(初出:2008/1/25)

C・W・ニコル氏の主張に(一部)賛同します

 ザトウクジラ捕獲論争から活動家拘束事件に至る一連の流れを受け、一頃に比べると鎮静化していた捕鯨をめぐる議論が、ここ数日ほどマスコミをにぎわせています。某ニュース専門局では、担当のヒマンテーター・・・じゃなかった、コメンテーターと、ハムの宣伝などにも登場していた外人作家メタボリスト・・・もといナチュラリストとの時事対談で捕鯨問題が取り上げられていました。「2人とも腰周りのせいで席がキツそうだなあ」という筆者の第一印象は、本筋とは関係ないんでさておくとしましょう。作家氏の発言内容の大半については、「ああ・・このヒトも全然変わってないなあ」と思わずため息が漏れました。そして、いつもは政府に対して辛口を浴びせるリベラル派の論客として知られる聞き手の評論家氏も、大本営発表をそっくり鵜呑みにするばかり。ツキノワグマをはじめ陸上の野生動物に対する安直な大量の有害駆除、犬猫の大量殺処分に代表される浅薄な生命観、過剰な肉食や大量廃棄による自発的な(!)食文化破壊、あまりにもひどい環境後進国ぶり(他章参照)から目を逸らし、「白人は自分たちのことを棚に上げてけしからん!」と日本人自身の行状を棚に上げて息巻くさまは、「これで一体仏教の専門家なのかニャ〜?」と首を傾げたくなります。まあわかっていたこととはいえ、「この程度か」と少々失望を禁じ得ませんでした・・。

 ただ、C・W・ニコル氏は、(聞き手側は必死にぼかそうとしてましたが・・)「南極からは撤退した方がいい」「日本のイルカ漁には問題がある」と明確に述べています。最近になってようやく彼が(彼でさえ!)この2点を主張するようになったことは非常に重要です。
 氏の"転向"のきっかけは、他所でも「裏切られた」という表現を使ってましたが、日本の沿岸捕鯨の捕獲データが、あまりにもズサンな内容だったこと。これは明らかに意図的なごまかしで、IWCでも報告されながら、日本のマスコミがほとんど取り上げ(ようとし)ない事実です。業者の人間と懇ろにしていた氏ならば、もっと早くに実態をつかむこともできたはずではありますが、つきあいを大事にするきわめて日本的な氏の性格が禍いして見抜けなかったんでしょうね・・。付け加えれば、南極等での母船式捕鯨においてもデータのごまかしは日常茶飯事でした(こちら参照)。沿岸捕鯨事業者はそれらの大手水産企業をバックアップする関係にあったわけで、共通の"偽装"体質を抱えていたのは当然のことでしょう。
 イルカ漁に関しては、氏はまるで腫れ物に触るかのような言い方をしています。「殺すのが下手だ」「悪いわけじゃないが」「猫に魚の番をさせるようなもの」etc. もちろん、これらは言葉どおりに捉えるのは大きな過ちです。
 「殺すのが下手」・・・・そんなわけないでしょ(--;; いつから日本人は何度繰り返しても覚えられない不器用な民族になったんですか? 太地が追い込みに手を染めるようになったのは歴史的にごく近年のことです。そして、不漁期にコビレゴンドウを捕るだけだったのが、イルカと見れば見境なく殺しまくるようになり、捕獲頭数も急増させました。こっそり解体鯨を不法投棄するし・・。モラトリアムをきっちり護ることのできる本物の日本の沿岸漁民と比べたら、彼らはまるでギャングです。少なくとも、捕鯨擁護派が某NGOを揶揄するのに比べれば、海の生きものたちの目で見れば違和感がないでしょう。博物館付属の水族館で、殺してる対象と同じイルカやゴンドウに観光客の前で芸もさせてるんですが、「上手に殺す方法」の方はまったく教わってないんですかね? ちなみに、この水族館はコビレゴンドウの長期飼育記録なんかも(一時)作っています。そうはいっても、野生の個体に比べれば著しく寿命を縮めてますが……。漁民にニコル氏のいう正しい殺し方を指導する人は誰もいないんでしょうか? それとも、彼らのほうに教わる気がまったくないんでしょうか? それはなぜ?? 反捕鯨に対する腹いせ? 見せしめ? 周り(国とマスコミ)に煽てられて舞い上がり、「自分たちはいくら残虐だと言われようが、好きなだけイルカを撲殺していいんだ」と勘違いしてるんじゃないの??? ちなみに、氏は捕鯨の銛打ちは「うまくて一発で仕留める」と言ってますが、これも嘘。うまく命中しても10分はもがき苦しみます。だからどうというのは別の次元の話ですが、事実は事実(こちらも参照)。
 「彼ら(イルカを殺すヒトたち)が悪いわけじゃないが」・・・・ま、いくらでも言えちゃうよね(--;; 「年金記録問題も社保庁の職員が悪いわけじゃない」「食品偽装もメーカーが悪いわけじゃない」「テロもテロリストが悪いわけじゃない」etc. 「罪を憎んでヒトを憎まず」ってのとは、ちょっと趣旨が違いますね。「政府が自分の進言を聞いてくれない」という言い方もしてますが・・。当事者に近く、長年捕鯨をヨイショしてきた自分の立場を最大限活用して、日本の海の自然を護る気はないんでしょうかね・・?
