■ノーチラス号とネモ船長−ノーチラス号誤訳説を追う

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2007年7月20日更新

ノーチラスと名付けられた潜水艦
 ジュール・ヴェルヌ(ジュール・ベルヌ)作の「海底二万里」に登場する<ノーチラス号>(Nautilus, ラテン語読みでナウティルス、オウムガイの意味)は、世界初の原子力潜水艦<ノーチラス>(1954年進水、1958年8月3日北極点を潜航したまま通過)や仏6000m潜水調査船<ノーティール>(ノーチール、オウムガイの仏語)など実在の潜水船にも名付けられている。
 実は意外なことに、1800年に建造されたロバート・フルトンの<ノーチラス号>の方が小説よりも早い。月世界旅行のように、なんでも一番先に予測したと思われがちなヴェルヌだが、潜水船だけは一番ではなかったわけである。
ヴェルヌの予測リスト
=>ナウティロ.ノーチラス. ノーチリュス(hush さんのThe Naval Data Baseより)【相互リンク】

ノーチラス号誤訳説を追う
 フルトンやヴェルヌのノーチラス号”Nautilus”は、オウムガイのことであって、これは生きている化石とも言われ、殻に水密区画があり、かつ自分で浮力調整する能力もあるので、潜水船の名前としてふさわしい。(実はオウムガイは浮力を増減させることはできず、中性浮力に保ったまま、漏斗から噴出す海水の推力で浮いたり沈んだりするようだ。詳しくはこちらの1.(2)の赤字部分)
 ところが、これが実はアルゴノート"Argonaut"の誤訳であるとするビックリするような説がある。
=>アルゴ号の冒険(日本アイ・ビー・エムのユーザー会のひとつであるNASUC(旧ASユーザークラブ)の機関紙「ASSET」からの転載)

 これによると、アルゴノートの意味に「アルゴ号の船員」というのがある。ギリシア神話で英雄たちが乗り込んで探検した船がアルゴ号である。
 別の意味に「フネダコ」がある。それはタコのくせに自分で巻貝のような殻を作り、しかもオウムガイなどと違ってそれから離れても生きていける。英語名はなんと"Paper Nautilus"。
=>http://www.seabean.com/ThingsThatFloat/PaperNautilus/
 つまり誤訳説によると、ヴェルヌはギリシア神話にちなみ、「海底二万里」の主役潜水船にふさわしい名前として"Argonaut"と名付けたが、それが英訳された際にフネダコ"Paper Nautilus"と誤訳され、さらに"Paper"が脱落して"Nautilus"となったというもの。
 これは大変なことだ。そこでさっそくヴェルヌに関する外国サイトにある仏語版を見てみた。すると、ちゃんと”Nautilus”となっている。しかも第二部冒頭でノーチラス号はフネダコ”Argonaute”の大群と遭遇し、アロナクス教授の助手コンセーユが「ネモ船長は自分の船を”Argonaut”と名付けるべきだった」と述べている。これからみても、原典で"Nautilus"が"Argonaut"の誤訳だとはちょっと考えにくく、まさか両者を取り違えるとは思えない。

アルゴノートの意味
 ここで、ランダムハウス英和大辞典で"Argonaut"を調べてみると、
1.アルゴ船隊員:Jasonと共に黄金羊毛皮を求めて人類が最初に造ったといわれる大船アルゴ号でColchis国へ遠征した英雄。
2.何かを捜し求める人。(特に)危険を伴うが報いの大きいものを求める人。冒険家
3.フネダコ
となっていて、確かに"Nautilus"よりもかっこよく、簡単には捨てがたい説である。(注:アルゴ号の伝説は大勢の英雄が乗り込むので複数形のアルゴノーツであって、単数形はフネダコの意味しかないという説もあり。)

 なぜフネダコが「アルゴ船の船員」に由来するかというと、それはこのフネダコの特徴に由来するようだ。フネダコが文献に登場するのはアリストテレスの「動物誌」(The History of Animals、紀元前350年、By Aristotle)第9巻第37章が最初らしい。

