■潜水船開発の変遷

by JAMSTEC 普及・広報課 山田 稔

西村屋が一部加筆。本年表は有人潜水調査船・作業船に着目したもので、軍用潜水艦史については特徴のあるもののみに留めています。出典を記すことなく引用している箇所については順次出典を明記するよう務めます
海人のビューポート
 
2006年12月10日更新

世界の潜水調査船(西村屋)
西暦
外国
日本
紀元前360年・Aristotle(アリストテレス)著「Problematum」でギリシアの潜水士が空気を溜めたKettleを海中に降ろして使用したとの記述。 
紀元前330年・アレキサンダー大王は潜水ベル(ガラス製球状ベル)で潜航する(レバノンのチレTyre包囲中) 
1573以前 ・鎌倉時代から戦国時代に瀬戸内海で出現した村上水軍が潜水船「竜宮船」及び「うつろ船」を計画。 
1620・独発明家ドレベル(Cornelius van Drebbel)は最初の潜水船を製作、ジェイムス英国王の前でテームズ川の水深5mに潜航。木造船殻、手漕ぎ推進。まだ二酸化炭素を吸収する技術は知られていなかった。=>The First Submarine 
1690・ハリー卿(Sir Edmond Halley)の潜水鐘、テームズ川水深18mに1時間以上潜水した(水中に降ろした樽から空気を補充) 
1715・英国人John Lethbridgeは水深18mで空気樽(皮で覆われ、観察窓と水密armholeが付いている)をテスト。 
1776・米ブッシュネル(David Bushnell)は最初の軍事一人乗り人力潜水艦「タートル」(Turtle、樽型、半潜水らしい)を進水させ、同年、米独立戦争で英国軍艦イーグルを暗闇に乗じて攻撃するが失敗。
=>タートル(VANDY−1さんのサイトより)
 
1790 ・オランダから泳気釣鐘が日本に輸入され、長崎の飽の浦造船所の築造に使用される。
1800・フルトン(Robert Fulton。蒸気船を実用化する。蒸気機関を実用化したのは1769年のワット)はフランスに渡り、潜水艦「ノーチラス」(Nautilus、鋼製、複数の乗員)を進水させ潜舵で潜航。人の手でスクリューを回す。水上航行用の帆があり、最初は扇型の帆だったが、その後ヨットと同様の帆に変更。1801年にナポレオンに会って1万フランを得て改造。その後米国に帰り、1807年に蒸気船を実用化。=ノーチラス号誤訳説を追う 
1833・仏技師Brutus de Villeroi (1794-1874) は潜水艇を建造。手漕ぎ。バラスト。ヴェルヌを教えて「海底二万里」に大きな影響を与えた可能性があるが、明確な証拠はない。 
1837・Augustus Sieveは近代的ヘルメット潜水服のプロトタイプを発明 
1856・独バウア(Wilhelm Bauer)は潜水艦「ブランド・トウヘル2号艇」(Brandtaucher)を建造。水深20mで水中撮影する。=>Brandtaucher 
1859・ヴェルヌの友人Jacques-Francois Conseilが潜水艇Piloteを建造 
1859・HalletのNautilus号が建造。ヴェルヌが見学 
1859・イタリアのモントゥリオール(Narcis Monturiol i Estarriol)が珊瑚採取を目的として潜水艇「イクティネオ号/Ictineo I」を建造。全長17m,排水量72トン,2重船殻、潜航深度30m。ヴェルヌのノーチラス号みたいな船側窓があり、水中照明もあったらしい。人力(4人)スクリューで推進。8時間もの潜航を可能にする酸素発生装置・二酸化炭素除去装置を開発したらしい。船首にツール類が装備されていたとの記述もあるが、写真を見る限りマニピュレータや横移動の手段はない。
=>A Utopian's SubmarineWikipedia
 
1863・Villeroiが渡米してSalvage submarine を建造 
1863・仏最初の潜水艦Plongeurが建造。ヴェルヌが見学。 
1864・H.L.ハンレーが発明した人力潜水艦が米南北戦争で初の敵艦撃沈。
・モントゥリオール、世界初の無吸気機関で水中航行可能な「Ictineo II」を建造。過酸化マグネシウム、亜鉛、塩素酸カリウムの反応によって蒸気発生のための熱と呼吸用酸素を供給したという。ワルター機関の原型か。
=>Ictineo IIIctineo II
 