 「猫に魚の番をさせるようなもの」・・・・猫を連中なんかと一緒にしないでくださいよ(--;; 猫は数字を都合のいいように捏造したりしません。猫であれ何であれ、野生動物は自身の肉体能力及び種としてのニッチの範囲を逸脱したハンティングなどしません。外来種として問題を引き起こすケースもありますが、持ち込んだ責任は当然ニンゲンにあります。自身の爪と牙とで戦うことをしない卑怯な捕鯨業者を猫と一緒にするのは、猫に対してとっても失礼な話です。ナチュラリストの肩書きを持ちながら、どうもニコル氏はネコ(なぜに??)、ヒト(鯨捕り)、ヒト(緑豆)、クジラ、といった動物の間に独特の線引きをしたがるヒトのようですが・・。まあ、自称ナチュラリストにも、自然を貪るのが好きな人やら神がかったファンダメンタリストやら、いろんな人がいますけどね。。「漁業者・狩猟者は常にごまかすものだ」という趣旨であれば、ある意味で"真理"が含まれているのかもしれません(他章も参照)。ただ、もし本当に当事者に"責任能力"がないのであれば、やはり全面禁止以外にとりえる方策はありません。日本で未だに理解されていないことですが──ただし、ニコル氏はわかっているはずですが──先住民の伝統的な狩猟や漁労に価値があるのは、歴史的な時間をかけて自然と折り合いをつけ、持続可能性のある手法・モラルを自ら発展・堅持してきたからこそです。言い換えれば、自己管理・自律能力があるという前提で初めて認められるものです。""をしなくても、すなわち科学者やレンジャーの管理・監督がなくても、対象の野生動物と取り巻く自然への影響を一定内に抑え、共に生きることができるのが"本物の伝統"です。日本の捕鯨関係者は「捕鯨9千年の歴史」と大ボラを吹きますが、文化的な継続性・一貫性は一片もなく、その間クジラたちを幾度も追い詰めてきた過去を振り返れば、沿岸を含む日本の捕鯨業にはまったく伝統を名乗る資格がないという一語に尽きます。ニコル氏も指摘するとおり、今のイヌイットのホッキョククジラやイッカクの漁には非常に大きな問題があり、日本だけの話に限りませんが……。
 もっとも、ニコル氏がこうした歯に詰め物を被せまくったかのような言い方しかできないのは、「彼らを責めたくない」「捕鯨関係者との良好な関係を壊したくない」という、これまた"日本的な気配り"によるところなのでしょう。ただ、日本固有(?)の内向きの馴れ合いに依存する町内会的社会関係は、村八分のような価値観の異なる他者への排斥、外部に対するむき出しの敵愾心の形で"反動"が現れるという一面も併せ持っています。その一面がもろに出ているものこそ、この捕鯨問題といえるでしょう。捕鯨関係者に頻りに擦り寄ろうとする氏ですが、グリーンピースなどの固有名詞に対しては、「親の仇」と言わんばかりの敵意を示すようです。ちなみに氏はウェールズ出身。ウェールズといえば、イングランド、スコットランドとの歴史的関係の中、鬱屈した感情がもとで右傾化するヒトも"中には"いる点、日本人と気質に共通する部分があるとか・・。まあ、人種だの民族だのを基準にヒトを線引きするのはそもそも間違いで、「そんなの関係ねー」と筆者自身は思ってますが・・。