「フネダコはタコの一種だが、その性質と習性が変わっている。それは深い所から浮上し、海面を泳ぐ; それはより浮上しやすいよう殻を下向きにひっくり返して浮上し、殻から外に出て泳ぐ。しかし海面に到着した後は殻の中に戻る。触手の間にある程度の皮膜があり、足に水かきのある鳥の足指の間にある材質に似ている;といっても後者(水鳥の水かき)の材質は厚いが、フネダコのは薄くてクモの巣のようだ。これをそよ風が吹くと帆のように、また、その触手を側面に降ろして櫂のように使う。もし脅かされたら、殻に水を充たして潜る。世代モードと殻の成長に関しては、観察で得た知識はまだ満足できるものではないが; 最初は殻は見られないが、他の甲殻類と同様に成長し; 確認されていないが、確かにこの動物は殻を脱いでも生きることができる。」(西村訳)

 つまり殻を船のようにして、触手を帆のようにも櫂のようにも使えるというところが「アルゴ船の船員」をイメージしたのだろう。
 ちなみに、この動物誌ではフネダコがなんと"Nautius (or Argonaut)"(英語訳)となっていて、ノーチラスにもアルゴノートにもフネダコの意味があるとはややこしい。

フルトンのノーチラス号の由来?
 さて話を元に戻すと、「海底二万里」に誤訳はないとなれば、それより以前、ロバート・フルトンが1800年に建造したノーチラス号の命名はどうだったのだろう。これはナポレオンの発注とされているが、このノーチラス号、潜水船のくせに帆が付いている。
http://georges.romain.free.fr/Lefevre/Nautilus/nautilus.jpg
 なにやらアリストテレスのフネダコを髣髴とさせる形状ではないか。
 つまり、まず発注主の仏国人ナポレオンがアルゴノート(アルゴ号の船員)と命名し、それを米国人フルトンが形の似ているフネダコと誤解して英語”Paper Nautilus”に訳し、さらに”Paper”がどこかで落ちてしまって、”Nautilus”となってしまったのではないかという仮説(修正版)が考えられる。
 ふと思い立って会社の図書室に行ったら、"The History of American Deep Submersible Operation 1775-1995"という本が入口横に飾ってあった。「2007.5.18寄贈」とあり、まるで私が見つけるのを待っていたかのようだ。
 さっそく関連箇所を読んでみる。
 米国人フルトンは1795年、30歳の時、友人と短期滞在のつもりでフランスに渡り、そこで潜水艦建造を思いついて7年間滞在することとなる。英国と時々戦争をしていた仏覇権政府から、「英国艦隊の戦力を殺ぐ」との謳い文句で潜水艦の建造資金を獲得する。そして1800年に進水したのが扇形の奇妙な形の帆が付いた"Nautilus"。
 フルトンがナポレオンに会ってさらに1万フランの改造資金を獲得するのは翌年1801年。帆は今のヨットと同様のものに変わっている。
 これからすると、ナポレオンがギリシア神話の英雄にちなんだアルゴノートと命名した可能性はなさそうだが、スポンサーである覇権政府の意向がなかったとは言い切れない。しかし、フルトンは自分の潜水船の外観からフネダコの意味で"Nautilus"と名付けた可能性の方が高そうに思える。
 つまり、当時としては海面を群れをなして風に吹かれながら漂流するフネダコの方がよほど知られていて、一方、オウムガイはまだ珍しい存在で知らなかった可能性があり、"Paper Nautilus"を連想し、また当時はまだ"Nautilus"単独でフネダコの意味があったので"Paper"を省いたと考える方が自然な気もする。

 さて、1800年当時、いったいオウムガイとフネダコのどちらが"Nautilus"として一般的だったのだろうか。
 まず、英語版Wikipediaで"Nautilus"と"Argonaut"の分類記載年を調べてみると、Linneが1758年に"Nautilus"13種と"Argonauta"1種を記載している。つまり、1800年の時点で、少なくとも学問的にはオウムガイ="Nautilus"とフネダコ="Argonauta"が区別して認識されていたことになる。
 では世間一般的にはどうだったのだろうか? フネダコはアリストテレスが詳しく紹介したぐらいだから、古くからよく知られていたのは間違いない。一方、オウムガイが世間に知られるようになったはいつからだろう・・・?