1869・ジュール・ヴェルヌは海洋調査潜水船「ノーチラス号」が登場する「海底2万里」を出版。=ネモ船長とノーチラス号 
1879・英国の牧師見習い(curate)のジョージ・ガレット(George W. Garrett)が世界初の動力潜水艦「リサーガム二世号/RESURGAM」を製作。3人乗り。水上では石炭炊きボイラで加熱水と蒸気を溜めて(3ノット)、潜航時はボイラの火を落し、蓄めた蒸気圧でピストンを動かす(2ノットで4時間)。=>All Our Yesterdays-All Our TommorowThe case of the curious curate 
1897・「海底二万里」の大ファンだった米サイモン・レイクは、アルゴノート1を建造し、ひどい嵐を乗り切って300マイルの航海から生還し、ヴェルヌからの祝電を受ける。=ノーチラス号誤訳説を追う 
1898・米ホランド(John P. Holland)は本格的な潜水艦の前身となる装甲魚雷艇を考案する。この後、ホランドは潜水艦「ブランジャー」を建造する。 
1910
明治43
 ・4月15日:帝国海軍のホランド型第6号潜航艇(1906年川崎造船所竣工)は航行中、山口県岩国沖水深16mの海底に沈む。佐久間艇長以下全員が持ち場を離れずに死んだとして有名になった。
1913
大正2
・独クンケ&ニューフェルド社(Neufeldt and Kuhnke)は腕と脚の動く大気圧潜水服を作る 
1927・米国の潜水艦「S-4」は船と接触して水深30mに沈没 
1929
昭和4
・ドイツ海軍は長大な航続力を持つルドウタブル級潜水艦29隻を発注。 ・世界初の深海作業船「西村式豆潜水艇1号」完成。水深200mまで潜航でき、主に漁業調査に使用された。(西村一松氏考案 台湾基隆で建造)=>西村式潜水作業艇HP
1930・米国の鳥類学・海洋生物学者ビービー(ウィリアム・ビーブWilliam Beebe)と技術者オーチス・バートン(Otis Barton)、水上船から吊るされた潜水球「バチスフェア」(Bathysphere、鋼鉄製、直径約140cm、窓2つ)で310(430m?)潜水に成功(バミューダ諸島沖)=>Bathysphere 
1931・米ウィルキンス大尉、潜水艦「ノーチラス」で北極海調査=>Low Road to th Pole 
1933
明治8
 ・8月:西村式豆潜水艇は宝石サンゴの採取に成功。
・三菱重工は世界初のテザー式潜水船である深海調査船「海洋」(導索で吊るすタイプ)を建造する。円筒型、2人乗り、潜水深度:600呎(フィート)=183m。鋼板は全部電気溶接。実際には使用されなかったもよう。
1934・米ビービーとバートン、バチスフェアで800mまで潜水。北大西洋バミューダ沖で水深923mまで探検して未発見の生物を記載 
1935 ・8月3日:「西村式豆潜水艇2号艇」、横浜船渠で進水(潜航深度300m、3人乗り、全長13m、耐圧殻内径1.95m、排水量23トン、観察窓2個、探照灯、水圧伸縮筒の先に採取器付き)=>西村式潜水作業艇HP
・その後、1936年、1940年の関門海底トンネルの地質調査に参加
=>西村式豆潜水艇第2号三菱みなとみらい館
1937・オーギュスト・ピカールは深海潜水用のバチスカーフ(Bathyscaph)製作を開始 
1939
昭和14
 ・2月:帝国海軍の「伊63潜水艦」は潜水艦と衝突して豊後水道水深93mに沈没.西村式豆潜水艇も救助活動に参加
1941
昭和16
 ・帝国海軍の呂号第66潜水艦はウエーク島付近で呂第62号と衝突し沈没
1942・2月18日:仏海軍の大型潜水艦「スルクフ」はアンデイル諸島沖で米輸送船と衝突して沈没、159名全員死亡 
1943
昭和18
 ・帝国海軍は特攻兵器「伏竜」を開発
1944
昭和19
 ・6月12日:帝国海軍の伊33潜水艦(1942年三菱重工竣工)は浸水トラブルで伊予灘水深61mに沈む。2名脱出102名死亡
1948・スイスのピカール教授、バチスカーフ「FNRS II」(潜航深度6,000m)を完成。1,400mの無人潜航に成功=>FNRS-2 
1949・米バートン、カリフォルニア沖で1,370m潜水 
1951 ・8月19日:北海道大学科学調査用潜水艇「くろしお号」(テザー式)完成。井上直一教授、相模湾水深206m潜水(井上、緒明、村尾記者3名乗船)
マリンスノーを見た少女
1952 ・11月19日:「くろしお号」戦艦「陸奥」(水深40m)の撮影成功
1953・8月:仏で「トリエステ/TRIESTE」進水。2,100mに潜航=>Trieste
・ピカール(スイス)、バチスカーフ「FNRS II」で地中海3,150mに潜水
・「くろしお号」に搭乗した北大の鈴木昇氏によって水中の懸濁物が「マリンスノー」と命名される。
(井上教授の恩師中谷宇吉郎博士は世界に先駆けて「雪氷学」を確立し、潜水探測機後援会会長として運用を支え、マリンスノーの名称を世に広めた)(Studies on suspended materials marine snow in the sea 1953)
1954・「トリエステ」、4,050mに潜航
・世界最初の原子力潜水艦SSN-571「ノーチラス」進水する。
・ソ連のケベック級潜水艦2隻が火災事故、爆発事故を起こす。
 
