが)断定調に紹介するのは、番組の制作のあり方として問題がある気もしますが。
この新たな知見は、土佐沖のみならず日本近海に棲息するニタリクジラの資源管理に関する新たな問題をも提起します。定住型が土佐沖の集団のみなのか、他にもいるのか、それらの間の遺伝的交流はどの程度かといった今後の研究次第ですが、いくつもの小規模の個体群に分かれているケースも想定しなくてはならないでしょう。番組中で取り上げられることはありませんでしたが、日本のJARPN(北太平洋海区調査捕獲計画)ではニタリクジラ50頭も毎年殺されているのです。
番組でも紹介されたとおり、土佐での漁業者とクジラとの良好な関係は、江戸時代から続くもので、日本が世界に誇りにするに足る自然と調和した文化のまさに手本となるものです。また、90年代初頭には、高知県大方町などでこのニタリクジラやマッコウクジラを対象に日本国内としては先進的なウォッチングの試みも始まっていました。
驚くべきは、地元の人たちがずっとつきあってきた、社会とのつながりも深い野生動物であったにも関わらず、研究者が現地で腰を入れだしたのがやっと10年前だったこと。しかも、カツオの不漁で漁期が延びた漁業者の偶然の観察が、今回の発見につながったということ。言い換えれば、沿岸表層に生息し低速でニンゲンと船に対する警戒心もない、要するに最もアプローチしやすい鯨種であるにも関わらず、素人に報告を受けるまで全然わからなかったということです。最も基本的な生態に関する知見を収集しようという、専門の研究者であれば当たり前に持っていていいはずのモチベーションを欠いていると指摘されても仕方ないでしょう。
日本の鯨類学者のみなさん。あなた方はこの"体たらく"を見てどう思いますか? 研究者として恥ずかしいとは思わないのですか?? 何十年も変わらず死体の耳垢をかっぽじるだけの、まさに手垢のついた研究にしがみついている場合ではないのではありませんか??
ニタリクジラの非致死的研究には、現在南極海で繰り広げられている別の鯨種を対象にした致死的研究に充てられる資金のごく一部の予算で、はるかに多くの科学的意義のある新たな成果が続々と生み出され、世界の鯨類学者、動物学者に高く評価されるでしょう。日本の社会とは文化的・風土的な関係など一切なく、天然資源として利用してきた歴史的・民族的背景もない、地球の裏側に生息しアプローチのしにくい、とはいえ冬季の生態や社会関係など未だ研究されていない白紙の部分が山ほどあるはずの鯨種を対象に、陸棲海棲を問わず国内のどの野生動物種にも受けられない多額の資金を注ぎ込み、その実やっていることは"商売品"から商品価値のない耳垢と胃内容物だけお裾分けしてもらい、切片を作って縞を数えソフトに計算させるだけ。そうやって同じこと(体裁だけはいろいろ苦心して取り繕ってますが・・)をずっとずっと繰り返してきたのが日本の鯨類学です。科学的な必要性から導かれた標本数ではなく、最初から鯨肉水揚量を満たす目的で数字が決められただけの、まさに名ばかりの、飾りだけの研究(こちらも参照)。
日本の鯨類学における致死的研究の異常な突出ぶりは、18、9世紀の植物・昆虫を対象にしたマニアに近い博物学者を彷彿とさせるところがあります。捕鯨擁護派は、捕鯨に反対するヨーロッパ諸国や豪州・NZは「日本のようにまともな研究をしていないじゃないか」と主張しますが、まともでないのは間違いなく日本の鯨類学の方なのです。とりわけ鳥類・哺乳類を対象とする研究者で、生態に関する知識の空白が多数ある中、健康な個体を多数捕殺して標本にし、毎年毎年動態変化をチェックし続けることを"最優先課題"とし、それ以外の研究手法には一切手をつけない──そんな人物がいるでしょうか? 本物の生物学者がそんな話を聞いたら、「そいつは研究者じゃなくて、ただのマニアックな"標本コレクター"だろ」と答えるに違いありません。
今からでも遅くありません。枯れきった時代遅れの捕獲調査をやめ、その分の予算をそっくり、ニタリクジラやミンククジラなどを対象にした非致死的研究に回してください。そして、日本近海の自然を構成する野生動物の研究に相応しい地道なフィールドワークによって、生物学に貢献できる成果をあげてください。捕鯨業界をただ喜ばせるためだけの研究でなく。そうすれば、若手研究者もモチベーションを維持できるようになるでしょう。科学者として世界に胸を張れるようになるでしょう。
それとも、捕鯨ニッポンの鯨類学は、やはり他の動物学とはまったくの別物なのでしょうか。捕鯨業者が乱獲の限りを尽くした当時、日本の鯨類学者は彼らの振る舞いをただ傍観していました。自身の研究対象が絶滅という形で奪われようとしているのを、指をくわえて黙って見ていたのです。他の分野には体を張って護ろうとする動物学者もいるくらいなのに・・。フィールドで対象の動物と同じ目線に立ち、忍耐強くその真の姿に迫っていく研究者と、捕鯨船の上から殺された死体を眺めるだけの漁業資源学者とは相容れないのでしょうか? 限られた予算を工夫しながらやりくりし、ひたすら科学的な真実を追究する真の科学者と、お国と業界に媚びを売って生き長らえる道を選ぶ御用学者たちとを、同じ次元で比較するのがそもそも無理なのでしょうか?
研究対象を商品として売ることで、確かに使える予算は増えるでしょう。恐ろしいことに、「日本の鯨類学のやり方を参考にしたい」という他の分野の動物学者もポツリポツリと出始めているくらいですから・・(彼らが超例外であることを祈るばかりです)。しかし、それを許す時点で、科学は産業に奉仕するための"単なる道具"に成り下がってしまいます。それは市民の求める、野生動物の絶滅を阻止する"社会的責務を担うプロフェッショナル"としての科学者像とは、あまりにもかけ離れた姿です。
画像素材提供:くじらの杜