サイモン・レイクのアルゴノート号
 ところで、「海底二万里」でコンセーユがむしろ"Argonaute"(仏語)と名付けるべきだったと言った理由は、自分で殻を作り、その殻と離れても生きていけるが、その殻といつも一緒にいるところが、ネモ船長とノーチラス号の関係に似ているからだという。
 ヴェルヌがなぜこんなセリフをコンセーユに言わせたのだろう。ひょっとして、ヴェルヌ自身も、"Nautilus"よりも、アルゴ船隊員/冒険家の意味も持つ"Argonaut"と名付ければよかったと思ったのではないだろうか。
 この真偽はまったく不明だが、このコンセーユのセリフは「海底二万里」出版の18年後に現実のものとなっている。
 1987年、「海底二万里」に触発された米サイモン・レークがバルティモアで潜水艦(らしきもの)を建造し、それに対しヴェルヌが賞賛する電信をレークに送っている。
=>http://www.julesverne.ca/jvsubmarine.html
 その建造された潜水艦はなんと”Argonaut”と命名されているのである。
=>http://www.simonlake.com/html/argonaut_does_it_.html
 まだ続きがあって、レークは1931年に北極探検を試みた潜水艦の建造コンサルタントだったが、その潜水艦の名前がNautilus"であった。
=>http://www.chinfo.navy.mil/navpalib/cno/n87/usw/issue_16/simonlake.html
 サイモン・レークが潜水船を建造した際、"Nautilus"と名付けずに"Argonaut"としたのは考えてみれば不自然。そこにヴェルヌの助言があったと想像すると楽しくなる。
 そんなところ、前述のとおり"The History of American Deep Submersible Operation 1775-1995"を発見した。そのサイモン・レイクの項を読むと、1868年生まれのレイクは11歳で「海底二万里」を読んで潜水艦の設計を夢見るようになる。なんと西村屋が小澤さとる「青の6号」を読んで潜水船の設計を夢見るようになったのと同じ頃である。
 19歳でホランドがフルサイズの潜水艦建造で海軍との契約を勝ち取ったというニュースを読んで、ミニチュア潜水艦を建造することを決心する。おじさんとおばさんからお金を借りて(これがいいですね!)長さ14フィートの"Argonaut Jr."を建造。
 これを売った資金で1897年に長さ36フィートの"Argonaut I"を建造。こちらはノーフォークからニューヨークへの300マイルの航海中、ひどい嵐に遭遇。200隻が沈没するが"Argonaut I"は生還し、レイクは一躍ヒーローとして新聞に書き立てられ、仏にいるヴェルヌから祝福の電信を受け取った・・・とある。
 つまりレイクはヴェルヌから言われたわけではなく自分で"Argonaut"と名付けたのは間違いなさそうだ。「海底二万里」の熱心なファンだったのに"Nautilus Jr."と名付けなかった理由といったら、コンセーユのあのセリフで"Argonaut"と名付けたとしか考えようがない。だとすると、レイクは相当マニアックな読者だったということになるが・・・。

推理
 ここでこれまでの推理をまとめてみよう。
 アリストテレスの本ではフネダコ="Nautilus (or Argonaut)"(英訳)であり、1800年時点でも"Nautilus"=フネダコであった可能性が高い。
 分類が確立した現在でこそ、オウムガイとフネダコは仏語で"Nautile"と"Argonaute"、英語で"Chamber Nautilus"と"Paper Nautilus"と区別されているが、昔は巻貝のような殻を持ち、足が多数の触手である生き物として両者とも「船乗り」の意味で俗称されていたと考えられる。分類学的にオウムガイとフネダコが区別されるようになった1758年以降も、しばらくは"Nautilus"=フネダコだったのだろう。
 つまり、フルトンは奇妙な形の帆が付いた潜水船をアリストテレスの本でも有名なフネダコにちなんで"Nautilus"と名付けた。
 その後、オウムガイが世間的にも認知されるようになり、博識なヴェルヌはフルトンの潜水艦名をそのまま自分の作品に採用した際、オウムガイの意味だと思ってしまった。しかし、執筆途中、本来はフネダコの意味だったことに気付き、コンセーユに"Argonaute"と名付けるべきだったと言わせた。
 「海底二万里」の熱烈なファンだったサイモン・レークは、そのあたりのヴェルヌの意をちゃんと汲んで、自分の潜水船には"Argonaut"と名付けた。ただしその後コンサルタントとして関わった北極探検用潜水艦には、「海底二万里」にちなんで"Nautilus"と名付けた。
 後世の人々はこうした経緯に気付かず、水密区画と浮力調整能力を持つと知られるようになったオウムガイが、フルトンやヴェルヌの"Nautilus号"の由来だと勘違いした。
 最後に、仏が6000m潜水船を建造したとき、今度は潜水船の機能を持つオウムガイの仏語 "Nautile"と名付けた。