1957・ソ連のケベック級潜水艦が事故により沈没 
1958 ・原子力潜水艦「ノーチラス」潜航したまま北極点を通過 ・6月:バチスカーフ「FNRS III」による日仏共同日本海調査(宮城県女川沖)で水深3,100mに潜航
・潜水調査船「白鯨号」完成
・7月23日:潜水探測機「くろしお号」最終潜航(函館港)。延べ潜水回数 381回
1959・米海軍は「トリエステ」を購入改造して5,530mに潜航=>Historic Naval Ship
・クストーは「ダイビングソーサー/DIVING SAUCER」400mを完成
 
1960・米「トリエステ」、マリアナ海溝で10,911m(35,798 ft)に潜水(潜航時間:4時間48分、海底:30分、上昇:3時間17分)。ドン・ウォルシュとジャック・ピカールは直径7.6センチの覗き窓から小さく平らな魚とエビ、いつくかのクラゲを観察。
・「トリエステ」最終潜水の後、20,000フィート(6,097m)より深く潜れないよう改造された。
・6月25日:北海道大学の科学調査用潜水艇「くろしおII号」(潜航深度:200m、4人乗り、テザー式)進水
・7月27日「くろしおII号」 試験潜航 函館港
・「くろしおII号」海底浅尺ボーリング装置で130cmのコア採取成功(青函トンネル予定線の海底ボーリング)
島村英紀さんのサイト
1961・フランスは「アルキメデス/アルシメード/ARCHIMEDE」(潜航深度11,000m )3人乗り完成
・ソ連の原子力潜水艦「K-19」は処女航海中に放射能事故を起こす。
  
1962・仏「アルキメデス」日本海溝で9,500mに潜水
・ペリー(PERRY)は「キャブマリン/CUBMARINE」46mを製作
 
1963・最初に燃料電池を搭載した米「スターT」(60m)完成
・「スターII」、「スターIII」完成
・米「シークリフ/SEA-CLIFF)」,「タートル/TURTTLE」、「デイープスター/DEEP STAR」,「ビーバー/BEAVER」=>NOAA,「デイープクエスト/DEEP QUEST」=>Historic Naval Shipが完成
・ジャック・ピカールは大型観光潜水船「オーギュスト・ピカール」を完成 3万人以上が観光潜水を体験
・4月10日:原子力潜水艦「スレッシャー」沈没。試験潜航中に内部波に引き込まれ水深650mにて圧壊、乗組員約50名死亡
・「トリエステ」(米)水深2,500mの海底に沈没源潜「スレッシャー」の残がい発見
 
1964・1月:米「トリエステII」(6,096m 2人乗り)進水=>Historic Naval Ship
・米「アルヴィン/ALVIN T」(1,830m)完成。小型軽量化、高耐圧性、母船搭載型と最新技術
・米「アルミノート/ALUMINAUT」完成(潜航深度15,000フィート。1970まで運航)=>Historic Naval Ships Association
・米「スターII」(365m)完成
・7月4日:潜水船「よみうり号」(300m 6人乗り)完成
1965・米潜水調査船「アルヴィン」1,800m潜水 ・「よみうり号」駿河湾、相模湾で深海魚調査、18回潜航