 正直に白状すると、筆者はこのヒトがでっっっっっきれーです。。。最大の理由は、もちろん日本のマスコミ・世論を捕鯨よりに偏らせるのに果たすところの大きかったA級戦犯の1人(業界側に言わせれば、「南極からの撤退」という現在の持論に目をつぶる限りにおいて最大の功労者ってとこでしょう)であること。宮崎駿氏を抱き込むなどして子供や若者に与えた影響は特に大きく、クジラにとっての"損失"は計り知れません。銃で動物を殺せるヒトだということもあります(こちら参照)。氏はまた、メル・ヴィルをボロクソにけなしてますが、不朽の名作古典である『白鯨』に比べれば、『勇魚』なんぞ三文小説もいいところです(拙作よりはマシかもしれませんが)。おまけに、ポール・ウィンターのアルバムにサイテーのゴミ解説を入れて素晴らしい演奏を台無しにするわ(あれは日本の輸入発売元が悪いんだが・・)。ハムの宣伝とかもあるし。。。
 念のため言っておくと、これは筆者のすべての持論と同様、反捕鯨論者の共通意見ではありません。あくまで筆者の個人的感情にすぎません。ニコル氏がグリーンピースを毛嫌いしているのと同様に。
 とはいえ、ニコル氏の唱える「世界が反対している以上、少なくとも南極や公海上での捕鯨はやめるべき」という主張は、中立からやや捕鯨よりの人々(彼のシンパを含む)に対しても非常に説得力のあるもっともな意見といえます(別に彼の専売特許ではなく、小原秀雄氏を始め他にも多くの人々がずっと前から主張してきたことですが)。ですから、ここは個人的な感情を排して彼を応援したいと思います。
 問題は、日本の捕鯨シンパを勢いづかせた氏の影響力が果たしてまだ有効かどうかです。今でもマスコミに呼ばれてはいますが。水産庁はかつて、「沿岸捕鯨と引き換えに公海での調査捕鯨を中止してはどうか」という米国の提案を蹴りました。内容はともかく、ニコル氏の指摘どおり沿岸捕鯨であれば"伝統"の建前をなんとか掲げることもできるはずなのに、国は大手企業が南極まで出向く母船式捕鯨の形式を固持するために、自ら沿岸捕鯨を残す道を潰したわけです。相手がニコル氏といえど、関係者が彼の主張に耳を貸すとも思えません。
 しかし、それでもなお、「クジラを殺して何が悪い」と吠える倣岸な捕鯨擁護派を増長させた責任をとる意味も含め、日本人らしい遠慮をせず堂々と、氏には主張し続けて欲しいものです。そうすれば、メディアも人々も気づくでしょう。反反捕鯨派の代表格として祭り上げられてきたあのC・W・ニコル氏から、氏の大嫌いなシー・シェパードまで、「日本は南極の捕鯨から撤退すべきだ」と考えている多様な層があることを。日本人にも、在日外国人にも、オーストラリア人にも、日本という国が未だに南極でまで野生動物を殺し続けていることに遺憾の意を示す人々がいることを。情報を隠すことによって、反捕鯨運動があたかも白人人種差別主義者の"一枚岩"であるかのように嘯いてきた、政府と業界のPRの嘘を見抜き、そんな単純な図式を当てはめることがいかに愚かな間違いか、多くの知識人やメディア関係者が知ることになるでしょう。
 そういうわけで・・・・C・W・ニコル氏、頑張れ!!!

 とは言いつつ、対談した2人に最後にもう一言。「ウシのほうがよっぽど環境に悪い」というけれど、あんたらがウシもクジラもイノシシもやめて減量したほうが、よっぽど環境への負荷が減るんじゃないの!?(こちら参照