決着編
 もう終わりにしようと思ったところ、会社の図書室で今度はなんと「オウムガイの謎」(ピーター・D・ウォード、河出書房新社)という本を見つけた。しかもその翌日、イカとタコと貝の本を山のように出版している東水大名誉教授の奥谷喬司さんに会えた。
 これで決着が付かないようではウソである。
 まずこの本には、アリストテレスの「動物誌」にフネダコの記載があることが紹介されているが、それとともに「動物誌」にはオウムガイとおぼしき生物も紹介されていると書いてあってビックリ!
 確かに、第4巻第1章の終わりに「タコの別種で、カタツムリのように殻の中にいて、決して殻から外に出ることはなく、カタツムリのように殻の中で暮らし、ときどき触手を突き出す。」(西村訳)という生物が名前なしで紹介されている。
 これが「オウムガイ」以外には考えられないという主張と、そんな昔にアリストテレスがオウムガイを知ったはずがないという主張とで論争になっているという。
 フネダコが地中海でよく見られ、古くから知られていたのに比べ、もっぱら欧州から遠く離れた南西太平洋に棲息するオウムガイが長らく謎に包まれていたのは間違いないようだ。貝殻部分については1600年代中頃に空洞の隔壁と浮力メカニズムの研究が行われているが、軟体部分が図解された本の出版は1705年がはじめて。さらに比較解剖学的な研究が行われたのは1831年。つまりフルトンのNautilus号建造のあとである。
 「海底二万里」の出版後の1894年になって、初めて研究者がオウムガイの棲息地である南太平洋まで出かけていって研究するようになる。言い換えれば「海底二万里」で"Nautilus"が有名になるまでは棲息地にまで出かけていった研究者がいなかったわけだから、それこそ世間的に注目されていなかった証拠ともいえる。

 ここまでくるとあとは奥谷先生の見解によるしかない。
 まず1758年のLinneによる"Nautilus"と"Argonauta"の分類記載は確かなものらしい。またフネダコが当時、地中海でありふれたものであったのに比べ、オウムガイが珍しいものだったことも確か。先生から「海底二万里」にフネダコの挿絵が載っているよと教えられて、びっくり。
 調べてみると、気付かなかったが確かに載っている。

 このように殻に乗ったタコが両手を万歳して帆のように風を受けているが、本物のフネダコはどこをどう見ても帆を張っているように見える代物ではない。どちらかというと、波間に漂うところ強風が吹くと、殻ごと吹き飛ばされてもおかしくない。つまりこの挿絵はアリストテレスの動物誌の記載を元にした迷信と思われる。
 結局、確証は得られなかったが、先生の印象としては1800年の"Nautilus"がフネダコの意味だった可能性は十分にあるとのこと。

"Nautilus"か"Nautile"か
 なぜ仏6000m潜水調査船が"Nautilus"ではなく"Nautile"だったのか、以前からそれが気になっていた。しかし改めて考えてみれば、オウムガイの仏語が"Nautile"、英語が"Nautilus"なので、仏6000m潜水調査船が仏語の"Nautile"と名付けられても不思議ではない。
 むしろ仏人であるヴェルヌがどうして仏語の"Nautile"としなかったのかというと、考えてみればネモ船長はインド人という設定なので、それで英語の"Nautilus"と名付けたのだろうと自分で納得したところ、奥谷先生によると、それは英語ではなくラテン語だという。
 欧州ではラテン語にインターナショナルを感じるらしい。国籍不明の怪潜水船となると仏語の"Nautile"ではダメということだ。

"ナウティルス"か"ノティリュース"か
 最後にROCKYさんより、
「Nautilusをヴェルヌ自身は読者にどう読んで欲しかったのか? ラテン語読みのナウティルスか? それともフランス語読みのノティリュースか? いずれにしても英語読みのノーティラスではないことには絶対の確信があります。」

との指摘。うーん、ネモ船長は「ナウティルス」、アロナクス教授は「ノティリュース」と呼んでいたとして、物語はアロナクス教授の一人称で語られているので、後者のようにも思えるが、ネモ船長が最初にアロナクス教授たちに紹介した際には「ナウティルス」と紹介したに違いない。
 つまり正しい発音は「ナウティルス」ということになる。Jules Verne Page管理人のsynaさんもそう主張する一人である。

(Special Thanks:NOB@相模さん、ROCKYさん、synaさん、奥谷先生、hushさん、アーゴさん)

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