・「よみうり号」三菱重工業神戸造船所で大改修実施
・「よみうり号」明石海峡調査、潜航回数16回
1966・1月17日:B52戦略爆撃機、他機と空中衝突。スペインのパロマレス沖の水素爆弾4発落す。この捜索に「アルビン」、「アルミノート」、「キャブマリン」が活躍(水深868m)
(4月に無人機「CURV-I」が回収)
・本格的な小型潜水調査船「デイープスター4000」(1,220m、3人乗り)が完成
・米「マカリリ/MAKALIL」(366m)進水
 
1967・「スターII」海底構造物に絡み浮上できず
・仏「アルキメデス」日本海溝調査
 
1968・米海洋調査潜水艇「ベン・フランクリン/BEN FRANKLIN」(600m) 完成=>PX-15SUB-FINDHNSA
・ソ連の核ミサイル搭載潜水艦「K-129」(通常動力)ハワイ沖に沈む。乗員98名全員死亡(米潜水艦「ソードフィッシュ」と衝突?)
・「アルヴィン」、支援母船「ルル」から水深1,500mに沈む
・米「ディープスター4000/DS-4000」(潜航深度1,220m)完成
・リンク(E. A. LINK)はダイバーロックアウト潜水船「ディープ・ダイバー/DEEP DIVER」(410m)完成
・米「タートル/TURTLE」(3,048m) 完成
・5月22日:米原子力潜水艦「スコーピオン」スペイン沖で沈没、乗員99名是認死亡、水深3,700m
・9月:潜水調査船「しんかい」(600m)初の試験潜航
1969・6月:初の原子力潜水調査船「NR-1」(754m) 進水。
 13人乗り(内研究者2名)、覗き窓あり、数週間の潜航可、マニピュレータ装備、トイレ1、ベット乗員2名で共有、船底にタイヤ2個あり海底走行可能
・水深1,500mに沈没した「アルヴィン」の引き揚げ成功(船内に残されていたサンドイッチから深海では腐敗が進まないことが判明。深海微生物学の誕生に繋がる。)
・「ベン・フランクリン」(600m)  約1ヶ月間メキシコ湾流を潜航したまま調査(1,500マイル)
・大気圧潜水服「JIM」(潜航深度 304m)建造
・3月:「しんかい」(600m)完成
1970・仏潜水艦「ウーリディス」沈没
・米潜水艦救難艇「DSRV」(1,500m)3人乗り完成
・仏「シアナ/CYANA」(3000m) 完成
4月:ソ連のノベンバー級原子力潜水艦K-8は英国南西沖を航行中火災を起こし、原子炉への延焼を防ぐため自沈。
・日シートピア計画の水中エレベータ(水深100m)完成
・潜水船「よみうり号」八丈島近くで回航中座礁事故で放棄(よみうり号 琉球政府依頼の調査、グレートバリアリーフの潜航調査、総運航実績:潜航回数471回、1,464時間)
・6000m潜水調査船概念設計報告書が取りまとめられる。大阪万博の三菱未来館でその模型が展示される。
1971・米深海潜水調査船「ディープスター」(2000m)完成
・「パイセスIII」後部球から浸水トラブルで浮上できず
・米「ジェンマ/GEMMA」(305m)進水
・米「ジョンソン・シーリンク/JSL-I」(914m)運用開始
・加ダイバーロックアウト潜水船「SDL-1」(610m)を開発
・「くろしおII号」八戸沖で最終潜航となる。延べ348回潜航
・日本初の実用的潜水作業船「はくよう」(300m)完成=>新日本海事(株)のホームページ
1972・「アルヴィン」大改造(潜航能力4,500m)行われる。チタン合金の耐圧殻に改造
・米「マーメイド-II/MERMAID」(300m)進水
・三井海洋開発はスラスター付潜水球「タドポール」(「おたまじゃくし」の意味)を完成
1973・無人機「CURV-IIIC」がアイルランド沖水深420m(477m?)で拘束された有人潜水船「パイセス-III」にロープを描けて回収。3日後の乗員救助
・米「ジョンソン・シーリンク/JOHNSON SEALINK-T」ワイヤーに絡み浮上できず
・米「パイセス-X/PISCES V 」(2,000m)進水
・米「PC-15」 (366m)  進水
 
1974・「TS-1」 船尾にロープが絡み浮上できず
・ハワイ沖水深3000mに沈んだソ連の潜水艦「K-129」(通常動力、核搭載)をハワード・ヒューズ率いる海底鉱物採取船「グローマー・エクスプローラー」(36,000トン)が回収。経費1,260億円。「グローマー・エクスプローラー」はのちにCIAが偽装建造したものであることが判明。
・芙蓉海洋開発が開発した潜水球「うずしお」(下半分がアクリル樹脂製)で2名死亡。「うずしお」のアドバイザを務めた元海軍造船官の緒明亮乍氏が、事故の数日後に鉄道自殺。同氏は「回天」の設計に携わり、「くろしお号」の開発にも携わった人。(飯尾憲士「静かな自裁」より)
1975・米「ジョンソン・シーリンク-II/JSL-II」(805m)進水
・米「クレリア/CLELIA」(304m) 進水=>CLELIA
 
1976・ロシアで「パイセス」(水深2,000m)2隻の運用開始。さらに水深600mまでの潜水調査船「アーガス/Argus」黒海にて運用。 
1977・「アルヴィン」チタン合金製耐圧殻に改造終了
・「アルヴィン」ガラパゴス沖水深2,500mで熱水噴出域に生息する化学合成生物群集を発見
・仏海軍「アルキメデス/アルシメード」廃船
 
1978・「アルヴィン」東部太平洋海嶺上で熱水鉱床を発見
・「PC-9」ワイヤーが船尾に絡み浮上できず
 
1979・英救難用潜水船「LR5」(460m)進水
・女性研究者Sylvia Earleはハワイ沖で大気圧潜水服「JIM」により381mに調査潜航する
・ロシア科学アカデミーに有人潜水船研究所 創設。
 
1980・「アルビン」ガラパゴス沖水深2,500mで280℃の熱水噴出発見 
1981 ・10月:2000m級潜水調査船「しんかい2000」および支援母船「なつしま」竣工
1982・米「デルタ/DELTA」(305m)進水=>Delta Oceanographics
・米「トリエステII」廃船
・1月:「しんかい2000」初潜航行う。相模湾初島沖
1983 ・3月:「しんかい2000」熊野灘において潜航深度2,000mに到達。三脚魚を観察
・7月:「しんかい2000」調査潜航を開始
1984・米6,000m級潜水調査船「シークリフ/SEA CLIFF」が完成
・グラハム・ホークスは一人乗りの「ディープ・ローバー/DEEP ROVER/DR1002」(1,000m)を完成=>Deep Ocean
・11月:仏6,000m級潜水調査船「ノチール/ノーティール/NAUTILE」進水
・「しんかい2000」で生きた深海生物シロウリガイを発見(相模湾初島沖)
・第1回「しんかい2000」シンポジウム開催
1985 ・6月:日仏共同日本海溝調査、潜水調査船「ノーティール」来日
・7月:「しんかい2000」深海生物ハオリムシ発見(四国沖)
1986・1月-4月:米「NR-1」、「ジョンソン・シーリンク」2隻の潜水船と5機のROVがスペースシャトル「チャレンジャー」の捜索(水深65〜394m)に参加
・「アルヴィン」は3,658mに沈む「タイタニック」に外部装備のROV「JASON JUNIOR」を操って撮影する。
・「ディープ・ローバー」5,000回の潜航達成
・カナダは大気圧潜水服「HARDSUIT(ニュースーツ)」360mを販売開始する。=>OceanWorks
・「ノ−ティール」日本海溝5,130mでナギナタシロウリガイ発見
・日民間潜水調査船「シーホース」回航中に高波により母船「へりおす」とともに沈没(水深230m)
・7月:「しんかい2000」で熱水噴出現象発見(沖縄トラフ)
・9月:「しんかい2000」中部日本海地震域の調査行う
1987 ・5月:「しんかい6500」起工式
1988・ロシアの「ミール/MIRS-I/MIRS-II」(6,000m)進水
・「ミール」中央大西洋で試験潜航 6,170mと6,120mに潜航。
・仏「サガ/SAGA」(600m、ロックインロックアウト、スターリングエンジン) 進水
・米「シークリフ」東太平洋のゴルダ海嶺でチムニーと熱水噴出孔生物群集を発見
・7月:「しんかい6500」の支援母船「よこすか」進水
・「シーホース」と母船「へりおす」引き揚げられる。
・7月23日:横須賀港沖で海上自衛隊潜水艦「なだしお」と大型遊漁船「第一富士丸」が衝突。釣り客30名が死亡
・「しんかい2000」小笠原父島沖でユノハナガニを発見
1989・旧ソ連原子力潜水艦「コムソモレスク」水深1,700mに沈む。のちに「ミール」2隻によって船首部分を密封し放射能漏れを防ぐ。 ・1月:「しんかい6500」命名・着水式
・「しんかい2000」ブラックスモーカー発見(沖縄トラフ伊是名海穴)。
・同じく伊是名海穴水深1,400mで炭酸ガスハイドレートを発見
・8月:「しんかい6500」試験潜航で最大潜航深度6,527mに到達
・日仏海溝調査で「ノチール/ノーティール」南海トラフへ潜航
1990・ハワイ大「パイシーズV」(2,000m)LRTで着揚収
・韓国は一人乗り潜水船「海洋250」(250m)を独自に建造する(しかし運航されずに韓国南部の博物館に展示されている)
・5月:「しんかい6500」及び支援母船「よこすか」システムによる調査潜航開始
1991・「ミール」は大西洋の熱水鉱床「ミール」を発見。
・「ミール」はタイタニック号の沈没現場を初めて潜航。これまで2隻が潜航実績あり。
・「アルヴィン」は沈没したROV「カーブIII」を水深2,189mから回収
・7月:「しんかい6500」日本海溝で太平洋プレートの裂け目を発見、「マネキンの頭」が見つかる(南極観測隊のダッチワイフ説も)
・「しんかい2000」小笠原諸島水曜海山で火山活動に伴う熱水鉱床を発見
1992 ・「しんかい6500」小笠原鳥島沖で鯨骨生物群集を発見
・「しんかい2000」駿河湾で強力な石油分解細菌を発見
1993・米原子力潜水調査船「NR-1」 大規模なオーバーホール行われる ・8月:「しんかい2000」奥尻島南西沖で噴砂や地割れ等の地震域の調査行う
1994 ・「しんかい2000」鹿児島湾で最も浅いハオリムシを発見
・「しんかい6500」大西洋中央海嶺を潜航調査
1995・米「NR-1」カルタゴ通商航路の考古学的調査を実施
・「ミール」はタイタニック号の沈没現場を2回潜航。タイタニック号の骨董品などほとんど持ち去られていた。
 
1996・Graham S. Hawkes は一人乗り潜水船「ディープ・フライト Deep Flight」(潜航深度1,000m)のテスト成功=>DEEP FLIGHT ・11月:「しんかい2000」マヌス海盆で熱水域の調査
1997・2月:加「ハードスーツ/HARDSUIT」 これまで305m用23基、365m用6基、609m用9基 建造する 
1998・ロシア「ミール」はドイツ艦船「ビスマルク」(水深4,800m)を捜索し、克明に映像記録を撮る。・4月:「しんかい2000」1,000回目の潜航を達成
・「しんかい6500」国際海洋年にちなみリスボンで一般公開
・「しんかい6500」インド洋で有人潜水船として初潜航
1999 ・「しんかい2000」により伊豆・小笠原弧で大規模な多金属硫化物鉱床(「サンライズ鉱床」と命名)を発見
・「しんかい2000」パプアニューギニア沖で地震津波の調査
2000・8月14日:ロシア原子力潜水艦「クルスク」魚雷暴発で沈没108m。乗組員118人全員死亡
・「ミール」は「クルスク」の撮影と一部部品の回収を行う。
・韓国企業サブシーテック社は韓国初の潜水船をカナダから導入する。(カナダ製一人乗り潜水調査船「PATH-FINDER」1000m用、2004年まで約200回潜航し800mを超える潜水も行う。)
 
2001・6月:ロシア「ミール/MIRS-I、MIRS-II」ドイツ戦艦「ビスマルク」(水深4,569m)の様子をジェームズ・キャメロン監督のもと克明に映像記録を撮る。
・米「シークリフ」廃船
・2月9日:宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」ハワイ沖で米原潜「グリーンヒル」に衝突され沈没。9人死亡。
2002・「アルビン」これまで3,835回潜航し、延べ11,300人を海中へ運んだ。・5月:日本海に沈んだ不審船の調査に潜水作業船「はくよう」参加。「はくよう」は6,500回目の潜航達成
・11月:「しんかい2000」、1,411回の潜航調査を終え運航休止となる。
・11月:「しんかい6500」800回潜航。
2003・これまで「ミール」はタイタニック号の沈没場所を41回潜航する。
・中国の明級通常型潜水艦「361号」は航行中に事故を起こし、乗員70名全員が死亡
・「しんかい6500」に宇宙飛行士毛利 衛氏乗船
2004・ドイツでは34KWモジュール9基搭載の燃料電池搭載の潜水艦(type 212)を建造中(年内就航予定)
・4月12日:「アルヴィン」は潜航回数4,000回を達成
・3月2日:「しんかい6500」は銀亜鉛電池をリチウムイオン電池に換装し初潜航。801回目の潜航
・7月:「しんかい6500」は「よこすか」太平洋大航海(NIRAI-KANAI)の東太平洋海膨海域において340平方km以上の広がりを持つ世界最大の海底溶岩流を発見
・8月23日:「科学ギジュツトアニメヒーロー・ヒロインシリーズ第5集〜科学技術&アニメーション〜」に「しんかい6500」の切手(80円)が売り出される・
2005・8月7日:ロシア海軍の小型潜水艇「AS-28」がカムチャッカ沖で魚網などに絡まり、水深約190mの海底で浮上不能となる。英無人探査機「スコーピオ」が6時間の作業で網などを切断して、自力浮上し3日ぶりに7名全員が無事救助された。日本からも潜水艦救難母艦「ちよだ」などが出動。 ・7月26日:「しんかい6500」900回潜航達成

参考:
・「Jane's Underwater Technology」(1999-2000)
・「Jane's Underwater Technology」(1998-99)
・「Handbook of Coastal and Ocean Engineering Vol.2」
・「潜水艇くろしお号」(井上直一教授退官記念、昭和48年)
・「海にも雪があった」(井上直一 平成4年、三和印刷)
・「海中ロボット」(浦 環、高川 真一 成山堂書店、平成9年)
・「潜水船の開発」(段野 洲興、平成10年)
・「我が国における潜水技術の発展」(山田 稔、平成6年)
・「深海底の科学」(藤岡 換太郎、日本放送出版協会、平成9年)
・「深海底からみた地球」(堀田 宏、有隣堂、平成9年)
・「深海生物学への招待」(長沼 毅、日本放送出版協会、平成8年)
・「素晴らしき海底の世界」(日本テレビ放送網(株)編集出版、昭和58年)
・「シルビアの海」(シルビア・A・アール、三田出版会、平成9年)
・「「よみうり号」3ヵ年の成果」(深海作業潜水船運営委員会、昭和42年)
・「潜水船「よみうり号」」(読売新聞社 広報部資料)
・「「しんかい2000」の1000回までの記録」(田代省三)
・改訂「宇宙から深海底へ」(東海大学海洋学部編 講談社 2003年)
・「Introductory OCEANOGRAPHY」(Harold V. Thurman、2003年)
・防衛技術ジャーナル 2003年12月号
・「Exploring Planet Ocean」(2004年3月)
・「INDEEP」(Dr. Don Walsh、Diver、March-April 2005)
・WORLD SUBMARINE HISTORY TIMELINE-1580-18691870-1914

ロシア深海探査のパイオニア:

ロシア科学アカデミーP.P.シルショフ海洋学研究所
有人潜水船研究所 所長 アナトリー・M・サガレヴィッチ博士
Dr. Antoly M. Sagalevitch, P.P. Shirshov Institute of Oceanology of the Russian Academy of Sciences

 アナトリー・M・サガレヴィッチ博士は有人潜水船研究所に長年勤務し、ロシア語で"平和"を意味する"ミール"("Mir")(潜航深度 6,000m)2隻の設計にかかわった。1990年以降ミールの支援母船"アカデミーク・ムステイスラフ・ケルデイシュ(Akademik Mstislav Keldysh)に主席研究員として乗船し、ミールで多くの海域を潜航してきた。

 主な成果は、ブラックスモーカーの調査、沈没した原子力潜水艦の調査、深海の生態学的調査、タイタニック号の船体調査 ビスマルク号の船体調査などを行って深海探査と環境保護の分野でロシアと外国の科学者と協力関係を築いてきた。

 博士は「世界の海洋学者、特に我々のように深海への旅を経験している数少ない人々の間には、独特の協調の精神が存在している」と語っている。


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